noteにて、「経済学・経済論」執筆中!
「なぜ日本は財政破綻しないのか?」
「自由貿易の栄光と黄昏」
「なぜ異次元緩和は失敗に終わったのか」
「「お金」「通貨」はどこからやってくるのか?」などなど……
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最近、随所で「貯蓄」が話題に上がっている。
特に、貯蓄の定義や性質を巡ってしばしば混乱が生じているようだ。
実際、同じ「貯蓄」という言葉を使っていても、意味しているものが全く違うという場合が少なくないので、混乱も致し方ないとも思う。
というわけで、今回は、散発的にお話ししてきた貯蓄論について、コラムという形でまとめてみる。
貯蓄は、おおまかにいって実物貯蓄と金融貯蓄に分けられるだろう。
基本的に、経済学で「貯蓄」といえば、実物貯蓄のことだろうと考えて相違ない。
翻って、日常生活で「貯蓄」という言葉を使うときは、たいてい金融貯蓄のことである。
この両者は、全くの無関係というわけでもないのだが、一対一で対応しているわけでもないから、混同は禁物である。
しかし、いわゆる経済学者と呼ばれるような人でも、よく混同しているので注意が必要である。
実物貯蓄、ないし経済学的貯蓄は、「生産物のうち、消費しなかったもの」あるいは「所得のうち、消費に回さなかったもの」と定義される。(どちらも言っていることは同じだが)
こうした意味での貯蓄の定義を広め定着させたものの一つは、ケインズの一般理論であろう。
ケインズ『一般理論』全訳
式で表すなら以下のようになる。
貯蓄=所得-消費 (あるいは 所得=消費+貯蓄)
そして、生産物が 生産物=消費財+投資財 と分けられ、したがって 生産=消費+投資 と表現されるなら、
所得=生産であるから 貯蓄=(消費+投資)-消費=投資 したがって 貯蓄=投資 ということになる。
しかしながら、この場合の貯蓄は、あくまで実物ベースであると理解しておく必要がある。(貯金よりも住宅に近い)
実際に我々が基本的に行っている貯蓄とは、遊離する可能性があるのだ。
実際に我々が基本的に行っている貯蓄、いわゆる金融貯蓄は、もちろん実物資本の間接的保有(≒株式)としても形成可能なのだが、それだけではない。
金融貯蓄≠実物貯蓄を理解するために、Aさん・Bさん・銀行の三者モデルを考えてみよう。
まず、Aさんが銀行から融資を受ける。この際、銀行はAさんに対し貸出債権を得て、代わりにAさんが銀行預金を得る。
この銀行預金を使って、Bさんの生産する消費財を購入したとする。その結果、Bさんは同額の銀行預金を得て、それをBさん自身の貯蓄とする。(全体で見ると、Aさんが債務を負った分だけBさんが資産を得る)
しばらく後、Aさんは銀行に対して返済するため、銀行預金を集めなければならなくなる。
Aさんは消費財生産を行い、Bさんに買ってもらう。その結果として、銀行預金は再びAさんの手元に戻り、これを銀行に提出して、貸出債権と相殺する形で返済が完了する。
このとき、Bさんは確かにミクロレベルで貯蓄を行ったが、全体で見て実物的な貯蓄は起きていないことに注意してほしい。生産された実物財はすべて消費されており、マクロで見れば貯蓄(というより投資)に結実してはいない。
このように、ある者の純負債形成を通じてある者が貯蓄を形成する、ということが金融上は可能であり、この分だけ、実物貯蓄と金融貯蓄は遊離することになる。
余談だが、もちろん実物貯蓄と金融貯蓄が一致するケースも描写することが出来る。
再び、Aさん・Bさん・銀行のモデルを用いよう。
Aさんが銀行から借入を行い、得た銀行預金を用いてBさんが生産する資本財(投資財)を購入したとする。
このとき、Aさんは実物資本と借入債務を両建てで持ち、純負債は0である。
Bさんは、得た銀行預金の分だけ純資産を形成する。この純資産は、Aさんが形成した実物資本に裏付けられる。(先ほどのケースでは、Bさんの純資産はAさんが形成した純負債に裏付けられていた)
その後、Aさんが保有する資本を用いて財を生産し、Bさんに売ることで、BさんからAさんへ銀行預金が還流する。
そうしてAさんが銀行へ債務返済を行って、一つの金融サイクルが終了する。
この場合は、Bさんが形成した金融貯蓄は、Aさんが形成していた実物資本に裏付けられており、当然全体で見てその時点での実物貯蓄と金融貯蓄は一致することになる。ゆえに、実物貯蓄と金融貯蓄が常に無関係というわけではない。
「貯蓄」について論じられるときは、上記のような理解が基礎にあることが望ましいと思われる。
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