批判的頭脳

建設的批判を標榜し、以って批判的建設と為す。
創造的破壊を希求し、而して破壊的創造を遂げる。

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「なぜ日本は財政破綻しないのか?」

「なぜ異次元緩和は失敗に終わったのか」

「「お金」「通貨」はどこからやってくるのか?」

「ケインズ経済学モデル概説…IS-LM、マンデルフレミングモデル、AS-AD」などなど……


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法人税から消費税のシフトは、財界のみならず経済学界でもしばしば擁護されるのだが、その理論的背景としてはラムゼーモデルがある。

なぜラムゼーモデルが法人税(ひいては資本所得税全般)ではなく、消費税(及び労働所得税)が最適であるという含意を齎すかを以下に端的に解説しよう。

事前知識として動学的効率性を理解しておく必要がある。

あっさり言えば、貯蓄を増やそうとすれば応分の投資が増え、通期の所得→消費水準が増えるような経済が「動学的に効率な経済」であり、貯蓄を増やそうとすれば逆に通期の所得→消費水準が減少するような経済が「動学的に非効率な経済」である。

ラムゼーモデルは、動学的に効率な経済を前提にしている。
このため、投資リターンすなわち資本所得に課税するような課税システム(法人税やキャピタルゲイン税・インカムゲイン税)は、貯蓄投資を過少にするので望ましくない、ということになる。
この場合、貯蓄投資ではなく消費や労働所得に課税すると、貯蓄増→投資増→所得増→消費増により、消費税を掛けたにも拘わらず通期の消費は却って上昇することになり、最適課税となる。
法人減税・消費増税が経済学的に支持されるのは、この文脈においてである。

こうしたラムゼーモデルの含意は、二つの方向から批判される。一つは、現実経済の動学的非効率性、もう一つは経済格差と消費効用の問題である。

現代経済学の枠組みにおける不況論で述べたように、現実の経済は潜在貯蓄(計画貯蓄)が過剰であり、その潜在貯蓄を解消するための投資の不足によって、所得減→消費減が生じている状態である。
こうした経済においては、『最適課税』によって貯蓄を促しても、貯蓄投資は増加しない。それどころか、一方的に消費水準が低下して終わることになる。

貯蓄増→投資増→所得増の条件(動学的効率性)が満たされている経済でない場合、『最適課税』はむしろ消費水準を悪化させることになる。あくまで、潜在貯蓄過剰が生じない非不況の経済が前提なのである。


もう一つの批判の筋としてあるのは、経済格差と消費効用である。

資本所得税を消費税に置き換えるような税制は、不可避的に低所得者・非資産家に相対的に重い税金が課せられることになる。
プレーンなラムゼーモデルでは一人の消費、ないし均質な個々人の消費を想定しているため、経済格差の問題を扱えない。
仮に最適課税が全体の生産水準を最大化しても、その分配の格差が大きい場合は問題になる。

例えば、所得1億の人にとっての高級ステーキ1枚と、所得200万の人にとっての高級ステーキ1枚では、得られる効用は後者の方が大きいだろう。(限界効用逓減の法則)
故に、分配の格差が解消されるほど国民全体の消費効用は大きくなり、分配の格差が広がるほど国民全体の消費効用は小さくなる。

したがって、最適課税による生産水準最大化のポイントと、国民全体の消費効用が最大化される真の最適課税のポイントには乖離があることになる。

また、流動性制約(借入制約)が有意に存在する経済の場合、経済格差が大きいと、流動性制約にはまる家計が増加し、経済の不況転落リスクが増加することにも注意する必要がある。
(実際、長期停滞のモデルでは、長期停滞の発生要因として、デレバレッジ・ショックと人口増加率低下とともに、所得格差拡大が挙げられている)

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今回も、前回に引き続き、新しい古典派、主流派経済学へ対抗するコンセプトのコラムになる。

今回扱うフリードマン・ルールは、以前別のコラムでちらと触れたことがあるのだが、今一度解説しよう。

参考リンク:第十一回「貨幣と金融政策」

フリードマン・ルールというのは、大ざっぱに言えば、名目金利が0%であることが望ましいとするルールである。
もし名目金利が正なら、貨幣(金利0%)と債券(正金利)との間で資産保有選択や資産売買が必要になる。
こうした保有選択や売買にかかるコストを最小化するのは、名目金利が0%になる政策ルールである。(貨幣がありふれており、債券への貸出に何のプレミアムも生じない状態)

価格硬直性を導入しないプレーンなモデルにおいて、フリードマン・ルールの最適性は極めて頑健である。
したがって主流派経済学では、金利がゼロである経済それ自体が不況であるという認識をしばしば持たない。

また、経済成長率が正であれば、実質金利も正になるので、実質金利が正・名目金利が0の経済とは、すなわちインフレ率がマイナスのデフレ経済になる。主流派経済学では、デフレ経済が理論上最適経済であることになってしまうのである。

これに対する批判はいくつかある。

価格硬直性を前提とした場合、名目金利をゼロに維持する政策は、流動性の罠に嵌る問題を抱えてしまう。
もし自然金利がゼロ未満になってしまったとき、名目金利にはゼロ下限があるため、利下げによる回復が不可能になる。
名目金利がゼロだからといって、最適な「デフレ率」が実現しているとは限らず、それを下回る「デフレ率」に至っている場合があるし、そうなってしまった場合、金利のゼロ下限によって経済を救済不可能になってしまう。

したがって、名目金利が十分に正になるようなインフレ率を維持し、自然金利の沈降に対して利下げで対応できるようにしておくべきだ、というのがクルーグマン型の流動性の罠論であり、インフレ調整論である。

参考:現代経済学の枠組みにおける不況論(クルーグマンのIt's Baaack論文解説)


もう一つは、長期フィリップス曲線に関する分析結果による批判である。

参考:アカロフ、「近似合理的な賃金設定と価格設定、長期のフィリップス曲線」

このジョージ・アカロフによる分析では、経済主体が限定合理的(近似合理的)であり、完全合理的な場合よりも限定的な情報利用をするという現実的な想定をした場合のモデリングを行い、それによって、失業率を最低にする特定の正のインフレ率があるということを導出している。

従来の自然失業率仮説では、経済は一意の自然失業率を持っており、どのようなインフレ率を採用してもそこに長期的に収斂することになっていたが、アカロフのモデリングでは、経済は一定の自然失業率"幅"を持っており、しかも特定のインフレ率においてその幅のうちの最低値を選択することが出来ることを示した。

つまり、現実として、長期フィリップス曲線は垂直ではない(長期的にもインフレ率と失業率は中立にならない)ということがわかったのである。アカロフは、このモデリングが現実のデータにも整合することを示している。

こうしたメカニズムがある場合、フリードマン・ルール(デフレが最適なルール)を採用すると、経済は不要な高失業状態に陥ってしまうことになる。

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私はこれまで、最近の「リフレ派想定反論集」も含め、様々なリフレ派批判記事を執筆してきた。

異次元緩和の事実上の失敗から、経済論壇に広くリフレ派への懐疑は広がっているように思う。

しかしながら、必ずしも望ましい批判が向けられているとは言えない。というのは、リフレ派の中で唯一正しい部分…問題は総需要にある、という部分も、いっしょくたに批判されようとしているからだ。

ましてや「第三の矢(いわゆる構造改革路線)が手薄だったのが悪い!」「第三の矢にのみ集中するべきなのだ」という批判まで少なからず出てくる始末である。

問題は総需要にはなく、生産要素(実物要素)にあるという思い込みは、元を辿れば「新しい古典派」に行き着くことになる。

リーマンショックを通じて、一時的に説得力を失った学派だが、ゾンビ経済学でも警告されたように、今なお一定の影響力があり、オールドケインジアンを迫害したときよろしく復活する危険もある。

むしろ、リフレ派の手痛い失敗のせいで、総需要政策それ自体が十把一絡げに非難され、日本において古典派的言論が隆盛する可能性は極めて高いと思われる。

今必要なのは、もはや風前の灯のリフレ派への批判だけでなく、今後必ず勃興するであろう古典派的・主流派的言論(いわゆる"しばき"論も含む)に対する理論武装だと私は考えている。


今回は特に、「ミクロ的基礎づけ」に焦点を絞って「新しい古典派」批判を行いたいと思う。

ミクロ的基礎づけとは何か。簡単に言えば、個人(ミクロ)の行動の定式化をマクロモデルの基礎とすることである。
ミクロ的基礎づけが提言されるまでは、様々なマクロ経済データの関係の構造を推定するような構造計量経済モデルが主流だった。

しかし、そこに「ルーカス批判」が加えられた。その批判の内容を極めて端的に説明すれば、
「政策のルールが変われば、マクロデータ間での関係の構造(パラメータ)も変化するはずだから、構造計量経済モデルから望ましい政策を導くのは誤りだ」というものである。
構造計量経済モデルでは、実際のデータとの対応に従って外的な整合性はあるかもしれないが、内的整合性については自明ではない。
したがってルーカス批判を通じて、個人行動の定式化を基礎としたマクロモデルの必要性が提唱された。
求めるべきパラメータは、個人行動を決定する基礎的な方程式の構造(ディープパラメータ)であると論じられたのである。

よくある通説としては、「オールド・ケインジアンが1970年代のスタグフレーションの説明に失敗したため、より説明力にある新しい古典派が隆盛した」というものがあるのだが、これは事実ではない。

新しい古典派の革命を理解するをご参照願いたいが、スタグフレーションは、既存のケインジアンモデルでも十分説明できる代物であって、ルーカス批判が受け入られたのは、単に思想的な問題(マクロ経済学とミクロ経済学の手法的乖離への不満)に過ぎない。
実際、予測力の面において、新しい古典派のモデルが構造計量経済モデルに勝っている、というようなことはないのである。

また、個人行動の定式化を基礎にするにあたって、その行動モデルに適合する期待(合理的期待)が仮定された。
この合理的期待に基づけば、政府行動の効果は、予想に織り込まれた時点ですべてキャンセルアウトされる。

こうして、構造計量経済モデルは、基礎的な個人行動モデルを持たず、アドホック(その場限り)なモデルに基づいており、合理的期待に基づいていない(多くの構造計量経済モデルは適応的期待を前提とする)ことから、学術的に忌避されるようになった。
逆に個人行動モデルに基礎づけられ、合理的期待に基づいているミクロ的基礎づけのあるマクロモデルは、学術的に選好されるようになった。

(ここらへんの論点は、「構造計量経済モデルへの批判はフェアではなかった?」を参考にしている。)

しかし、現実の人々の行動において、合理的期待モデルが適応的期待モデルより勝る予測成績を出すという証拠はない。(むしろ、適応的期待の方が現実の行動に整合的で、かつ予測適合的である場合すらある)

ミクロ的基礎づけの定式化についても、「ミクロ的基礎の問題点:悪しきミクロ」などで様々に批判されるように、現実の経済行動に沿った定式化になっているとは言い難いところがある。定式化の手法が現実離れしていればしているほど、その予測力は構造計量経済モデルよりも劣ったものになっていく。
(一応注意してほしいのだが、構造計量経済モデルが絶対的に正しいというよりは、雑なミクロ的基礎づけのモデル
よりはマシ、というような話である)

そもそも、ゾンネンシャイン=マンテル=デブリューの定理では、どのようなマクロ的結果に対しても、最適なミクロモデルが存在することが示されている。つまり、きちんとしたミクロモデルを基礎にしたからといって、それはマクロモデルを制約しない=分析上意味のあるマクロモデルを作れない、というわけだ。(参考:「ミクロ的基礎付けのいかさま」

面白いことに、一線級の研究ではミクロ的基礎づけのあるモデル(一時はRBC、今では主にDSGE)に移行していく一方で、実務エコノミスト(政府系やアナリスト)では構造計量経済モデルの利用が続いたというとのことである。それが「単に実務家が時代遅れだから」と評するか、あるいは実務家の慧眼とみるかは、皆さまの見識に任せたいところだ。


最後に、クルーグマンのルーカス型モデル批判を紹介しておこう。

保守派知識人の黄金時代はいつだったのか?

ここでは、「金融政策(記事内では1980年代の利上げ)は、ルーカス型モデルでは持続的な高失業なしに物価・賃金の調整を可能にするはずだったのに、実際は激しい不況を伴うことになった」ということが憤慨交じりに指摘されている。

ミクロ的基礎づけのあるマクロモデルのうち、プレーンなもの(特にRBC)では、金融財政政策(貨幣政策)は経済に中立であるはずなのに、実際にはそうはならない。
そうした現実を説明するために、様々な条件付けが試みられることになったのである。(こうして、極めて様々な形のDSGEが研究されるようになった)
しかし、リーマンショック以前のDSGEでさえも、世界金融同時危機以降の経済を説明するには不足だったので、ニューケインジアンモデルにはさらなる『修正』が加えられることになった。「ケインズ経済学をめぐる『7つの神話』によると、そうした「修正されたニューケインジアンモデル」のインプリケーションは、驚くほどオールド・ケインジアンと似通っているようである。
「ケインズ経済学に対する新たなる基礎づけ;ジョージ・アカロフへのインタビュー」でアカロフが述べたように、『ケインジアンの理解は基本的には正しかった』というべきなのではないだろうか。


※本文中に挿入し損ねたが、ジョン・クイギン関連の以下の二つの記事も参考になる。
クイギン「はい、リアル・ビジネス・サイクル理論も論破」
「ニューケインジアンは今や時代遅れ」



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私が具体的な政策論として推奨しているのは、タイトルに書いた通り"Policy Mix NGDPLT"である。

NGDPは名目GDP、LTはLevel Targeting (水準目標)であり、日本語で言えば、『財政金融併用の名目GDP水準目標』という具合になるだろう。

本来、NGDPLTはマーケット・マネタリズム(市場マネタリズム)と呼ばれる一派によって提唱されてきた。
市場マネタリズムは、「中央銀行は、貨幣増刷による価格アプローチによって、いつでも名目GDPへ経路を持つ→中央銀行はNGDPをターゲティングできるし、するべきだ」という考え方である。
参考リンク:
マーケット・マネタリズム 第二のマネタリスト反革命(本文) BY ラルス・クリステンセン
真の(REAL)問題は名目(NOMINAL)だった BY SCOTT SUMNER
わがロールモデル、ジョージ・ウォーレン BY SCOTT SUMNER

このMMという考え方自体は大いに誤謬含みだ。最大の問題は、中央銀行はマネーをコントロールできる部署"ではない"というところである。

これまでの貨幣論まとめでさんざん論じたように、中央銀行それ自体には、マネーサプライへのアクセス能力はない。マネーサプライへの直接のアクセス経路を持つのは、中央銀行ではなく財務省であり、財政政策なのである。

裏を返すと、NGDPLTという方法論は、「財金併用」という前提を置けばワークするのではないか、というのが私の考え方である。(だからこそ"Policy Mix" NGDPLTと題したのである)

「なぜNGDPLTが望ましいのか」については、以下の二つのポイントが重要だ。

①なぜ"成長率"目標ではなく"水準"目標なのか?

これはインフレ率目標と物価水準目標の対立点とも共通するところなのだが、もし成長率をターゲットにした場合、ある年に目標をアンダーしてしまうと、それ以降のNGDP目標値がすべてアンダーしてしまうことになる。

(ある時点における)望ましいNGDPの水準から、天下り式に望ましい成長率が決まっているのに、一時点のアンダーによって望ましいNGDPに永遠にキャッチアップできないのは構造的に問題がある。

そもそも、事業は数年から十数年、場合によっては20、30年のスパンで計画される。
そこで重要なのは、数年後や十数年後のある時点において、名目所得がどれくらいの水準であるか、という予想である。
水準目標は、この予想を安定化させることができるが、成長率目標は、この予想を安定化させることができない。
したがって、名目所得・総需要の実績と期待の安定化には、NGDPLTが最適になる。
(余談だが、藤井聡氏が「救国のレジリエンス」という著作で「10年でGDP900兆!」というフレーズをぶち上げていた。このコンセプトはまさしくNGDPLTであるし、藤井氏の論調的にも完全に"Policy Mix" NGDPLTである。)


②なぜ物価水準ではなく、名目GDP水準なのか?

この場合の物価は基本的に消費者物価(CPI)になるのだろう。CPIと名目GDPが大きく乖離するパターンは何かというと、"輸入インフレ"である。

輸入インフレは、CPIにおいては基本的に「上昇圧力」になる。輸入財が資源や食料などであった場合は、コア指標などにおいて影響が除去されるのことになるが、それでも輸入インフレはCPIコア指標に対して「中立」ということになる。

しかし、名目GDPは名目GDP=名目国内生産+名目輸出-名目輸入で記述されるため、輸入インフレは名目GDPの下落圧力になる。(GDPデフレーターで見れば、輸入インフレはデフレ圧力になる)

CPIを基準にする場合、輸入インフレに対しては無策であったり、逆に引き締めが生じる場合がある。しかしそれは、無用な景気後退を起こすことにしかならない。

名目GDPを基準にすれば、輸入インフレによる「名目所得”下落”ショック」に対して、適切に財政金融政策的フォローを行うことが出来るのである。

(余談だが、スティグリッツは「インフレターゲッティングの失敗」という論考で「インフレ目標は、輸入インフレに対して引き締めを強要し、不況を齎すので反対だ」と論じている。私はこの見解に大いに同意するところである)

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今回も、経済に関する記事の紹介を行いたいと思う。


経済学の批判者が見逃しているもの

この記事は、ノア・スミス(ノアピニオン)氏による「経済学批判記事の再批判記事」を紹介している。
(ノア・スミス氏の経歴についてはこちら参照)

ノア・スミスによると、既に経済学の潮流は大きく変化しており、
・「オークション理論やマッチング理論といった、現実に機能する理論への志向が起きている」
・「理論偏重から実証主義へのシフトが起きており、政策的にも利用可能になってきている」
・「かつて経済学者たちは自由市場寄りだったが、今ではスター経済学者の多くは左派寄りで、経済学者全体で見ても政府寄りである」

特に印象的だったのは最後の部分(『経済学者全体は政府寄り』)だ。

日本で言うと、経済学者はたいてい民営化の信奉者で、自由化の虜であり、産業政策に批判的である。
しかし、ありていにいえば、そうした経済学の潮流は廃れつつあるらしい。(実際、民営化の批判者であり、自由化に懐疑的であり、産業政策の有効性を認めている私ですらも、その”学術ソース”は、スティグリッツやロドリックといった”経済学者”である……)

日本の経済学者も、遅かれ早かれこういった論調を取るようになるのかもしれない。



マーク・ソーマ 「『福祉政策は貧困層を堕落させるという俗説』」

マーク・ソーマ氏による研究紹介記事(の邦訳)である。
ソーマが紹介するAbhijit Banerjee氏の研究によると、『「現金給付システムが労働を阻害する旨を示す画一的な検証結果は一切」 発見できなかった』のだという。

これを以てソーマは、タイトルの通り、「福祉政策は貧困層を堕落させる」という社会的通念は『俗説』であると断じている。

大変示唆的な研究報告であるが、ソーマ自身は、記事の中では、「なぜ給付金が労働意欲を削がないのか」というメカニズムには触れていない。

この謎については、検討する価値があるだろう。

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