さてさて、先週土曜日の出来事です。
初めて自発的な興味をもって落語を聞きに行ってまいりました~!
ようやく自分の休みと合う上方落語の公演がありましてね。
 
何度かブログでも話題にしているけれど、上方落語に興味を持って半年くらい経ちます。
東京にいると、関西が活動の拠点の上方の噺家さんの公演を見られる機会は少ないです。
その上、たまに関東方面での公演があっても、たいがい日曜日なんですなぁ。
あたしゃ日曜は仕事だっつーーーの(´・_・`)
 
今のところ私はネット動画やDVDを見て楽しんでいるのですが、きちんと生で見ない限りは始まりませんわね。
 
場所は横浜にぎわい座。
ちょっとした遠征ではありますが。

 
そしてこの日の公演は「上方落語会」
ようやく生で聞けるぞ。
出演は、桂福團治、笑福亭生喬、桂文之助、桂吉坊、桂治門(敬称略)。
館内では歌丸師匠がお出迎えです。
 
この日のお題は下の写真の通り。
どのお話もとても楽しかったです。
 
座席数391席と大きくはなくてとっても見やすい。
そして噺家さんのしゃべる声も鳴物もとっても音がよくて聞きやすかったです。
素晴らしい会場でしたよ。
 
とにかく楽しめたわけですが、落語会に慣れてないせいか、驚いたことが。
なんだかもの凄く、よく通る声で大笑いする男女数人あり。
もちろん非常に笑える場面なのですがね。
これは「ちゃんと楽しめてますよ」っていう、自発的なアピールなのかな。
それともサクラなのかなぁ。
 
ま。それはともかく。
桂吉坊さんの枕のマシンガントークに圧倒され、桂文之助さん演じる登場人物の可愛さにニマニマし、桂福団治さんの「蜆売り」には泣きそうになりながら聞き入ってました。
 
また行くぞ。
あの人も見たい、この人も見たい。
あの話も聞きたいし、この話も聞きたいしー。
 
また3月に見に行きますぞっ。
 
レビュー的なものではなくただのメモのようなもの。

田楽喰い 桂治門
どこかで聞いたことがあると思ったら、昨日笑点の録画で小遊佐さんのを聞いたばかりなのでした。東京では「ん廻し」というのですね。ハキハキとした陽気なおしゃべりで楽しく聞けました。

初音の鼓 桂吉坊
表情クルクル。テンポ良し。洒落の分かる楽しいお殿様。吉坊さんのおしゃべりは言葉のマシンガン。初めてなんでそんなとこに圧倒されちゃった。

星野屋 桂文之助
昨年度の一番優秀な咄家さん、ということでしょう。
今回、最も生で聞けて嬉しい大好きな咄家さんです。
この方の演じる登場人物はみーーんな愛らしい。幸せな世界が広がっているようです。

怪談 猫魔寺 笑福亭生喬
死んだ老婆が次から次と塀を越えてやって来る恐怖と笑い❕今のどなたかだったか、お祖父様が作った創作落語の書き残したものが死後に見つかり、小佐田定雄先生が仕上げ直した作品だそうで。

蜆売り 桂福團治
着座されるとまず座布団を前のマイクの近くにずり寄せました。前屈みに顔を少しマイクに近付けるようにしてお声も小さめ。もう高齢で疲れますって、体重預けてトンと床に突いたお扇子は「杖代わり」ですと。
子供が健気で旦那が優しくて。でも旦那が良かれと思ってやったことが、知らず知らず子供を不幸のどん底に落としていたわけで。聞いてる私は泣きそうなのをこらえてこらえて、最後まで。十日戎。寒い寒い雪のちらつく夜に凍えながら蜆を売り歩く子供。火鉢に温まる家人達。最後までしっとりと冬の風情に心温まるお話でした。

おかみさんから昔言われたこと。
「下浚いでも、きちんと正絹の着物を着るのが礼儀です。」
 
でもね。
汗をかいたら着る度に生洗いに出さなきゃ…とか考えると、できればポリエステルの着物で済ませたいと思っちゃうんですよね。
 
そんなわけで、先日の踊りの講習会二日目。
私にとっては大きな決断で久々に正絹の着物を着たことに大満足していた私。
講習に遅れてやってきた先生に聞いてほしくて報告。
子供じみてるとは百も承知だが意気揚々と
 
「先生、今回はちゃんと正絹の着物を来てきたよ。」
先生、一言
「うん。えらいっっグー」
 
わーいわーい、褒めてもらった o(^o^)o
 
そして本日のお稽古にて。
先日、講習会の帰宅後に、着物を脱ぐ前にせっかくだからと撮っておいた写真(当ブログでもアップしたものと帯の後ろ姿)をおかみさんに見せました。
 
「あら。ちゃんと着られるようになったねぇ…(しみじみ)」
 
わーいわーい、褒めてもらった o(^o^)o
 
幾つになっても褒めてもらえると嬉しいものです。
 
着物を着るとき、踊りを始めて10年くらいは必ずお稽古場に寄って、先生かおかみさんに着せてもらっていました。もちろん踊りのお稽古でもお稽古用の袋帯や名古屋帯を着付けの練習として意識的に締めていた時期もありました。でもきちんとした場に出かける時は、着せてもらっていたんですね。当時、年2回、真面目に参加していた講習会は、行く前にお稽古場に着物を持って行き、そこで着せてもらって先生と一緒に会場へ行くのが習慣でした。
 
それがいつの頃か、自宅で頑張って着るようになりました。
初めて自分で着て行った講習会の事はやけに印象深く記憶に残っていまして。
後日おかみさんが
「そういえば今回はうちに寄らなかったから、着物はどうしたのかしら、って先生に聞いたら、『なんだか自分で着て来たみたいだよ』って言ってたから驚いたのよ」と感心されたのが思い出深いのです。20代後半でしたかな、私。
 
衣装としての着物の着方は師匠が見てくれますが、楽屋や外出するための着物はおかみさんが私の先生です。
「踵が隠れるくらいに着なきゃ。それじゃつんつるてんだよ。」
「あんたまだ年寄りじゃないんだから、帯はもう少し胸高に締めないと。」
「前褄は、もっとキュッと上げなさい。」
「いくら若くても襟を窮屈に絞め過ぎ。もうちょっとゆったりさせると首が長く見えてスッキリするよ。」
その他にも半衿の付け方、半襦袢の裄が合わない時の肩上げ、逆に裄を出す縫い方とか、数え切れないくらいの教え。全て血肉となっております。
 
そんな20年間の記憶の籠った
「あら。ちゃんと着られるようになったねぇ…(しみじみ)」
なんですな。
 
なんだかおかみさんにそう言ってもらえると、しみじみ嬉しいのです。
 
そうそう、ポリエステル着物と正絹着物での踊り心地の違いに衝撃を受けた今回、おかみさん曰く
「洗える着物で楽々踊れるのは若い証拠。私くらいの歳になると、疲れて踊れない。」のだそうで、何となくそれが理解できるのであります。
「あんたもそんな歳になったんだねぇ」って。
 
ほんと、そういうふうに言ってもらえるってありがたい。
うん。ありがたい。
 
最後にコソッと。写真では前褄があまり上がっていないことだけ注意されました。
着た時はちゃんと上がってたんですけどね、踊っている時の立ち座りの際何回か前褄を踏ん付けちゃって、下がってしまったんだよん。
 
先日、2日間にわたり日本舞踊の流派の講習会に(久々に…)行って参りました。
1日目は仕事がありまして、午前中で仕事を終え事務所で着替え、いざ会場へ。
そんなドタバタした状況でしたので、着物はいつものお稽古着のポリエステルの洗える着物を着ました。
 
私は近年不真面目でして、講習会に参加するのは久々だったのですが…。
流石、踊りの名取さんの集まる講習会です。皆さんとてもふんわりと素敵な着物を着こなしているわけです。髪の毛もしっかり結ってですねぇ。
 
仕方のない状況とはいえ、大急ぎで髪の毛も適当に結んでポリエステルの着物で会場に来た自分がちょいと恥ずかしくなりました。
(いや、元気な踊りが信条のあたくしは洗えるポリ着物が最重要アイテムなのですが。)
 
というわけで、二日目は久々に登場、大好きな正絹の小紋音符
 
なかなか出番が無かったんですね、この子。
自分で呉服屋さんに行って作ってもらった2着目の思い出深い着物でもあります。
 
ひっさしぶりに正絹で踊ってびっくり。
なんだ、この体へのフィット感。
なんだこの踊りやすさ。
懐手をした時に、スポンと袖に腕が収納された驚き。
 
柄は御所の風景やら季節の植物が散りばめられたもの。
 
帯は大分昔になりますが、お稽古場に出入りされている呉服屋さんから、おかみさんが私が好きそうだという事、今後重宝しそうだということでキープしてくれていて、後から購入したもの。
その言葉通り、この帯はお浚い会の下浚い、楽屋の手伝い、講習会とどんな場所でも大活躍しております。さすが舞踊家の妻の着物を見る目は千里眼です。
「若いのに地味な帯をしてるわねぇ」と何人かのお姉さまから言われました。地味かい??
私はとっても可愛いと思っているんだけどなぁ。博多織だったと思うんだけど、キリッとした印象で好きなんですね。
 
帯と着物は全く別の時期に購入したもので意識していませんでしたが、ちょうど八掛の色と帯の色が全く同色で、偶然にも素晴らしくコーディネートされた組み合わせとなりました。
 
そんでもって道行。
これもまた昔、別時期におかみさんと呉服屋さんに行って選んでもらったものです。
ピンクとはいえ地味な印象で、後々重宝するだろうと言われましたが、実は当時はあまり好きではなかったもの。以前はお上さんのお下がりの可愛らしい朱色の道行をずっと来ていました。それが今では大活躍。年齢とともにしっくりくるようになりました。…それしか無いということではありますが。
 
着物にせよ、帯にせよ道行にせよ、どれも安い買い物ではないので、一度にまとめては作れません。何年もかけて必要なアイテムを増やしていきます。
色や柄など人の好みはそうそう変わるものでもなくって、バラバラの時期に作っても、自然と合わせた時に合う色柄が揃ってくるものなんですねぇ…とやけに感心したのでした。
 
これらの着物を作った頃はまだ若くってお金もなくって(今でも無いけど)、それでも踊りをやっていくのにアイテムを少しずつ増やしていかなければならくって、分割払いで、それでもヒーヒー言ってた。作るたびに借金で、嬉しいよりもなんだか悲しい気分になっていた頃が懐かしいなぁ。
 
踊りを始めて20年以上経った。
思えば遠くへ来たものだ。

お正月はテレビのBSで歌舞伎関連の特別番組がいくつか放送されていました。

中村芝翫襲名のドキュメントや、中村勘九郎さん七之助さん鶴松さんのバラエティー番組。

 

そして本日のタイトルでもあります『映画 中村勘三郎』。勘三郎襲名からのドキュメントです。実は私は録画して後から見ているのですが、途中で見るのを止めてしまったまま、まだ最後まで見れずにいます。体調が優れなくなってきたあたりからちょっと…見るのが辛くてね。

 

最初は平成中村座初のニューヨーク公演の大成功から。

 

それから2005年、中村勘三郎襲名公演

初日の楽屋に歴代の付き人さんが揃って挨拶にきて、ホロリと涙する姿。

襲名興行で全国に残された古い芝居小屋を巡り、地元の方々と交流する様子。

先代からの古いお弟子さんが幹部昇進し、晴れの舞台となる予定だったその矢先に癌で亡くなり、その写真を懐に抱き努めた口上。

 

そのあと印象的だったのはその後中村座で上演された「通し狂言 仮名手本忠臣蔵」。

お稽古場での様子のビリビリに張り詰めた緊張感。おそらく六段目で源六を演じる片岡亀蔵さんに勘平を演じる勘三郎さんが演技のダメだしをしているところ。真面目にやっているだけではだめ。中途半端が許されない高い高い次元の要求。見ているだけで胃が痛くなりそうなお稽古風景です。歌舞伎は、その座長が演出家でもあるといいますが、自分の演技だけではない、全体に目を行き届かせなきゃいけないんですね。気の張り方、並大抵のことではないでしょう。

 

「昔、忠臣蔵っていうと嫌でねぇ。だから忠臣蔵っていうとゾーーーっとしたくらい。大変なの。怖いのよぉ、あれぇ。除幕からずーーっと食事する間も無い。」という小山三さん。大序から判官やって、勘平やって道行やって、その間に四段目やって、七段目、十一段目、小山三さん止まらない。

勘平切腹の前、くすねた縞の財布が、自分が義父を殺して奪ったものだと懐の中でこっそり確認する場面の稽古。義太夫の太夫さんと呼吸の確認を行う繊細な作業。

いつも当たり前のように楽しく見ている舞台は、役者や演奏方職人達の血の滲むような鍛錬と気付きにより磨き上げられた芸術だったのだと今更ながらにありがたく思った次第。

 

その頃の勘三郎さん、喉にポリープができたと服薬しております。「体は全然疲れていなくても、どこかに勤続疲労が出てきたんだろうね。6ヶ月間ぶっ続けだったから。」

うーーん。…歌舞伎役者の労働のあり方って、酷。うーむ。会社が押し付けているわけではないだろうから、自分で上手に体をいたわって欲しいものです。

衣装付きでの通し稽古で若狭之助を演じる勘九郎さんへのダメだし。判官切腹の場では判官の拵えのまま芝居を止めて力弥を実演指導。←由良之助はまだか?の場面。

 

「皆さんに離れられたら私はお終いなんですよ。もし私が怠けたらこのお客さん達はいなくなるわけですよね。いつも新鮮なものを見せ続けなければいけないという使命感はありますよね。」

という言葉通り、ずーーーっと全力疾走な生き様。

 

そして2010年10月。

このあたりから様子がおかしい…。

大阪城をバックに中村座の「夏祭」。舞台はエネルギッシュに演じるけれど、それ以外の場面での目が虚ろ…。口角が下がって表情がない…。検査結果は、ホルモンの影響で蛋白が足りなく、貧血気味とか。疲れとストレスかな、って。いつもと違い、笑ってちゃかせる雰囲気でもない勘三郎さんに周囲の役者さんも言葉を失う。その後入院されるんですな…。難治性の難聴、うつ症状。

 

そのころ起こった東日本大震災。

「頑張ろう日本、とか書いてあるんだけど、何を頑張りゃいいの?今の病気だって頑張って治せるものでもない。」

 

もうね。

私はここでこの映画、胸を締め付けられるような気持ちになり、続きを見られません。

勘三郎さんの人生は、このあと何年だったか。全力疾走だった日々から突然急勾配の坂道を転げ落ちるような…。

自分の踊りの師匠にも同じような時期があったんですねぇ。

病気から徐々に体調を崩した頃、稽古で弟子には見せまいと勤めても、自分の体への不安をその表情に隠しきれなかった時期。幸い自分の師匠は心臓の手術をして、完全に元通りの体力ではなくとも復調しましたが…。

 

うちの師匠にも昔ありました。ぎっくり腰になりとても踊れる状態じゃ無かった時に舞台の仕事が入っていました。「代役を頼めないの?」とおかみさんに聞いてみました。おかみさんの答えは「それでも踊るのが舞踊家です。」もちろん、一番心配しているのがおかみさんなんですが、壮絶だと思いました。

 

なんとゆーか…たまりませんな。

いずれは続きを見ると思いますが。いまのところはここまでで。