チェンジリング
傑作率の非常に高いクリント・イーストウッド監督が、またしてもどえらい映画を寄越してきました。今年はこれまた評判の良い「グラン・トリノ」が後に控えており、イーストウッド、老いてなお盛ん。
クリント・イーストウッド監督の映画の魅力(の一つ)は、難しいテーマの映画を、誰でも理解できる表現で作り上げることにあると思う。「チェンジリング」は多くの要素を持った映画だが、それらを分かりやすく述べながらも、監督自身の意見はハッキリと織り込んでいない。語り口は平易でも、結末を安易に示さないため、観客によってこの映画から受け取るメッセージも随分変わって来るのではないかと思う。
以下ネタバレ全開のため未見の方はお引き取りください。
タイトルは取り替えっ子という意味で、もちろんアンジェリーナ・ジョリーの息子が赤の他人に取り替えられたことを表しているのだが、もう少し広い意味でタイトルを捉えると、彼女の立場は劇中の様々な人によって取り替えられ、繰り返されている事に気付く。偽物の息子との駅での再会は、今度はそれを謀った警察によって本物の母親と再現される。不当に送られた精神病院には、彼女と同様に警察によって拘束され、虐待された女たちが多数登場する。子供たちを殺害した殺人鬼はアンジェリーナ・ジョリーを「警察に俺と同じ立場に立たされたのに俺を悪く言わなかった」と言う。彼女は不幸に巻き込まれるのと同時に、他人を通して自分の受けてきたことを追体験する。この映画の肝は、そういった他者を見つめるアンジェリーナ・ジョリーの強い意志を宿した瞳にあると思った。
偽物の息子との再会シーンでこそ警察の意に飲まれて目をそらしてしまったが、その後は常に真正面から相手を見続ける。精神病院で医者に脅されても自分の主張を曲げずに医者を睨み返す。彼女を庇って電気ショックを受けた女性を、鉄格子の嵌った扉から見守っている。殺人鬼が絞首刑にされる時も彼女は取り乱しもせずヒタと断末魔に苦しむ男を見据える。そして、最後に犠牲者だった子供が親元に帰ってきた姿を、マジックミラーの向こうから涙を流しながら凝視している。自分の姿を他者を介して見続けてきたからこそ、奇跡的に巡り会えた息子と抱き合う夫婦の姿が「取り替えられて」彼女の希望たりえるのだ。それは彼女が戦って勝ち取ったものなので、いずれ絶望に変わるようなものではなく、永遠に信じていけるのだと思う。
話は逸れますが、普段の自分は洋画では断然字幕派で、吹き替えで映画を見るのは邪道だという気持ちがありました。けれども「チェンジリング」のように画面で雄弁に語る映画では、常にスクリーンの下部に視線を向けている鑑賞スタイルが非常に鬱陶しい。目を向けなければいけない映像が溢れているのに字幕を追ってしまう不自由さに比べれば、吹き替えの違和感なんて何のマイナスでもないんじゃないかと思わされたのでありました。
こんな人にオススメ:誰もがこの映画から何らかの受け取る物があると思います。是非映画館で。
クリント・イーストウッド監督の映画の魅力(の一つ)は、難しいテーマの映画を、誰でも理解できる表現で作り上げることにあると思う。「チェンジリング」は多くの要素を持った映画だが、それらを分かりやすく述べながらも、監督自身の意見はハッキリと織り込んでいない。語り口は平易でも、結末を安易に示さないため、観客によってこの映画から受け取るメッセージも随分変わって来るのではないかと思う。
以下ネタバレ全開のため未見の方はお引き取りください。
タイトルは取り替えっ子という意味で、もちろんアンジェリーナ・ジョリーの息子が赤の他人に取り替えられたことを表しているのだが、もう少し広い意味でタイトルを捉えると、彼女の立場は劇中の様々な人によって取り替えられ、繰り返されている事に気付く。偽物の息子との駅での再会は、今度はそれを謀った警察によって本物の母親と再現される。不当に送られた精神病院には、彼女と同様に警察によって拘束され、虐待された女たちが多数登場する。子供たちを殺害した殺人鬼はアンジェリーナ・ジョリーを「警察に俺と同じ立場に立たされたのに俺を悪く言わなかった」と言う。彼女は不幸に巻き込まれるのと同時に、他人を通して自分の受けてきたことを追体験する。この映画の肝は、そういった他者を見つめるアンジェリーナ・ジョリーの強い意志を宿した瞳にあると思った。
偽物の息子との再会シーンでこそ警察の意に飲まれて目をそらしてしまったが、その後は常に真正面から相手を見続ける。精神病院で医者に脅されても自分の主張を曲げずに医者を睨み返す。彼女を庇って電気ショックを受けた女性を、鉄格子の嵌った扉から見守っている。殺人鬼が絞首刑にされる時も彼女は取り乱しもせずヒタと断末魔に苦しむ男を見据える。そして、最後に犠牲者だった子供が親元に帰ってきた姿を、マジックミラーの向こうから涙を流しながら凝視している。自分の姿を他者を介して見続けてきたからこそ、奇跡的に巡り会えた息子と抱き合う夫婦の姿が「取り替えられて」彼女の希望たりえるのだ。それは彼女が戦って勝ち取ったものなので、いずれ絶望に変わるようなものではなく、永遠に信じていけるのだと思う。
話は逸れますが、普段の自分は洋画では断然字幕派で、吹き替えで映画を見るのは邪道だという気持ちがありました。けれども「チェンジリング」のように画面で雄弁に語る映画では、常にスクリーンの下部に視線を向けている鑑賞スタイルが非常に鬱陶しい。目を向けなければいけない映像が溢れているのに字幕を追ってしまう不自由さに比べれば、吹き替えの違和感なんて何のマイナスでもないんじゃないかと思わされたのでありました。
こんな人にオススメ:誰もがこの映画から何らかの受け取る物があると思います。是非映画館で。
ミックスパエリア
DSのレシピソフトの中から実際に作ってみるシリーズ。4回目にして既に趣旨を離れ、「世界のごはん」からスペイン料理のミックスパエリアを作るといいつつ、ペネロペ・クルスのアカデミー助演女優賞受賞を寿ぐの巻~~~!!
いや~めでたい。「おくりびと」の外国語映画賞より5000倍くらい嬉しい。アカデミー賞は半分お祭り扱いとはいえ、映画の世界では一番の注目を集めるイベントであるので、まさかペネロペ・クルスが受賞できるとは思ってもみませんでした。と、既に父親気分(さすがに俺の嫁なんて畏れ多くて言えないわ)
オスカーにおける女優賞というのは不思議なもので、よほど演技派と目されているならともかく、演技が達者なだけではなかなか獲れない。ジュリアン・ムーアは都合4回もノミネートされながら未だ受賞歴はない。その一方で、たまたま作品が評価されたってだけで、それまで全くお呼びでなかったジュリア・ロバーツが主演女優賞をカッ攫ってしまったりする。どうも実力よりも女優としての華やかさのほうが多分に考慮されているように思える。
そう考えると、ペネロペ・クルスというのは美人だけどもジュリア・ロバーツやニコール・キッドマンのような派手さがある訳ではなく、ジュリアン・ムーアのような万人が納得する演技力もない。いや、自分はモチロン彼女を演技で評価しておりますよ。オッパイと同じくらい。なので、「ボルベール」で主演女優賞にノミネートされた時も、「クイーン」のヘレン・ミレンが受賞したのも穏当な結果だと思ったのだ。
けれどもペネロペ・クルスに賞をあげたかった気持ちは思いのほか大きかったに違いない。非英語圏の映画で非英語圏の女優だから、と主演賞を取らせるには躊躇しても、助演賞なら問題ないかとか、マリサ・トメイよりは年齢的な華もあるだろう、とか。派手さを目指す今年のアカデミー賞では、その他の候補者よりずっとカメラ映えするのは確か。とにかく獲ったもん勝ちよ。
よかったね、ペネロペ(←最後は「うっかりペネロペ」の能登麻美子のイメージで)

水を減らしてタマネギをすりおろして入れると味が深くなります。
いや~めでたい。「おくりびと」の外国語映画賞より5000倍くらい嬉しい。アカデミー賞は半分お祭り扱いとはいえ、映画の世界では一番の注目を集めるイベントであるので、まさかペネロペ・クルスが受賞できるとは思ってもみませんでした。と、既に父親気分(さすがに俺の嫁なんて畏れ多くて言えないわ)
オスカーにおける女優賞というのは不思議なもので、よほど演技派と目されているならともかく、演技が達者なだけではなかなか獲れない。ジュリアン・ムーアは都合4回もノミネートされながら未だ受賞歴はない。その一方で、たまたま作品が評価されたってだけで、それまで全くお呼びでなかったジュリア・ロバーツが主演女優賞をカッ攫ってしまったりする。どうも実力よりも女優としての華やかさのほうが多分に考慮されているように思える。
そう考えると、ペネロペ・クルスというのは美人だけどもジュリア・ロバーツやニコール・キッドマンのような派手さがある訳ではなく、ジュリアン・ムーアのような万人が納得する演技力もない。いや、自分はモチロン彼女を演技で評価しておりますよ。オッパイと同じくらい。なので、「ボルベール」で主演女優賞にノミネートされた時も、「クイーン」のヘレン・ミレンが受賞したのも穏当な結果だと思ったのだ。
けれどもペネロペ・クルスに賞をあげたかった気持ちは思いのほか大きかったに違いない。非英語圏の映画で非英語圏の女優だから、と主演賞を取らせるには躊躇しても、助演賞なら問題ないかとか、マリサ・トメイよりは年齢的な華もあるだろう、とか。派手さを目指す今年のアカデミー賞では、その他の候補者よりずっとカメラ映えするのは確か。とにかく獲ったもん勝ちよ。
よかったね、ペネロペ(←最後は「うっかりペネロペ」の能登麻美子のイメージで)

水を減らしてタマネギをすりおろして入れると味が深くなります。
ララピポ
「ララピポ」では原作:奥田英朗 ・脚本:中島哲也の扱いが大きく、映画を代表するのは監督であるという思いがあったので違和感を感じるが、宮野雅之監督の初メガホンなので宣伝としては致し方ないのだろう。中島哲也監督の助監督という縁だそうですが、なるほど、確かに狭苦しい画面は似ているが、中島監督がポンポンとシーンを切り替えることで息苦しさを感じさせないのに対して、「ララピポ」ではあまりの閉塞感に胸が締め付けられるような感覚になる。
でも、この感覚は田舎住まいの自分が東京に行った時に感じる圧迫感に非常に近い。東京の道の狭さや建物の天井の低さ、そして何よりララピポの語源である人間の多さは慣れない者にとっては息をするだけでストレスを感じる。実は学生のころに新宿を歩いていて人ゴミとホコリと街の匂いにヤられてホントに吐いてしまった経験アリ(トイレでだけど)。この街では誰もがロカンタン。この映画の登場人物たちは自室ですら雑貨やエロDVDなどで空間を埋め尽くしており、かつてはそれは宮崎勤のような病的な人間の特徴と見られていたが、今では単なる個性になってしまった。濱田マリ演じる主婦がゴミ屋敷に住んでいる理由は映画の中で説明されるが、埋める物がゴミかそうでないかの違いだけで全員ゴミ屋敷に住んでいる精神状態なんじゃないかと思う。成宮寛貴が引っ越した豪華なマンションの広々とした空間との対比で、負け組=下層=スラム的という連想なのかもしれない。
映画は6人の登場人物による群像劇で構成されているが、物語として成り立っているのは成宮寛貴と濱田マリくらい。ただ、物語の体裁はなさないものの、村上知子演じるデブ専向けAV嬢のバックグラウンドの説明のなさと彼女の何も映していない目が非常に不気味で、いっそ彼女の話だけでサイコホラーになるんじゃないかと思った。彼女は自分が傷つく姿を見せることが自分の価値と考え、その痛みを感じないために感情を無くしているようなキャラクターではないかと思う。
だから映画のラストで彼女が笑うのは、成宮寛貴のあからさまなおだてに照れ笑いしたとか、そんな生温いもんじゃない。アレは「ここまで自分を傷つけても、それでもまだ私はバカにされるのか」という怒りである。この後の展開は村上知子が話に乗っかるフリをして部屋を訪ねて、成宮のチ○チ○を切り落とすくらいのことはするハズ。
こんな人にオススメ:案外下ネタが多いので、付き合って日の浅いカップルだといたたまれないかも。決して二人では見ないでください。
でも、この感覚は田舎住まいの自分が東京に行った時に感じる圧迫感に非常に近い。東京の道の狭さや建物の天井の低さ、そして何よりララピポの語源である人間の多さは慣れない者にとっては息をするだけでストレスを感じる。実は学生のころに新宿を歩いていて人ゴミとホコリと街の匂いにヤられてホントに吐いてしまった経験アリ(トイレでだけど)。この街では誰もがロカンタン。この映画の登場人物たちは自室ですら雑貨やエロDVDなどで空間を埋め尽くしており、かつてはそれは宮崎勤のような病的な人間の特徴と見られていたが、今では単なる個性になってしまった。濱田マリ演じる主婦がゴミ屋敷に住んでいる理由は映画の中で説明されるが、埋める物がゴミかそうでないかの違いだけで全員ゴミ屋敷に住んでいる精神状態なんじゃないかと思う。成宮寛貴が引っ越した豪華なマンションの広々とした空間との対比で、負け組=下層=スラム的という連想なのかもしれない。
映画は6人の登場人物による群像劇で構成されているが、物語として成り立っているのは成宮寛貴と濱田マリくらい。ただ、物語の体裁はなさないものの、村上知子演じるデブ専向けAV嬢のバックグラウンドの説明のなさと彼女の何も映していない目が非常に不気味で、いっそ彼女の話だけでサイコホラーになるんじゃないかと思った。彼女は自分が傷つく姿を見せることが自分の価値と考え、その痛みを感じないために感情を無くしているようなキャラクターではないかと思う。
だから映画のラストで彼女が笑うのは、成宮寛貴のあからさまなおだてに照れ笑いしたとか、そんな生温いもんじゃない。アレは「ここまで自分を傷つけても、それでもまだ私はバカにされるのか」という怒りである。この後の展開は村上知子が話に乗っかるフリをして部屋を訪ねて、成宮のチ○チ○を切り落とすくらいのことはするハズ。
こんな人にオススメ:案外下ネタが多いので、付き合って日の浅いカップルだといたたまれないかも。決して二人では見ないでください。
キャラメルミルクレープ
DSのレシピソフトの中から実際に作ってみるシリーズ。3回目は前回に引き続いて「お菓子ナビDS」からキャラメルミルクレープを作りました。ミルクレープは以前にも作ったことはあるのですが、カラメルクリームというのは初挑戦。甘い中にもほろ苦い味わいは、これがもともと大人の味なのか、自分が単にカラメルを焦がしすぎてしまったのか。
お菓子ナビとまるごと帝国ホテルは共にコーエーのレシピソフトですが、帝国ホテルのとっつきにくさを反省したのかお菓子ナビは結構レシピの難易度を下げており、クレープ生地にホットケーキミックスを使用となっています。わざわざ買うのも何なので家にある小麦粉とバターで作りましたが、こういう手軽さは初心者にとって嬉しいところ。

せっかくなのでキャラメリゼしたリンゴを挟む

焦げたキャベツ?

リンゴは多少歯ごたえが残ってるほうが美味い
クレープを焼く時は少なめの量を気持ち強火で短時間で焼くのがコツです。以前に生地が多過ぎた上にじっくり弱火で焼いてしまったことがあったのですが、そうしたらクレープならぬチヂミが出来上がってしまいました。あのモッチリ食感はいまだに脳裏にこびりつく不思議感覚。

以前作ったイチゴのミルクレープ(でも食感はチヂミ)
お菓子ナビとまるごと帝国ホテルは共にコーエーのレシピソフトですが、帝国ホテルのとっつきにくさを反省したのかお菓子ナビは結構レシピの難易度を下げており、クレープ生地にホットケーキミックスを使用となっています。わざわざ買うのも何なので家にある小麦粉とバターで作りましたが、こういう手軽さは初心者にとって嬉しいところ。

せっかくなのでキャラメリゼしたリンゴを挟む

焦げたキャベツ?

リンゴは多少歯ごたえが残ってるほうが美味い
クレープを焼く時は少なめの量を気持ち強火で短時間で焼くのがコツです。以前に生地が多過ぎた上にじっくり弱火で焼いてしまったことがあったのですが、そうしたらクレープならぬチヂミが出来上がってしまいました。あのモッチリ食感はいまだに脳裏にこびりつく不思議感覚。

以前作ったイチゴのミルクレープ(でも食感はチヂミ)
チョコレート・アンダーグラウンド
チョコレートなどの甘くて美味しくて健康に悪いものが全面禁止された社会で、チョコレートを欲しがる中学生達が、やがてそんな理不尽な体制を作った社会に反逆を企てるというお話です。原作とはかなり違っているとのことですが、映画はあくまで子供達が見て納得できるものという軸に従い、色々な要素がかなり単純化されています。
なので、チョコレート禁止の中での地下のチョコレートパーティーともなれば、普通なら禁酒法時代のアル・カポネのような人物が地下チョコ流通を牛耳るんじゃないか、とか、幼稚園児にご禁制のチョコを無防備に持たせるのは常識無さ過ぎなんじゃないか、とか、そういったご時世なのに今更「チョコレートがないなんて・・・」とこれ見よがしに嘆く老夫婦は一体どこの山から降りてきたのよ、などなど、大人にはいちいち引っかかる物語の緩さは、まあいいとしましょう。
これがもし舞台がオランダで、健全さを以て旨とする政党が大麻を禁止し、中学生達が「大麻が自由に吸えない社会なんて・・・」と夜ごとに地下でマリファナパーティーを開いているってストーリーでも成り立つのか?というのも、自分で言っといて何だが、まあイチャモンである。チョコレートはあくまでも例えであって、この映画のメッセージは大人(社会)が押し付ける体制に、子供達は安易に乗っちゃダメだよ、ということを子供の視線で語っているのだから。ただ、それならそれで、もっと子供達が観に行けるような、小学生あたりの子供を持つ親に向けて宣伝するべきだと思うのだが、肝心の子供達にはこの映画の存在は全然届いてないように思える。
プロダクションI.Gに釣られたオタクとしては、内容よりもアニメーションのショボさにガッカリだった。きっと製作費も十分にとれない中で必死にがんばったのだと思うが、車やロボットのCGは凝っている割にアクションシーンのカタルシスが無く、何よりあんなに恋い焦がれたチョコレートやケーキを食べる姿が全然美味しそうに見えないのが残念でした。あからさまにロッテのガーナチョコが出てきても、映画を観終わっても全然「チョコ食いてえ!」と思えないので、あれは絶対販促に結びつかないと思うな。
こんな人にオススメ:小2の娘を連れてきゃ良かった。
なので、チョコレート禁止の中での地下のチョコレートパーティーともなれば、普通なら禁酒法時代のアル・カポネのような人物が地下チョコ流通を牛耳るんじゃないか、とか、幼稚園児にご禁制のチョコを無防備に持たせるのは常識無さ過ぎなんじゃないか、とか、そういったご時世なのに今更「チョコレートがないなんて・・・」とこれ見よがしに嘆く老夫婦は一体どこの山から降りてきたのよ、などなど、大人にはいちいち引っかかる物語の緩さは、まあいいとしましょう。
これがもし舞台がオランダで、健全さを以て旨とする政党が大麻を禁止し、中学生達が「大麻が自由に吸えない社会なんて・・・」と夜ごとに地下でマリファナパーティーを開いているってストーリーでも成り立つのか?というのも、自分で言っといて何だが、まあイチャモンである。チョコレートはあくまでも例えであって、この映画のメッセージは大人(社会)が押し付ける体制に、子供達は安易に乗っちゃダメだよ、ということを子供の視線で語っているのだから。ただ、それならそれで、もっと子供達が観に行けるような、小学生あたりの子供を持つ親に向けて宣伝するべきだと思うのだが、肝心の子供達にはこの映画の存在は全然届いてないように思える。
プロダクションI.Gに釣られたオタクとしては、内容よりもアニメーションのショボさにガッカリだった。きっと製作費も十分にとれない中で必死にがんばったのだと思うが、車やロボットのCGは凝っている割にアクションシーンのカタルシスが無く、何よりあんなに恋い焦がれたチョコレートやケーキを食べる姿が全然美味しそうに見えないのが残念でした。あからさまにロッテのガーナチョコが出てきても、映画を観終わっても全然「チョコ食いてえ!」と思えないので、あれは絶対販促に結びつかないと思うな。
こんな人にオススメ:小2の娘を連れてきゃ良かった。