こんにちは!生チョコぽん酢です。
休み明けの月曜日、今日は朝から大忙しです。
搬送依頼はキャンセル分含めると9件あり、内1件がコロナ対応でした。
少しひと段落したところなので記事を書いています。
そんな中、午前中に2件のショッキングなことがありました。
1件は着信です。
数年前まで担当していた患者さんのご家族さんからだったのですが、私は「あれ?」って思いました。
なぜならもうこの患者さんはお亡くなりになっているからです。
電話に出てみると息子さんからで、今後は奥さんが体調を崩され介護度4レベルまで落ちているとのこと。
私は元気な頃しか知りませんから、想像もできません。
コロナになり入院していて、退院時にまた私にお願いしたいということだったので、快く承諾したのですが。
なんだか最近はこういう話がちらほら耳に入ります。
どういう話かというと、元気だった人が急激に悪くなる、という内容です。
原因は癌(いわゆるターボ癌)だったり、認知症だったり、原因不明だったり、色々ですが。
こうやって再び縁を持てたのは(連絡してくださったのは)嬉しい面も一部ありますが、でもやはりいつまでも元気でいて欲しかった。
私と関わるということ、それはつまり死が近いということなのですから。
患者さんが亡くなれば、私との縁も切れます。
でもその後でまた縁が出来ることもまた事実。
本当に考えさせられます。
次の件は今朝の搬送での出来事でした。
この患者さんもいわゆるターボ癌。
元気そのものだったのが、去年の秋ごろ?だったかに癌が見つかり、しかも通常では考えられないような進行度合いだったそうです。
全身に数十か所転移していて既に手遅れだったのだとか。
そうは言っても、万が一の時の為、または体調が急変した時の為に備えて、民間救急を利用しているだけで、ほぼ自立した生活と、自立歩行が出来ていた方なのですね。
癌の治療があまりに高額だった為、抗ガン治療の為に生活保護になった方でもあります。
確か以前にも記事にしたことがあった気がしますが、本当に気立ての良いおしゃれで奇麗なおばさんです。
まだそんな若いのに・・・
でも若さって凄まじい力。
既にいつ死んでもおかしくない終末期の方ではありますが、1年も安定して生活してこれた方なので、どこかで私もこのままゆっくり安楽に過ごして欲しいなという気持ちがありました。
ですが今日お会いしてみると。
もう2週間前の見る影もないというか。
ストレッチャーレベルに落ちていたのです。
会話は出来ますが、もう支離滅裂で判断能力が急降下していました。
これでは自立は無理でしょうから、担当のケアマネージャーさんも頭を抱えていらっしゃることでしょう。
もうね、何もかもが急激過ぎて。
コロナ禍(というかワクチン禍)に入ってから、この急激な展開をよく目にするようになりました。
全部が全部ワクチンのせいにするのは強引ですが、ワクチンによる害がゼロだとする見方も強引なのです。
極端な思考は真実を見誤ると私は思います。
当初は気が狂いそうになっていまして、行政に報告に行ったり、周りの人に話したり、何をしていいのか分からないけど何かしなければっていう焦燥感に駆られる日々を思い出します。
でも流石にもう1年以上経ちますし、ブログで発信し始めたこともあり、ほぼ平常心です。
慣れました。
慣れているけれど、ふと冷静になると「普通におかしいだろ」と突っ込みを入れたくなる。
一方で休みの日、釣りに出かけたり家でゲームしていると、全てが気のせいだったような感覚になり、そしてまた現実に引き戻される。
慣れたといえど、やはりこのギャップは不快でしかありません。
何故こんな社会になってしまったのか?
今になって考えると、ちょっとまた新しい見方を見つけたので書いてみようと思います。
前回までは保険の問題点について色々書いてきました。
書きながら昔のことを思い出してみるとハッとすることがあったのですね。
結構前に大きな事故を貰い1ヶ月車の修理の為に休業した際の、休業損害(休車損害)について、弁護士介入をしていた時のお話からさせてもらいます。
私がつけた弁護士は自動車事故に特化した弁護士事務所だったわけですが、相手の保険会社がつけた弁護士は港区の超高層ビルに入っている、ちょ~~一流の弁護士事務所でした。
担当の弁護士から挨拶の電話が来たのですが、立派な肩書と経歴に胃が痛くなったのを覚えています。
この件が解決するまでの1年間で、弁護士同士が書面でやり取りをするのですが、その一部を見せてもらったことがあるのですね。
胃が痛いのは消えて、脱力したのを思い出します。
何故かって?
相手の弁護士からこんな文章が来たからです。
「修理中に台車を用意する努力を怠った事業主に過失がある」と。
もうね、本当に。
これ、いわゆる一般論ですね?
確かに言わんとしていることは分かりますよ、一般論は分かっているのです。
でも実際には、そんなことできません。
第一に設備が足りません。
特殊な設備がなければ仕事になりませんから、台車なんかで営業できないのです。
特殊な設備を備えた台車があったならどうなのか?
それも無理なのです。
だって我々は緑ナンバーですよ。
白ナンバーの台車で仮営業していたら白タクで行政指導受けますから。
営業停止食らいますよ。
じゃ台車を緑ナンバーにすればいいかって?
名義を変えなければいけないし、車検も取りなおさなければいけないし、その上で陸運局に申請しなければいけません。
3ヶ月はかかる作業です。
無理なんですよ。
これ、ちょ~一流の弁護士事務所のちょ~一流の弁護士先生が、一生懸命知恵を絞って出した言葉なんですね。
もうね、世間知らずの一言です。
いくらこの相手方の弁護士先生のような天才だって、知らないことは知らない。
知らないことは想像することもできなければ、的を得たことを語ることもできません。
私のいう世間知らずというのは、こういう見方なんですよ。
そりゃ知らなくて当然なんですよ?
知るまで知らないのは当然なのですから。
そうではなく、何故知らないことをさも知っていることのように語るのか、ということなのです。
調べてから語ればいいのに。
最初からこんなくだらない指摘をする前段階で、知り合いの詳しい人に聞くとか、前もって制度(仕組み)を調べるとか、なんなら私に聞くとか、した上で考えればいいじゃないですか。
こんなくだらないやり取りのせいでどんどん時間ばかりが流れていきました。
これ・・・
どこかコロナ禍と似ていませんかね?
ワクチン接種を煽りに煽った先生方の肩書は本物でしょう。
実績だって凄い人ばかりで、やはり私のような凡人から見たら天才なのは間違いありません。
でも天才だからといって、知らないことを語ることは出来ません。
天才なのだからその才能を活かして、きちんと調べてから語れば良かったものの、自信の意味をはき違え驕った天才は、凡人よりも愚かな行動をすることだってあり得る(関連記事:勉強の本質)。
凡人でもきちんと調べることさえできれば、天才よりも利口になれることだってあり得る。
世の中にはIndeepの岡さんみたいに、素人でも調べることに火がついて玄人の天才が舌を巻くほどの才覚を表している人だっているし、元々天才肌の医師でさえ驕らずひた向きな人だっているのです。
凡人も天才も、ケースバイケースなのでしょう。
天才や肩書だけを信用し続けてしまった国民側にも当然責任があるわけで、私はこのワクチン禍の責任問題については消極的だったりします。
でもとにかく終わらせなければいけないし、健康問題についても、もっと国を挙げてフォーカスしていかなければいけない。
責任なんて今はどうでもいいから、どうかもっと、知る努力をして欲しいと思う今日この頃なのです。
おわり
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