ターミネーター:新起動/ジェニシス
一作目からはや30年になんなんとするこのシリーズ、すっかり好々爺然としたシュワちゃんと同様、かつてのボーイで今は初老のオッサンの客が妙に多かったのは、やっぱりリアルタイムで見てブッタマゲた記憶が今でも残っているからだろうと思います。
ハリウッドのネタ切れを象徴するようなこの手のリブート企画、ワタクシの個人的な感想で申しますと、スーパーマンのリボーンとマン・オブ・スティールで絶対にリボーン派、猿の惑星でいえばバートン版と新世紀シリーズではバートン版のほうが面白いと真面目に思っているので、そういう嗜好の持ち主がこのターミネーターを見てどう思ったかと言いますと・・
そもそも観客のオッサンが1作目のターミネーターの何に感動したかといえば、シュワルツネッガーの不死身の殺戮サイボーグぶりがとにかく物凄くキョーレツな存在感で、その絶対的な恐怖からどうやって逃れるかの息をも付かせぬバトルに観客の皆がシビレたのである。シュワルツネッガーは善人になってしまったが、それでも当時の映像技術の最高峰で迫力のバトルを見せた続編はもちろん、監督交代でパワーダウンは否めないものの、客はターミネーターに何を求めているのか?というのを映像でキッチリ押さえて十分な仕事を果たした「3」もワタクシは大好きな映画であります。
が、しかし、「4」がコケたかシュワ復活だかでもう一度昔の路線に戻ったかに見える今作は・・・と気になってこのブログにあげた「4」の感想を読み返してみたのだが、「新起動」は「4」と同じガッカリ感だったのでもう以降のワルクチは割愛。ハリウッドの連中も俺も全く進歩の無い。結局今作は「4」を近未来のテクノロジーを今の時代から見て説得力のある風体に整えて、シュワルツネッガーの出番を増やしただけのシロモノに見えました。
でもさあ、初代見た奴らが「今後スカイネットはどうやって人類を侵略するのだろう?ワクワクするう!」なんてトンチンカンな感動をしたとハリウッドの面々はマジで思ってんの?今作の脚本が出来上がって「これなら観客にストーリーの矛盾を指摘させない優れた作品になる」と大マジのマジで思ってんの??初代の優れた点はSF作品としてストーリーが見事だったとホントのホントに思ってんのかーーーー!!!
ハリウッドのネタ切れを象徴するようなこの手のリブート企画、ワタクシの個人的な感想で申しますと、スーパーマンのリボーンとマン・オブ・スティールで絶対にリボーン派、猿の惑星でいえばバートン版と新世紀シリーズではバートン版のほうが面白いと真面目に思っているので、そういう嗜好の持ち主がこのターミネーターを見てどう思ったかと言いますと・・
そもそも観客のオッサンが1作目のターミネーターの何に感動したかといえば、シュワルツネッガーの不死身の殺戮サイボーグぶりがとにかく物凄くキョーレツな存在感で、その絶対的な恐怖からどうやって逃れるかの息をも付かせぬバトルに観客の皆がシビレたのである。シュワルツネッガーは善人になってしまったが、それでも当時の映像技術の最高峰で迫力のバトルを見せた続編はもちろん、監督交代でパワーダウンは否めないものの、客はターミネーターに何を求めているのか?というのを映像でキッチリ押さえて十分な仕事を果たした「3」もワタクシは大好きな映画であります。
が、しかし、「4」がコケたかシュワ復活だかでもう一度昔の路線に戻ったかに見える今作は・・・と気になってこのブログにあげた「4」の感想を読み返してみたのだが、「新起動」は「4」と同じガッカリ感だったのでもう以降のワルクチは割愛。ハリウッドの連中も俺も全く進歩の無い。結局今作は「4」を近未来のテクノロジーを今の時代から見て説得力のある風体に整えて、シュワルツネッガーの出番を増やしただけのシロモノに見えました。
でもさあ、初代見た奴らが「今後スカイネットはどうやって人類を侵略するのだろう?ワクワクするう!」なんてトンチンカンな感動をしたとハリウッドの面々はマジで思ってんの?今作の脚本が出来上がって「これなら観客にストーリーの矛盾を指摘させない優れた作品になる」と大マジのマジで思ってんの??初代の優れた点はSF作品としてストーリーが見事だったとホントのホントに思ってんのかーーーー!!!
岩田社長
胆管腫瘍というのは術後の5年生存率も決して良いものではないから、そんなに都合良く回復するものではないだろうと思っていたものの、今年に入ってから「社長が訊く」も再開され、元気になったという触れ込みを割とそのまま信じていたので、突然の訃報はやっぱり驚いた。
この人の仕事というのは不思議なモノで、ゲームクリエイターとして有名で、空中分解しかけたマザー2を立て直したとか初代スマブラのプログラムを作ったとかエピソードには事欠かないのだけれど、それこそ宮本茂といえばマリオ!みたいな看板が岩田社長には無い。
これは岩田社長のキャリアがゲーム製作一本で来たのではなく、割と早くから任天堂のさまざまなコンテンツ製作を円滑に進めるための根回し(というのか?)を担ってきたからだと思う。「社長が訊く」にあったポケモンのバトルシステムを解析してポケモンスタジアムの製作班に回したりとか。
そうやって考えると、任天堂の社長になる前も後も、誰かが作るゲームのために環境を整えたり適切な手直しをしたりアドヴァイスをしたりと縁の下の力持ちで在り続けた人だと思う。社長業をして「究極の中間管理職」という喩えがあるが、その意味で岩田社長は本当に社長に向いていたのだ。
ゲームをめぐる世の中の環境がスマホを含めて大きく変化し、コンソールありきの従来の任天堂の商売から変えていく舵取りの中、道半ばで退かねばならないというのは無念だろうと思う。しかしそれはそれとして、岩田社長のインタビュー等から感じられる人となりからすると、この人は絶対に自分の余命を見据えて、できうる事を粛々とこなしていったハズ。後任の社長の人選も含めて、「死んじゃってゴメンなさいね」くらいのスタンスで自分が死ぬことに対するダメージのリカバリーにせっせと務めていたのではないだろうか。
この人の仕事というのは不思議なモノで、ゲームクリエイターとして有名で、空中分解しかけたマザー2を立て直したとか初代スマブラのプログラムを作ったとかエピソードには事欠かないのだけれど、それこそ宮本茂といえばマリオ!みたいな看板が岩田社長には無い。
これは岩田社長のキャリアがゲーム製作一本で来たのではなく、割と早くから任天堂のさまざまなコンテンツ製作を円滑に進めるための根回し(というのか?)を担ってきたからだと思う。「社長が訊く」にあったポケモンのバトルシステムを解析してポケモンスタジアムの製作班に回したりとか。
そうやって考えると、任天堂の社長になる前も後も、誰かが作るゲームのために環境を整えたり適切な手直しをしたりアドヴァイスをしたりと縁の下の力持ちで在り続けた人だと思う。社長業をして「究極の中間管理職」という喩えがあるが、その意味で岩田社長は本当に社長に向いていたのだ。
ゲームをめぐる世の中の環境がスマホを含めて大きく変化し、コンソールありきの従来の任天堂の商売から変えていく舵取りの中、道半ばで退かねばならないというのは無念だろうと思う。しかしそれはそれとして、岩田社長のインタビュー等から感じられる人となりからすると、この人は絶対に自分の余命を見据えて、できうる事を粛々とこなしていったハズ。後任の社長の人選も含めて、「死んじゃってゴメンなさいね」くらいのスタンスで自分が死ぬことに対するダメージのリカバリーにせっせと務めていたのではないだろうか。
マッドマックス 怒りのデス・ロード
かつてのマッドマックス3部作につきまして。「3」を劇場で観て以降全く観ずじまいなので、なにぶん記憶がかなりアヤフヤなのですが、とりあえず自分の感想を書きますと。
自分はテレビで「2」を最初に観て、クライマックスの石油を運ぶタンクローリーを守る味方と奪おうと雲霞のように群がる敵との大バトルに度肝を抜かれ「これはスゴい映画だ」と思った記憶がある。しかしその後に見た「1」は、「処刑教室」のような一般の社会のうちに起こる殺された妻の復讐をする警官の話という感じで、「2」の世紀末的世界観と「1」がどうしても自分の中で繋がらず、映画の面白さとは別にストレスに感じた覚えがある。
高校生の時に封切りで見た「3」は「2」からの世界観を共有するものの、ティナ・ターナーばかりが前評判でクローズアップされ、しかもテレビCMで最後のカークラッシュを何度も何度も放映していたせいで、「え?コレで終わり??」という、なんとも不完全燃焼な感じでした。
「スターウォーズ」に関しては自分はギリギリ乗れたという自覚があるが、「マッドマックス」に関してはそんなこんなで乗り損なったような気がしている。
というワケで、とりたてて思い入れもないマッドマックスシリーズでありますが、このたび奇跡のように復活したこの映画には心底ブッタマゲた。これこそ自分が「2」で度肝を抜かれた要素を何百倍にもパワーアップして世界に叩き付けたようなとんでもないシロモノでございます。えらいこっちゃ。
今回のストーリーは「巨大なタンクローリーが逃げ出して、また戻ってくる」という非常に単純なものだが、しかしコレこそがマッドマックスなのだ!と言わんばかりにほぼ全編タンクローリーをめぐる攻防に終始している。それだけストーリーを削ぎ落としても描写の密度が異常に濃いので、よほど監督は練りに練ってこの形になったのだと思う。
カーアクションも物凄いが、それを支えるビジュアルも物凄いことになっている。家畜人ヤプー的なビザール感というのか、人間をそのまま血液のタンクにしたり、女から搾乳したり、敵の下っ端が白塗りスキンヘッドの薄気味悪さだったり、幹部クラスは全員フリークスだったり、とにかく世紀末感を演出する描写が半端ではない。
今回のマックスはメル・ギブソンと比べてしまうとスター性に見劣りがしてしまうので、マックスのヒーロー譚としての旧3作とは違う今回のストーリーには丁度いい薄味加減かもと思う。この映画のマックスは、極論ですが映画のターニングポイントとしてタンクローリーを敵のアジトに戻すためだけに存在している。前半は逃げ出した女達がマクガフィンとなって映画を引っぱるが、約束の地が無くなったと分かる時点で彼女たちには意味が無くなってしまったので、だからこそ主人公の一言に全員がああも簡単に乗っかったのだ。
この映画の主役は誰が何と言ってもシャーリーズ・セロン。異論(ウォーボーイ派)は認めない。実は最後まで見てもシャーリーズ・セロンだとは気付かなかったが(笑)。
自分はテレビで「2」を最初に観て、クライマックスの石油を運ぶタンクローリーを守る味方と奪おうと雲霞のように群がる敵との大バトルに度肝を抜かれ「これはスゴい映画だ」と思った記憶がある。しかしその後に見た「1」は、「処刑教室」のような一般の社会のうちに起こる殺された妻の復讐をする警官の話という感じで、「2」の世紀末的世界観と「1」がどうしても自分の中で繋がらず、映画の面白さとは別にストレスに感じた覚えがある。
高校生の時に封切りで見た「3」は「2」からの世界観を共有するものの、ティナ・ターナーばかりが前評判でクローズアップされ、しかもテレビCMで最後のカークラッシュを何度も何度も放映していたせいで、「え?コレで終わり??」という、なんとも不完全燃焼な感じでした。
「スターウォーズ」に関しては自分はギリギリ乗れたという自覚があるが、「マッドマックス」に関してはそんなこんなで乗り損なったような気がしている。
というワケで、とりたてて思い入れもないマッドマックスシリーズでありますが、このたび奇跡のように復活したこの映画には心底ブッタマゲた。これこそ自分が「2」で度肝を抜かれた要素を何百倍にもパワーアップして世界に叩き付けたようなとんでもないシロモノでございます。えらいこっちゃ。
今回のストーリーは「巨大なタンクローリーが逃げ出して、また戻ってくる」という非常に単純なものだが、しかしコレこそがマッドマックスなのだ!と言わんばかりにほぼ全編タンクローリーをめぐる攻防に終始している。それだけストーリーを削ぎ落としても描写の密度が異常に濃いので、よほど監督は練りに練ってこの形になったのだと思う。
カーアクションも物凄いが、それを支えるビジュアルも物凄いことになっている。家畜人ヤプー的なビザール感というのか、人間をそのまま血液のタンクにしたり、女から搾乳したり、敵の下っ端が白塗りスキンヘッドの薄気味悪さだったり、幹部クラスは全員フリークスだったり、とにかく世紀末感を演出する描写が半端ではない。
今回のマックスはメル・ギブソンと比べてしまうとスター性に見劣りがしてしまうので、マックスのヒーロー譚としての旧3作とは違う今回のストーリーには丁度いい薄味加減かもと思う。この映画のマックスは、極論ですが映画のターニングポイントとしてタンクローリーを敵のアジトに戻すためだけに存在している。前半は逃げ出した女達がマクガフィンとなって映画を引っぱるが、約束の地が無くなったと分かる時点で彼女たちには意味が無くなってしまったので、だからこそ主人公の一言に全員がああも簡単に乗っかったのだ。
この映画の主役は誰が何と言ってもシャーリーズ・セロン。異論(ウォーボーイ派)は認めない。実は最後まで見てもシャーリーズ・セロンだとは気付かなかったが(笑)。
スプラトゥーン フェス
もう30年くらい朝はパン食なのでパン派に一票入れました。二人の娘のうち、上はごはん派、下はパン派で日曜の朝にローテーションしながら遊んでいたのですが。
ごはん派の上の娘の時だけ、全然マッチングしない(笑)
土曜の夕方、フェスが始まったばかりのころは通信自体が不安定になっていてどちら派も碌に繋がらなかったのだが、日曜の朝になるとそういう事もなく、パン派で参加すると割とサクサクとマッチングできました。でもご飯派はパン派が来なくてロビーに戻されてばかり。
これはやっぱり、事前の予測ではだいたい二分されると思いきや、思いのほか朝はご飯派が多過ぎてご飯チームがあぶれてしまっているのだろう。なんとなく次のフェスでは「より票が少ないほうに参加する」という裏をかく奴らが増えそうな予感。たぶん次のお題は「犬派か猫派」なので、きっと猫のほうが少数派だからと逆張り的に猫に一票入れる奴らがドカンと増えて、実は犬のほうが繋がりやすかったという結果になるかもしれない、かもしれない。
しかし、ご飯派の奴らがどのチームも物凄く強くて、絶対こいつら普段 はガチマッチ専用だったに違いない、というくらい動きがプロフェッショナル。パン派が4人揃って(回線落ちしないで)いても20%くらいしか取れないこともザラで、ご飯の奴ら、きっとパン派にじらしにじらされて、全員飢えたケダモノのバーサーカー状態になっているとみえる。
ごはん派の上の娘の時だけ、全然マッチングしない(笑)
土曜の夕方、フェスが始まったばかりのころは通信自体が不安定になっていてどちら派も碌に繋がらなかったのだが、日曜の朝になるとそういう事もなく、パン派で参加すると割とサクサクとマッチングできました。でもご飯派はパン派が来なくてロビーに戻されてばかり。
これはやっぱり、事前の予測ではだいたい二分されると思いきや、思いのほか朝はご飯派が多過ぎてご飯チームがあぶれてしまっているのだろう。なんとなく次のフェスでは「より票が少ないほうに参加する」という裏をかく奴らが増えそうな予感。たぶん次のお題は「犬派か猫派」なので、きっと猫のほうが少数派だからと逆張り的に猫に一票入れる奴らがドカンと増えて、実は犬のほうが繋がりやすかったという結果になるかもしれない、かもしれない。
しかし、ご飯派の奴らがどのチームも物凄く強くて、絶対こいつら普段 はガチマッチ専用だったに違いない、というくらい動きがプロフェッショナル。パン派が4人揃って(回線落ちしないで)いても20%くらいしか取れないこともザラで、ご飯の奴ら、きっとパン派にじらしにじらされて、全員飢えたケダモノのバーサーカー状態になっているとみえる。
最近あまり映画を見ていない
このころ映画を見る頻度がすっかり下がりました。以前は週2~3本くらいは見ていたのだけれど、今年に入ってこのブログにアップした映画で6本。全部合わせても10本も見ていないハズ。
映画に飽きたのか、というと決してそうではない。ワタクシは決して自分の感性の衰えを棚に上げて「最近の映画はつまらない」などと映画に対して文句を言うつもりではなく、まあ確かにチャカチャカした演出は年を取るにつれて苦手になってきていますが、もっと自分の側に問題(?)がある、というのが今回の主旨でございます。
自分が一番映画を見まくっていた時期というのは、今振り返ると、常に仕事でテンパっていた時で、休日出勤した帰りに映画館に寄ったり、終電で家に帰ってもオールナイト上映があれば夜中の3時であっても出かけたりと、とにかく映画を見ることに対する欲がすごかった。当時はそれを、自分は映画中毒なんだと思っていたのだが、どうも純粋な意味での中毒じゃなかったなあ、というのが今の正直な思いであります。
映画は、当時の自分の、唯一で確実な逃げ場だった。仕事で溜め込んだ毒を家で吐き出さないように、とにかく気持ちを仕事から逸らしたかったのだと思う。家で寝ればいいじゃんと思われる向きもあるでしょうが、そういう時ってたいてい夢でも仕事してんのよ。夢で必死になって謝ったり焦ったりしてるのって、起きると相当ヘコむもんよ。
寝ていても追って来るストレスから逃れる術が、自分の場合は映画館の暗闇に身を潜める事だった。映画の上映時間のうちだけは、自分は確実に現実から離れられていた。映画を観終わって気分が晴れていればめっけもん、ダメならまた次の映画で持ち直すべく数日間耐え忍ぼうという生活だった。
話は変わりますが、少年犯罪について書かれたルポで、両親を殺した後にバットマンを観に行った男の子のことを筆者が「よくもまあ映画なんぞ観られたものだ」と憤っていた本を読んだが、自分が想像するに、この少年も、別に楽しみでバットマンを観に行ったのではなく、自分がしでかした事から少しでも逃げたかったんじゃないかと思う。そのルポライター氏はおそらく非常に常識のある方なのだろうが、映画を逃避のツールにしている人は結構多いのではなかろうか。
話を戻して。映画でストレスを減らしつつも、そういうのは根本的には体力でブン回す仕事の仕方で、やはりどこかでツケは回って来るもので、飯が食えなくなっても不眠症になっても保っていた体が、鬱状態で映画すら観に行く事ができない精神状態になってようやく、ワタクシは「こらアカン」と観念した。もうあとは「死ぬほうがラク」などとウッカリ思ってしまう前に職場から逃げ出す事にだけ全力を注いだ次第。
それでまあ、仕事を変えて年収も下がりましたがストレスも下がった状況になり、余裕のある心と時間でさぞかし映画を見放題と思ったら案外そうではなく。若い頃のもっと純粋に映画を見たいと思っていた自分にはまだ戻れず、なぜか以前よりもゲームで遊ぶ時間が増えたのでありました。
映画に飽きたのか、というと決してそうではない。ワタクシは決して自分の感性の衰えを棚に上げて「最近の映画はつまらない」などと映画に対して文句を言うつもりではなく、まあ確かにチャカチャカした演出は年を取るにつれて苦手になってきていますが、もっと自分の側に問題(?)がある、というのが今回の主旨でございます。
自分が一番映画を見まくっていた時期というのは、今振り返ると、常に仕事でテンパっていた時で、休日出勤した帰りに映画館に寄ったり、終電で家に帰ってもオールナイト上映があれば夜中の3時であっても出かけたりと、とにかく映画を見ることに対する欲がすごかった。当時はそれを、自分は映画中毒なんだと思っていたのだが、どうも純粋な意味での中毒じゃなかったなあ、というのが今の正直な思いであります。
映画は、当時の自分の、唯一で確実な逃げ場だった。仕事で溜め込んだ毒を家で吐き出さないように、とにかく気持ちを仕事から逸らしたかったのだと思う。家で寝ればいいじゃんと思われる向きもあるでしょうが、そういう時ってたいてい夢でも仕事してんのよ。夢で必死になって謝ったり焦ったりしてるのって、起きると相当ヘコむもんよ。
寝ていても追って来るストレスから逃れる術が、自分の場合は映画館の暗闇に身を潜める事だった。映画の上映時間のうちだけは、自分は確実に現実から離れられていた。映画を観終わって気分が晴れていればめっけもん、ダメならまた次の映画で持ち直すべく数日間耐え忍ぼうという生活だった。
話は変わりますが、少年犯罪について書かれたルポで、両親を殺した後にバットマンを観に行った男の子のことを筆者が「よくもまあ映画なんぞ観られたものだ」と憤っていた本を読んだが、自分が想像するに、この少年も、別に楽しみでバットマンを観に行ったのではなく、自分がしでかした事から少しでも逃げたかったんじゃないかと思う。そのルポライター氏はおそらく非常に常識のある方なのだろうが、映画を逃避のツールにしている人は結構多いのではなかろうか。
話を戻して。映画でストレスを減らしつつも、そういうのは根本的には体力でブン回す仕事の仕方で、やはりどこかでツケは回って来るもので、飯が食えなくなっても不眠症になっても保っていた体が、鬱状態で映画すら観に行く事ができない精神状態になってようやく、ワタクシは「こらアカン」と観念した。もうあとは「死ぬほうがラク」などとウッカリ思ってしまう前に職場から逃げ出す事にだけ全力を注いだ次第。
それでまあ、仕事を変えて年収も下がりましたがストレスも下がった状況になり、余裕のある心と時間でさぞかし映画を見放題と思ったら案外そうではなく。若い頃のもっと純粋に映画を見たいと思っていた自分にはまだ戻れず、なぜか以前よりもゲームで遊ぶ時間が増えたのでありました。