47RONIN
忠臣蔵の物語をハリウッドが映画化、主演はキアヌ・リーヴスということで注目を集めたこの映画。しかし夏に公開されたトレーラーで菊池凛子がバケモノと化すことが判明すると「なんじゃこのトンデモ映画」と一気にイロモノ扱いされてしまいました。
イロモノとは何じゃい、伝奇モノと呼べ伝奇モノと。伝奇映画は昔は普通に一つのジャンルを形成していたし、山田風太郎や半村良など名だたる作家が伝奇小説を手がけていた。いまでもライトノベルには伝奇物語の流れを汲むものもあるだろうと思う。
忠臣蔵をデーマにした伝奇モノというと、山田風太郎大先生は「忍法忠臣蔵」という物凄いお話を作っていらっしゃったり、深作欣二監督は忠臣蔵と恨めしやを合体させた「忠臣蔵外伝・四谷怪談」という映画を作っています。ただ、こういう希有なクリエイターでない限り、忠臣蔵はごく真っ当な時代劇として作られることがほとんどで、その理由はこの物語がいまだに日本人の精神性にフィットするに他ならない。なので、そのへんを頓着しない外人でないと決して忠臣蔵にバケモンを出そうという発想は出てこないと思う。
深作欣二といえば、Huluにこの人が監督した薬師丸ひろ子主演の「里見八犬伝」があってね、これは30年も前の映画で、中学1年の時に観て面白かった記憶はあったのだけれど、今見返したらもう尋常でないほど面白くてオッタマゲた。こんな物凄かったっけ?と我が目を疑い、もう何度も見返しています。深作欣二のテンポよく魅せる演出も、真田広之や志保美悦子といった華やかでアクションもバッチリこなせるスターも、CGではなく大道具やメイクなどでスペクタクルを作り上げる技術も、今はもう絶滅してしまった。いやまあ真田広之は「47Ronin」でもがんばっているけどさ、「里見八犬伝」でのオッサンですらクラっとさせる太腿あらわな姿を見てしまうとどうしてもね。自分が若い頃に真田広之の魅力に気付かなくてホントーによかった。
でまあ今回の「47RONIN」ですが、この映画で自分が不満だったのは、どうせならもっと勘違いした物凄いモノが見たかったのに、菊池稟子以外のキャストのトンデモ度が足りなかった事でした。もっと敵も味方も魑魅魍魎がバンバン出て来てラストは妖怪大戦争!みたいなモノを期待していたのに、美術や衣装は若干ヘンなくせに、日本人のメンタリティを解説した本をキチンと読んで脚本を練りましたという優等生っぽさが鼻につく。皮だけ地獄色で中身は普通の饅頭みたい。ただこれは、海外展開がメインのハリウッド映画だから、海外では「打ち首は恥で切腹は栄誉ある死ということなのね」といったウンチクが受けるのかもしれない。
しかし最後の47人の合同切腹式は絵ヅラが物凄くインパクトがありました。そうそう、こういうのをもっと早く見せてくれればよかったのに。しかも見た目優先のため介錯一切ナシ!いやなんかね、キアヌや周囲のその後を想像するだけで恐ろしい、、、というか笑える。
イロモノとは何じゃい、伝奇モノと呼べ伝奇モノと。伝奇映画は昔は普通に一つのジャンルを形成していたし、山田風太郎や半村良など名だたる作家が伝奇小説を手がけていた。いまでもライトノベルには伝奇物語の流れを汲むものもあるだろうと思う。
忠臣蔵をデーマにした伝奇モノというと、山田風太郎大先生は「忍法忠臣蔵」という物凄いお話を作っていらっしゃったり、深作欣二監督は忠臣蔵と恨めしやを合体させた「忠臣蔵外伝・四谷怪談」という映画を作っています。ただ、こういう希有なクリエイターでない限り、忠臣蔵はごく真っ当な時代劇として作られることがほとんどで、その理由はこの物語がいまだに日本人の精神性にフィットするに他ならない。なので、そのへんを頓着しない外人でないと決して忠臣蔵にバケモンを出そうという発想は出てこないと思う。
深作欣二といえば、Huluにこの人が監督した薬師丸ひろ子主演の「里見八犬伝」があってね、これは30年も前の映画で、中学1年の時に観て面白かった記憶はあったのだけれど、今見返したらもう尋常でないほど面白くてオッタマゲた。こんな物凄かったっけ?と我が目を疑い、もう何度も見返しています。深作欣二のテンポよく魅せる演出も、真田広之や志保美悦子といった華やかでアクションもバッチリこなせるスターも、CGではなく大道具やメイクなどでスペクタクルを作り上げる技術も、今はもう絶滅してしまった。いやまあ真田広之は「47Ronin」でもがんばっているけどさ、「里見八犬伝」でのオッサンですらクラっとさせる太腿あらわな姿を見てしまうとどうしてもね。自分が若い頃に真田広之の魅力に気付かなくてホントーによかった。
でまあ今回の「47RONIN」ですが、この映画で自分が不満だったのは、どうせならもっと勘違いした物凄いモノが見たかったのに、菊池稟子以外のキャストのトンデモ度が足りなかった事でした。もっと敵も味方も魑魅魍魎がバンバン出て来てラストは妖怪大戦争!みたいなモノを期待していたのに、美術や衣装は若干ヘンなくせに、日本人のメンタリティを解説した本をキチンと読んで脚本を練りましたという優等生っぽさが鼻につく。皮だけ地獄色で中身は普通の饅頭みたい。ただこれは、海外展開がメインのハリウッド映画だから、海外では「打ち首は恥で切腹は栄誉ある死ということなのね」といったウンチクが受けるのかもしれない。
しかし最後の47人の合同切腹式は絵ヅラが物凄くインパクトがありました。そうそう、こういうのをもっと早く見せてくれればよかったのに。しかも見た目優先のため介錯一切ナシ!いやなんかね、キアヌや周囲のその後を想像するだけで恐ろしい、、、というか笑える。
低俗霊狩り 祝・・・・・・再開・・・・・
なんというか、子供の頃に好きだった女の子に、ウッカリと年食ってから会うハメになった感じといいましょうか。
「低俗霊狩り」は今から25年以上前に、白泉社の雑誌に連載されていたマンガであります。ジャンルは当時流行だった退魔モノで、少女マンガと天野喜孝のテイストをミックスしたような絵柄は、とうに潰れたマンガ情報誌「ぱふ」にて「ベタが美しい」と表現されていました。ストーリーは退魔にからめてちょっぴりのエロと苛めやレイプといった殺伐とした事件とが同居したよな感じです。
まあこんな説明よりも、最近完全版が出たことだしそれを読めばいいわけですが。
しかし25年前・・・ってこは昭和よ昭和。当時ワタクシは高校生。もうなんか当時の自分を振り返るとイロイロと生々しくってね、、、このたび再開の運びとなるのは、当時連載が続いていて、その後連載誌の休刊とともにブッツリと切れてしまった「自動人形」の続編とのことで。再開に際しての作者の奥瀬サキのインタビューを読むと、一旦続きが描かれたものの、それも雑誌の休刊とともに消え失せてしまったようで、続きがあったこと自体知らなかったよ。
でもなあ、大変正直に言うと、奥瀬氏のデビュー作でもあるこの「低俗霊狩り」と「火焔魔人」は当時の青臭い自分にとって非常に衝撃を受けたのだけれど、それ以降の奥瀬氏の作品はだんだんと自分の嗜好に合わなくなってきて、なんとなく哀しく思ったことを覚えている。これは奥瀬氏の興味がだんだんと変わったこともあるだろうが、生粋のマンガ好きだった高校時代の自分が、大学生になり社会人になり、その当時の感性が枯れてしまったのだと思い知らされる出来事でもあったのだ。あ、でも随分後に発刊された「低俗霊狩り」の3巻は以前と変わらずに面白く読めたな。
ということで、奥瀬氏がコミックの原作を行うようになってからは低俗霊シリーズのスピンオフも含めて一切読んでおらず、当時の自分と様変わりしたことにも別に何とも思わない日々を過ごしておりました。「コミコミ」が休刊した時は編集部に再開を願うファンレター(?)書いたくらいなのに。後にも先にもマンガ編集部に手紙書いたのなんてアレ一回きりの事でございます。
それがマサカ、昭和最後の年だったか平成元年だったか、あれから25年後に当時の再開祈願が叶うとは。
だから今度の「低俗霊狩り」はなるべく読みたくない。冒頭の比喩でいけば、当時と比べて自分が皺深くなったり頭が薄くなったりして、相手の女の子から「こいつも老けたな」と思われるのは構わないのだ。逆にコチラが25年経って再会したその子の三段腹やほうれい線に幻滅してしまうかもしれないのがものすごく怖い。しばらく前に書店で見かけた「低俗霊狩り」の完全版の1巻と2巻も、そういう理由で「見なかったコトにしよう」と無視していたのだ。
ああでも、生きていればこういうコトもあるんやねえ、と感慨深く思った次第でございます。
「低俗霊狩り」は今から25年以上前に、白泉社の雑誌に連載されていたマンガであります。ジャンルは当時流行だった退魔モノで、少女マンガと天野喜孝のテイストをミックスしたような絵柄は、とうに潰れたマンガ情報誌「ぱふ」にて「ベタが美しい」と表現されていました。ストーリーは退魔にからめてちょっぴりのエロと苛めやレイプといった殺伐とした事件とが同居したよな感じです。
まあこんな説明よりも、最近完全版が出たことだしそれを読めばいいわけですが。
しかし25年前・・・ってこは昭和よ昭和。当時ワタクシは高校生。もうなんか当時の自分を振り返るとイロイロと生々しくってね、、、このたび再開の運びとなるのは、当時連載が続いていて、その後連載誌の休刊とともにブッツリと切れてしまった「自動人形」の続編とのことで。再開に際しての作者の奥瀬サキのインタビューを読むと、一旦続きが描かれたものの、それも雑誌の休刊とともに消え失せてしまったようで、続きがあったこと自体知らなかったよ。
でもなあ、大変正直に言うと、奥瀬氏のデビュー作でもあるこの「低俗霊狩り」と「火焔魔人」は当時の青臭い自分にとって非常に衝撃を受けたのだけれど、それ以降の奥瀬氏の作品はだんだんと自分の嗜好に合わなくなってきて、なんとなく哀しく思ったことを覚えている。これは奥瀬氏の興味がだんだんと変わったこともあるだろうが、生粋のマンガ好きだった高校時代の自分が、大学生になり社会人になり、その当時の感性が枯れてしまったのだと思い知らされる出来事でもあったのだ。あ、でも随分後に発刊された「低俗霊狩り」の3巻は以前と変わらずに面白く読めたな。
ということで、奥瀬氏がコミックの原作を行うようになってからは低俗霊シリーズのスピンオフも含めて一切読んでおらず、当時の自分と様変わりしたことにも別に何とも思わない日々を過ごしておりました。「コミコミ」が休刊した時は編集部に再開を願うファンレター(?)書いたくらいなのに。後にも先にもマンガ編集部に手紙書いたのなんてアレ一回きりの事でございます。
それがマサカ、昭和最後の年だったか平成元年だったか、あれから25年後に当時の再開祈願が叶うとは。
だから今度の「低俗霊狩り」はなるべく読みたくない。冒頭の比喩でいけば、当時と比べて自分が皺深くなったり頭が薄くなったりして、相手の女の子から「こいつも老けたな」と思われるのは構わないのだ。逆にコチラが25年経って再会したその子の三段腹やほうれい線に幻滅してしまうかもしれないのがものすごく怖い。しばらく前に書店で見かけた「低俗霊狩り」の完全版の1巻と2巻も、そういう理由で「見なかったコトにしよう」と無視していたのだ。
ああでも、生きていればこういうコトもあるんやねえ、と感慨深く思った次第でございます。
糖質制限について
別に昨日今日出て来たメソッドでもないのに、この言葉が(カーボカットでも低インシュリンでもいいのだが)矢鱈と最近目に付くようになってきた。これは自分の内部要因としては中年になって健康情報に耳聡くなったことがあるのだけれど、その反面、この数年で健康情報を扱うテレビ番組や書籍やネットニュースがやたらと増えたという外部要因もあると思う。まあそれも自分の主観なのでホントかどうかは分かりませんが、社会が成熟するにつれて、人は自分の見場(みば)を気にするようになってくるのは日本に限らず世界的な傾向だと思います。
ただ糖質制限について、糖尿病の人が食後の高血糖を押さえる目的でこれを行う意義はわかるのだが、ダイエットのために主食を控えて痩せました!というのは、別にそりゃそうだわなあという程度で、取り立てて糖質を悪者扱いするまでのコトか?という疑問がある。肥満に至る問題は炭水化物自体ではなく、それを摂りすぎる食生活なのではないか。
今の日本の食事において一番過剰に摂取しがちなのが炭水化物というのは、誰もが割と想像できることだと思う。肉や野菜に比べてご飯やパンは食べやすいので、あまり噛まずに呑み込んでしまうのも炭水化物の多い食事の弊害だろう。なので糖質を摂り過ぎなければ痩せます、健康になりますというのも理にかなったことだと思うのだが、なんだろう、そういう当然の感覚を超えて糖質制限にまとわりついているイヤ~な感じは。
糖質制限の謳い文句で一番ケッタイなのは「農耕の歴史(炭水化物中心の食事の歴史)の高々1万年にくらべ、狩猟生活は500万年あり、人間の体は穀物摂取に向いていない」という奴で、痩せるエクスキューズだけでそこまで言うのなら、食だけじゃなく生活全部を狩猟・採集にシフトして欲しいよなあ。獣の皮を剥いで腰にまいた半裸状態で富士山麓の洞穴にでも籠ってネズミやヘビを食べ続けて「糖質は不要!」と10年唱え続けたらテメエの良い条認めたるわ!と、こちらも妙に威丈高になってしまう。「炭水化物を控えましょう」というだけのことで「人類史における穀物食の害悪について」なんてエセ文明論にすり替えるなら、その穀物食によって得た人類の文化を捨てるくらいの気概を見せてからモノを言わんかい。
二つ目にケッタイに見えるには、糖質制限というのは、これまでの胡散臭い健康法と違って割とお医者さんが提唱している例を見受けるのだが、報道のされ方が「医者がやっている!」「どれだけカロリーを摂っても平気!」という域を出なくて、それじゃあ尿療法と変わらんじゃんかよ、という気がしてしまうのだ。何をどれだけ制限してどれだけ痩せたか、身体機能に影響はないかなどなど、もっと症例(というのか?)が出て来て汎用化されてもよさそうなものなのに、それがイマイチ伝わってこないものだから、医者が多いだけに逆になにか裏があるように感じてしまう。
自分はダイエットにまつわる胡散臭さというのが結構好きで、このブログでアレコレ言っている「姿勢を正しくしましょう」というのも本人至ってマジメなのだが、どこかに多少の胡散臭さがあって、気にし過ぎは逆効果、結局は程度問題だわなと思っている。糖質制限も目一杯うさんくさい感じがするのだが、胡散臭さを隠したまま王道に行こうとしている感じがすごく気になる。糖質制限でもカロリー制限でも、ダイエット目的な程度なら「中庸」とか「過ぎたるは及ばざるがごとし」で済む話なんじゃないかと思うのだが、やっぱりそれだけじゃ人は耳を貸さないのかねえ。
ただ糖質制限について、糖尿病の人が食後の高血糖を押さえる目的でこれを行う意義はわかるのだが、ダイエットのために主食を控えて痩せました!というのは、別にそりゃそうだわなあという程度で、取り立てて糖質を悪者扱いするまでのコトか?という疑問がある。肥満に至る問題は炭水化物自体ではなく、それを摂りすぎる食生活なのではないか。
今の日本の食事において一番過剰に摂取しがちなのが炭水化物というのは、誰もが割と想像できることだと思う。肉や野菜に比べてご飯やパンは食べやすいので、あまり噛まずに呑み込んでしまうのも炭水化物の多い食事の弊害だろう。なので糖質を摂り過ぎなければ痩せます、健康になりますというのも理にかなったことだと思うのだが、なんだろう、そういう当然の感覚を超えて糖質制限にまとわりついているイヤ~な感じは。
糖質制限の謳い文句で一番ケッタイなのは「農耕の歴史(炭水化物中心の食事の歴史)の高々1万年にくらべ、狩猟生活は500万年あり、人間の体は穀物摂取に向いていない」という奴で、痩せるエクスキューズだけでそこまで言うのなら、食だけじゃなく生活全部を狩猟・採集にシフトして欲しいよなあ。獣の皮を剥いで腰にまいた半裸状態で富士山麓の洞穴にでも籠ってネズミやヘビを食べ続けて「糖質は不要!」と10年唱え続けたらテメエの良い条認めたるわ!と、こちらも妙に威丈高になってしまう。「炭水化物を控えましょう」というだけのことで「人類史における穀物食の害悪について」なんてエセ文明論にすり替えるなら、その穀物食によって得た人類の文化を捨てるくらいの気概を見せてからモノを言わんかい。
二つ目にケッタイに見えるには、糖質制限というのは、これまでの胡散臭い健康法と違って割とお医者さんが提唱している例を見受けるのだが、報道のされ方が「医者がやっている!」「どれだけカロリーを摂っても平気!」という域を出なくて、それじゃあ尿療法と変わらんじゃんかよ、という気がしてしまうのだ。何をどれだけ制限してどれだけ痩せたか、身体機能に影響はないかなどなど、もっと症例(というのか?)が出て来て汎用化されてもよさそうなものなのに、それがイマイチ伝わってこないものだから、医者が多いだけに逆になにか裏があるように感じてしまう。
自分はダイエットにまつわる胡散臭さというのが結構好きで、このブログでアレコレ言っている「姿勢を正しくしましょう」というのも本人至ってマジメなのだが、どこかに多少の胡散臭さがあって、気にし過ぎは逆効果、結局は程度問題だわなと思っている。糖質制限も目一杯うさんくさい感じがするのだが、胡散臭さを隠したまま王道に行こうとしている感じがすごく気になる。糖質制限でもカロリー制限でも、ダイエット目的な程度なら「中庸」とか「過ぎたるは及ばざるがごとし」で済む話なんじゃないかと思うのだが、やっぱりそれだけじゃ人は耳を貸さないのかねえ。
ルームメイト
ソダーバーグ最後の映画監督作「リベラーチェ」かこっちかどっち観ようか迷った挙げ句、「オッサンのホモカポーよりもキレイなねーちゃんのカポーのほうが目に楽しい」という理由でチョイスしたのですが、これが思いのほか個人的にヒットした映画でありました。
「ルームメイト」は北川景子と深田恭子のダブルヒロインのサスペンス映画ですが、ライトの演出がとても凝っている。冒頭の病院の大部屋シーンで、そもそもこの病室はかなり病的な感じでいまどき絶対どこにもこんな病室ないと思うのだが、交通事故にあった北川景子が枕元のオレンジ色のランプを点けてベッドに横になっている。彼女の顔はそのランプに照らされて、鼻筋や髪の毛の影が陰影深く顔に落ちている。そしてそこに登場する高良健吾は画面右から同じオレンジ色の光を顔の左側に浴びて、右半分に濃い影を落としている。リアリティ云々で言うならば、ベッド脇のスタンドを光源にするなら二人ともライトの角度も光量もオカシイのだが、美男美女の映し方としてはこれが正しいのだ。同席していた不細工には何も考えずにノペーっとライトを当てていることからも、二人に当てたライトは意図した上でああいう独特な陰影を施されていることが分かる。
話はそれますが、ベッドで横たわる北川景子の顔を彼女の胸本の50cmほど上から見下ろすように映しているカットがあり、これはもう絶対にベッドインの際の男の視点で彼女を映すサービスショットのハズ。
深田恭子のファーストシーンは、薄暗い病室の入り口に立っていて、背後の廊下の明かりを背にして全身に影を受けていた。映画を観終わって、深田恭子の役割が分かった上でこのシーンを振り返ると、この登場の仕方も非常に納得がいくものになっています。
他にも、看護師の女の人が地下道を歩くシーンで作られる(おそらく犯人の)大きな影や、深田恭子がアリアドネ(というクラブ)に行く時に、北川景子が彼女を目撃するシーンで見せた黒々とした影など、光と影を非常に意識してカットを作っていることがわかります。そして光と影と言えば鏡。この物語で鏡を使わないほうがどうかしていると思うが、鏡の効果も随所に出てきています。監督の古澤健氏は黒沢清の助監督を務めていたそうで、そういわれると病室やアパートの不気味さや光の当て方の感じなどに黒沢(清)映画の類似がなんとなく見える。
こういうライトに対する丁寧な演出が、深田恭子が初めて本性(?)を垣間見せる、ライトがガラッと変わって一気に映画が締まるシーンに結びついているのだと思う。そういえば、確かあのシーンで遠くに救急車のサイレンが鳴っているSEが耳障りに入っていたりして、そういうノイズや、逆に音を全く消してしまうシーンなど、音にも役割を持たせた細かい演出をしている。
逆によく分からなかったのが映画の時制が変わる際に使われていたスプリットスクリーンで、一つの風景を単純に二つに区切っただけのカットが出てきたのだが、アレは一体何だったのだろう。何か意味があると思うのだけれど、良くわかりませんでした。
深田恭子は今回も演技が上手いワケではないのに観客の視線が彼女に向いてしまうという特殊能力を発揮している。彼女は丸顔で大柄の美女なのでライト映えが非常に良くて、今回のような演出に特に向いていると思いました。ナイスキャスティング。他のキャストも総じて良かったのだが、ただ一人、若い刑事役のノッポ野郎がものすごい棒読みで、そりゃ田中トモロヲとの対比でタッパを買われたのだろうとはいえ、あのセリフ回しは聞き捨てならないモノがありましたが。
この映画で一番感心したのは、唐突に登場する世にも恐ろし気な女の恨みがましい瞳のドアップで、まずスクリーンにデカデカとソレが出てきてギョッとするも、なんとなく瞳とは違う、、なんだろコレ、でも何か見覚えがある、、あれ何だっけ??と思いながらカメラが引いて正体が分かるという珠玉のシーンでありました。ああいうのは純粋に監督の着眼の鋭さだと思うのだが、、、古澤健、、恐ろしい子!
「ルームメイト」は北川景子と深田恭子のダブルヒロインのサスペンス映画ですが、ライトの演出がとても凝っている。冒頭の病院の大部屋シーンで、そもそもこの病室はかなり病的な感じでいまどき絶対どこにもこんな病室ないと思うのだが、交通事故にあった北川景子が枕元のオレンジ色のランプを点けてベッドに横になっている。彼女の顔はそのランプに照らされて、鼻筋や髪の毛の影が陰影深く顔に落ちている。そしてそこに登場する高良健吾は画面右から同じオレンジ色の光を顔の左側に浴びて、右半分に濃い影を落としている。リアリティ云々で言うならば、ベッド脇のスタンドを光源にするなら二人ともライトの角度も光量もオカシイのだが、美男美女の映し方としてはこれが正しいのだ。同席していた不細工には何も考えずにノペーっとライトを当てていることからも、二人に当てたライトは意図した上でああいう独特な陰影を施されていることが分かる。
話はそれますが、ベッドで横たわる北川景子の顔を彼女の胸本の50cmほど上から見下ろすように映しているカットがあり、これはもう絶対にベッドインの際の男の視点で彼女を映すサービスショットのハズ。
深田恭子のファーストシーンは、薄暗い病室の入り口に立っていて、背後の廊下の明かりを背にして全身に影を受けていた。映画を観終わって、深田恭子の役割が分かった上でこのシーンを振り返ると、この登場の仕方も非常に納得がいくものになっています。
他にも、看護師の女の人が地下道を歩くシーンで作られる(おそらく犯人の)大きな影や、深田恭子がアリアドネ(というクラブ)に行く時に、北川景子が彼女を目撃するシーンで見せた黒々とした影など、光と影を非常に意識してカットを作っていることがわかります。そして光と影と言えば鏡。この物語で鏡を使わないほうがどうかしていると思うが、鏡の効果も随所に出てきています。監督の古澤健氏は黒沢清の助監督を務めていたそうで、そういわれると病室やアパートの不気味さや光の当て方の感じなどに黒沢(清)映画の類似がなんとなく見える。
こういうライトに対する丁寧な演出が、深田恭子が初めて本性(?)を垣間見せる、ライトがガラッと変わって一気に映画が締まるシーンに結びついているのだと思う。そういえば、確かあのシーンで遠くに救急車のサイレンが鳴っているSEが耳障りに入っていたりして、そういうノイズや、逆に音を全く消してしまうシーンなど、音にも役割を持たせた細かい演出をしている。
逆によく分からなかったのが映画の時制が変わる際に使われていたスプリットスクリーンで、一つの風景を単純に二つに区切っただけのカットが出てきたのだが、アレは一体何だったのだろう。何か意味があると思うのだけれど、良くわかりませんでした。
深田恭子は今回も演技が上手いワケではないのに観客の視線が彼女に向いてしまうという特殊能力を発揮している。彼女は丸顔で大柄の美女なのでライト映えが非常に良くて、今回のような演出に特に向いていると思いました。ナイスキャスティング。他のキャストも総じて良かったのだが、ただ一人、若い刑事役のノッポ野郎がものすごい棒読みで、そりゃ田中トモロヲとの対比でタッパを買われたのだろうとはいえ、あのセリフ回しは聞き捨てならないモノがありましたが。
この映画で一番感心したのは、唐突に登場する世にも恐ろし気な女の恨みがましい瞳のドアップで、まずスクリーンにデカデカとソレが出てきてギョッとするも、なんとなく瞳とは違う、、なんだろコレ、でも何か見覚えがある、、あれ何だっけ??と思いながらカメラが引いて正体が分かるという珠玉のシーンでありました。ああいうのは純粋に監督の着眼の鋭さだと思うのだが、、、古澤健、、恐ろしい子!
Wii Fit U フィットメーターこそ
Wii Fitに新しいトレーニングを収録して来年の初め頃までダウンロード専売となっているWii Fit Uですが、実際に使ってみるとWii Fit U自体ではなく、オマケのアイテムだと思っていたフィットメーターこそが重要なのだと実感しました。
Wii Fitに限った話ではないのだが、例えばスポーツクラブでエアロバイクをすると、その消費カロリーの少なさに言い知れぬ虚しさを感じることがあります。自分の場合、心拍数135をキープしながら30分間のエアロバイクで大体110kcalくらい。110っていうと、Wii Fit Uで対応する食品をみてみると、なんとまあ納豆1パックぽっちですってよ奥さん。Wii Fit Uのメニューをこなしても大同小異で、これはもう、1時間程度の軽い運動では、痩身に関しては「やらないよりマシ」程度の効果しかないものと心得るべきだと気付きました。
痩せる仕組みを最も単純に考えると、要は摂取カロリーより消費カロリーのほうが多ければ痩せるというだけの話であります。この原則を無視して夜寝る前に食べるのはダメとか逆に朝はどれだけ食べても大丈夫とか、そういった小賢しい知恵は無い方がマシではないかと思う。食事前にキャベツを食べると痩せるっつったって、キャベツ食べた後に普段と同じだけ食ってれば、そりゃキャベツの分だけ太るわねえ。
食べ方も大事だが、カロリーを消費する方に着目するならば、1時間のトレーニングを死ぬ気でがんばるよりも、一日のうちにどれだけ動いて消費カロリーを増やすかを考えた方が効率が良いのだと考えるようになりました。1日のうちにどれだけ動いたかを知るために、フィットメーターはものすごく都合よく作られています。
フィットメーターってなんじゃらほい?というのは以前にネタにしましたが、Wii Fit Uのサイトを見るとフィットメーターというのは活動量計とのことだそうです。活動量計って何じゃい?とも思いますが、要はこいつを着けている間にどれだけ動いてカロリーを消費したかを記録してくれるブツということだと思います。自分の場合、比較的動き回る日は一日10000歩くらいで1000kcalほどの消費、これに基礎代謝分を加えたのが大雑把な1日の総消費カロリーなので、食べる量をこれ以下に押さえれば痩せて行くハズ。駅での階段の上り下りや歩くスピードを早めに保つことで消費カロリーも変わってくるので、細かくセコく動き回ることがスコアを稼ぐコツになってます。
普段どれだけ動いているかに着目してそれを計ることができるので、立ち仕事の多い人や通勤でエスカレーターを使ってて、これを階段に変えればどれだけ消費カロリーが変わるか?などに関心があれば、フィットメーターは非常に有用なツールだと思います。
逆に、1日の活動量がどうしようもなくショボい人、車通勤で勤務中は座りっぱなし、1000歩も歩かずに1日が終わる事もザラ、なんて人はこんなもん着けたって何が変わる訳でもないので、短時間で集中して負荷をかけるウェイトトレーニングのほうが効果的ではないでしょうか。このへんは自分のライフスタイルに合わせてケースバイケースで。
Wii Fitに限った話ではないのだが、例えばスポーツクラブでエアロバイクをすると、その消費カロリーの少なさに言い知れぬ虚しさを感じることがあります。自分の場合、心拍数135をキープしながら30分間のエアロバイクで大体110kcalくらい。110っていうと、Wii Fit Uで対応する食品をみてみると、なんとまあ納豆1パックぽっちですってよ奥さん。Wii Fit Uのメニューをこなしても大同小異で、これはもう、1時間程度の軽い運動では、痩身に関しては「やらないよりマシ」程度の効果しかないものと心得るべきだと気付きました。
痩せる仕組みを最も単純に考えると、要は摂取カロリーより消費カロリーのほうが多ければ痩せるというだけの話であります。この原則を無視して夜寝る前に食べるのはダメとか逆に朝はどれだけ食べても大丈夫とか、そういった小賢しい知恵は無い方がマシではないかと思う。食事前にキャベツを食べると痩せるっつったって、キャベツ食べた後に普段と同じだけ食ってれば、そりゃキャベツの分だけ太るわねえ。
食べ方も大事だが、カロリーを消費する方に着目するならば、1時間のトレーニングを死ぬ気でがんばるよりも、一日のうちにどれだけ動いて消費カロリーを増やすかを考えた方が効率が良いのだと考えるようになりました。1日のうちにどれだけ動いたかを知るために、フィットメーターはものすごく都合よく作られています。
フィットメーターってなんじゃらほい?というのは以前にネタにしましたが、Wii Fit Uのサイトを見るとフィットメーターというのは活動量計とのことだそうです。活動量計って何じゃい?とも思いますが、要はこいつを着けている間にどれだけ動いてカロリーを消費したかを記録してくれるブツということだと思います。自分の場合、比較的動き回る日は一日10000歩くらいで1000kcalほどの消費、これに基礎代謝分を加えたのが大雑把な1日の総消費カロリーなので、食べる量をこれ以下に押さえれば痩せて行くハズ。駅での階段の上り下りや歩くスピードを早めに保つことで消費カロリーも変わってくるので、細かくセコく動き回ることがスコアを稼ぐコツになってます。
普段どれだけ動いているかに着目してそれを計ることができるので、立ち仕事の多い人や通勤でエスカレーターを使ってて、これを階段に変えればどれだけ消費カロリーが変わるか?などに関心があれば、フィットメーターは非常に有用なツールだと思います。
逆に、1日の活動量がどうしようもなくショボい人、車通勤で勤務中は座りっぱなし、1000歩も歩かずに1日が終わる事もザラ、なんて人はこんなもん着けたって何が変わる訳でもないので、短時間で集中して負荷をかけるウェイトトレーニングのほうが効果的ではないでしょうか。このへんは自分のライフスタイルに合わせてケースバイケースで。