日本では形骸化したコロナ対策が残り続ける不思議
こんにちは!生チョコぽん酢です。
今日で東日本大震災から13年ですね。
早いような遅いような、そんな変な気分です。
今もなお3万人近くが避難生活をしているし、まだ傷跡が残る中で今年の初めには新たな震災が起こるしで、
なんだかあと50年もしたら日本中が被災地だらけになっていそうですね。
私は新たな大震災が怖いのである物を買いました、近々シェアすると思います。
そういえばつい先日、京都大学名誉教授の福島先生の論考が一般メディアで報じられました。
一時的ですが、YAHOOアクセスランキングも1位になっていたほどですから、大勢にこの論考が届いたことが分かります。
きちんと権威のある人の発信ですから、先入観無くスッと内容が入る方も多かったのではないでしょうか。
内容はかなり控えめですし、これで風向きが変わるかどうかはわかりません。
それにケビン先生の言われるように、コロナワクチンによって本当に日本人が全滅する恐れがあるのかは私には分かりませんが、
少なくとも健康上に多大なリスクを与えているのは間違いないのだと思います。
だから良い意味での変化を期待してしまう自分がいるわけですが・・・
一方で日本人はとことん変化を嫌いますよね(無自覚も含む)。
これは最初の変化もそうですが、元に戻る変化も同様です。
今日も3つの病院に出入りしてきましたが、どこも相変わらずコロナ対策コロナ対策。
コロナ対策という変化はほぼ強制的だったから仕方がないのかもしれませんが、一向に終わる気配がありません。
中でも笑っちゃったのが、大怪我をした学生さんの転院搬送時に、その途中で同級生達と面会する予定を組んでいたら、
コロナに感染するリスクがあるからと、ことごとく双方の病院から難色を示されてしまい実現しませんでした。
あまり詳しく書けないのが歯がゆいのですが、何と言いましょうか・・・
いくら患者さんに気を付けさせたところで、その患者さんをケアしている看護師、介護士、医師。
病院に勤務している事務やその他沢山の人々。
病院に出入りしている私の様な外部の業者やその家族たち。
皆が皆、同じような努力をしなければ意味がありません。
でも、そんなことしていませんよね?
少なくとも私はしていません(仕事柄日々コロナ患者さんに出くわしますし)。
それに若い看護師さん達の事ですよ。。
お休みの日はディズニーランドに行ってキャッキャはしゃいだり、たくさんの濃厚接触を楽しまれている事でしょう。
いいのですよそれは健全です。
でも患者さんには「同級生には会ったら駄目です」とか、「赤ちゃんと会っていけません」とか、平気でまだやっています。
もちろん悪気はないのだと思いますが、自分が出来ていない事を患者さんだけに強要するシステムだけが残っちゃってるのですよね。
これは完全に形骸化した悪習なのですが、仕組みとして組み込まれているものだから、誰も何も疑問に思わないわけですよ。
コロナ禍が終息したと豪語するメディアも存在するわけですが、俯瞰してみますとコロナ禍から始まった変化が至る所に残っていて、元に戻る力が働いているようには思えません。
このような視点で見てしまうと恐らく日本では、今後コロナワクチンに対してどのようなことが明らかになったとしても、
・ワクチンを打ち続けるのではないか
・コロナ禍は本質的に終わることがないのではないか
と思ってしまいます。
何とも愚かしいお話ですよね。
そして現実になりそうで怖いです。
おわり