今日も定時ダッシュ -9ページ目

ポケモン いまさらロケット団

 今月の初めごろ、全国のポケモンセンターやポケモンストアで、唐突にロケット団(および歴代ポケモンの敵組織)のグッズ展開がされました。ロケット団というと初代ポケモンの敵組織。当時のプレーヤーは社会人になっている年齢なので、グッズもネクタイやカードケースといった、あきらかにその年代に向けたアイテムを揃えています。

 

 ポケモンセンターに行って色々見ていると、なんだかだんだん「そういえばロケット団グッズが欲しかったのだ」という気になってきて、ピンバッチを2個とボールペンと万年筆を買い求めた。ちなみに万年筆など、これまでに買う事はおろか使った事も無い。

 

 話はそれますがこのピンバッチ、全種類一括購入でなければ中身が分からない仕様になっていて、全12種類中のどれが入っているかは買った後で開けてみないとわからない。歴代敵組織のマークが入った中、自分が購入したのは二つともアクア団であった(いちおうAタイプBタイプの両方だったが)。

 

 ここでワタクシは考えた。いや、自分のクジ運の悪さではなく、この中身がわからない12種類のピンバッチで、当たりは一体なんだろう?別に敵組織に何の思い入れもない自分にとってどれが入っていても同じで、たとえそれがアクア団2個であってもハズレとは言えないのではないか。一応タイプ違いだし。

 

 などと冷静に考える一方で、「やっぱりロケット団が当たりっしょ」という熱い血がたぎるナニカがあり、この中身が分からない売り方で「ロケット団を出すまでは」とがんばって購入してしまう輩もいるのではないかと思う。

 

 この、「ロケット団こそに価値がある」という、別にそれまで特別な思い入れもなかった要素が唐突にクローズアップされてしまう現象がポケモングッズでは往々に起こりうる。何の前触れもなく展開されたマッギョさんのグッズは、マッギャーのみならずこういう「そういえば自分は生まれる前からマッギョ大好きだった」と暗示にかかった普通の人々が押し寄せ、ポケセンは大混乱に陥ったという。他にはメタモンだったり「みがわりぬいぐるみ」だったり、冷静に考えると「なぜ今更コレが・・?」というキャンペーンを唐突に行っている。

 

 この唐突さと、初代ポケモンが今でもスタメンでバトルに出てきたり、キャラ自体に人気があったりという息の長さは、一つの現象の異なる側面ではないかと思う。ロケット団グッズが販売されて喜ぶ人もいるし、特に興味もなくスルーする人もいる。そのスルーした人は、みがわりぬいぐるみのぬいぐるみ化(ややこしい)に大喜びした人かもしれない。ポケモンが好きだということは、その人はポケモンの中の何かにフックする筈で、色々な釣り針を絶えず投げ続けていれば、どれかはだれかに引っかかるだろうという目論見で、色々なキャンペーンを展開しているように思う。

 

 

 

 

 

  

Nintendo SWITCH その2

 第一報から読み取れそうな事は、コントローラーがフォルムチェンジして外でも内でも何処でも使えますということなのだけれど、そんな、、ねえ、飛行機乗ってまでゲームやる必要ないし、そもそも飛行機なんてほぼ乗らないし、ナカマとバスケットコートでウェーイとかやらないし、そもそもオッサンにそんなアクティブな友達なんていないし、窓越しに屋上でやってるホームパーティに誘われて飛び入り参加なんて、自分の人生で絶対そんな経験をすることはないと断言できる。そんな風に遊んでねって言われたってねえ。

 

 なんだこのリア充向けアピールは。

 

 ただ、そういうリア充向けに留まらないメッセージもキッチリ出していて、このPVに関して言えば、それがスカイリムの映像ではないかと思う。スカイリム自体は最新のゲームではないにせよ、なにゆえ常に最先端の技術の全てをゲームに注ぎ込むベセスダが、性能競争から早々にドロップアウトした任天堂マシンに映像を出したか?

 

 スカイリムと、NVIDIAのプロセッサがSwitchに採用されているというニュースから、多くのゲームオタク、コンピュータオタク(含む私)はNVIDIA SHIELDを思い出したと思う。個人的にはスマホのゲームにあまり関心がないので当時は「ふーん」で終わってしまったが、SHIELDのコンセプトが任天堂のマシンとして継続されていた、と考えれば、あのPVはリア充向けどころか、一気にオタクの好みそうな領域に突入する仕掛けになっている。

 

 こうやって考えると、SWITCHにandroidが乗ってないとか、これまでのようなPCやスマホを拒否する任天堂のスタンスがSWITCHでも続くか?というクローズドな考え方が非常に無意味に感じられる。そうだったらスカイリムもNVIDIAも任天堂に噛む意味が無くなってしまう訳で。

 

 初見で「わけがわからない」と思ったSWITCHも、少しずつ想像していくと、

 

 据え置き機から携帯機まで遊ぶシーンをカバー。

 一人用から多人数までフォロー。

 PCゲームやスマホゲームも遊べちゃう。

 これまでの任天堂のゲームも遊べちゃう。

 

 とまあ、初見でわけがわからないのも納得の、現在の様々なゲームの有り様を全部一気に取り込む夢のマシンが爆誕!おお!こりゃすげー!!

 

 ですが、この妄想が本当かどうかも分からず、もし本当だったとしても、それが成功して確実に売れるかも分からないので、まあ現時点では絵に描いたモチですらないわな、と思います。でもまあ、こういう夢は覚める前に見ておかねば。

 

Nintendo switch

 ようやく詳細(の一部)が明かされたNXもといNintendo switchですが、これはなんというか、形と大まかなギミックについて明かされたものの、余計わけわからんという印象。

 

 本体のタブレットをドックに挿入するとテレビに映像が映ります、という仕様なのだが、それだったらWiiU的なサブ画面としてタブレットを使うことはできないのだろうか?スプラトゥーンでファイナルクリスタルダストをしようとしても、ポイント操作ができなくて不発になるかもって事?

 

 スプラトゥーンの続編を匂わせるシーンでも、普通のコントローラーでプレイしている感じだったので、見た感じはWiiUの発展系のようなswitchだけれど、WiiUで出来た事は全く出来なそうな内容である。

 

 分離するコントローラーと、それとは別のプロコンがあったり、「シーンに応じて使い分けられます」ということだろうが、なんだか怪しさも感じる。屋外の使い方がいくつか提示されていたが、ホントにこんな風に遊ぶやついんの?

 

 今回のPVでは隠しているっぽいこともあって、タブレット部分のタッチ機能はありやなしや?というところは謎っぽい。けれども、外で使うとなったら一番需要がありそうなのが液晶の部分だけ持ち運んでタブレットとして使う用途ではないかと思う。そこだけ見るとnVidia shieldみたいだし。ベセスダが出てくるってことはPCゲームがどこでも遊べるというのが売りになるのだろうか?もしくはやっぱりandroid搭載?どうぶつの森クラウド化?やった!ははんははんいぇー!!

 

 今回の発表は11月早々に行われる「どうぶつの森ダイレクト」に繋がるね。amiibo対応っていうのはブラフで(いや、嘘って事もないが)、本当はスマホとswitchで展開されるどうぶつの森を大々的にアナウンスする場となるハズ。

 

 

 

 

NXもうすぐ発表

 GANTZ:Oが面白かったというネタを書こうとしたのに、まさかのNXの何かアバウトな説明が本日ついに行われるとの事。

 

 夏頃からこのかた、NXの詳細については、発売予定の来年3月から逆算すると、もう発表しなきゃおかしいだろう、延期か?ゼルダ間に合わんかったのか?任天堂やる気あんのか?と、勝手に8月に何かあるだろう、9月に発表あるだろう、10月こそいくら何でも・・と期待してはなしのつぶてだったので、任天堂は黙っていただけなのだが(それもどうかとは思うが)、待つ身のこちとらとしては任天堂が狼少年じみて見えていたのは事実。

 

 ああ、でもNXについて一応ホントに何か発表することがあったのね、と一安心。

 

 しかし、自分が勝手に予想して大体そうだろうと言われている、「携帯機と据え置き機のハイブリッド」というコンセプトについて、携帯機というからには持ち運び可能なプロダクトということなのだが、WiiUのタブコンのディスプレイの大きさでも携帯するには大きい気がするし、小さくすると据え置きのサブ画面の用をなさないようにも思える。3DSの大きさでスプラトゥーンやれるか?と言われるとちょっと・・・

 

 大きさ的に持ち運び可能ということと、実際に持ち運んで遊ぶということは似て非なるもので、下馬評どおりの着脱可能コントローラーで持ち運びの際はスマホみたいな感じに・・・だったとしても、なんだかヤワな感じがする。任天堂が子供が持ち運んで壊れそうな製品を出すかなあ?となると、コア部分は京セラのtorqueみたいな頑丈仕様だったら個人的に嬉しい。

 

 ということで、正解が発表される前にイタチの最後っ屁のように呟いてみました。

 

 

何者

 現在高校一年の娘を連れて「もしかして先々の役に立つだろうか」と見に行ったのだけれど、映画はとても面白かったし、オッサンから見ても絵空事ではないリアルさがありましたが、予想のはるか上をゆく毒っ気のある映画で娘に見せるにはちょっとシマッタと思う四十路半ばのワタクシ。

 

 かなり前にこのブログで就活について上からエラソーに語った覚えがありますが、それはそれとして、この映画がある程度現実を映していると捉えると、今の就職活動というのは、日本の若者にとってかなりヘビーな通過儀礼のようなもののように感じた。暗くて深い川を目隠しで飛び越えなさいという原住民的な類の、向こう岸にある社会というのが何なのかもわからないままに飛び込みなさいというような。

 

 ただ、これは就活を望む形であれ望まぬ形であれ何とか無事終えた人達がたいてい抱く思いではないかと思うのだが、就活時の不安というのは今となってはビビりすぎだったよなあ、、という時は必ず来るので、現実で対峙する人達も、就活に潰されずに上手く渡って欲しいと切に思います。

 

 もう一つ、今日的な要素として、ツイッターや2ちゃんねるといったネットツールが重要な要素を成しています。中でも、サスペンス的にクライマックスを迎える際の小道具として、非常に説得力のある使い方をされている。

 

 でもこのラスト。ネタバレになってしまうので非常にボカして書きますが、ああいう行動に出るのは、ああいう状況では別にそう卑下するモンでもない、充分ありうる事だと思うのだけれどどうでしょうか皆様。俺の根性が曲がっているだけでしょうか??心の中には必ずしも綺麗な花だけ咲きはしない(by中島みゆき)訳で。それは何も、世の中で就活だけが悲惨な訳でも、この登場人物たちが人格的に問題がある訳でもないと思うのだ。

 

 ただ、ツイッターをバカ発見器と呼ぶように、今の若い人達はそういうのが在るのが当たり前のものなので、素の自分の考えを無分別にSNSにアップしてしまう人はいるだろう。そういう世の中なので、昔ではありえなかったリスク管理や人付き合いのコツみたいなものがあるのだろうと思う。

 

 岡田将生と二階堂ふみのカップルがツイッターで会話しているのを佐藤健が揶揄するも、同意を求めた先の菅田将暉と有村架純の二人はササーッと目をそらしてスルーするシーンがあったのだが、アレは一体どういう心理の表現なのだろう。あれこそがSNSでの他人との距離の置き方なのだろうか、それとも、佐藤健とこの二人との違いの表現なのだろうか?そもそも恋人同士が頭の中のことを文章にまとめてツイッターでやり取りするということは痛い事なのかそうではないのか。もうサッパリわからん。誰か説明してくれーい!