ババロアインペリアル
DSのレシピソフトの中から実際に作ってみるシリーズ。1回目は「まるごと帝国ホテル」のババロアインペリアルを作りました。このごろは苺が出回っているので、缶詰ではなく苺を2パック使いました。
1パックは細かく切ってカットフルーツとして使い、もう1パックはミキサーでジュースにして、半分をババロアに入れ、もう半分をソースにしています。ババロアにジュースを入れるので、ゼラチンも9gにしています。
「まるごと帝国ホテル」の洋菓子の分量は1/2ポンド=225gを基準にしているので、ババロアインペリアルでも生クリームは1と1/4カップとなってますが、25ccのために生クリームを2パック買うのは庶民として許せんという思いがあり、1カップで作ってます。

21センチのエンゼル型を使いました。

ソースをかけるとこんな感じ。
出来上がりが思った以上に大きくてインパクトがデカイ。苺もさすがに大量に投入したので、食べがいがありますし、苺の持つ「もうすぐ春だぞ!」という能天気な雰囲気がこの季節に合ってます。
1パックは細かく切ってカットフルーツとして使い、もう1パックはミキサーでジュースにして、半分をババロアに入れ、もう半分をソースにしています。ババロアにジュースを入れるので、ゼラチンも9gにしています。
「まるごと帝国ホテル」の洋菓子の分量は1/2ポンド=225gを基準にしているので、ババロアインペリアルでも生クリームは1と1/4カップとなってますが、25ccのために生クリームを2パック買うのは庶民として許せんという思いがあり、1カップで作ってます。

21センチのエンゼル型を使いました。

ソースをかけるとこんな感じ。
出来上がりが思った以上に大きくてインパクトがデカイ。苺もさすがに大量に投入したので、食べがいがありますし、苺の持つ「もうすぐ春だぞ!」という能天気な雰囲気がこの季節に合ってます。
ワンダーラスト
何故今更マドンナが自らメガホンを持とうとしたのか。「ワンダーラスト」は彼女のこれまでのイメージからすると非常に大人しい仕上がりで、御都合主義で温い青春映画にしか見えない所はある。けれども彼女が意図的に自身を演出してきたエロティックさやパワフルさと表裏一体の、仕事に対する非常にストイックな姿勢の出所がわかったような、彼女のポジティブさがそのまま映像になったような映画でした。
不幸なことに「これがマドンナの堕落論」なんて的外れなコピーがついているせいで、スキャンダラスさを期待してアテが外れた人もいるだろう。マドンナが最もスキャンダラスを意識していたのは「Body」でウィレム・デフォーにローソクたらしてた頃だと思うが、自分は「Body」にエロスは余り感じなかった。同時期に出した写真集もそうなのだが、マドンナの見事な裸体からは強烈な自己主張しか感じられず、卑猥さが微塵もないのだ。「ワンダーラスト」でもストリップ小屋に身を投じるダンサーが出て来るが、そこには卑猥さよりもやっぱり自己主張の強さというか、セリフでズバリと言われている「自分であることの大切さ」というメッセージ性のほうが強い。
結局、この映画はマドンナの思想映画であり、ジャンルとしては「蟹工船」と同じだと思う。マドンナの思想にないものは映画には登場せず登場人物は皆マドンナの一部であるので、ラストの安直に思えるハッピーエンドも、マドンナとしてはこれ以外の終わり方はないのだろう。映画の途中までは、唯一主婦の自主性のなさを糾弾しているように思えたが、最後には彼女達にも幸せを用意している。映画に登場する二人の主婦の夫への愛情を、マドンナは讃えられるべきものとして賞賛しているのだ。
「ワンダーラスト」の時代はハッキリとは示されないが、携帯電話やパソコンが登場せず、主人公達の人生の転機が封筒によって訪れているのを見ると、1970年代後半の、マドンナ自身の下積み時代あたりだと思う。若い頃のがむしゃらだった自分に対して、成功した立場から当時の意味付けをしているように感じた。別にホモでもないのに男相手のSM稼業(王様?)で金を稼いでいる主人公は、これはズバリ「ライク・ア・ヴァージン」当時のマドンナが世間に対してやってきた姿だ。この映画を見ると、マドンナは世間から求められるセックスシンボルを成功への手段として演じつつも、それに釣られて鼻の下を伸ばす男のことを割と好意的に見ていたんじゃないかと思える。問題は、ここ10年あたりのフォトショップ職人頼りのマドンナに鼻の下をのばす奴がいるのかどうかだが。
マドンナが一番に当時の自分を託した、主人公の男を演じるユージン・ハッツがマドンナとそっくりの表情をする瞬間が何度かあって、見間違いかもしれないと思いつつ、この出来過ぎぶりに驚いた。最後の歌くらいしかカッコいいシーンはないのに、映画全編に渡ってこの男の魅力が炸裂しており、マドンナがユージンのストーカーみたいになって映画出演を口説いたという話にも納得できてしまう。
こんな人にオススメ:ヴィンセント・ギャロや自意識過剰系が苦手な人も、一度「ワンダーラスト」を試してみてはどうでしょう
不幸なことに「これがマドンナの堕落論」なんて的外れなコピーがついているせいで、スキャンダラスさを期待してアテが外れた人もいるだろう。マドンナが最もスキャンダラスを意識していたのは「Body」でウィレム・デフォーにローソクたらしてた頃だと思うが、自分は「Body」にエロスは余り感じなかった。同時期に出した写真集もそうなのだが、マドンナの見事な裸体からは強烈な自己主張しか感じられず、卑猥さが微塵もないのだ。「ワンダーラスト」でもストリップ小屋に身を投じるダンサーが出て来るが、そこには卑猥さよりもやっぱり自己主張の強さというか、セリフでズバリと言われている「自分であることの大切さ」というメッセージ性のほうが強い。
結局、この映画はマドンナの思想映画であり、ジャンルとしては「蟹工船」と同じだと思う。マドンナの思想にないものは映画には登場せず登場人物は皆マドンナの一部であるので、ラストの安直に思えるハッピーエンドも、マドンナとしてはこれ以外の終わり方はないのだろう。映画の途中までは、唯一主婦の自主性のなさを糾弾しているように思えたが、最後には彼女達にも幸せを用意している。映画に登場する二人の主婦の夫への愛情を、マドンナは讃えられるべきものとして賞賛しているのだ。
「ワンダーラスト」の時代はハッキリとは示されないが、携帯電話やパソコンが登場せず、主人公達の人生の転機が封筒によって訪れているのを見ると、1970年代後半の、マドンナ自身の下積み時代あたりだと思う。若い頃のがむしゃらだった自分に対して、成功した立場から当時の意味付けをしているように感じた。別にホモでもないのに男相手のSM稼業(王様?)で金を稼いでいる主人公は、これはズバリ「ライク・ア・ヴァージン」当時のマドンナが世間に対してやってきた姿だ。この映画を見ると、マドンナは世間から求められるセックスシンボルを成功への手段として演じつつも、それに釣られて鼻の下を伸ばす男のことを割と好意的に見ていたんじゃないかと思える。問題は、ここ10年あたりのフォトショップ職人頼りのマドンナに鼻の下をのばす奴がいるのかどうかだが。
マドンナが一番に当時の自分を託した、主人公の男を演じるユージン・ハッツがマドンナとそっくりの表情をする瞬間が何度かあって、見間違いかもしれないと思いつつ、この出来過ぎぶりに驚いた。最後の歌くらいしかカッコいいシーンはないのに、映画全編に渡ってこの男の魅力が炸裂しており、マドンナがユージンのストーカーみたいになって映画出演を口説いたという話にも納得できてしまう。
こんな人にオススメ:ヴィンセント・ギャロや自意識過剰系が苦手な人も、一度「ワンダーラスト」を試してみてはどうでしょう
マンマ・ミーア!
ヒッピー文化花咲く頃、一人の無軌道な娘が三つ又の恋愛の末にシングルマザーの道を選び、その子は20年後、美しい花嫁として本当のパパを探し求める・・・(ドッドッドッ)。ちょっと待て、この映画の時代はいつよ、でもってメリル・ストリープは何歳の設定なのよ!?1949年生まれのストリープが1975年あたりに妊娠したと仮定すれば、この映画の時代は1995年でメリル46歳。なんちゅーか、ちょっと図々しい設定である。
年齢的には母親役にはサラ・ジェシカ・パーカーあたりが丁度いいんじゃないかと思いますが、ミュージカル映画の王道をゆくストーリーとメリル・ストリープののびやかな歌声がマッチしていて、年齢のリアリティそっちのけで彼女がキャスティングされたのも納得できる。演技派女優で鳴らすストリープが所狭しと歌って踊ってはしゃぎまわる姿は確実に意外性のインパクトをもたらすので、その効果も狙ったのかもしれない。
映画前半の”Dancing Queen”から”Voulez Vous”までの畳み掛けるようなアップテンポなナンバーの高揚感が素晴らしく、これはもう、盆と正月とクリスマスと灌仏会が一緒に来たような目出たさ。桟橋でオバチャン達が歌い踊る姿の賑やかな様子はギリシャのスコーンと抜けた青い空と相まって、この上なく幸せな気分に浸っておりました。主要キャストは必ずしも歌と踊りに長けている訳ではない・・・どころか、男優のチョイスは全く歌と踊りのスキルを考慮していないのだが、ミュージカルの本質は歌や踊りの上手さではないと言わんばかりの力技で、自分はまんまと「ああ、こういうのもアリなんだ」と思ってしまいました。ピアース・ブロスナンの音痴はメリル・ストリープの大はしゃぎのような落差を狙っていると思うな。
自分は1970年生まれなのでABBA世代には10年ほど遅く特別な思い入れはないのだが、”Dancing Queen”だけはリアルで聞いた記憶があり、何の機会だろうと思っていたら、Wikiにて「ザ・ベストテンに出演」とあったので、多分これだろう。そんな思い入れがない自分でも映画で歌われた曲はほとんど聞き覚えがあるので、至る所で耳にしていたんだと思う。ABBAの最盛期から30年経っても鮮度を保っているのは驚異的なのだが、その曲を日本語でカバーしてしまおうという劇団四季は更に驚異的でチャレンジャー過ぎる。DVDが出たら、是非日本語がどんな歌になっているのか確認してみよう。
こんな人にオススメ:二時間思いっきりハッピーな気分に浸りたい人
年齢的には母親役にはサラ・ジェシカ・パーカーあたりが丁度いいんじゃないかと思いますが、ミュージカル映画の王道をゆくストーリーとメリル・ストリープののびやかな歌声がマッチしていて、年齢のリアリティそっちのけで彼女がキャスティングされたのも納得できる。演技派女優で鳴らすストリープが所狭しと歌って踊ってはしゃぎまわる姿は確実に意外性のインパクトをもたらすので、その効果も狙ったのかもしれない。
映画前半の”Dancing Queen”から”Voulez Vous”までの畳み掛けるようなアップテンポなナンバーの高揚感が素晴らしく、これはもう、盆と正月とクリスマスと灌仏会が一緒に来たような目出たさ。桟橋でオバチャン達が歌い踊る姿の賑やかな様子はギリシャのスコーンと抜けた青い空と相まって、この上なく幸せな気分に浸っておりました。主要キャストは必ずしも歌と踊りに長けている訳ではない・・・どころか、男優のチョイスは全く歌と踊りのスキルを考慮していないのだが、ミュージカルの本質は歌や踊りの上手さではないと言わんばかりの力技で、自分はまんまと「ああ、こういうのもアリなんだ」と思ってしまいました。ピアース・ブロスナンの音痴はメリル・ストリープの大はしゃぎのような落差を狙っていると思うな。
自分は1970年生まれなのでABBA世代には10年ほど遅く特別な思い入れはないのだが、”Dancing Queen”だけはリアルで聞いた記憶があり、何の機会だろうと思っていたら、Wikiにて「ザ・ベストテンに出演」とあったので、多分これだろう。そんな思い入れがない自分でも映画で歌われた曲はほとんど聞き覚えがあるので、至る所で耳にしていたんだと思う。ABBAの最盛期から30年経っても鮮度を保っているのは驚異的なのだが、その曲を日本語でカバーしてしまおうという劇団四季は更に驚異的でチャレンジャー過ぎる。DVDが出たら、是非日本語がどんな歌になっているのか確認してみよう。
こんな人にオススメ:二時間思いっきりハッピーな気分に浸りたい人
007/慰めの報酬
シリアス路線で新シリーズを開始した前作の「カジノ・ロワイヤル」の続編として、今作も「告発のとき」の監督でもあるポール・ハギスが脚本に参加しております。しかしおそらくこの説明は順序が逆で、普通に考えればこの二作は「カジノ・ロワイヤル」のリメイクを前提とした二部作として初めから製作されたものだ。そのため、ストーリーの現実世界とのコミット具合は、リメイクゆえに敵の親玉だけ現代的にした前作より、物語全体に現代の問題点を含ませた今作のほうが深い。
「カジノ・ロワイヤル」の敵はテロリストの資金を元手に利殖を企てるマネーブローカーだった。テロと投資という21世紀の2大トレンド(?)を結びつけたのも面白かったが、「慰めの報酬」の敵はなんとエコ企業!!もうハギスってばステキ過ぎる。やっぱりなーーんか胡散臭いトコあるよねエコロジーって。しかも、表はエコヅラしておいて、裏では一国の水資源を独占し、そこから上がる利権を欲しいままにするという、それなんてウォーターバロン?な設定。「慰めの報酬」は、実際にボリビアで起こった水戦争を大きく取り上げているため、今回の事件はボンドの復讐心があればこその展開というのは承知の上で、MI6がボリビアのテロや水資源を独占する巨大企業に敵対する道理は本来はない。新生007もピアース・ブロスナンのシリーズ同様、冷戦崩壊以降にイギリスの諜報員が活躍する舞台としては無理矢理しつらえた感じは残るのだが、仮想敵国が無くなった現代において、007シリーズはより巨大な、より見えにくい敵を相手にするという覚悟を固めたのだ・・・と思いたい。そのためにポール・ハギスを担ぎだしたのではなかろうか。
そうはいってもこの映画はエンターテイメントの枠の内にあるものなので、本気で世界に警鐘を鳴らす意図はなく、観客もそこまで求めてないだろう。シリアスな部分を離れてアクション映画として捉えると、冒頭のカーチェイスやMI6の裏切り者を追いかけるシーンなど、アクションの撮り方が総じて見辛くて、「カジノ・ロワイヤル」の観客にストレスを与えないカメラワークと比べるとマイナスなのが残念。007に付き物の世界中を股にかけるストーリーについては、今回は金持ちとビンボーの落差が激しく、そこも世相を反映した意図的なロケーション選択であるように思う。中でもメトロポリタン歌劇場で斬新な舞台装置のオペラを上演するシーンが見られたのは、ちょっと得した気分。
ダニエル・クレイグの無骨さが魅力のボンドもこの2作ですっかり馴染んだし、今回の敵もいわばトカゲの尻尾であり裏にまだまだ現代的な悪党が潜んでいることを考えると(冒頭で捕らえられたミスター・ホワイトが逃亡してそのままだし)、国家を超えた悪のコングロマリットにイギリスのエージェントはどう立ち向かうのか、今後の展開に期待大であります。けれどもお約束のガンバレルで、右側から歩いて来る姿勢が前首気味でちょっと猿みたいと思ってしまったのはダニエルにはナイショだ。
歴代ガンバレル・シーケンスの総集編。さすがに「慰めの報酬」のはありませんが、「カジノ・ロワイヤル」では歩くシーンを巧みに避けている。
こんな人にオススメ:DVDででも「カジノ・ロワイヤル」見た人なら必見!是非映画館で
「カジノ・ロワイヤル」の敵はテロリストの資金を元手に利殖を企てるマネーブローカーだった。テロと投資という21世紀の2大トレンド(?)を結びつけたのも面白かったが、「慰めの報酬」の敵はなんとエコ企業!!もうハギスってばステキ過ぎる。やっぱりなーーんか胡散臭いトコあるよねエコロジーって。しかも、表はエコヅラしておいて、裏では一国の水資源を独占し、そこから上がる利権を欲しいままにするという、それなんてウォーターバロン?な設定。「慰めの報酬」は、実際にボリビアで起こった水戦争を大きく取り上げているため、今回の事件はボンドの復讐心があればこその展開というのは承知の上で、MI6がボリビアのテロや水資源を独占する巨大企業に敵対する道理は本来はない。新生007もピアース・ブロスナンのシリーズ同様、冷戦崩壊以降にイギリスの諜報員が活躍する舞台としては無理矢理しつらえた感じは残るのだが、仮想敵国が無くなった現代において、007シリーズはより巨大な、より見えにくい敵を相手にするという覚悟を固めたのだ・・・と思いたい。そのためにポール・ハギスを担ぎだしたのではなかろうか。
そうはいってもこの映画はエンターテイメントの枠の内にあるものなので、本気で世界に警鐘を鳴らす意図はなく、観客もそこまで求めてないだろう。シリアスな部分を離れてアクション映画として捉えると、冒頭のカーチェイスやMI6の裏切り者を追いかけるシーンなど、アクションの撮り方が総じて見辛くて、「カジノ・ロワイヤル」の観客にストレスを与えないカメラワークと比べるとマイナスなのが残念。007に付き物の世界中を股にかけるストーリーについては、今回は金持ちとビンボーの落差が激しく、そこも世相を反映した意図的なロケーション選択であるように思う。中でもメトロポリタン歌劇場で斬新な舞台装置のオペラを上演するシーンが見られたのは、ちょっと得した気分。
ダニエル・クレイグの無骨さが魅力のボンドもこの2作ですっかり馴染んだし、今回の敵もいわばトカゲの尻尾であり裏にまだまだ現代的な悪党が潜んでいることを考えると(冒頭で捕らえられたミスター・ホワイトが逃亡してそのままだし)、国家を超えた悪のコングロマリットにイギリスのエージェントはどう立ち向かうのか、今後の展開に期待大であります。けれどもお約束のガンバレルで、右側から歩いて来る姿勢が前首気味でちょっと猿みたいと思ってしまったのはダニエルにはナイショだ。
歴代ガンバレル・シーケンスの総集編。さすがに「慰めの報酬」のはありませんが、「カジノ・ロワイヤル」では歩くシーンを巧みに避けている。
こんな人にオススメ:DVDででも「カジノ・ロワイヤル」見た人なら必見!是非映画館で