今日も定時ダッシュ -101ページ目

処刑山 -デッド・スノウ-

 雪山にある山小屋でバカ騒ぎしようと訪れた8人の男女を、第二次大戦中に暴虐の限りを尽くしたナチス軍がゾンビとなって襲いかかる!!!とまあ、「処刑山」はそんな映画でございます。日本に井口昇がいるように、こういうコトを大真面目に考えてる奴は世界中にいるのですな。彼らを「ロメロの子」なんて呼んだら、ロメロ御大はイヤ~な顔をするだろうけど。

 とりあえず男女のメンバーを見ると、女の子は皆北欧系っぽいカワイ子ちゃんだが、男連中は一人を除いてパッとしない奴らばかり。この時点でどの女の子が脱ぐのか、とか、誰が真っ先に死ぬのか、などと色々考えてしまうのがオタクの悲しい性。冴えない男の中にデブの映画オタクが混じっており、彼はサッサと死ぬなと思っていたら実はコイツが濡れ場要員だったというのがちょっと意表を突かれた。

 前半はゾンビの正体をなかなか見せずに恐怖感を煽るのだけれど、後半で出し惜しみせずにゾンビがドバーっと出て来ると「怖い」から「楽しい!」という展開に一気に変わります。雪に埋まって顔だけ出しているお茶目なゾンビや、木に登って身を隠した女を二人して呑気に見上げるゾンビなどなど、この映画はゾンビ萌えの需要も満たしている。イケメンを八つ裂きにするシーンでは、自分の心にショッカーのような「イーッ!!」という掛け声が確かに聞こえた。

 この映画は人間側のキャラクターが腸やら首やら色んなモノをドバドバとまき散らしておりますが、面白いのはゾンビ側の人々もかなりドバドバやっており、ゾンビの割には中身の生きの良さを見せつけております。「でもゾンビ物としてはどうよ?」という疑問を押さえ込むほどのパワーなので、まあこれはこれでアリなのではないかと。

こんな人にオススメ:スプラッターが平気ならストレス解消に是非

クレヨンしんちゃん 超時空!嵐を呼ぶオラの花嫁

 子供ならずも大人も楽しめるクレヨンしんちゃんですが、原恵一監督が降りて以降は割と子供向きであることを第一としているといいますか、映画オタクが最後の回に一人でコッソリ観に来るような作りではなくなった。それが今回は久々に大人寄りの視点が多めに含まれていて、ここ数年では映画オタク的に一番面白かったように思う。

 今回は未来世界が舞台になっているのだけれど、そのビジュアル自体が70年代に「21世紀はこうなる」的に語られたオブジェ的なビル群が天に向かって聳える、昔のSF映画にあったような懐かしい未来調で、その周辺にスラムがとりまくディストピアとして描かれている。これは未来の姿というよりも、現在の格差社会を未来に敷衍したものだろう。

 劇中に登場する花嫁(希望)軍団はその端的な具体化で、アラサーあたりで結婚に焦る独身女性をネタにしている。結構笑ってしまったのだが、「クレヨンしんちゃん」を観に来る女性はほとんど子連れだろうから、これはちょっと欠席裁判っぽい後味の悪さを感じてしまう。一緒に笑っていたウチの娘だって20年後は我が身の可能性だってある訳だし。

 去年の映画に続いて、今回もしんちゃんのプニプニした体を両親がムニムニと愛でるシーンがあって、こういうのは問答無用で通じる感覚だよなあ、と思いながら観ておりました。しんちゃんくらいの幼児には、幼児というだけで大人を幸せにする力があって、親なんてのはそれを味わうために様々な苦労を受け入れるのだろうと思う。子供達が長ずるにつれて、今度は自分たちが幸せになれるようにその力を伸ばしてくれればいいのだけどなあ、などと感慨にふけった日曜の午後でありました。

こんな人にオススメ:敢えて大人が一人で行くほどでもないと思いますが。

後ろから前から

 Wikiで調べたところ、畑中葉子の同名のレコードが発売されたのが1980年のこと。当時はまだわりとオヤジ的な風俗に世間も寛容で、近所にあったキャバレー(もちろん名前はロンドン)の宣伝カーが、結構大音量で音楽を流しながら来店をアピールしてました。そのBGMで一番記憶に残っているのが件の「後ろから前から」で、当時はまだ10才の愛くるしいばかりの少年だった自分でしたが、畑中葉子の鼻にかかったキャットボイスで「後ろから前から~、どうぞ~ん」なんて聞こえてきたりして、当時性的なことは全く分からねど、その後ろと前の中間地点にはきっと物凄いミステリアスでイヤらしいゾーンがたゆたっているに違いないと、あてもなく妄想を繰り広げていたのでありました。

 爾来30年、愛くるしい少年もむさ苦しいオッサンとなり、会社の昼休みに映画サイトをパトロールして上映スケジュールをチェックしておりましたら、今週限りで「後ろから前から」が上映とあるではありませんか!これは今観なければ一生観られないだろうと思い至ったのでありましたが、その時はてっきり当時の映画の再上映だと思っていたのであります。

 映画館に着いてポスターをチェックしたところ、主演は宮内知美という現代的な容姿の持ち主。アレ?これの主演って畑中葉子じゃなかったの?ふーん、畑中葉子は歌だけなんだー、とまあ一人で辻褄を合わせてみるも、出演者の中に街田しおんの名前を見つけ、「ヒトリマケ」でヒロインを演じた彼女が30年も前のポルノ映画に出てるって、アンタ今の歳いくつよ?とかなり混乱する。客は10人足らずで他の客は50代とおぼしきオヤジばかり。きっと彼らは当時の畑中葉子にお世話になったのだろうと思いながら開演を待っておりました。

 いざ映画が始まって、タクシーに乗った宮内知美のネズミ色をした肌を見た瞬間、ワタクシは全てを悟りました。コレ、最近ビデオ撮りした奴じゃん!うわーー騙された!!しかもこのタイトルで中身は「幸せの黄色いハンカチ」って今更一体何の冗談なのよ!?帰宅して当時の「後ろから前から」のストーリーをチェックしたところ、やっぱり当時の映画と何の関係もなし。なぜこのタイトル?なぜこの内容?なぜ女優を奇麗に撮らない??なぜ?の嵐。

 結局これはスカパーが「ロマンポルノ RETURNS」と銘打って往年のロマンポルノを現代に復刻したものだそうで、もう一つの「団地妻 昼下がりの情事」は監督がロマンポルノで鳴らした中原俊なので復刻の意図も分かるのだが(観てないけど)、「後ろから前から」はタイトルで引っかかったオッサンを呼び込む意図しかないように感じられる。自分がまんまと引っかかった口だから余計に怒り心頭であります。

 この映画に対する数々の不満を脇において冷静に思い返すと、主演の宮内知美はとてもがんばっていたと思う。ちゃんと脱いでたし、フランスパン一気食いやカエルを顔面で受けるとか大変そうだったし、「後ろから前から」のコケティッシュな歌声も良かった(iTunesにアップされてますので是非)。ただそれがどこにも報われてないというか、あの肌色の汚さは女優あってのロマンポルノならばアウトだろう。これはDLP上映だからで、スカパーでHDテレビで観れば奇麗に見えるのだろうか。しかし、せめてビーチクはクーピンに塗ってほしかった。

 あと、この映画自体の話の構成が変で、主役のドラマよりも脇役の「幸せの黄色いハンカチ」のパクリのほうがメインストーリーになってしまい、脱いでるヒロインより脱がない脇役のほうがオイシいトコを持って行ってしまっている。そのせいで宮内知美が尺合わせの濡れ場要員みたいな扱いになっており、特にあの早回しの長ったらしい濡れ場は彼女に対しても、ロマンポルノに対しても冒涜なんじゃないかと思う。

 この「ロマンポルノ RETURNS」は評判如何によっては今後も続くようですが、続けるならば、AVや深夜のお色気番組と違うと言うのならば、せめてロマンとはコレだ!というのが感じられる映画を作って欲しい。


オリジナルバージョン。葉子タンのB地区が九品ヨ!

シャッターアイランド

 スコセッシ監督、ディカプリオ主演のこの映画、通常の字幕版の他に超日本語吹替版という何やら耳慣れない上映形態が。これを見た時に真っ先に思い出したのがシドニー・シェルダンの「超訳」で、アレは従来の翻訳を超えた、読みやすい言葉で訳しているというのが売りだった。確かに外国小説の翻訳で読み辛い文体もあるので超訳のコンセプト自体はいいと思うのだが、致命的にダメだったのは、その超訳が当時学生だった自分ですらアリアリと分かる稚拙な日本語だった事である。

 最近はめぼしい話題作は字幕版と翻訳版で上映されるようになっている。自分はどちらかというと字幕派だが、しかし字幕では肝心の映像をしっかり見られないというストレスを感じる事も多かった。今回の超字幕はストーリーを理解させやすくするためなので、自分の考える「映像>ストーリー」という趣旨ではなさそうだが、それでも字幕あたりに視線を固定する必要がないだけで随分と目が自由になりました。

 個人的に字幕か吹き替えかは一長一短でさほど問題ではなく、それよりもワイドショーで3分露出するためだけにハリセンボンだのココリコ田中を平気でキャスティングできる(おまけに字幕版を上映せず)配給会社の映画に対する無関心ぶりのほうが大問題だと思うので、「シャッターアイランド」のように吹き替え版をキッチリ作りましたという試みは嬉しい。

 自分は吹き替えで観たのだけれど、「シャッターアイランド」は確かに理解しにくいストーリーなので、吹き替えにした甲斐はあったと思う。途中で何となくオチは分かったが、ディカプリオが崖を降りるシーンあたりから、現実と幻想の境が曖昧になってきて結構面白く観られた。こういう映画に「衝撃のラストにあらビックリ」みたいな宣伝って逆効果なんじゃないかなあ、と思うが、宣伝なんて客を満足させるためじゃなくて金を払わせるまでが仕事だから仕方ないのか。

こんな人にオススメ:几帳面な人は字幕と吹き替えで違いを確認してみよう。

ルド and クルシ

 この映画はアルフォンソ・キュアロン(トゥモロー・ワールド)、ギレルモ・デル・トロ(パンズ・ラビリンス)、アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ(バベル)という、メキシコ出身でハリウッドにその地位を築いた3人の監督による製作会社によるもので、主演もガエル・ガルシア・ベルナルとディエゴ・ルナのメキシコの唯二の有名人をツートップに迎えるという、とにかく世界に渡り合えるメキシコ人を全員集めてきました!という体であります。

 しかも中身も外身に劣らずオール・ザッツ・メキシコというのか、ラテン風に言うならばトド・ムーチョ・メヒコーーーー!!!という気合いがビシビシ感じられる。冒頭の緑深いバナナ農園からゴミゴミしたメキシコ・シティへ、そしてサッカースタジアムのラテン的な喧噪や最後の大邸宅をバックにした浜辺の風景と、これまたメキシコ的な風景が全編を覆っている。多分この映画がメキシコだけで上映されることを想定していたのなら、これほどまでにコテコテな風景ばかりを出すことはしなかったと思う。「ルドandクルシ」は明らかに外国の観客にメキシコイズムを知らしめようという意図で作られている。

 映画自体もかなり上手く出来ていて、特に感心したのが、この映画は全体が反復することで出来上がっている事でした。ルドとクルシが別々にメキシコシティに来てもスカウトマンの行動や言葉はどちらも同じだったり、クルシとくっついたセクシータレントが別の男に乗り換えるシーンだったり、一度観たシーンを少しだけ変えて繰り返すことによって、彼らのバイタリティ溢れる様子が非常にユーモラスに映る。このためにクライマックスには最初の兄弟のやりとりが繰り返されるのだな、と予想はついたのだが、成功するのか失敗するのか、どちらの結果になっても納得できるようにそれまでのストーリーがバランスよく作られているので、非常にハラハラしながら見守ってしまった。

 主人公の兄弟が、これがまた清々しいほどのバカっぷりで、観ていてとても気分が良い。彼らが早口でまくしたてる威勢の良いスペイン語がBGMとなって、映画をとても賑やかしくしている。兄はギャンブルで、弟は女でせっかくつかんだチャンスを潰し、兄嫁はマルチ商法にハマり、彼らの妹はマフィアの親分のモノになるという、作りようによってはいくらでも悲劇的な展開もできるのに、妙にアッケラカンとしているのは、これはやっぱりお国柄なんでしょうか。最後に浜辺で兄弟が仲良く歌う姿が無防備なまでにバカ丸出しで非常に微笑ましかった。

こんな人にオススメ:主役二人のイキイキした演技はハリウッド映画じゃあお目にかかれません。