今日も定時ダッシュ -85ページ目

アンストッパブル

 私の中で世界に二つとない「スタイリッシュなデブ専」の箱に入っているトニー・スコット監督でありますが、この映画はあろうことかクリス・パインの普通に格好いい半裸姿で始まっており、「こんなのトニー・スコットじゃないやい」とヘソを曲げて観ていたら、映画の始めの見所でやってくれました。

 ポイントを切り替えようと始めは余裕をかますデブ。のらくら走るデブ。機関車のスピードが上がって真剣に走るデブ。運転席に戻ろうと手を伸ばすも転ぶデブ。不測の事態にようやく焦るデブ。この貨物列車が暴走しだすシーンの他に例を見ないデブのクローズアップに、「やっぱりトニー・スコットはこうでなくちゃ」と機嫌を直したのでありました。

 その後はもう、怪物と化した列車に当事者達が必死に立ち向かうという、ただそれだけのために映画は進んで行く。なんと清々しい。一応主役の二人には疎遠気味の娘や妻子がいるのだけれど、そんな陳腐なドラマなんざ本来どうでもよろしい。まさか「ああ、クリス・パインは奥さんと和解できるのだろうか」とヤキモキしながら映画を見る奴はいないだろう。これはあくまでも映画を丸く終わらせるための方便に過ぎず、列車が止まった時点で実際に映画も終わっている。

 私事で恐縮ですが、自分は携帯電話を携帯するのが非常に苦手で、家族も会社の同僚も「アイツの携帯は繋がらない」と諦めてくれている。携帯ではメールも打てない。スマートフォンを買おうと思ったが「オマエには豚に真珠」と全員にバカにされた。まあ尤もだと思う。で、そういう人間が僻目半分で見ると「アンストッパブル」での携帯の扱いは非常に示唆に富んでおり、それは「所詮携帯電話ではマトモなコミュニケーションは行えない」というものだ。

 映画の冒頭は様々な人物が目の前の人間ではなく携帯を使って別の人間との会話に終始している。列車暴走のシーンをビデオカメラや携帯を使って撮ろうとする無神経な群衆も登場する。デンゼル・ワシントンは死を覚悟して娘達に電話しても「愛している」と一方的に言って電話を切る。クリス・パインなんて別居の理由が妻が打っていたメールを浮気メールだと誤解したという始末。その妻は旦那が命がけで列車を止めようとしている最中に、あろうことか携帯で連絡を取ろうとするバカ丸出しぶり。このシーンは嫁のあまりの無神経さにフィクションながら頭に来た。携帯は絶対に「相手の立場を思いやる」という美徳を滅ぼしたね。さすがにトニー・スコット監督はそこで携帯を繋げるようなダサい演出はしなかったが、これがもしも「海猿」だったりしたら絶対に繋がって伊藤英明と加藤あいの安いメロドラマが始まると思う。

 とまあ、「携帯がなきゃ維持できない人間関係なら無い方がマシ」と思う古い犬としては、ここまで携帯をコケにしただけで嬉しかったのでありました。

こんな人にオススメ:私のように斜に構えなくても普通に楽しめる映画です。

ゲゲゲの女房

 映画が始まると、坂道を自転車で登る吹石一恵が、勾配が急になってきたため自転車を降りて手で押しながら坂を登る。その様子をカメラはアップで捕えており、それはあたかも吹石一恵が観客に距離を詰めて近づいて来るように見え、不意打ち的に美人がこちらに寄ってくる演出にノッケからドキドキしてしまった。

 これは何かといいますと、大林宣彦の「時をかける少女」のラストで原田知世ちゃんがこちらに向かって無意味に駆け寄って来るのと同じで、ストーリーも何もない状態で美人が前に出る(カメラが美人に寄るのではない)だけで映画は成立するのだ。「ゲゲゲの女房」は減点法で見ればマイナスになってしまうかもしれないが、吹石一恵が不意を突いて私に寄って来てくれるから、いい映画なのだ。ついでに言うと、廊下をぞうきんがけするシーンでは、今度は吹石一恵がお尻を向けたままこちらに寄って来てくれるから、とてもいい映画なのだ。

 男の子が忍者の真似をして遊んでいる奥の薄暗い土間をハゲオヤジが横切って行く。すると同じ奥から吹石一恵が出て来てそのままカメラは彼女を追ってパンする。多分ストーリー的には吹石一恵にしか意味はないのだけれど、ここでどうあっても目を引くのは土間を横切るハゲオヤジで、この男が何者なのかを知りたくてパンフレットを買ってしまった。あの平然と家族といっしょに団らんしていたハゲオヤジは妖怪だったのだ。なるほどこの映画における妖怪とはそういう存在なのだと映画の後でようやく合点する。

 おそらくこの映画のクライマックスは、吹石一恵が背後で聞こえる下駄の音に反応して、下駄の主を妖怪(べとべとさん)と思う場面だろう。実際は妖怪ではなく妖怪のような宮藤官九郎だったというオチなのだが、あの瞬間、ようやくこの二人は一組の夫婦として心ごと寄り添えるようになったのだと思う。振り返る吹石一恵の表情が、とても澄んでいて美しかった。

 映画のラストでコチコチと鳴る振り子時計の音とか、後朝(きぬぎぬ)に吹石一恵が宮藤官九郎の体の下にある帯を引き抜いて気怠そうに締める姿とか、映画の描写がとても細かく丁寧で、「ゲゲゲの女房」はそれだけで非常に目に楽しい映画でした。ただ、大きなスクリーンに映る動きのある映像を全体的に把握するのはそれなりに難儀なことで、例えば原稿料を全額受け取らんと社長を睨みつける吹石一恵と、少しでも値切ろうと彼女を見下ろす社長を同時に見続けることは、何てことない場面なのに異様に緊張してしまった。だから年配向きの「最後の忠臣蔵」はバストショット主体だったのだろうと改めて確信した次第。

こんな人にオススメ:多少なりとも映画オタクの自覚がある人は是非映画館で。

最後の忠臣蔵

 だんだんショボくなっていく正月の映画興行の中、ポスト寅さん枠として中高年向きの映画は高いレベルの映画を出してきており、今年の「最後の忠臣蔵」はその中でも特に評判が良い感じであります。けれども、こういう映画の宿命として、お年寄りに映画一本の時間は非常に難儀で、後半バタバタとトイレに立つ客が続出。暗い中で転んでしまわないだろうかと、映画そっちのけでハラハラしてしまう。

 それはともかく。評判通りにこの映画の終盤からの泣かせ演出が半端なく、可音の嫁入りあたりからこれでもかと盛り上がっていく。そもそも忠臣蔵は日本人の心を最もフックする物語である上、生き恥をさらしてまで大石内蔵助の隠し子を守り育てた孫左衛門の忠義がようやく報われるというフィクションを乗せている。さらに手塩にかけた娘の嫁入りという、50代がメインの観客が自分の来し方を振り返って涙する演出も盛って、ああ、何と言う心得た映画なんだろうと自分も号泣したのでありました。

 この映画はセットや風景も素晴らしく、よくぞここまで江戸の佇まいを残す風景を探してきたものだと感心してしまった。その風景の中で、干し柿を作ったり草鞋を編んだりといった当時の生活する様子が、見ていてとても楽しい。暗い夜に細い灯りだけを点けたシーンでは、ちゃんと闇の暗さが画面に映っていて、明かりに照らされた部分と照らされない部分の明暗のコントラストが良く出ている。

 役所広司、佐藤浩市といったベテランに並んで、可音役の桜庭ななみが演技は拙いながらも年頃の娘らしい美しさでしっかりと画面に存在していて、着物を着た所作の美しさ含めて、彼女の存在が映画に華を添えておりました。安田成美も映画に爽やかな味を添えているのだけれど、島原一の太夫という過去を持つ割には普通すぎる感じ。

 最後の忠臣蔵で惜しかったのは、カメラが非常にメロドラマ的で、台詞をしゃべる人間のバストショットばかりをつないで映画を進めて行くのが残念でした。吉右衛門と孫左衛門が打ち合って、橋の上の吉右衛門が橋の下の孫左衛門に語りかけるシーンの構図とか、可音の嫁入りで、戸板を引いた向こうにスクリーンの縦いっぱいに現れる美しい白無垢姿とか、「おっスゲー!」と目を引くシーンが出てくるのに、またすぐにメロドラマ調バストショットに戻ってしまう。分かってコレをやっているとしたら、年配が多い客層を踏まえて分かりやすいバストショット主体で撮ったのかもしれない。好意的に解釈してみましたが、他が良いだけにカメラワークの平凡さがやっぱり勿体ない。

こんな人にオススメ:年配の方はくれぐれもトイレを済ませて。中座する際は足下に気をつけて。

デイブレイカー

 バンパイアが多数派となった近未来、残り少ない仲間を集めて未来をつかむ絶滅寸前の人間達。一方、世界を支配したバンパイアも絶望を抱えていた・・・という感じのサスペンスアクションホラーでございます。

 バンパイアが支配した社会の造型が素晴らしく、バンパイア達がつくる社会では純度の高い血液を飲む者が地位が高いというヒエラルキー表現、そしてその奥にあるバンパイアばっかりになったら(人間が絶滅してしまったら)何を食って生きていけばいいのかという問題などなど、短時間で手際よくこの世界のあれこれが表現されています。

 一応ホラーということで恐ろし気なシーンもあるのだけれど、こちらは割と最近の常套手段である、突然大きな音を出したり血がドバーと出たりするという感じで、ビックリはするけど怖いというのとはチト違う。ホラーとしての側面は案外低いかと。

 この映画のバンパイアに関する色々な設定で一番良かったのは、人間の血を吸うバンパイアが人間以外の、特にバンパイア同士の血を吸ったらどうなるかという点で、この設定によってマジョリティとなった彼らから見たサブサイダーという化物が生み出され、そしてバンパイア社会の有力者の娘の顛末といった、なかなか観る者の意識にこびりつくシーケンスが描かれています。

 イーサン・ホーク、サム・ニール、ウィレム・デフォーという演技派が場を固め、バンパイアという使い古されたネタに新しい解釈を加えた物語も中々楽しく、 基本的にB級でしかありえない映画ではあるのですが、そのB級に対する志の高さを感じられた映画でした。

こんな人にオススメ:リベリオンあたりが好みの人なら

ユアシェイプ 「コレってホントに痩せるの?」

 Kinectは少しずつ人口に膾炙しているようで、Kinectについて話題にのぼる時に「それってPS3では出来ないの?」なんてトンチンカンなことを聞く輩もいないのですが、いかんせん勤務先でKinectを持っているのは自分一人ということもあり、まだまだXboxもろともマイナーの域を出ません。

 それでもユアシェイプの食いつきは非常に良くて、エクササイズビデオとどこが違うのか、Wii Fitとどこが違うのか、などなど色々と質問される中で一番多いのが、「コレってホントに痩せるの?」というものでありました。

 というワケで、今回はワタクシのダイエット観なぞを開陳させていただきとう存じます。

 腰回しダイエットやウォーキング、コアリズムにビリーと、絶えず何かしらの健康法がマスコミに取り上げられて、その都度ビデオを買ったり本を買ったりステッパーを買ったりと、何とまあ、いいように踊らされているのだと思うのだけれど、踊らされている一人であるワタクシは開き直ってこう思うのだ。「だって同じ物だけだと飽きちゃうもーん」と。

 大切なのは1つのメソッドを続ける事ではなく、色々な方法に目移りしながらも長い目で見て健康法が続けていけるのなら、ビリーでもヨガでもスロートレーニングでもその時に流行っているものに片っ端から飛びつきゃいいんじゃないかと思う。使わなくなった健康器具を見て自分の意志の弱さを嘆くことはない。手段と目的を混同しちゃあいけません。

 それを踏まえて自分が色々と経験して理解したことは、30歳以降は痩せるためには食べる量をコントロールする必要があること、運動の役割は体型がシェイプされればラッキーぐらいでいいんじゃなかろうか、という事です。手段としては計るだけダイエットをメインに、水泳を1回1時間程度、週2~3回できるなら確実に痩せるだろうと思います。でもね、やっぱり飽きるのよ、同じことばっかりやってても。

 ユアシェイプはKinectの特性上、スクワットやランジなど下半身のエクササイズが多いので、老化は脚の衰えからくることを考えると痩身だけじゃなく老化防止にも役に立ちそうな感じです。ただし非常に激しい運動をしなければいけないので、膝が悪い人はWii Fitのほうが長い目で見て体に良さそう。また、運動後のストレッチのメニューが弱い(Zenだけでは体がほぐれる感じがしない)ので、体をほぐすためのメニューも別に用意したほうが良さそうです。自分はパワーヨガのDVDを使ってます。ダウンドッグのポーズで脚を伸ばすとランジで疲労した下半身がとても心地よい。

 もしも今、Xboxごとユアシェイプを買おうかどうか迷っているなら、「4万円の出費で半年続けばOK!」くらいに考えられれば、それだけの効果はあると思います。ただし、4万の内訳としてゲームも遊ぶというエクスキューズ付きなので、ユアシェイプだけで4万は迷うところ。そのうち他のエクササイズソフトも出るだろうという将来性込みで、ジョーバとか買えちゃうような30代あたりの人ならば、かなり使えると思います。