今日も定時ダッシュ -98ページ目

アイアンマン2

 観ている間は圧倒的に楽しいこのシリーズ、大好評の1作目にはおよばなかったものの、2も十分に楽しい出来でした。1も2も、観終わってすぐに何が楽しかったかすら忘れてしまったのだけれど。

 とりあえず印象に残っているのは、ロバート・ダウニーJrがフード付きの薄手のカットソーを着ており(しかも2回も)、この人はお茶目なオッサンの役なのでいいとしても、今回の敵役である顔が恐いミッキー・ロークですらフード付きを着ていたので、これはもうすぐ来るね、オッサンのフードブームが。実は自分はこの冬にピーコートの下に着ようとフード付きのニットを何枚か買い込んだものの、若作りすぎるような気がしてあまり着なかったのだが、ミッキー・ロークですらOKなのだから気にする事はなかったのだ。なんだか改めて損した気分であります。

 もう一つ覚えているのが、ラストシーンでロバート・ダウニーJrが蝶が羽を広げたような大きなサングラスを着けていて、これがカッコ良かった。さすがに人を選ぶアイテムなので真似ようとは思わないが、オヤジのファッションは基本的に色柄や形が多少オーバーなもののほうが加齢によるショボくれた姿をカバーしてくれるように思う。

 一応ヒロインであるグィネス・パルトロウですが、ロバート・ダウニーJrの野方図な行動にヤキモキしちゃう女子高生のような役所だったが、これはちょっとパルトロウのキャラではなくて痛々しさを感じてしまった。スカジョもそうだが、この映画は美女がオッサンの引き立て役になっているという、いまどき珍しいタイプの映画であります。

こんな人にオススメ:オッサンとメカという組み合わせに違和感がなければ

アウトレイジ

 北野武監督ひさびさの暴力映画。やくざの抗争がストーリーとあって、近年まれにみるオッサン共がひしめく映画でありました。出てくる人々があまりにもオッサンばかりなので映画の内容が把握できるか心配していたのですが、快刀乱麻を断つがごとく、スッパリと人間関係が把握できてビックリ。

 自分の頭が冴えているかと一瞬勘違いしたのですが、これは北野監督がオッサンばかりの登場人物でも観客に理解できるように演出したからだ、というのが正解でしょう。マル暴や兄弟の盃といった言葉を聞き逃さないことも必要だが、どの人物が誰にどのような振る舞いをしたかを見て行けば、それぞれの登場人物の上下関係や思惑などが透けて見えるように演出がつけられている。そもそもヤクザ社会が舞台のこの映画は、各キャラクターの明確なポジションがヒエラルキー的に存在しており、誰かと誰かが会話するということは、そこに自ずと階層による関係性が発露する。

 「アウトレイジ」が面白かったのは、このヒエラルキーに加えてキャラの性格付けや状況の違いによる演出で、キャラクターが登場するたびに様々な顔を覗かせることだった。例えば、ビートたけしの組の構成員である椎名桔平が、基本はその組の若頭で面倒見のよい兄貴分という感じなのだが、ビートたけしが警察に出向く際にお供をする場面では、玄関で立ち番をする警察に火のついたタバコを投げて警察をからかっている。さらにその行為を警察の偉い人間に恫喝されるとその場では手も足も出ず、後でムキになってタバコを投げつけるという、だんだん彼の子供っぽい面が露になってくる。マル暴の刑事である小日向文世も、普段は暴力団から袖の下をかすめるコバンザメのようなキャラを演じつつ、相手が落ち目とみるや容赦なく相手を殴りつける、ある意味ヤクザより性質の悪い人間であることが分かる。この映画は様々な人物の関係性が変わっていく面白さを脂ののった俳優を使って表現している映画だと思う。

 登場人物の描写が濃い代わりにストーリー自体の意外性はなく、極論してしまえば登場人物たちが全員「バカヤロウコノヤロウ」と連呼しながら殺し合うだけの映画だ。その殺し方がかなりバイオレンスの度合いが高く、カンヌ映画祭でも中座する観客がいたようである。北野武自身が過去作である「Brother」のインタビューで、西洋人は銃の撃ち合いは平気だが、ナイフで指をつめるシーンでは怯えて演技を拒否されたと語っていたので、指詰めどころではない痛いシーンの連続に耐えられなかったのだろう。けれども、暴力描写に関しては昔の、それこそ「その男凶暴につき」や「3-4X10月」あたりの描写に比べると自分自身の暴力性を突きつけられるような怖さとは違って、「アウトレイジ」の暴力シーンはホラー映画と同じ様式美のような感じだと思う。そういう意味ではこの映画は安心して見ていられた。

こんな人にオススメ:やっぱり女ウケする映画ばっかりじゃつまらんなあ、と思うオッサン(含自分)

告白

 今回の「告白」とこれまでの中島哲也監督の映画を観て確信した事。

 この監督は、絶対にイケメンを憎んでいる!

 この映画でトンチンカンな熱血先生を演じたのがナイーブな美声年を演じさせたら現在ナンバーワンの岡田将生で、かなりイメージにそぐわない。実際には違和感はなく岡田将生でも十分ハマっていたのだが、とにかく「イケメンを徹底的にアホっぽく見せてやろう」という監督の執念を感じた。「嫌われ松子の一生」の谷原章介の中身のないペラペラなハンサム教師や、ペラペラな役ではなかったが伊勢谷友介は顔に傷を付けられたりと、中島監督は絶対に「俺の映画でイケメンを輝かせてなるものか」と思っているに違いない。

 この映画は「告白」の名に相応しく、映画としては禁じ手と思える程の一人芝居やモノローグが多いが、それでも画面に引き寄せられて観てしまう。オタク的にはゴチャゴチャな画面が特徴の中島監督の作品を映画と呼んでいいものか?などと面倒くさいことを思ってしまうのだが、「松子」で号泣し、「パコ」でも泣いてしまった過去を持つワタクシに否定する資格なんざありません。

 映像以外の中島監督の特徴で思うことは、観客へのサービス精神なのか、そもそも観客の理解力をハナからアテにしていないのか、行間を読む必要が全くないほどストーリーが分かりやすい。「告白」で言えば、小説では主人公の女教師の目的が復讐なのか犯人Aに対する矯正の意図があったのか、どちらでも解釈できる終わり方をしていたが、映画ではハッキリと一方の見方しかできないようになっている。このサービス過剰的な分かりやすさが監督の人気の所以なのだと思う。

 「告白」は派手さはないがストーリーテリングの妙で最後までしっかり見せてくれましたが、関係ないけれどこの映画を観て「ヒーローショー」も自分が悪口を言うほど酷い映画ではなかったのだと考え直した次第であります。自分がワルクチを書いた、監督が伝えたいメッセージに対する腰の入らない感じはやっぱり中途半端だと思うけれど、「告白」ではスッパリと捨てられた生理的な感覚、特に暴力描写に見られる生々しさは、中島監督的な小奇麗なテイストが受ける昨今において、これはやっぱり「ヒーローショー」で見るべき特徴だなと、今更ながら見直した次第であります。

こんな人にオススメ:松たか子、木村佳乃ともに美しいのでアラサー女優が好きな方に。

プリンス・オブ・ペルシャ 時間の砂

 時を戻す砂をめぐる古のペルシアの冒険物語・・・オチは読めたな。それでもこの手の映画の醍醐味は冒頭からクライマックスに至るまでの様々なスペクタクルシーンであるし、ストーリーなんざ二の次で良うござんす。とまあ、かなりユル~い感じで観に行ったのでありますが。

 しかしまあ、なんというベン・キングズレーの無駄遣い!この人は案外スットコドッコイな映画にも出ているので、同じ間抜け映画でもギャラの良さげなハリウッド大作ならばまだマシかとも思うが、どうしても他のキャラと格が違いすぎて悪目立ちしてしまったように思う。どうでもいいですが、この映画のベン・キングズレーのことを「エルム街の悪夢」のフレディだと信じていた人が身近にいてビックリ。

 ジェイク・ギレンホールがマッチョな肉襦袢を着ているような増量モードで登場し、ゲームばりの多彩なアクションで町を跳ね回り、剣を振り回しているのだが、やっぱりこの手の手狭な空間を縦横に駆け回るアクションだったらジャッキー・チェンだよなあ・・・と、比べても仕方が無いことを思ってしまった。古代からの秘宝を守ってきた王家の巫女姫も城を出た途端に蓮っ葉なアバズレにジョブチェンジしちゃったし、主役のキャラクターが非常に隣の兄ちゃん姉ちゃんという感じ。それがダメという訳ではないけれども、なんだか果てしなくペルシャでも何でもない気がする。

 しかし上記の不満は、自分がこの映画にノれなかったから不満に感じたようなもので、もしかしたらアバタもエクボ、決してこの映画の短所ではないと思うのだが、自分がこの映画で決定的にダメだったのは、「密かに武器を製造して敵国に流そうとした」という言いがかりで国を滅ぼすという、それ何てイラク戦争?な理由をしゃあしゃあと織り込みやがったことだ。自分が前日に「グリーン・ゾーン」を観てしまい、まだ現在でも問題が続いている戦争の、大元の取り返しのつかない(というか難癖を承知で戦争を始めた)ミスをエンターテイメントで言い訳するという、映画として何というプライドがない所行をしやがるのだろうと呆れたばかりだというのに、まさかペルシャが舞台でも「悪いのは悪人だけです」みたいな事をしやがるのか、と。

 まあ「プリンス・オブ・ペルシア」は確かに悪いのは悪人だけです、と言ってもいい類いの映画なんだけど、「グリーン・ゾーン」もこの映画も、イラク戦争を批難したいのではなく、戦争を仕掛けたこと自体は擁護したいのだと、そう感じてしまうとどうにも気に食わない。

こんな人にオススメ:マッチョなジェイクにシェイクダウーンな貴女

月に囚われた男

 デビット・ボウイの息子であるダンカン・ジョーンズのデビュー作という触れ込みのこの映画。実際に観てみますと、デビット・ボウイがどうこうというよりも、このダンカン・ジョーンズ氏がとてもSFというジャンルが好きなんだろうなあ、と思える映画でした。

 自分はこの映画の感じから、「冷たい方程式」というSF短編小説を思い出した。内容は全然違うのだけれど、ストーリーの運び方が似ているように思う。どちらも冒頭でイレギュラーな事態が発生して、それに対して決して多くはない要素で解決しようと試みた末、結局は当初の予想の範囲内で収まるべき結末を迎える。最後にアッと驚くようなどんでん返しはないのだが、登場人物たちが選んだその結末が素直に腑に落ちる感じがして、最後に非常に満足感がある。

 この物語で一番面白かったのは、主人公と一緒に暮らすコンピュータのガーディーの描き方だった。昔のSF小説や「2001年宇宙の旅」や「ブレードランナー」など、多くの物語の中で人間とコンピュータは対立する存在で、コンピュータが殺人を犯したり、人間が緻密に管理されたりという内容が多かった。しかし「月に囚われた男」のコンピュータは己のプログラムに従って最後まで主人公をサポートし続ける。無機質な存在でありながら最後には妙にイイ奴に思えてくる、ナイスなキャラクターでした。

 オープニングの地球の映像がとても大きな撮り方をしていて大いに期待したが、月のシーンではそれ程のスケールを感じなくて、その辺は軽くガッカリ。低予算だからそこを言ってはイカンのだが、月の裏側といっても結局これは基地周辺の出来事なので、もっと広々とした静寂の世界を見せて欲しかった。ダンカン監督はせめてもっと予算が付くネームバリューを得て、CGに頼らない美しいSF映画を作って欲しい。

こんな人にオススメ:月に対してロマンを抱ける映画ってのも今時珍しい