オーストラリア
オーストラリア人の監督、そしてオーストラリア人のヒーローとヒロインと、オーストラリア人によるオーストラリア人のためのハリウッド映画、その名もズバリ「オーストラリア」。バズ・ラーマン監督は美男美女をこよなく愛する監督なので、「ムーラン・ルージュ」ではニコール・キッドマンを天女のごとく美しく撮り上げた。今回の「オーストラリア」ではキッドマンの続投に加えてヒュー・ジャックマンを極限までセクシーに映しており、主演二人が映画の見所の7割を占めております。あと3割は大自然。
水浴びをするヒュー・ジャックマンにニコール・キッドマンが目を奪われるシーンで、水が滴り落ちて裸の上半身が光り輝くジャックマンとその姿を見つめてしまうキッドマンが数秒ごとに交互に映されるのだが、何とここではニコマンのほうがジャックマンの邪魔になっている。当代一の美女もまるでエロ本のボカシみたいな扱い。さらに舞踏会のシーンでも、「遅刻するのは女の特権」の定石を蹴散らして、シンデレラのようにもったいつけて登場するのはヒュー・ジャックマンのほうである。しかも瞼の二重の部分にアイシャドウまで塗っていたぞ。
バズ・ラーマン監督はもともと直球のロマンスしか撮らない監督で、映画の全ての要素は主演の美男美女のためにある、いわば美形至上主義のヒトであります。二人のキスシーンをより劇的に彩るために都合よくスコールになり、生き別れになりそうな二人が感動の再会を果たすために日本軍は爆撃を仕掛けるのである。この映画の日本軍の扱いが物議をかもしておりますが、バズ・ラーマンにとっては「爆撃の後で巡り会う恋人たちのロマンチックなシーンが撮りたい」程度の重要性しかないんじゃないかと思う。
バズ・ラーマンの単純明快さは結構好きなのだが、壮大なスケールの割にはドラマが案外見応えがないのが不満。これはドラマのテンポが速く溜めが無さ過ぎるせいだと思う。その他にも色々おかしな所はあるものの、このご時世に臆面もなくスターがキラキラ輝く映画を作れる人はあまりいないので、バズ・ラーマンにはこれからもこの路線を突き進んで欲しいと願っています。
こんな人にオススメ:ヒュー・ジャックマンの美丈夫ぶりは一見の価値アリ。
水浴びをするヒュー・ジャックマンにニコール・キッドマンが目を奪われるシーンで、水が滴り落ちて裸の上半身が光り輝くジャックマンとその姿を見つめてしまうキッドマンが数秒ごとに交互に映されるのだが、何とここではニコマンのほうがジャックマンの邪魔になっている。当代一の美女もまるでエロ本のボカシみたいな扱い。さらに舞踏会のシーンでも、「遅刻するのは女の特権」の定石を蹴散らして、シンデレラのようにもったいつけて登場するのはヒュー・ジャックマンのほうである。しかも瞼の二重の部分にアイシャドウまで塗っていたぞ。
バズ・ラーマン監督はもともと直球のロマンスしか撮らない監督で、映画の全ての要素は主演の美男美女のためにある、いわば美形至上主義のヒトであります。二人のキスシーンをより劇的に彩るために都合よくスコールになり、生き別れになりそうな二人が感動の再会を果たすために日本軍は爆撃を仕掛けるのである。この映画の日本軍の扱いが物議をかもしておりますが、バズ・ラーマンにとっては「爆撃の後で巡り会う恋人たちのロマンチックなシーンが撮りたい」程度の重要性しかないんじゃないかと思う。
バズ・ラーマンの単純明快さは結構好きなのだが、壮大なスケールの割にはドラマが案外見応えがないのが不満。これはドラマのテンポが速く溜めが無さ過ぎるせいだと思う。その他にも色々おかしな所はあるものの、このご時世に臆面もなくスターがキラキラ輝く映画を作れる人はあまりいないので、バズ・ラーマンにはこれからもこの路線を突き進んで欲しいと願っています。
こんな人にオススメ:ヒュー・ジャックマンの美丈夫ぶりは一見の価値アリ。
パッセンジャーズ
この映画は、古今東西オバQを演じられるのはこのヒトしかいない!でおなじみのアン・ハサウェイ主演のヒューマンドラマです。宣伝では何やらどんでん返しが醍醐味のサスペンスみたいに言ってますが、騙されてはいけません。
確かに冒頭から映画は仄かな謎をはらみながら進んでいきます。要所要所で不審な人物が出たり、あからさまに怪しいデヴィット・モースが登場したりするのだが、観ていて一番怪しいのはアン・ハサウェイその人である。彼女は実際にカウンセリングを行うのは初めてだというエクスキューズはあるものの、本人の精神状態がかなり不安定な上に、あんなに通り一遍でやる気の無いカウンセリングはないだろう。かように映画は「信頼できない語り手」のミステリーの体裁になっているので、余計に謎解きへの期待がかかってしまうのではないかと思う。
けれどもロドリゴ監督は余りサスペンスで映画を引っ張る気がないようで、映画の中盤あたりでオチは読めました。展開があっけない上に、この映画の謎解きは今となっては割とありふれたものなので、それをもって「パッセンジャーズ」をつまらない映画だと判断する人もいるだろうと思う。けれども肝心な点は、独創的な映画かどうかだけではなく、そこにどれだけ新しい視点を観客にもたらしたかだと思う。以下ネタバレ全開です。
ロドリゴ・ガルシア監督の真骨頂は、アン・ハサウェイが自分が死んだのだと悟った後に訪れる圧倒的な安堵感の描写にこそある。この映画のクライマックスには、自分の幸せだった頃を思い出し、そして幸せだった自分を見守ってくれていた人々を思い出すにつれ、生前に身に纏っていた重い殻が剥がれて消え去って行くような、不思議なカタルシスがありました。
こういう世界が待っているならば、ちょっと死ぬのが待ち遠しいとすら思えてくる。そしていつか、自分の娘たちか、もしかして孫か、自分の後に続くべき人たちを暖かく迎えてやれたら、それはとても満ち足りた人生だと思う。どうもこのところ、死ぬ事に対してあまりにも蓋をしすぎる傾向があるような気がしているので、この映画が描く死後の世界が非常に新鮮に映ったのでありました。
こんな人にオススメ:死後の世界に思いを馳せたことがあるならば、この映画を味わえるのではないかと。
確かに冒頭から映画は仄かな謎をはらみながら進んでいきます。要所要所で不審な人物が出たり、あからさまに怪しいデヴィット・モースが登場したりするのだが、観ていて一番怪しいのはアン・ハサウェイその人である。彼女は実際にカウンセリングを行うのは初めてだというエクスキューズはあるものの、本人の精神状態がかなり不安定な上に、あんなに通り一遍でやる気の無いカウンセリングはないだろう。かように映画は「信頼できない語り手」のミステリーの体裁になっているので、余計に謎解きへの期待がかかってしまうのではないかと思う。
けれどもロドリゴ監督は余りサスペンスで映画を引っ張る気がないようで、映画の中盤あたりでオチは読めました。展開があっけない上に、この映画の謎解きは今となっては割とありふれたものなので、それをもって「パッセンジャーズ」をつまらない映画だと判断する人もいるだろうと思う。けれども肝心な点は、独創的な映画かどうかだけではなく、そこにどれだけ新しい視点を観客にもたらしたかだと思う。以下ネタバレ全開です。
ロドリゴ・ガルシア監督の真骨頂は、アン・ハサウェイが自分が死んだのだと悟った後に訪れる圧倒的な安堵感の描写にこそある。この映画のクライマックスには、自分の幸せだった頃を思い出し、そして幸せだった自分を見守ってくれていた人々を思い出すにつれ、生前に身に纏っていた重い殻が剥がれて消え去って行くような、不思議なカタルシスがありました。
こういう世界が待っているならば、ちょっと死ぬのが待ち遠しいとすら思えてくる。そしていつか、自分の娘たちか、もしかして孫か、自分の後に続くべき人たちを暖かく迎えてやれたら、それはとても満ち足りた人生だと思う。どうもこのところ、死ぬ事に対してあまりにも蓋をしすぎる傾向があるような気がしているので、この映画が描く死後の世界が非常に新鮮に映ったのでありました。
こんな人にオススメ:死後の世界に思いを馳せたことがあるならば、この映画を味わえるのではないかと。
ヤッターマン
個人的にはドラゴンボールよりも余程思い入れが深い「ヤッターマン」ですが、映画では現在放映されているリメイクよりも30年前のオリジナルに近い構成であることに加えて(ドクロリングではなくドクロストーンとか)、中盤から展開される映画独自の要素が上手い具合にテレビの毎週同じパターンの繰り返しとの差別化になっていて、非常に楽しめる映画になっていました。
深田恭子のムチムチのボディがドロンジョ様のボンデージ・ファッションにピッタリで、相変わらず下手クソな演技なのに映画の中で一番目立っている。主要キャストの中で一番人気があり、そして映画では一番原作からかけ離れているのに、これが違和感ではなくドロンジョの新しい魅力と思わせてしまう。なんというのか、この人は独特の「深田恭子フィールド」みたいなのを時々発生しては場を攫ってしまう珍しいタイプの女優さんであります。監督もその辺り心得たもので、ドロンジョの初登場時に深田恭子のアップで顔から胸元にカメラじっくりとパンしていき、そしてさらに・・・と思ったら、胸元過ぎたら全身のショットに切り替えやがった。コラ!そこはつま先までじっくり見せてくださいお願いします。
いずれにせよ、子供の頃の自分がヤッターマン2号の変身シーンに心ときめかせたように、パパママと映画を見に来た純真な小学生男子たちが深田恭子によって「マイ・ファースト・エロ」に遭遇したに違いない。基本的にはファミリー映画なのだけれど、その他にも親が怯むようなエロを匂わすシーンがあって、そこは流石の三池崇史監督。映画の中盤でヤッターワンが暴走してしまうくだりは意図的にファミリー映画で許されるエロを超える意図があったんじゃないかと思う。アリにたかられて身悶えするグラマーを目の当たりにして興奮する犬・・・。全部CGによる映像ではあるものの異様にクレイジーな雰囲気もあって、こうやって改めて思い出すと生々し過ぎるシーンでありました。
オリジナルの放映が1977年のことで、当時小学1年でヤッターマンを毎週楽しみに見ていた自分も順等に四十路を迎える頃になり、今では小2の娘が新しいヤッターマンを楽しみに見ている。昔自分が夢中になっていたものを娘が熱中している姿を見るのは、なかなかに感慨深いものがあり、娘と出かけて親子で映画を楽しめるというのは、とても幸せな体験でした。
「堂本兄弟」で披露されたドロンボーダンス。深田恭子の身の入ってなさに目が離せない。
こんな人にオススメ:オリジナルのヤッターマンを見ていた世代なら楽しめること請け合い。子供をダシにして劇場へゴー
深田恭子のムチムチのボディがドロンジョ様のボンデージ・ファッションにピッタリで、相変わらず下手クソな演技なのに映画の中で一番目立っている。主要キャストの中で一番人気があり、そして映画では一番原作からかけ離れているのに、これが違和感ではなくドロンジョの新しい魅力と思わせてしまう。なんというのか、この人は独特の「深田恭子フィールド」みたいなのを時々発生しては場を攫ってしまう珍しいタイプの女優さんであります。監督もその辺り心得たもので、ドロンジョの初登場時に深田恭子のアップで顔から胸元にカメラじっくりとパンしていき、そしてさらに・・・と思ったら、胸元過ぎたら全身のショットに切り替えやがった。コラ!そこはつま先までじっくり見せてくださいお願いします。
いずれにせよ、子供の頃の自分がヤッターマン2号の変身シーンに心ときめかせたように、パパママと映画を見に来た純真な小学生男子たちが深田恭子によって「マイ・ファースト・エロ」に遭遇したに違いない。基本的にはファミリー映画なのだけれど、その他にも親が怯むようなエロを匂わすシーンがあって、そこは流石の三池崇史監督。映画の中盤でヤッターワンが暴走してしまうくだりは意図的にファミリー映画で許されるエロを超える意図があったんじゃないかと思う。アリにたかられて身悶えするグラマーを目の当たりにして興奮する犬・・・。全部CGによる映像ではあるものの異様にクレイジーな雰囲気もあって、こうやって改めて思い出すと生々し過ぎるシーンでありました。
オリジナルの放映が1977年のことで、当時小学1年でヤッターマンを毎週楽しみに見ていた自分も順等に四十路を迎える頃になり、今では小2の娘が新しいヤッターマンを楽しみに見ている。昔自分が夢中になっていたものを娘が熱中している姿を見るのは、なかなかに感慨深いものがあり、娘と出かけて親子で映画を楽しめるというのは、とても幸せな体験でした。
「堂本兄弟」で披露されたドロンボーダンス。深田恭子の身の入ってなさに目が離せない。
こんな人にオススメ:オリジナルのヤッターマンを見ていた世代なら楽しめること請け合い。子供をダシにして劇場へゴー
罪とか罰とか
劇団ナイロン100℃を主宰するケラリーノ・サンドロヴィッチ監督の不条理コメディムービーです。コメディー映画であるから、映画を見て笑えた人には良い映画、笑えなかったら良くない映画、どれだけ多くの人の笑いのツボを突けるかが映画を評価するポイントになります。ということで、個人的に「罪とか罰とか」は3割くらい良い映画でした。
「罪とか罰とか」のギャグのタイプは基本的に演劇的で、舞台の限定された空間で役者同士の濃密な掛け合いが面白さを増幅するような、映画のシーンを見ながら舞台で上演する様子が容易く想像できるような作り方です。おそらくこういう演出だと、それに相応しいスタイルの演技が必要なのだろうと思う。映画の中で目立っていたのは奥菜恵と犬山イヌコの女優陣。特に、奥菜恵はここまで振り切れた役はこれまで(おそらく)なかったから、観るほうも余計にインパクトがありました。今回の奥菜恵は、なんとなく離婚や芸能界引退などのケチに対しての厄落としをしているような感じがする。
ヒロインの成海璃子は、そういう意味ではまだまだコメディの主役を張れる器ではないのだろう。普段は引っ込み思案な性格でも頭に血が上るととんでもない行動に出るグラビアアイドルの役所で、本来はかなり演技の緩急の度合いの激しい役なのではないかと思う。 彼女は役柄では23、4歳あたりの設定だけど、実際には何とまだ芳紀16歳。年齢を考えれば十分がんばっているのか。以前はものすごい美少女のイメージがありましたが、この映画ではかなりふっくらして年頃の娘さんらしい朗らかさが魅力的です。ただ時々アングル的にオッサン然と映っているシーンもあり、リアルオヤジとしてはちょっとハラハラ。
映画の冒頭、段田安則がトラックに轢かれた時に流れる二筋の血と卵の演出が、後半の二筋のオシッコが流れるシーンにつながって、そしてその後で(以下ネタバレ→)奥菜恵が感電する原因になるオイル漏れ(←ネタバレ終わり)につながっている・・・感じが全然しない。特に最後の奴なんて、唐突にそれが流れ出すので、どうせまたオシッコなんだろうと思って観ていたのだ。結局そんな伏線なんて考えずに、その場その場のギャグに素直に笑うのがこの映画の見方なのではないかと思います。
こんな人にオススメ:映画よりも演劇的な笑いに慣れた人
「罪とか罰とか」のギャグのタイプは基本的に演劇的で、舞台の限定された空間で役者同士の濃密な掛け合いが面白さを増幅するような、映画のシーンを見ながら舞台で上演する様子が容易く想像できるような作り方です。おそらくこういう演出だと、それに相応しいスタイルの演技が必要なのだろうと思う。映画の中で目立っていたのは奥菜恵と犬山イヌコの女優陣。特に、奥菜恵はここまで振り切れた役はこれまで(おそらく)なかったから、観るほうも余計にインパクトがありました。今回の奥菜恵は、なんとなく離婚や芸能界引退などのケチに対しての厄落としをしているような感じがする。
ヒロインの成海璃子は、そういう意味ではまだまだコメディの主役を張れる器ではないのだろう。普段は引っ込み思案な性格でも頭に血が上るととんでもない行動に出るグラビアアイドルの役所で、本来はかなり演技の緩急の度合いの激しい役なのではないかと思う。 彼女は役柄では23、4歳あたりの設定だけど、実際には何とまだ芳紀16歳。年齢を考えれば十分がんばっているのか。以前はものすごい美少女のイメージがありましたが、この映画ではかなりふっくらして年頃の娘さんらしい朗らかさが魅力的です。ただ時々アングル的にオッサン然と映っているシーンもあり、リアルオヤジとしてはちょっとハラハラ。
映画の冒頭、段田安則がトラックに轢かれた時に流れる二筋の血と卵の演出が、後半の二筋のオシッコが流れるシーンにつながって、そしてその後で(以下ネタバレ→)奥菜恵が感電する原因になるオイル漏れ(←ネタバレ終わり)につながっている・・・感じが全然しない。特に最後の奴なんて、唐突にそれが流れ出すので、どうせまたオシッコなんだろうと思って観ていたのだ。結局そんな伏線なんて考えずに、その場その場のギャグに素直に笑うのがこの映画の見方なのではないかと思います。
こんな人にオススメ:映画よりも演劇的な笑いに慣れた人
ストリートファイター/ザ・レジェンド・オブ・チュンリー
ストリートファイターの生誕20周年ということで、ゲームではひさびさに「ストリートファイターIV」が、映画では元祖萌えキャラとも言えるチュンリーを主役にした「レジェンド・オブ・チュンリー」が製作されました。
そもそも「ストリートファイター」のキャラ設定はかなり偏見に満ちており、「インドだからヨガ」だの「ブラジルだからアマゾンの怪物」だのと、まさか世界中で売れるなんて考えてなかったからこそ許された、かなりブッ飛んだものである。ジャン=クロード・ヴァン・ダム主演の「ストリートファイター」はそのブッ飛んだ設定を極力引き継ごうとした挙げ句、出来上がりのあまりのバカさ加減に散々な評判でした。が、自分はそのバカバカしさ故に結構楽しく見ていた記憶がある。
それを踏まえると今回の映画は至極マトモで、チュンリーからしてゲームの特徴をあまり引きずっていない。パフスリーブで深いスリットのチャイナドレスは鉄板だと思ったのに全く出ない。映画の冒頭から伏線があって期待しまくったスピニング・バード・キックも、あんなザコ相手に出しますか?と拍子抜けしたほど。アクションシーンの出来は悪くないし、何よりチュンリーを演じるクリスティン・クルックの東洋と西洋の折衷的な魅力で飽きずに楽しめたのだけれど、「ストリートファイター」の映画化としてはこれで良かったのだろうか?という不満も残りました。キャラ立ちの良さは紛れも無くゲーム版の魅力なので、それを愚直に再現しようとしたヴァンダム版のほうが、まだしも好ましく思えてしまう(思い出補正も含んでますが)。
もう一つの不満は、これがハリウッド映画だということ。昔こそ「ハリウッド様に映画にしていただいた」などと喜べたが、このご時世では単純に喜んでもいられません。もともとアクションゲームとハリウッドの派手好みは相性がいいのかもしれませんが、日本製のゲームならば日本で映画化してもいいんじゃないかと思う。けれども日本で映画化されたのは「弟切草」や「ひぐらしの鳴く頃に」などのホラーがメイン。これも相性の問題なのかもしれないけど、ガイル少佐、チュンリーとくれば、今度こそリュウが主役の映画を日本でやらねばどこがやる?と強く思う次第であります。
という訳で、気楽な外野が気楽に続編のキャストを考えるの巻。
ベガ → 嶋田久作
さくら → 北乃きい
チュンリー → 森下悠里
リュウ → 長瀬智也
監督は井口昇でお願いいたします。
こんな人にオススメ:第三弾こそ日本で、と待ち望む人はお布施のつもりで。
そもそも「ストリートファイター」のキャラ設定はかなり偏見に満ちており、「インドだからヨガ」だの「ブラジルだからアマゾンの怪物」だのと、まさか世界中で売れるなんて考えてなかったからこそ許された、かなりブッ飛んだものである。ジャン=クロード・ヴァン・ダム主演の「ストリートファイター」はそのブッ飛んだ設定を極力引き継ごうとした挙げ句、出来上がりのあまりのバカさ加減に散々な評判でした。が、自分はそのバカバカしさ故に結構楽しく見ていた記憶がある。
それを踏まえると今回の映画は至極マトモで、チュンリーからしてゲームの特徴をあまり引きずっていない。パフスリーブで深いスリットのチャイナドレスは鉄板だと思ったのに全く出ない。映画の冒頭から伏線があって期待しまくったスピニング・バード・キックも、あんなザコ相手に出しますか?と拍子抜けしたほど。アクションシーンの出来は悪くないし、何よりチュンリーを演じるクリスティン・クルックの東洋と西洋の折衷的な魅力で飽きずに楽しめたのだけれど、「ストリートファイター」の映画化としてはこれで良かったのだろうか?という不満も残りました。キャラ立ちの良さは紛れも無くゲーム版の魅力なので、それを愚直に再現しようとしたヴァンダム版のほうが、まだしも好ましく思えてしまう(思い出補正も含んでますが)。
もう一つの不満は、これがハリウッド映画だということ。昔こそ「ハリウッド様に映画にしていただいた」などと喜べたが、このご時世では単純に喜んでもいられません。もともとアクションゲームとハリウッドの派手好みは相性がいいのかもしれませんが、日本製のゲームならば日本で映画化してもいいんじゃないかと思う。けれども日本で映画化されたのは「弟切草」や「ひぐらしの鳴く頃に」などのホラーがメイン。これも相性の問題なのかもしれないけど、ガイル少佐、チュンリーとくれば、今度こそリュウが主役の映画を日本でやらねばどこがやる?と強く思う次第であります。
という訳で、気楽な外野が気楽に続編のキャストを考えるの巻。
ベガ → 嶋田久作
さくら → 北乃きい
チュンリー → 森下悠里
リュウ → 長瀬智也
監督は井口昇でお願いいたします。
こんな人にオススメ:第三弾こそ日本で、と待ち望む人はお布施のつもりで。