今日も定時ダッシュ -97ページ目

借りぐらしのアリエッティ

 スタジオジブリ発足後に若手によって製作されたのが「猫の恩返し」、「ゲド戦記」、そして今作があるワケですが・・・ようやく・・・ようやく宮崎駿じゃなくても普通に面白い映画が・・・ああ、長かった(嘆息)。

 「借りぐらしのアリエッティ」の面白さは、人間と小人というスケールの違う二つの生物のディティールをきっちりと押さえて描写することで、小人の世界の暮らしぶりを魅力的に見せた点にあると思う。ストーリーとしてはそれほどスペクタクルなものではないが、人間にとっては大したことではなくても小人にとっては天変地異のような衝撃を受けることもあり、小人たちの小ささをしっかりと感じさせる描写が観ていて楽しい。ポットから注がれるお茶や朝露や雨粒などの水滴の描写も面白かったし、人間が小人の家にちょっかいを出す二つのシーンがそれぞれに怪獣映画のようで良かった。アリエッティの俊敏な動きやスピラーが矢を射ろうとする時の体の震え方など、宮崎駿の遺伝子も随所に見られ、立派にジブリの作品としてのクオリティを備えた映画でありました。

 アリエッティと翔が初めて出会うシーンで、アリエッティが翔に見つめられてティッシュペーパーに隠れるシーンが微妙にエロティックで、その時の身をよじる感じは、おそらく翔に恋をしたということじゃないかと思う。しかし一方の翔の描写が結構怖くて、無言でベッドに横たわって目を見開く翔の巨体(←アリエッティに比べて)のアップに続いて、「こわがらないで~」と猫なで声でアリエッティに語りかける翔の口元のドアップと、そこだけホラー映画っぽく見えた。お手伝いのハルが小人の家を見つける様子はまんまゴジラだし、翔がアリエッティの母を助けるためにハルを出し抜く場面は、見方を変えると「ゴジラvsモスラ」みたいに見えてくる。

 「もののけ姫」から俳優を使うようになったキャスティングも、今回のヒロインの声をあてた志田未来は初めて声に違和感を感じなかった。志田未来と神木隆之介は、ともに年頃になるにつれてビジュアル的にどんなもんかという感じで迷走しておりますが、プロの声優がハブられる傾向にあるアニメ映画において今後も活躍しそうな予感がします。っていうか神木隆之介は最近声優の仕事ばっかりだし。

こんな人にオススメ:アニメならではのキャラクターの丁寧な動きを堪能できました。

インセプション

 現実と虚構とか、虚構に囚われた人々とか、そういったモノは押井守が30年も前にやってるじゃんとか、なんという今更感ただよう親子の確執とか、「インセプション」における世界設定については誉めたり貶したりできるのだけれど、それよりもそういうケッタイな設定をエクスキューズにして観た事も無い映像を撮り上げるという、その一点で「インセプション」はとても正しい在り方をしている映画でした。

 個人的な白眉は第一層のキック(車が川に転落する)と第二層の無重力が連動するシーケンスで、第二層の無重力の中でメンバーをグルグル巻きにしたり、一方で第一層では操り人形のように全員の手足が同じ方向にブラーンと揺れるシーンでは大笑いしてしまいました。あ、アレは笑うシーンじゃなかったですか?無重力下の格闘シーンが結構長くてたっぷり楽しむことができる上、エレン・ペイジの第二層の髪型がサザエさんに出てきそうな古くさいOLっぽくて大笑いしたので、やっぱり第二層最強。


 以下オチに触れてます。


 この映画はSF版ミッション・インポッシブルというような楽しみを提供する一方で、主人公が亡くした妻の影に囚われ続けるというトラウマの物語としての面も持ち合わせている。この妻は夢に潜って自分の思うままに世界を造り上げるという万能感に溺れて、そこから抜けられなくなってしまったのだが、妻を諌めて夢の世界に浸ることを良しとしなかった主人公なのに、ラストシーンで彼がようやく子供達と再会できて幸せを取り戻した世界がもしかしたら夢かも・・・という終わり方をしている。ラストの解釈は観客に委ねているということだろうが、現実が辛くても夢で幸せならばそれでいいじゃない、なんて解釈が出来てしまうとディカプリオは一体何のために頑張ってきたのだ?それじゃあ結局妻を追い込んでしまった後悔は癒えないままなのではないのだろうか?とまあ、そんなコトを考えてしまい・・・

 というワケで、自分としてはラストは現実であって欲しい派であります。

こんな人にオススメ:バットマン・ビギンズのチョイ役に比べて渡辺謙の出世ぶりが嬉しい

去年マリエンバートで

 この映画の存在を知ったのは、萩尾望都が「バルバラ異界」というマンガの中で、とある女性に「マリエンバート」と名乗らせたのがきっかけなのだが、「バルバラ異界」は様々なジャンルの要素が縦横無尽に絡み合う複雑な物語だったが、さすがに萩尾望都がその中に登場させるだけあって、「去年マリエンバートで」もとても御大が好みそうな、複雑で物凄い映画でした。

 とにかくワケのわからない映画という知識だけを仕入れて画面を食い入るように見つめていたので、モノクロの映像美とシャネルデザインの衣装を身にまとうヒロインの美しさは十分に堪能できました。Wikiを見ると映画の構成についての説明がなされていて、後から思い返すと「ああ成る程なあ」と思わないでもないが、しかしこの映画を楽しめることと、この映画を理解することは全く別物だと思う。

 そもそもストーリーは「去年会った女に再会し、そのまま二人が駆け落ちして去って行く」とまあ、これだけの話である。それをよくもこれ程までに複雑怪奇に入り組ませたものよのう、と思わないでもないのだが、ストーリーを語る事を二の次にして映像を造り上げたからこそ「去年マリエンバートで」は芸術的に美しい映画になったのだ。この映画の各シーンを解きほぐして時系列順に並べ直して理解することも可能なようだが、製作側が観客にそうすることを期待しているとは思えないし、そうしなければ楽しめないと考えて作った映画だとは思わない。この映画が映像の美しさは同じでもストーリーが分かりやすいように構成されていたら、自分はこれ程までの衝撃は受けなかったと思う。「去年マリエンバートで」は、映画の舞台となるフランスの庭園に観客を迷わせようと製作されたのではないだろうか。

 映画というのは大きなスクリーンに映る映像を見つめるものであるが、しかし2時間や3時間の間、画面を真剣に見続けるというのは至難の業で、ウッカリすると目から入る情報に感じるよりも、耳から入る音声でストーリーを追ってしまうということが多々ある。洋画の場合は画面を見るというより字幕ばかりを追ってしまうことも多い。もちろん台詞回しや音響や脚本は映画を構成する重要な要素だが、やっぱり映画というからには監督が何を撮影したか、ということが一番重要ではないかと思う。映画の善し悪しで重要なのは、映像>編集>音響>脚本というのが最近とみに思う所であります。

こんな人にオススメ:そうは言っても体力のある時に観る事をオススメします。

レポジッション・メン

 車のローンが払えなくなった奴は車を取り上げられる。住宅ローンが払えなくなった奴は家を取り上げられる。臓器ローンが払えなくなった奴は臓器を取り上げられる。この現代社会から未来社会へのジャンプ具合が絶妙。最近では「サロゲート」や昔の映画だと「ガタカ」といった近未来SFの良作というのは、未来の社会の特徴の付け方が現代社会の状況から十分ありうると思えるものが多い。

 映画の舞台は人造の臓器が手軽に移植できて、それによって人は病や死を忘れて幸せになれる(ただし巨額のローンを背負う)という社会である。この病と死を遠ざけたいという思いはそれこそ大昔からあったのだけど、発達した医療技術が浸透した日本において、ホントに死と病を遠ざけたら人間は幸せになったのかということは我が身に受け止めて真剣に考えるべきだと思う。仏教で言うところの四苦八苦の四苦というのは生、老、病、死のことである。生まれること(生きること)が既に苦であるのだ。それを踏まえずに老病死を覆い隠しても苦しさからは解放されないどころか、生きていくことが余計苦しいものになってはいないだろうか。

 とまあ、映画を離れた独り語りはこれくらいにしまして、着眼点がなかなか面白いこの映画、前半の臓器回収を生業とするジュード・ロウの仕事ぶりの描写は非常に面白かったのだが、中盤あたりから普通の男女二人の逃避行っぽくなってしまい、折角の設定の面白みが薄れてしまったねえ、と思っていたら、クライマックスで設定を存分に生かしたエロシーンキター。その直前のピンクドアを前にした社員vsジュード・ロウの大立ち回りもあまりの唐突さに大笑いさせていただき、非常に色々と見応えのある映画でした。

 映画を存分に楽しんだものの、回収屋から逃げ切ってハッピーエンドというのがやっぱりハリウッド映画的で、現代のブラックな風刺社会モノの結末としてはちょっと何だかな~と思ったら・・・そう来たか!というオチが。決して前例の無いオチではないのだけれど、上に書いた四苦に無理矢理絡めて考えると、生老病死の全てが苦であるならば、それに気付いてしまったジュード・ロウの幸せはどこにあるのか、ということをしっかり考えた結末だと思う。

こんな人にオススメ:グロシーンに耐性があるならば、きっとそれ以外の面白さが分かるだろうと。

ザ・ウォーカー

 それほど期待して観なかったのが功を奏したのか、凄く面白いと感じた映画でした。彩度を極端に落とした画面も、初めこそ「どーせCGのアラを誤摩化すためなんだろ」とヒネた見方をしておりましたが、最後では「この物語を語るにはこの画面でこそ」なんて思ってしまう。ワタクシのオタク度なんて、所詮はその程度でございます。

 運んでいる本が聖書だというのは初めから想像がつくが、聖書を守ってひたすら歩き続けるデンゼル・ワシントンと、それを手に入れようとサディスティック全開で追うゲイリー・オールドマンの両ベテランの存在感が見事で、序盤は単純なマッドマックスの焼き直しのようだったが、なぜこの二人はそれほど聖書に拘る必要があったのかが判明する中盤あたりから映画の印象がガラッと変わり、デンゼル・ワシントンの秘密が明かされた時点でそれまで単純なエンターテイメントだったアクションシーンに別の意味が加わって衝撃を受けた。まあ、デンゼル・ワシントンが無敵である理由を受け入れられるかどうかで「ザ・ウォーカー」の評価は全く違って来ると思いますが。

 今作のヒロインであるミラ・クニスは、自分は「マックス・ペイン」で初めて観たのだけれど、その時よりもコケティッシュな感じが増して若返ったように見える。これもモノクロ画質効果か?美女度が上がったクリスティーナ・リッチというか、道を踏み外さなかったリンジー・ローハンというか、とりあえず今後も注目だ。

 そしてマデリーン・ストウにしては可愛げがあるなーと思っていたらば何とあなたはジェニファー・ビールス。数年前に「あの人は今」的な番組で牧場主として働いている姿を見たが、一体どうしてスクリーンに戻った(戻れた?)のだろう。ジェニファー・ビールスとダイアン・レインとケビン・ベーコンは、1980年代はじめを思春期として過ごした自分にとって、いつまでたっても無視できない名前なのよ。白状しますとフラッシュ・ダンスもフット・ルースもストリート・オブ・ファイアーも観ていないのだけれどもさ(笑)。

 かように、「ザ・ウォーカー」は自分にとって絶妙なキャスティングの映画だったのでありました。

こんな人にオススメ:信仰心を許容できない人は観ない方がよいかと。