エヴァンゲリオンを語ってみる
なんだか唐突に、今更ながらエヴァについて思ったことをを語ってみます。別に何か新しい解釈があるワケでもないし、テレビ版と新・旧の劇場版だけを見て思ったことなのですが。アニメの感想を書くのに「アニメだけみて書いてます」というエクスキューズを思わず入れてしまうのが自分でも笑えますが。
エヴァンゲリオンは、従来のロボットアニメの大前提に「なぜ?」を突きつけたアニメでした。アメリカ人が日本のロボットアニメを見たときに感じる違和感であった「なぜ子供が戦うのか?」、兵器で戦うのではなく何故効率の悪そうな巨大ロボットなのか、敵は何しに地球に、しかも日本だけにやって来るのか、命をかけて戦う子供を尻目に親は何を考えているのか、などなど、などなど。
これがもしオッサンである今の自分に突きつけられた問いだったら、「それがロマンだからだ」と答えると思います。別の人は「アニメだって商売だし」とも言うと思います。だいたいさあ、そんな子供の夢物語と子供相手のオモチャ屋の商売のネタに理屈こねるなんて野暮な事言うなら初めっから見るな!などと急に江戸っ子になって怒り出しそう。
しかし庵野監督は、ロボットアニメを愛し、そのまま作り手となった庵野監督は、ロボットアニメの御都合主義を半笑いで嘲る輩に対して「テメエらがバカにできんもんを作ったる!」という思いがあったのではないだろうか。もしくは、自身が純粋にロボットアニメを楽しめる子供ではなくなって見えてきた「子供だまし」のような部分を自分の手で何とかしたかったのかもしれない。
いずれにせよ、エヴァンゲリオンは従来のロボットアニメが無視していた設定の強引さを、あらゆる理屈を用いて物語の中に取り込んだアニメです。使徒がなぜネルフ本部を目指すのか、使徒に対抗するためにロボットが必要なのか、何故そのロボットのパイロットが子供でなければいけないのか。中でも自分が感動してしまうのが、主人公の少年とその家族のドラマへの盛り込み方で、主人公の父との関係、母との関係、綾波レイの正体(?)とシンジとの関係というのが、よしんばそれらの出発点が「子供が死ぬ思いをしてるのに親は何やっとる!」というツッコミに対するものだったとしても、子供から見た家族関係がエヴァのドラマとして見事に昇華されています。自分はテレビ放映時は25歳くらいだったのだけれど、主人公のウジウジした性格とそれに対するドラマに非常に惹かれながらも、「中学生の頃にエヴァ見たらズブズブにハマっただろうなあ」と自分が20代で助かったと思ったことを妙に覚えている。
テレビシリーズはある意味空前絶後な終わり方をしたのだが、エヴァ人気と相まって今でいう「衝撃のラストは映画でね」的な流れになり、「シト新生」「air/まごころを君に」の2本の劇場版につながりました。自分はこのラストについて、おそらく庵野監督から回答的なインタビューが既にあると思うのだが、人類補完計画に込めたメッセージについては、テレビ版も劇場版も同じなのではないかと思う。自分の周りでは「なんだあのメチャクチャなラストは」と批難するほうが多かったが、自分はエヴァの家族のドラマの決着の付け方として、庵野監督はもともと人類補完計画をああいうものとして設定していたのだと思う。
シンジとゲンドウの親子に対する物語は、ゲンドウの息子に対する非情さは何故だ→父親は息子を利用してでも達成したい目的があったのだ→ゲンドウの目的は死んだ嫁と一つになること→人類を進化させるというSF的な伏線と合わせて「人類補完計画」の設定が出来上がる、というラインになっている。
なんだか長くなりましたので続きます。
エヴァンゲリオンは、従来のロボットアニメの大前提に「なぜ?」を突きつけたアニメでした。アメリカ人が日本のロボットアニメを見たときに感じる違和感であった「なぜ子供が戦うのか?」、兵器で戦うのではなく何故効率の悪そうな巨大ロボットなのか、敵は何しに地球に、しかも日本だけにやって来るのか、命をかけて戦う子供を尻目に親は何を考えているのか、などなど、などなど。
これがもしオッサンである今の自分に突きつけられた問いだったら、「それがロマンだからだ」と答えると思います。別の人は「アニメだって商売だし」とも言うと思います。だいたいさあ、そんな子供の夢物語と子供相手のオモチャ屋の商売のネタに理屈こねるなんて野暮な事言うなら初めっから見るな!などと急に江戸っ子になって怒り出しそう。
しかし庵野監督は、ロボットアニメを愛し、そのまま作り手となった庵野監督は、ロボットアニメの御都合主義を半笑いで嘲る輩に対して「テメエらがバカにできんもんを作ったる!」という思いがあったのではないだろうか。もしくは、自身が純粋にロボットアニメを楽しめる子供ではなくなって見えてきた「子供だまし」のような部分を自分の手で何とかしたかったのかもしれない。
いずれにせよ、エヴァンゲリオンは従来のロボットアニメが無視していた設定の強引さを、あらゆる理屈を用いて物語の中に取り込んだアニメです。使徒がなぜネルフ本部を目指すのか、使徒に対抗するためにロボットが必要なのか、何故そのロボットのパイロットが子供でなければいけないのか。中でも自分が感動してしまうのが、主人公の少年とその家族のドラマへの盛り込み方で、主人公の父との関係、母との関係、綾波レイの正体(?)とシンジとの関係というのが、よしんばそれらの出発点が「子供が死ぬ思いをしてるのに親は何やっとる!」というツッコミに対するものだったとしても、子供から見た家族関係がエヴァのドラマとして見事に昇華されています。自分はテレビ放映時は25歳くらいだったのだけれど、主人公のウジウジした性格とそれに対するドラマに非常に惹かれながらも、「中学生の頃にエヴァ見たらズブズブにハマっただろうなあ」と自分が20代で助かったと思ったことを妙に覚えている。
テレビシリーズはある意味空前絶後な終わり方をしたのだが、エヴァ人気と相まって今でいう「衝撃のラストは映画でね」的な流れになり、「シト新生」「air/まごころを君に」の2本の劇場版につながりました。自分はこのラストについて、おそらく庵野監督から回答的なインタビューが既にあると思うのだが、人類補完計画に込めたメッセージについては、テレビ版も劇場版も同じなのではないかと思う。自分の周りでは「なんだあのメチャクチャなラストは」と批難するほうが多かったが、自分はエヴァの家族のドラマの決着の付け方として、庵野監督はもともと人類補完計画をああいうものとして設定していたのだと思う。
シンジとゲンドウの親子に対する物語は、ゲンドウの息子に対する非情さは何故だ→父親は息子を利用してでも達成したい目的があったのだ→ゲンドウの目的は死んだ嫁と一つになること→人類を進化させるというSF的な伏線と合わせて「人類補完計画」の設定が出来上がる、というラインになっている。
なんだか長くなりましたので続きます。
もらとりあむタマ子
こんなにストーリーに何も起きない映画って初めて見たかもしれない。前田敦子主演が話題にもなっていないこの映画は、彼女のネームバリューとは釣り合わないインディーズっぽい仕上がりの、「もらとりあむタマ子」のタイトルがホントに映画の全てを言い切っている、ヒロインが大学卒業後に実家に引きこもった1年を描いたものであります。
先に申し上げますと、この映画を自分は割と面白く観ていました。思った程悪くないというネガティブ向きな意味ではなく、まあ普通という評価でもなく、積極的にオススメできるような面白さではないけれど、なんとなく映画の世界にフラッと足を踏み入れて、タマ子の住まう界隈を心地よくそぞろ歩きしたような感じ。ちょっとポエマーな表現をしてみました。
しかしこの映画、もしも自分がDVD借りて家で見たらば絶対に「なんじゃこのクソ映画!」と貶すだろうと思う。映画には絵や動きを求めるけれどもテレビにはドラマを求めるので、この何も無さは家で見てしまうと苦痛を感じてしまいそう。
父親との二人暮らし(母親は離婚している)で、前田敦子のかなり多くのシーンが家でゴロゴロとマンガを読んでいるかメシ食ってるかで過ぎていて、二人の食事シーンが良かったから自分はこの映画の印象が良かったのだと思う。ここで出てくるご飯が、男やもめのオヤジが作る飾りっ気のない料理で妙にリアリティがある。年越しソバの出汁の取り方が、本当はあんなに沸騰させない方が・・・とか、鰹節を入れる前に昆布は引き上げた方が・・・とか、ヒトコト突っ込みたい自分の中の血中オバチャン度がバーッと上がったが、割と我流で済ませてしまうのも大雑把な男の料理という感じ。それに輪をかけて、タマ子が作る食事というのが、野菜を乱切りしてタッパーに入れてレンチンしただけのズボラ飯で、これも何だかキャラクターに物凄く合っていた。
食事シーンの不満点について、これは何となく邦画全般の傾向っぽいが、なにゆえ食事のシーンにあんなに咀嚼音のSEを入れるのか。「凶悪」で主人公の認知症の母親がご飯を食べている時も妙に耳障りなSEが入っていた。あの映画ではボケて何度も食事を要求する母親に観客が嫌悪感を抱かせる目的があるんじゃないかと思ったのだが、「もらとりあむタマ子」と合わせて考えると、もしかして監督なりディレクターなりの製作スタッフが食事中の無音状態に耐えられないのではないかという気がしてきた。
前田敦子の中途半端な可愛らしさに仏頂面やルーズな服がよく似合っていて、父親役の役者もなかなかに娘との距離を計りかねつつもこの二人暮らしが満更不満でもない感じも上手いなあと思う。ヒロインに使いっ走りにされる中学生の厚ぼったい瞼の今風でない風貌も何だかとても良い感じ(この男の子の父親役がホントに親子かと思ってしまうほど顔が似ていて笑った)。そんな中で富田靖子はちょっとキレイ過ぎ。「もらとりあむタマ子」は決して前田敦子のためのアイドル映画ではなく、山下敦弘監督の演出のもとで、前田敦子がしっかりと期待された役割を果たしているという感じでした。
先に申し上げますと、この映画を自分は割と面白く観ていました。思った程悪くないというネガティブ向きな意味ではなく、まあ普通という評価でもなく、積極的にオススメできるような面白さではないけれど、なんとなく映画の世界にフラッと足を踏み入れて、タマ子の住まう界隈を心地よくそぞろ歩きしたような感じ。ちょっとポエマーな表現をしてみました。
しかしこの映画、もしも自分がDVD借りて家で見たらば絶対に「なんじゃこのクソ映画!」と貶すだろうと思う。映画には絵や動きを求めるけれどもテレビにはドラマを求めるので、この何も無さは家で見てしまうと苦痛を感じてしまいそう。
父親との二人暮らし(母親は離婚している)で、前田敦子のかなり多くのシーンが家でゴロゴロとマンガを読んでいるかメシ食ってるかで過ぎていて、二人の食事シーンが良かったから自分はこの映画の印象が良かったのだと思う。ここで出てくるご飯が、男やもめのオヤジが作る飾りっ気のない料理で妙にリアリティがある。年越しソバの出汁の取り方が、本当はあんなに沸騰させない方が・・・とか、鰹節を入れる前に昆布は引き上げた方が・・・とか、ヒトコト突っ込みたい自分の中の血中オバチャン度がバーッと上がったが、割と我流で済ませてしまうのも大雑把な男の料理という感じ。それに輪をかけて、タマ子が作る食事というのが、野菜を乱切りしてタッパーに入れてレンチンしただけのズボラ飯で、これも何だかキャラクターに物凄く合っていた。
食事シーンの不満点について、これは何となく邦画全般の傾向っぽいが、なにゆえ食事のシーンにあんなに咀嚼音のSEを入れるのか。「凶悪」で主人公の認知症の母親がご飯を食べている時も妙に耳障りなSEが入っていた。あの映画ではボケて何度も食事を要求する母親に観客が嫌悪感を抱かせる目的があるんじゃないかと思ったのだが、「もらとりあむタマ子」と合わせて考えると、もしかして監督なりディレクターなりの製作スタッフが食事中の無音状態に耐えられないのではないかという気がしてきた。
前田敦子の中途半端な可愛らしさに仏頂面やルーズな服がよく似合っていて、父親役の役者もなかなかに娘との距離を計りかねつつもこの二人暮らしが満更不満でもない感じも上手いなあと思う。ヒロインに使いっ走りにされる中学生の厚ぼったい瞼の今風でない風貌も何だかとても良い感じ(この男の子の父親役がホントに親子かと思ってしまうほど顔が似ていて笑った)。そんな中で富田靖子はちょっとキレイ過ぎ。「もらとりあむタマ子」は決して前田敦子のためのアイドル映画ではなく、山下敦弘監督の演出のもとで、前田敦子がしっかりと期待された役割を果たしているという感じでした。
ポケモンXY 秘伝要員
ポケモンに縁のない方にタイトルの説明をしますと、ポケモンは一応RPGであるので、ストーリーを進めるに従い、主人公のゆくてには川や岩がたちはだかっていたり木が道を塞いでいたりします。普通のRPGならば魔法を使って道を開いたりするのでしょうが、ポケモンの場合は川を渡るには「なみのり」、岩をくだくには「いわくだき」といった技を持ったポケモンを手持ちに加えておくことで、そのポケモンの技を使って先に進むことができます。
ストーリーをクリアするには欠かせないこれらの技を秘伝技と呼びますが、秘伝技は総じて威力が低いので戦うには向いておらず、どのポケモンも4つまでしか技を覚えられないため、強いポケモンにはあまり覚えさせたくない技でもあります。そこで、ストーリークリアまでは割り切って手持ちの6匹の中の1匹に秘伝技を4つ覚えさせ、他の5匹で戦闘を担うようなプレイがなされます。この、秘伝技専門で手持ちに入れられるポケモンを秘伝要員と呼びます。
製作側も秘伝要員となりうるような、秘伝技ばかりを覚えやすいポケモンを用意してくれていて、それらのポケモンは総じてゲームの序盤で手に入るようになっている。ゲームとして見ればこれだけで別に問題はないのだが、(ゲームの)ポケモンの魅力は(出現する)ポケモンの魅力であるという前提に立つと、この序盤の秘伝要員ポケモンのモデルというのがタヌキやらビーバーやらウサギやらと、なんとも頼りなさそうな、ぶっちゃけて言ってしまえば秘伝技を覚えなければわざわざ手持ちに加えることは無いだろう、というようなボヤーっとしたデザインをしていて、秘伝要員という呼び名は「戦闘には使えない格下だけどな」というニュアンスも幾分含んでいるように見える。
もしかしてワタクシは上の不用意な一文のせいで、世界48ヶ国・推定250万人のビーダルファンにケンカを売ってしまったかもしれない。閑話休題。
ちなみに自分が選んだ秘伝要員はホルビーちゃん。特性が「ものひろい」という、連れ歩いているとランダムで道具を拾って来るというもので、これがまた戦闘には使えないが秘伝要員としては優秀という悲しい感じを醸している。しかしホルビーは初めこそウサギっぽいデザインがかわいらしいのだが、ホルードに進化するとウサギがオッサン化するというガッカリな形態になってしまう。ホルビー→ホルードに限らず、ポケモンって進化前のかわいらしさから進化後は豹変するタイプが多いですが。
腹巻きに手を突っ込んだスタイルでゲップのような鳴き声で秘伝技を使うオッサンウサギ。よっぽど別の要員に変えようかと迷いつつ、しばらく進んでオッサンな風貌にも慣れて来ると、なんか物凄い愛嬌のあるポケモンに見えてきてしまうのだからアラ不思議。しかも秘伝要員とみくびっていたのにコレが案外戦闘でも使えるポケモンで、なんだかんだ言ってストーリー中で一番活躍したかもしれない。初めは意に染まぬポケモンでも使い続けると愛着が湧いてしまうのもポケモンの魅力ですわいなあ。
ストーリーをクリアするには欠かせないこれらの技を秘伝技と呼びますが、秘伝技は総じて威力が低いので戦うには向いておらず、どのポケモンも4つまでしか技を覚えられないため、強いポケモンにはあまり覚えさせたくない技でもあります。そこで、ストーリークリアまでは割り切って手持ちの6匹の中の1匹に秘伝技を4つ覚えさせ、他の5匹で戦闘を担うようなプレイがなされます。この、秘伝技専門で手持ちに入れられるポケモンを秘伝要員と呼びます。
製作側も秘伝要員となりうるような、秘伝技ばかりを覚えやすいポケモンを用意してくれていて、それらのポケモンは総じてゲームの序盤で手に入るようになっている。ゲームとして見ればこれだけで別に問題はないのだが、(ゲームの)ポケモンの魅力は(出現する)ポケモンの魅力であるという前提に立つと、この序盤の秘伝要員ポケモンのモデルというのがタヌキやらビーバーやらウサギやらと、なんとも頼りなさそうな、ぶっちゃけて言ってしまえば秘伝技を覚えなければわざわざ手持ちに加えることは無いだろう、というようなボヤーっとしたデザインをしていて、秘伝要員という呼び名は「戦闘には使えない格下だけどな」というニュアンスも幾分含んでいるように見える。
もしかしてワタクシは上の不用意な一文のせいで、世界48ヶ国・推定250万人のビーダルファンにケンカを売ってしまったかもしれない。閑話休題。
ちなみに自分が選んだ秘伝要員はホルビーちゃん。特性が「ものひろい」という、連れ歩いているとランダムで道具を拾って来るというもので、これがまた戦闘には使えないが秘伝要員としては優秀という悲しい感じを醸している。しかしホルビーは初めこそウサギっぽいデザインがかわいらしいのだが、ホルードに進化するとウサギがオッサン化するというガッカリな形態になってしまう。ホルビー→ホルードに限らず、ポケモンって進化前のかわいらしさから進化後は豹変するタイプが多いですが。
腹巻きに手を突っ込んだスタイルでゲップのような鳴き声で秘伝技を使うオッサンウサギ。よっぽど別の要員に変えようかと迷いつつ、しばらく進んでオッサンな風貌にも慣れて来ると、なんか物凄い愛嬌のあるポケモンに見えてきてしまうのだからアラ不思議。しかも秘伝要員とみくびっていたのにコレが案外戦闘でも使えるポケモンで、なんだかんだ言ってストーリー中で一番活躍したかもしれない。初めは意に染まぬポケモンでも使い続けると愛着が湧いてしまうのもポケモンの魅力ですわいなあ。
良い姿勢を作るために 骨盤を真っ直ぐに
前回は太腿とお尻に力を入れれば自然と下腹にも力が入ると述べましたが、そこでポイントとなるのが骨盤の状態で、骨盤を垂直に立てた状態で力を入れるのが、一番下腹部に力が入りやすい状態のようです。
その理屈は、女性に多いらしい骨盤が前傾した状態というのは、下腹部が弓なりに反っているということでもあります。力を入れるというのは要は筋肉を縮める作業なのですが、弓なりの状態というのは当然筋肉が伸びているので、その状態で下腹部に力を入れろというのは、腕を伸ばした状態で力こぶを作れというのと同様、甚だ無駄で効率の悪い動作になってしまいます。
前がダメなら後ろはどうだと、骨盤後傾ならいいかというと当たり前だがこれもダメで、骨盤前傾が引き起こす症状が腰痛・出っ尻ならば骨盤後傾は猫背・ぽっこり下腹などなど。正しい姿勢のためには骨盤が垂直であることが必須です。中庸は徳の至れる所なり。真ん中をキープするというのは存外に難しいことでございます。
個人的なところで、自分の体型は鳩胸で反り腰の顎が前に出がちな典型的な骨盤前傾のパターンなのだが、胸を反らせてさえいればそれが良い姿勢だとずっと思っておりました。まあ大胸筋アピールには良いかもしれませんが体への負担は相応にかかっているので、体の不調の原因になっていたと思います。骨盤を真っ直ぐにしてみると、前傾状態では張っていた筋肉が適度に緩むためか、腰骨のあたりがほぐれた感じがしてとても気持ちがよい。
ということで、普段から骨盤をキッチリと立てましょう、という結論なのですが、この骨盤を真っ直ぐ立てるという動作も言う程には簡単ではない、なかなかに難儀なシロモノなのでありました。
その理屈は、女性に多いらしい骨盤が前傾した状態というのは、下腹部が弓なりに反っているということでもあります。力を入れるというのは要は筋肉を縮める作業なのですが、弓なりの状態というのは当然筋肉が伸びているので、その状態で下腹部に力を入れろというのは、腕を伸ばした状態で力こぶを作れというのと同様、甚だ無駄で効率の悪い動作になってしまいます。
前がダメなら後ろはどうだと、骨盤後傾ならいいかというと当たり前だがこれもダメで、骨盤前傾が引き起こす症状が腰痛・出っ尻ならば骨盤後傾は猫背・ぽっこり下腹などなど。正しい姿勢のためには骨盤が垂直であることが必須です。中庸は徳の至れる所なり。真ん中をキープするというのは存外に難しいことでございます。
個人的なところで、自分の体型は鳩胸で反り腰の顎が前に出がちな典型的な骨盤前傾のパターンなのだが、胸を反らせてさえいればそれが良い姿勢だとずっと思っておりました。まあ大胸筋アピールには良いかもしれませんが体への負担は相応にかかっているので、体の不調の原因になっていたと思います。骨盤を真っ直ぐにしてみると、前傾状態では張っていた筋肉が適度に緩むためか、腰骨のあたりがほぐれた感じがしてとても気持ちがよい。
ということで、普段から骨盤をキッチリと立てましょう、という結論なのですが、この骨盤を真っ直ぐ立てるという動作も言う程には簡単ではない、なかなかに難儀なシロモノなのでありました。
ポケモンXY ストーリーモード終了
いやーようやく終わった。しかしアダルトなポケモントレーナーは「ストーリーが終わってからがポケモンです」ということを十分に承知しており、ポケモンにおけるストーリーっていうのは、なんちゅーの?ほれ、子供のお遊戯に渋々つきあってるようなモンであり、ここから先こそが子供を寝かしつけて大人だけの魅惑のポケモンモン(はーと)ワールドへようこそ~。
普段から映画でもストーリーのオリジナリティにあまり価値を置かないワタクシでありますが、ポケモンのこのマンネリズムも結構スゴいもんだと思ってしまう。ポケモンのストーリーなんて、ものの見事に
主人公が朝起きて、
御三家(炎、水、草)の中から一匹ポケモンもらって、
各地を巡ってジムリーダーと対戦してバッチを貰い、
ストーリー上の敵となる集団を倒し、
四天王・チャンピオンを倒して殿堂入りする
というテンプレートが20年近く続いている。RPGのストーリーなんて大概似たようなモンだということを踏まえても、ポケモンのこの揺るがなさは特筆すべきものがある。「ポケモンのストーリーはこれでいい」と判断をした人はよっぽど自信があったのだと思う。何の自信かというと、ポケモンはRPGというゲームシステムよりも、ポケモン自体に魅力があるのだという自信である。そうじゃなかったら、絶対にストーリーの構造に手を加えて「実は主人公こそが世界の破壊者だった」とかやりそう。
そしてそれはその通りで、アダルトなポケモントレーナーはテンプレ通りの展開を微笑ましいとさえ思いつつ、登場する初登場ポケモンに面通ししたり、技マシンをこまめに回収したり、チマチマと図鑑を埋めたりと、着々と「ストーリークリア後」に備えるのだ。ストーリークリアは、アダルトなトレーナーにとってはようやくゲームの入り口をくぐったようなものである。このストーリー構成が崩れてしまうと、変化に対応できないオッサン共がパニックに陥る危険性がある。いやマジで。
しかしポケモンは厳密に言うと、ストーリーモードの後に後半のストーリーがある。ポケモン未体験の人、なんのこっちゃと思うでしょう。チャンピオンを倒すのはストーリーの中盤だというだけの話なのだが、割とガチガチにストーリーを進めなければいけない前半と比べて、後半はそのままストーリーを進めるもよし、気に入ったポケモンの育成に集中するもよし、他のトレーナーと対戦に明け暮れるもよしと、ぐっと自由度が増して、アダルトなトレーナーからすれば「ようやくジャリ共から解放された」と。
ポケモンに「ポケモンはむしろ大人向きだよね!」という迷言がある。あのですね、コレのニュアンスがね、わかっちゃうのよ恥ずかしい話ですが。娘二人も一足先に殿堂入りして後半のストーリーを楽しんでいるのだが、アダルトなトレーナーからすると「ホントにお前ら楽しんでるの?」と疑いの目で見てしまったり。もうね、色々と破綻していると自覚しつつ、何に対してすまなく思ってるのか自分でも不明だけどホントにゴメンナサイ。
普段から映画でもストーリーのオリジナリティにあまり価値を置かないワタクシでありますが、ポケモンのこのマンネリズムも結構スゴいもんだと思ってしまう。ポケモンのストーリーなんて、ものの見事に
主人公が朝起きて、
御三家(炎、水、草)の中から一匹ポケモンもらって、
各地を巡ってジムリーダーと対戦してバッチを貰い、
ストーリー上の敵となる集団を倒し、
四天王・チャンピオンを倒して殿堂入りする
というテンプレートが20年近く続いている。RPGのストーリーなんて大概似たようなモンだということを踏まえても、ポケモンのこの揺るがなさは特筆すべきものがある。「ポケモンのストーリーはこれでいい」と判断をした人はよっぽど自信があったのだと思う。何の自信かというと、ポケモンはRPGというゲームシステムよりも、ポケモン自体に魅力があるのだという自信である。そうじゃなかったら、絶対にストーリーの構造に手を加えて「実は主人公こそが世界の破壊者だった」とかやりそう。
そしてそれはその通りで、アダルトなポケモントレーナーはテンプレ通りの展開を微笑ましいとさえ思いつつ、登場する初登場ポケモンに面通ししたり、技マシンをこまめに回収したり、チマチマと図鑑を埋めたりと、着々と「ストーリークリア後」に備えるのだ。ストーリークリアは、アダルトなトレーナーにとってはようやくゲームの入り口をくぐったようなものである。このストーリー構成が崩れてしまうと、変化に対応できないオッサン共がパニックに陥る危険性がある。いやマジで。
しかしポケモンは厳密に言うと、ストーリーモードの後に後半のストーリーがある。ポケモン未体験の人、なんのこっちゃと思うでしょう。チャンピオンを倒すのはストーリーの中盤だというだけの話なのだが、割とガチガチにストーリーを進めなければいけない前半と比べて、後半はそのままストーリーを進めるもよし、気に入ったポケモンの育成に集中するもよし、他のトレーナーと対戦に明け暮れるもよしと、ぐっと自由度が増して、アダルトなトレーナーからすれば「ようやくジャリ共から解放された」と。
ポケモンに「ポケモンはむしろ大人向きだよね!」という迷言がある。あのですね、コレのニュアンスがね、わかっちゃうのよ恥ずかしい話ですが。娘二人も一足先に殿堂入りして後半のストーリーを楽しんでいるのだが、アダルトなトレーナーからすると「ホントにお前ら楽しんでるの?」と疑いの目で見てしまったり。もうね、色々と破綻していると自覚しつつ、何に対してすまなく思ってるのか自分でも不明だけどホントにゴメンナサイ。