今日も定時ダッシュ -21ページ目

amiiboがえらいコトに

 スプラトゥーンのamiibo3点セットを早々に予約したワタクシは、予約し損ねた有象無象どもを、まるでNYのセントラルパークでデモ行進を行う貧乏人をトランプタワーの最上階からワイングラス片手に、「おやおや、余裕の無い人たちだこと」と見下ろすようなナニサマぶりに浸っていたのだが、いい気になってふんぞりかえって「ゼノブレイドクロス」を堪能していたところ、いつのまにかゲッコウガとプリンのamiiboの予約が終わっておりました。

 がびーん。

 しかし結構amazonを頻繁にチェックしていたハズで、少し前は海外のamazonの情報しか上がってなかった筈なのに、一体何が起こったのかと。一瞬前までいたハズのトランプタワー最上階からホームレスの巣窟に叩き込まれた気分。

 結局はトイザラスの当日発売で購入できて事無きを得たのだけれど、これも発売日である28日の開店10分後に行ったらばプリンが一個しか置いておらず、ゲッコウガの望みが絶たれて顔面蒼白。店員が「開店と同時に大勢のお客様が購入されて・・・」と説明をしていたところ、倉庫に確認しに行っていた別の店員が「ゲッコウガあと2個ありました!」という、まさに首の皮一枚つながった状態でありました。

 うれし涙を目に滲ませながら、それでもワタクシは「よかった・・子供が欲しがっていたんですよ」と見苦しい言い訳をしていた次第。ちなみに子供達はゲッコウガのamiiboなんぞ存在することすら知らない。

 で、まあ。スプラトゥーンのソフトやamiiboも届き、ゲームの楽しさに時の経つのも忘れていたのですが、ふと気付いてamazonを確認すると、今度はガノンドロフのamiiboがすでに品切れだった(笑)。

 ていうかいつ??いつ予約取ってたの?スプラトゥーンやるまではamazon毎日見ていた筈なのに。スプラトゥーン始めてから1日しか経ってないのに。ゼルダシリーズは集めていないし、パルテナ様もスゴく凝ってそうで欲しいっちゃ欲しかったが、まあ涙をのんで見送れるワタクシでありますが、何としてもオリマーとあみぐるみヨッシーはゲットしたい。ゲットしたいのだが・・風のように予約が過ぎ去ってしまうこんな世の中じゃ、オッサンのフットワークの重さじゃ不安が募るばかりでございます。

ゼロの未来

 テリー・ギリアムといえば「バロン」。バロン、バロン、どうぞバロンをよろしくお願いいたします~。と、ギリアムの話題ができる度に言っている気がする。

 でも世間的には「未来世紀ブラジル」。ブラジルにケチをつける気はないのですが、なぜブラジルばかりに・・ブラジルを何度見ても途中で寝てしまうワタクシですが、ギリアムの映画が公開される度に「今度こそちゃんとブラジルを見よう」という決意を新たにしている次第でございます。

 テリー・ギリアムの映画は、氏しか生み出せない比類なきビジュアルイメージとは裏腹に、内容が難しい映画というのはこれまで無かったのだが、「ゼロの未来」はちょっと戸惑いました。自分なりに理解はしたつもりなのだけれど、それが正しいのかどうか不安になる作りで、誰かと答え合わせをしたい感じ。これはストーリーが難解なのではなく、言いたいことが抽象的だからだと思う。ただ、この映画では重要なテーマはかなりズバリとセリフで言っており、その中でも個人的に白眉だったのが「人生の意味を求めすぎて無意味に生きた」というセリフでした。

 「ゼロの未来」は他のギリアム作品と同様、過度に意味を求めてしまうと見逃してしまう物が山ほどあり、映画を理解しようと字幕ばかりを追わずにスクリーン全体を見ないと折角の目のごちそうの数々を見逃してしまう。この映画は未来の話だが、イメージの元ネタは間違いなく現代の社会に根ざしている。パーティーのシーンで奇天烈は衣装に身を包んだ参加者が全員タブレットを携えてイヤホンを付けていたり、あらゆる広告が町中のスクリーンで垂れ流されて人々を追いかけ回し、公園のベンチには禁止事項を表示した標識がアート作品のように据えられている。たぶんギリアムはこの映画で作り上げたビジュアルの元になっている現代の特徴をことごとく嫌っていると思う。少なくとも、このままいけばロクなことにならなそうだ、という思いはあるだろう。けれどもギリアム流のアイロニーと才能により、観客に警鐘を鳴らすよりも前に、未来社会のカオスさに観客を巻き込んでしまう。

 テリー・ギリアムは奇才と評されているが、それは誰も見た事の無いビジュアルを見せてウットリと酔わせてくれるからこその評価であり、テーマやストーリーが理解できたかどうかというのは、もちろん分かるに越した事は無いのだが、それはギリアム映画の本質ではないと思います。ということで、ワタクシは主人公の最後はそれなりに幸せで終わったと感じた次第です。

ゼノブレイドクロス

 ゲームは一日一時間!なんて古き良き教えを守っていたら、平均余命が尽きるまでにゼノブレイドクロスが終わるかどうかも定かではない、そんなことを感じてしまう44の春でございます。

 もしくは独り身の寂しさでチマチマ遊んでいたOLさんが晴れて結婚が決まり、嫁入り道具にWiiUとゼノクロ持参で嫁ぎ先でもチマチマ遊んでいるような感じ。
 
 発売日からコンスタントに遊んでいて、本日ようやく夜行の森の入り口でゲーティア様を倒したワタクシでありました。

 フィールドの作り込みが凄まじく、オープンワールドといったら街を舞台にした様々な要素がひしめきあうゲームのイメージがありますが、このゲームの舞台は未開の地なので基本的に自然以外は何も無い。そうなると妙味としては「目的地にどうやって辿り着くか」という楽しみ方しかないのだけれど、マップのデザインが非常に上手く、行けそうで行けないポイントを試行錯誤して到達した時の爽快感が物凄い。それだけで十分遊ばせたる!というだけの自信が製作者にあるのだと思う。

 主人公をアバターにしてストーリーのウェイトをゼノブレイドよりも大幅に下げていて、それもスタッフの自信の現れだと思う。ストーリーの重みというのは、ゲームに関して言えば話の巧拙よりもキャラクターへの愛着を高めるための切っ掛けといった面が強いので、その辺りはテイルズシリーズが非常に上手くやっている(だからアリーシャの件であれほど炎上したのだし)ように見えるが、キャラ萌えは脇に置いて、惑星を探索する醍醐味をじっくり味わおうと思います・・・いくらなんでも還暦までには終わってるだろうしw


スプラトゥーン 完成披露試射会

 遊べる時間を1時間に区切ったというのがなかなか絶妙。遊ぶ前は任天堂のことだからロクにつながりもしないんじゃないかとの心配も杞憂で、非常にサクサクとマッチングしてチャッチャと遊べました。

 自分はほとんどローラーで参加していたのですが、この武器は塗るだけかと思いきや他のプレーヤーを押しつぶすことも出来たりしてナカナカ強かった。体験版では一番ローラーで参加しているプレーヤーが多かったので、割とみなさんも同じ感覚だったのかも。

 けれども、ローラーだと高低差に弱く、マップによっては機動性が悪くなりそう。なにより1時間終わったころにようやく掴んだコツである「ペンキを飛ばして道を作り、イカになってそこを素早く進んで先に行く」というスプラトゥーン独自のゲーム性が発揮できないので、ゲームがこなれてくるにつれてローラー人気も下がってきそうな気がする。

 なんとなく自分が現在のシューティングゲームに抱いている「チームに貢献しないと仲間から撃たれる」という恐ろし気な雰囲気も全く無くて、同じチームといえども勝手めいめいに遊んでいる感じが初心者には気安くて楽しかった。

 amiiboは三点セットを早々と押さえといたので安心でございます。さあ発売日カモーン

いつの間に

 なんとなくライザップのサイトを見てみたら、アフターのスッキリ写真のポリシーに変更が入ったようで、あのペンギンのパタパタポーズが無くなってんでやんの。あのポーズは男女問わずマヌケで和んでいたのに・・・

 もしかして、ココ見てたんじゃねー・・・ないか。

 娘がポケモンのアルファサファイアに飽きて、ようやく父に回って来ました。とりあえずやり進めているのですが、どういうワケかポケモンセンターでパソコンの操作が上手くいけてない感じがしておりました。それがジムバッジ5個取った時点でようやく原因が判明。

 パソコン操作画面で「ボックスを整理する」が一番上になってるーーー!!!

 今の今まで上から3番目を無意識に選択していたのだが、そこが「ポケモンを連れていく」になってるーーーーー!!!!!

 XYの時にポケモンボックスのアクセスが回りくどいと書きましたが、まさかホントにココ見てたとか・・・ないな。

 しかし一番上に整理ボタンがきても慣れというのは恐ろしいもので、位置が変更されたと分かっていても反射的に上から3つ目を選択してしまいポケモンが入れ替えられないという悲劇が繰り返されている。頭じゃ分かっていてもダメなのカラダが。

 最新作はGBAで出たゲームのリメイクだけれど、しかしそろそろゲームデザインを抜本的に見直すべきではないかとサファイアをやりながら思った次第。もうこのご時世に、ドラクエ3のちいさなメダル探しのような、全ての家に入って引き出しやゴミ箱を全部チェックさせるゲームデザインが明らかに受け入れられないように、ゲームを出すごとに少しずつ改良しているポケモンも、そろそろ根本的なところで古くなっているように見える。

 個人的にはファミコン時代のRPGから変化のない、見下ろし型のマップをタテヨコに移動して、街では全ての家に入ってキャラクターの横まで移動してボタンを押して会話するという仕様からしてメンドクサイ。たいていは大した内容じゃないのに、時々わざマシンをもらえたりするので無視できなくて辛い。家にあるテレビにも色々とネタを仕込んであるけれど、そういう、昔ながらの特定の細部にこだわった作り込みは、今では必ずしも面白さに繋がっていないと思う。

 去年からブームが続く妖怪ウォッチですが、自分はゲームを遊んでいないのでテキトーなこと書いちゃいますが、舞台のオープンワールド的な作りが今風だなあと思う。町並みをリアルっぽく作ると同時に、不必要に家の中に入ってキャラクターを探す必要が無いように作ってある(ように見える)。妖怪ウォッチが今の子供達にあれだけ受けたのは、個人的にはゲームの遊ばせ方が現代のゲーミングデザインで作られているからというのがあるように思う。

 ポケモン赤・青時代のRPGのゲームデザインを頑に守り続けることこそがポケモンだ、と製作側が考えているのなら仕方ない。けれどもデザインはゲームの目的ではなく単なる手段である、なんて事はシロートに言われんでも作ってる側はイヤという程分かっているだろう。なんとなくポケモン20周年である来年あたりに本編のデザインをガラッと変えるハズ。ていうか、そこでも変えなかったら子供はポケモンから脱落するんじゃなかろうか。