ゲーム人口の拡大 ハードとソフトが一体であること
DeNAやグリーがのしてきて任天堂が落ち目になったころ、経済サイトのコラムではそりゃもう盛んに「任天堂はソーシャルゲームを出すべき」と書き立てられた時期がありました。ゲームオタクからしてみれば、この意見はものすごくナンセンスにしか映らなかったのだけれど、エコノミーな人達にとっては本気で「なぜ任天堂はソーシャルに参入しないのか?」ということを不思議がっていた感じがする。
岩田社長自身も任天堂がソーシャルゲームに参入しない理由を述べていて、たとえばその中の一つに「ガチャでは長期的に客との良好な関係を築けない」というのがあって、オタクからしてみればとても普通のことをいわっちは言っているだけなのに、それでもやっぱりエコノミー連中からは「なぜなのだ」と言われ続けていた。この乖離っぷり。
しかしいわっちの言う事は何でも説得力があったかというとそうでもなく、個人的には「任天堂はハードとソフトが一体化した商品を提案できるのがアドバンテージ」という理由でソーシャルに参入しないというのは、若干の詭弁も入っているように思える。結局スマホ参入を表明したワケだし。
でもって、このへんが難しいというか、「ガチャで儲かってるから任天堂だってやりゃいいじゃん」というワケにはいかんという理屈の裏返しなのだけれど、「ハードとソフトの一体型が任天堂の魅力」というのも全くの詭弁ではないというのも本当で。DSの頃の脳トレを始めとしたタッチジェネレーションのソフトが爆発的に売れていた、その実績を作った最大の功績者たる岩田社長自身の言葉として考えると、本気でこの視点に立って任天堂の経営を考えていたのだろうと今になって思う次第であります。
当時のいわっちは本気でそう考えていた(として)、そしてDSが出てWiiに繋がった、と経緯を見ていくと、DSは非常に分かりやすいのだが、ゲーム人口の拡大の流れでWiiを考えると、Wiiというのは一筋縄ではいかないシロモノだったのではないか、と非常に強く思う次第であります。
岩田社長自身も任天堂がソーシャルゲームに参入しない理由を述べていて、たとえばその中の一つに「ガチャでは長期的に客との良好な関係を築けない」というのがあって、オタクからしてみればとても普通のことをいわっちは言っているだけなのに、それでもやっぱりエコノミー連中からは「なぜなのだ」と言われ続けていた。この乖離っぷり。
しかしいわっちの言う事は何でも説得力があったかというとそうでもなく、個人的には「任天堂はハードとソフトが一体化した商品を提案できるのがアドバンテージ」という理由でソーシャルに参入しないというのは、若干の詭弁も入っているように思える。結局スマホ参入を表明したワケだし。
でもって、このへんが難しいというか、「ガチャで儲かってるから任天堂だってやりゃいいじゃん」というワケにはいかんという理屈の裏返しなのだけれど、「ハードとソフトの一体型が任天堂の魅力」というのも全くの詭弁ではないというのも本当で。DSの頃の脳トレを始めとしたタッチジェネレーションのソフトが爆発的に売れていた、その実績を作った最大の功績者たる岩田社長自身の言葉として考えると、本気でこの視点に立って任天堂の経営を考えていたのだろうと今になって思う次第であります。
当時のいわっちは本気でそう考えていた(として)、そしてDSが出てWiiに繋がった、と経緯を見ていくと、DSは非常に分かりやすいのだが、ゲーム人口の拡大の流れでWiiを考えると、Wiiというのは一筋縄ではいかないシロモノだったのではないか、と非常に強く思う次第であります。
スプラトゥーン スクイックリンを究めたい
この手のシューティングゲームは初心者の上、基本的にド下手糞なワタクシ、しかも敵を見つけたらとりあえず突進というイノシシタイプ。これが敵にとっては予想外に迫られると案外手元がブレるのか、半々で奇襲成功することもあんのよ。
ということで、当初は射程が短くてその分威力の強い武器を好んで使っていたのですが、ローラーにカモられ過ぎなのを反省し、少しずつ射程の長い武器を使うようになってきました。
しかしどうにもエイムが覚束なく、狙ってるつもりで思いっきり外して結局やられてしまう。これはアカンと巷で言うところのスクイックリンでエイムスキルを鍛えようと思いました。
しかしこれが思いのほか自分の猪戦法にマッチしていて、まあビギナーズラックというか「思ったよりは使えた感じ」という程度なのでしょうが、前線に切り込んで行って相手チームをかく乱するプレイがものすごく楽しく、「スクイックリンすげえ!」と一気に魅了されたのでした。ちなみに他のチャージャーは全く使っておりません。
こうしてワタクシは恐ろしいスクイックリン道にまんまとハマってしまったのでありました。
修行として力をつけようとスクイックリンを使っていると、これがもう弱いのなんのって。スクイックリンが弱いんじゃなくて自分がヘタレだということは承知の上なんですが、わかばシューターが初心者にもオススメという意味で、スクイックリンはものすごくスキルを要求する武器だということはイヤという程分かった。けれどもたまに上手くエイムが決まるとえもいえぬ快感が。
これは・・・アレだな。ドラクエ3だったかで毒針で固いカニのモンスターをプシュッと一発で倒した時の感覚に似ている。アレもなかなかヒットしない中、たまーに当たるのが妙にクセになるという感じだったなー。
というワケで、しばらく味方の足をひっぱりながらもがんばってみようと思います。
ということで、当初は射程が短くてその分威力の強い武器を好んで使っていたのですが、ローラーにカモられ過ぎなのを反省し、少しずつ射程の長い武器を使うようになってきました。
しかしどうにもエイムが覚束なく、狙ってるつもりで思いっきり外して結局やられてしまう。これはアカンと巷で言うところのスクイックリンでエイムスキルを鍛えようと思いました。
しかしこれが思いのほか自分の猪戦法にマッチしていて、まあビギナーズラックというか「思ったよりは使えた感じ」という程度なのでしょうが、前線に切り込んで行って相手チームをかく乱するプレイがものすごく楽しく、「スクイックリンすげえ!」と一気に魅了されたのでした。ちなみに他のチャージャーは全く使っておりません。
こうしてワタクシは恐ろしいスクイックリン道にまんまとハマってしまったのでありました。
修行として力をつけようとスクイックリンを使っていると、これがもう弱いのなんのって。スクイックリンが弱いんじゃなくて自分がヘタレだということは承知の上なんですが、わかばシューターが初心者にもオススメという意味で、スクイックリンはものすごくスキルを要求する武器だということはイヤという程分かった。けれどもたまに上手くエイムが決まるとえもいえぬ快感が。
これは・・・アレだな。ドラクエ3だったかで毒針で固いカニのモンスターをプシュッと一発で倒した時の感覚に似ている。アレもなかなかヒットしない中、たまーに当たるのが妙にクセになるという感じだったなー。
というワケで、しばらく味方の足をひっぱりながらもがんばってみようと思います。
ゲーム人口の拡大 据置機の存在感について
Wii発売前のインタビューにて、岩田社長は「家庭のリビングに置いてもお母さんに敵視されないようなデザインにした」というようなことを語っていました。Wiiの厚さをDVD3枚ほどにしてリビングに置く違和感を少なくしたり、カラオケやショッピングなど、ゲームではないソフトを組み込んだりと、とにかく母親に反対されないようなデザインにしたということを話していました。
こうやって考えると、Wiiリモコン自体がリモコンありきというよりは、ゲーム人口の拡大を目指した据置機にふさわしいインターフェイスとして考えられたものなのだと思います。
その次のWiiUが、今度はパッド型のコントローラーを開発して「据置機なのに携帯機のようにゲームができます」というのが売りの一つになっていた。ゲーマー的にはタッチパネルのセカンドスクリーンが据置機に付く事で新しい体験ができるという触れ込みなのだが、ゲーム人口の拡大としてWiiUを見ると、ここでも「リビングに置いてもらうためにお母さんの邪魔をしないゲーム機」という特徴になる。
こうしてWiiとWiiUをみると、岩田社長の目論見はものすごく的確に当たり、Wiiでこれまでゲームは敵だと思っていた主婦層にまで「お家でWii Fitやれば痩せるかも」と思わせると同時に、64やゲームキューブのゲームを愛して来たゲームファンからは「Wiiはオレのゲーム機じゃない」と思わせてしまった。PS3やXbox360とWiiをくらべて、Wiiは性能で劣っているのはもちろんだが、それよりもWiiの「ゲーム機ごときをリビングに置いていただいて大変ありがとうございます」みたいな卑下したスタンスがゲーマーに好かれなかった、、、というのは穿ち過ぎでしょうか。
PSやXboxはコンピューティングの進化に則ってパワーアップしているが、岩田社長は「ゲーム人口の拡大」という思想のもとに任天堂の据置機をパワーアップしていた。それは現時点ではゲーマーにも一般にも受け入れられていないことを考えると、やっぱりどこか客の心理とズレているのだろうと思う。
次の据置機と目されるNXについても、おそらく岩田社長は「ゲーム人口の拡大」という思想のもとにマシンのコンセプトを考えていた筈である。Wiiの時代には親に遠慮したコンセプトを掲げていたが、今では大人でもスマホでゲームするというスタイルが定着した中で、あえて据置でゲーム人口の拡大ってのはどういうコトか。ものすごく普通に考えるならば「DSとWiiで掴んでスマホに逃げて行った客層を、もう一回任天堂に呼び込む」ということになると思う。
NXではスマホのゲームを移植しやすくするためにAndroidのカスタムをOSにするという下馬評があったけれど、それこそが凡人の考えそうなコトつーか、流行ってるものをパクれば売れるハズという、ソーシャルゲームが流行れば「任天堂はソーシャルに参入すべき」と無節操にアドバイスし、スマホ参入が発表されれば「遅きに失した」と講釈を垂れる。とにかく無責任にアレコレ言えば仕事になる人達というのは、まあ定見内のごく普通のことしか言わないものであります。
けれども、もうちょっとこう、良くも悪くも任天堂って奇天烈な会社だと思うし、岩田社長はいくら会社の業績が悪いからといってそんな狭い視野でゲームを捉えるような人物ではないと思う。
そうはいっても昔のようにスマホを無かった事にしてゲームを語るのも現実的ではない。何かしらスマホを意識したコンセプトを持つマシンになるんじゃないかと思う。それが何か、というのは、凡人のワタクシは「おーこりゃスゴい」と驚くことを楽しみに待っていようかと。
こうやって考えると、Wiiリモコン自体がリモコンありきというよりは、ゲーム人口の拡大を目指した据置機にふさわしいインターフェイスとして考えられたものなのだと思います。
その次のWiiUが、今度はパッド型のコントローラーを開発して「据置機なのに携帯機のようにゲームができます」というのが売りの一つになっていた。ゲーマー的にはタッチパネルのセカンドスクリーンが据置機に付く事で新しい体験ができるという触れ込みなのだが、ゲーム人口の拡大としてWiiUを見ると、ここでも「リビングに置いてもらうためにお母さんの邪魔をしないゲーム機」という特徴になる。
こうしてWiiとWiiUをみると、岩田社長の目論見はものすごく的確に当たり、Wiiでこれまでゲームは敵だと思っていた主婦層にまで「お家でWii Fitやれば痩せるかも」と思わせると同時に、64やゲームキューブのゲームを愛して来たゲームファンからは「Wiiはオレのゲーム機じゃない」と思わせてしまった。PS3やXbox360とWiiをくらべて、Wiiは性能で劣っているのはもちろんだが、それよりもWiiの「ゲーム機ごときをリビングに置いていただいて大変ありがとうございます」みたいな卑下したスタンスがゲーマーに好かれなかった、、、というのは穿ち過ぎでしょうか。
PSやXboxはコンピューティングの進化に則ってパワーアップしているが、岩田社長は「ゲーム人口の拡大」という思想のもとに任天堂の据置機をパワーアップしていた。それは現時点ではゲーマーにも一般にも受け入れられていないことを考えると、やっぱりどこか客の心理とズレているのだろうと思う。
次の据置機と目されるNXについても、おそらく岩田社長は「ゲーム人口の拡大」という思想のもとにマシンのコンセプトを考えていた筈である。Wiiの時代には親に遠慮したコンセプトを掲げていたが、今では大人でもスマホでゲームするというスタイルが定着した中で、あえて据置でゲーム人口の拡大ってのはどういうコトか。ものすごく普通に考えるならば「DSとWiiで掴んでスマホに逃げて行った客層を、もう一回任天堂に呼び込む」ということになると思う。
NXではスマホのゲームを移植しやすくするためにAndroidのカスタムをOSにするという下馬評があったけれど、それこそが凡人の考えそうなコトつーか、流行ってるものをパクれば売れるハズという、ソーシャルゲームが流行れば「任天堂はソーシャルに参入すべき」と無節操にアドバイスし、スマホ参入が発表されれば「遅きに失した」と講釈を垂れる。とにかく無責任にアレコレ言えば仕事になる人達というのは、まあ定見内のごく普通のことしか言わないものであります。
けれども、もうちょっとこう、良くも悪くも任天堂って奇天烈な会社だと思うし、岩田社長はいくら会社の業績が悪いからといってそんな狭い視野でゲームを捉えるような人物ではないと思う。
そうはいっても昔のようにスマホを無かった事にしてゲームを語るのも現実的ではない。何かしらスマホを意識したコンセプトを持つマシンになるんじゃないかと思う。それが何か、というのは、凡人のワタクシは「おーこりゃスゴい」と驚くことを楽しみに待っていようかと。
ゲーム人口の拡大
落語に蒟蒻問答というのがありまして、禅僧が仕掛けた問答に蒟蒻屋が身振り手振りで蒟蒻の話で押し切ると、禅僧はその動作を仏教の高尚な話に取り違え勝手に感服して退散するというあらましです。
これが転じて蒟蒻問答とはトンチンカンな受け答え、という意味を持つそうですが、個人的にはこの話はお互いに意思疎通が出来ているように見えて、結局は人間は自分が背負うバックボーンなりにしか他人を理解できないのだというディスコミュニケーションの喩えとして捉えています。
たとえば好き合った男女がお互いに「愛してる」と言葉を交わしても、その愛のために相手に何を為し相手から何を期待するのかがお互いにあまりにも違う、というのはごく普通に有り得る話であります。特に難しい言葉でなくても、相手の言葉を自分の物差しで計って「たぶんこんな意味だろう」と納得して疑いもしない、ということはごく普通に起こることです。
亡くなった岩田社長が生前にインタビュー等でことあるごとに語っていた「ゲーム人口の拡大を目指して」という言葉について。特に難しい言葉ではないし、DSやWiiの大ヒットはその言葉の成功例として何度も喧伝された。自分もその文脈の中でこの言葉を理解している気になっていた。
しかしこれこそが蒟蒻問答。疑問を持つようなことでもなく理解したつもりになっていたこの言葉、岩田社長の逝去について盛んに流されるニュースを見るにつけ、「いわっちの言うゲーム人口の拡大というのはもっと深いトコロにあったのではなかろうか?」という気がしてきた。
なんとなくですが、岩田社長が言う「ゲーム人口の拡大」と宮本茂が言うそれとでは、各人の目指す物が全く異なっているんじゃないかと思う。誰もがスーパーマリオの面白さに気付いて欲しいというのがミヤホンの目指すところで、いわっちは人それぞれのライフスタイルの違いに合わせて、それぞれに対してゲームという形でのエンターテイメントを根付かせよう、というような。
じゃあソレって具体的に何だったよの、というのをワタクシなりの弔いとして考えてみようと、、こんどこそは尻切れトンボになりません様に。
これが転じて蒟蒻問答とはトンチンカンな受け答え、という意味を持つそうですが、個人的にはこの話はお互いに意思疎通が出来ているように見えて、結局は人間は自分が背負うバックボーンなりにしか他人を理解できないのだというディスコミュニケーションの喩えとして捉えています。
たとえば好き合った男女がお互いに「愛してる」と言葉を交わしても、その愛のために相手に何を為し相手から何を期待するのかがお互いにあまりにも違う、というのはごく普通に有り得る話であります。特に難しい言葉でなくても、相手の言葉を自分の物差しで計って「たぶんこんな意味だろう」と納得して疑いもしない、ということはごく普通に起こることです。
亡くなった岩田社長が生前にインタビュー等でことあるごとに語っていた「ゲーム人口の拡大を目指して」という言葉について。特に難しい言葉ではないし、DSやWiiの大ヒットはその言葉の成功例として何度も喧伝された。自分もその文脈の中でこの言葉を理解している気になっていた。
しかしこれこそが蒟蒻問答。疑問を持つようなことでもなく理解したつもりになっていたこの言葉、岩田社長の逝去について盛んに流されるニュースを見るにつけ、「いわっちの言うゲーム人口の拡大というのはもっと深いトコロにあったのではなかろうか?」という気がしてきた。
なんとなくですが、岩田社長が言う「ゲーム人口の拡大」と宮本茂が言うそれとでは、各人の目指す物が全く異なっているんじゃないかと思う。誰もがスーパーマリオの面白さに気付いて欲しいというのがミヤホンの目指すところで、いわっちは人それぞれのライフスタイルの違いに合わせて、それぞれに対してゲームという形でのエンターテイメントを根付かせよう、というような。
じゃあソレって具体的に何だったよの、というのをワタクシなりの弔いとして考えてみようと、、こんどこそは尻切れトンボになりません様に。