財政ファイナンス、中央銀行・金融システム、マネタリーベース、銀行、信用創造(コラム) | 批判的頭脳

批判的頭脳

建設的批判を標榜し、以って批判的建設と為す。
創造的破壊を希求し、而して破壊的創造を遂げる。

noteにて、「経済学・経済論」執筆中!
また、「望月夜の経済学・経済論 第一巻」「望月夜の経済学・経済論 第二巻」も発売中!
その他、
「貨幣論まとめ」
「不況論まとめ」
「財政論まとめ」

などなど……


――――――――――――――――――――

財政ファイナンス、及び中央銀行・金融システムに関する議論

投稿先はこちら

財政ファイナンスに関する望月夜と桂木さんとの議論 

中央銀行・金融システムに関する望月夜と桂木さんの議論 

上記2つのtogetterは、財政ファイナンスの支持者(?)である桂木健次氏と、タイトル通り財政ファイナンス、及び中央銀行・金融システムに関して議論した一連の流れをまとめたものである。

関心あれば是非通読願いたいが、いかんせん長いので、要点を箇条書きしていきたい。

・財政ファイナンスと国債発行支出に本質的な違いはあまりない。形成される政府負債(統合政府負債)がベースマネーであるか、国債であるかの違いに過ぎない。

・そもそも、ベースマネーは租税貨幣論からすれば、徴税前借として発行される本質的な政府負債である。
(参考:
MMT集中講義①Tax-driven monetary view(租税貨幣論)と決済ヒエラルキー 
「お金」「通貨」はどこからやってくるのか?

・したがって、国債発行だろうが財政ファイナンスだろうが統合政府負債の増加という面では同じであり、財政ファイナンスに切り替えたとしても財政再建がなされるわけではない。(そもそも財政再建を目指すべきというドグマ自体が問題)

・中央銀行が行っているのは、国債とベースマネーの比率の変換(による短期金利調節)だけ。その意味で国債は、財源調達手段ではなく(直接の財源調達手段はベースマネー発行)、金融調節手段に過ぎない。
(参考:中央銀行の存在意義と機能限界

・国債発行によるベースマネー調達においては、中央銀行が適宜発行・回収して財政の円滑化に努めているので、履行上の問題は全くない。問題はインフレだけだが、それは財政ファイナンスでも同じなので、わざわざ国債発行より財政ファイナンスを選好する理由はない。

・高橋財政では、まず財政ファイナンス(中央銀行直受け→支出)を行ってから、国債売りオペを行うというスキームが取られていた。現行のシステムとの違いは、最初に行われるベースマネー供給が、中央銀行直受けか、間接引き受けか、というところだけである。



マネタリーベース、銀行、信用創造に関する議論

投稿先はこちら

マネタリーベース、銀行、信用創造に関する望月夜と桂木さんの議論 

元教授のおかしな銀行決済仕訳→銀行を中心とした金融システムの概説 


上記2つのtogetterは、先週も話題にさせていただいた桂木さんとの新しい議論をまとめたものである。

今回は、主に信用創造のシステムについて、その際の銀行における実際の仕訳や、そこにおけるマネタリーベースの意味(ないし無意味)について論じた。

またしても大変長いまとめとなっているので、要点をまとめたものを以下に記す。もし通読なさる機会あれば、ご参考にしていただけるとありがたい。


・マネタリーベースは信用創造(銀行融資によるマネーサプライ創造)それ自体においては必要にならない。

・MSは、貸出の際に「銀行による無からの記帳」という形で作られる。

・MBは、MSの発生後に事後的に発生するMB需要(引出需要、銀行間交換尻決済、法定準備、納税…)に際して受動的に必要になるに過ぎない。
(また、そうしたMB需要の規模は相対的に小さく、1000兆のMSの循環に際して、1000兆のMBが必要となったりはしない)

・MBは、MS創造の"制約"にはなる(MSの"上限値"を設定する)が、「MBを増やせばMSが増える」といった関係は持たない。

・もし仮に、法定準備制度のもとで、MSの循環に際して必ず同額のMBの調達が必要であると仮定すると、引出、振替、返済がいずれも不可能になる。

・銀行間決済における相殺取引によって、MSの循環量よりはるかに少ないMBの調達で円滑に決済される。信用創造においても(相殺によって)MBの調達は不要。


また、この問題に関して資料を元にまとめた上で、修正された信用創造理解によるマクロ経済理解の"刷新"について論じたnoteを最近執筆したので、関心あれば是非お読み願いたい↓


「信用創造」(銀行融資による通貨創造)に関する誤解とその修正


(以上)