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通貨はいかなる意味で政府負債なのか? 及びソマリアシリングの話
通貨はいかなる意味で政府負債なのか?[ダイジェスト版]
上記Togetterで行われた議論について、有益と思われるのでまとめていこうと思う。
議論の発端は、「通貨発行益」についての検討である。
通貨発行益については、拙記事「通貨発行益 再論」という記事にまとめたのだが、議論を改めて端的に再確認しよう。
よくある誤った俗論では、「政府紙幣発行や中央銀行直接引き受けによって政府に純利益が生まれ、そこから支出した場合は政府負債は増加しない」と主張されている。
しかし、貨幣はいかなる意味で負債なのか そもそも負債とは何なのかで確認した通り、統合政府の発行する通貨は、政府紙幣にせよ準備預金にせよ、統合政府の負債(”徴税前借”)なのであり、通貨発行それ自体で政府部門に純利益が発生することはない。
もし通貨発行益が発生するとしたら、それは『発行した負債=通貨が純粋に吸収・破壊される際』であり、『統合政府の徴税、それによる統合政府負債=通貨の吸収・破壊が、通貨発行益を"発生"ないし"確定"させる措置』である。支出時点ではなく、その後の徴税(回収・破壊)時点で通貨発行益は発生する。
(将来的な徴税を見越して、支出時点で通貨発行益を”先行計上”することも不可能ではないが、あくまで将来的な徴税=通貨発行益”確定”が前提である)
少し細かい話をすると、政府紙幣発行の場合、現金主義会計を採用する財務省では(現金主義会計によって)純利益が発生するのであるが、これは単にミクロの会計手法によって発生する事象であって、発生主義で考える場合や、マクロ金融のレベルで考える場合とは無関係となることに注意したい。(参考リンク:政府紙幣発行の財政金融上の位置づけ―実務的観点からの考察― [大久保和正])
実際、金融をマクロ的に評価する枠組みである資金循環統計では、政府発行貨幣=硬貨も準備預金同様、一律に中央銀行負債として計上されている。
さて、貨幣はいかなる意味で負債なのか そもそも負債とは何なのかでも確認したところであるが、通貨は後々の納税手段として発行され、納税手段であるが故に国民が通貨を受容・需要する(こうした考えは「表券主義」[Chartalism]と呼ばれる)という構図になっており、このことは通貨が政府負債として機能し、政府負債として機能するが故に国民資産として機能するということを示している。
つまり、「通貨が納税手段として受容・需要される」ということと「通貨が政府負債として機能する」ということは同値なのだが、これが同値であることの理解が難しいと感じる人が少なくないということが議論を通じて分かったので、『この二つがいかにして同値か』ということについて咀嚼して論じることにしよう。(貨幣はいかなる意味で負債なのか そもそも負債とは何なのかと内容的に重複することになるが)
まず第一に、通貨発行以前に、国家は国民に対して一方的な債権(徴税債権)を持ち、その裏で国民は国家に対して一方的な負債(納税負債)を持っている。(というより、そもそもこの”一方的な債権債務関係”が国家の成立要件・成立前提なのである)
もちろん国家は、歴史上そうであったように、国民から単に実物財・実物資産を巻き上げるだけという行為も可能だ。
しかしそこで敢えて「通貨発行→金銭徴税による回収」というワンクッションを挟んでいるのが現行の通貨制度なのである。
通貨制度・納税制度において、定められた分の通貨を納税できない国民は、代わりに実物資産を接収されたり、労役を課されて『労働力』という経済資源を徴収されたりする(懲役がこれにあたる)。裏を返せば、政府は通貨(それ自体は紙切れ、ないし電子データに過ぎず、実物価値を持たない)を提出されることで、国民から実物資産を接収したり労役を課したりする権利を相殺されることになる。これは政府にとって経済資源の喪失にあたり、政府の経済資源を実物的対価なしに相殺するという意味で、通貨は疑いなく政府の負債に他ならない。
会計から縁遠い一般人にとって、負債の弁済は現金支払で行うものというイメージが強いので、上記の取引が資産と負債の相殺取引であり、相殺取引を通じた負債の弁済であるということが理解し辛いかもしれない。
このことについても貨幣はいかなる意味で負債なのか そもそも負債とは何なのかで詳しく論じているのだが、現金支払は数ある弁済方法の一つに過ぎない。
現実には、現物(商品など)を納入する、他社の債券等を提出する、あるいは支払相手に対して債権を持っている場合はその債権と相殺する(相殺取引)、といった多様な他の弁済方法が存在するのである。
納税はこのうち、最後の「相殺取引」とほぼ同じ構造を持っている。国民は、政府に対する負債(納税負債)を、通貨≡政府負債(つまり国民にとっては対政府債権)を提出することで相殺することが出来る。逆に政府側から見れば、国民に対する債権(徴税債権)が、通貨≡政府負債の受領によって相殺されてしまうというわけだ。
ではなぜ政府は負債発行≡通貨発行、及び金銭徴税による回収というワンクッションをわざわざ挟むのだろうか?
第一義的には、公的雇用・公的需要を賄うためであろう。(この点は拙記事MMT関連小噺集―Hut taxと租税貨幣論、金本位制≒ドルペッグ、最終需要と所持需要に挙げた王室・宮廷労働者・農家の例を参照していただければわかりやすいと思う)
穀物などの実物を物理的に徴収し、それを給与として分配するのは、様々なコストがかかるし、物理的徴収に伴うタイムロスも大きい。
しかし、通貨を発行し、それを納税手段として指定すれば、農家に納税のための通貨需要が発生し、宮廷労働者が農家から(通貨支出によって)穀物を購入することが可能になる。このため、宮廷労働者が給与として通貨を受容するようになるのである。
このように、通貨を介することで、実物徴収の際に発生するコストやタイムロスを削減することが出来る。
副次的には、政府は最高位の信用単位(貨幣単位)を創造することで、民間の相互信用の単位が統一され、決済システムが統一的に整備されるという経済利便性が期待できる。
加えて、信用単位を提供するというだけでなく、決済システムの安定のために適宜通貨を供給することも可能になる。決済システムの安定は、投資や成長の安定にも結び付くであろう。
また、議論で指摘された通り、相殺取引としての通貨納税は、あくまで前提として「政府から国民への一方的な(暴力的な)債権・債務関係」があり、その前提に基づいて創出された、いわばマッチポンプ的なシステムである。しかし、暴力的マッチポンプであることは、通貨納税が経済・会計上の相殺取引に相当することと矛盾するものではないことに注意してほしい。
一連の取引において、確かに国民は政府から何も得ていない。それどころか、財政支出(≡通貨発行)時点で実物が国民から政府へ移動しているので、最後の納税を含めてトータルで見れば、国民から政府への実物移動という事実だけが残るため、むしろ国民にとっては(実物移動の分だけ)マイナスの取引となっている。
かといって、『国民が政府から何も得ていないから、通貨が対政府債権(≡政府負債)であるとは言えない』という主張は誤りである。一連の取引で国民が政府から何も得ていない理由は、「”予め”政府が国民に対して徴収権(徴税債権)を持っている」という制度前提にあるのであり、このことは、通貨納税が経済・会計上の相殺取引であるという事実と矛盾するものではないのである。
例えば、A企業がB企業に対して何かしらの債権を持っていたとしよう。裏を返せば、B企業がA企業の債務を持っている。(それまでの経緯は不問とする)
そしてB企業が第三者からA企業の手形を得て、その手形を供出してA企業に対する債務を相殺するとしよう。
この場合、B企業は相殺取引によって何も得ておらず、それどころか、獲得した手形を喪失しているわけだが、だからといってこの場合、手形はA企業の負債ではない、と言えるだろうか? 無論、言えないだろう。
そもそもこの相殺取引が成立するのは、手形がA企業の負債に他ならないからだ。
A企業を政府、B企業を国民に置き換え、B企業の債務を納税負債、A企業の手形を通貨に置き換えても、全く同じことが言える。
この際、B企業・国民側の債務が暴力的かつ一方的に設定された債務である場合も、議論の構造には影響しない。
B企業の相殺取引と同様に、国民の納税においても、当年の納税債務が相殺取引によって償却されることで、経済的利益を得ることになる。
B企業の相殺取引を経済的利益と理解するなら、国民の納税(相殺取引)も経済的利益と見做さなければダブルスタンダードになる。
もちろん、国民に課された納税債務は、国家によって設定された暴力的マッチポンプだが、暴力的マッチポンプであることは、納税債務が国民にとって債務として働く事実、通貨が当該債務を相殺する金融資産≡政府負債として機能する事実を棄損するものではないのである。
再度整理しておこう。
国家は国民に対して原初的に徴税債権を持ち、逆に国民は国家に対して原初的に納税負債を追う。原始的徴税システムにおいて、国民は実物的経済資源の提出で随時弁済する。
ここに通貨制度を導入すると、(既に論じた様々な利便性を鑑み)政府は一旦通貨発行を挟んで財政支出を行い、支出によって創出された通貨は実物資源の代わりに納税可能となる。
これは、実物的経済資源の供出義務(対政府負債)を、通貨提出によって打ち消せるということと同義だ。
通貨に単体価値がない場合、実物価値なしで対政府負債を相殺できるという意味で、通貨は対政府債権以外の何物でもあり得ない。
こうして、国民にとって、通貨が(単体価値がゼロにも関わらず)対政府債権としての資産価値を持つことになる。
そして、通貨が国民にとって対政府債権としての金融資産価値を持つがゆえに、国民は通貨発行支出に対して財を供出することを受け入れるわけだ。
国民が通貨を受容するには、まず最後の金融的相殺取引が存在していなくてはならないのである。
つまり、通貨が政府負債(”徴税前借”)であることが、通貨発行の前提となる。(そうでなくては、”ただの紙切れ”を国民は受容・需要しない)
裏を返すと、金銭徴税というのは、通貨を国民に受容・需要させ、流通させるために用意された措置に過ぎない。多くの人々は、「徴税で通貨を集め、それを支出に回している」と勘違いしているが、実態は全く逆で、『支出によって市中に通貨を供給し、徴税で既発通貨を回収することで、通貨の”流れ”を作り出している』のである。(関連拙記事:ウォーレン・モズラー「命取りに無邪気な七つの嘘」紹介①、②(政府支出と徴税/政府債務の将来負担))
以上はトータルで見ると、単に国民が実物を払って終わりというところを、政府負債の発行とその償還(金銭徴税による相殺取引)というワンクッションを挟んでいることになる。
確かに、全ての過程取引を合計してしまえば、プラスマイナスはゼロになる取引だ。
しかし、トータルでプラスマイナスゼロであるということは、過程において、通貨発行が政府負債であり、徴税が政府負債の相殺取引である、という事実を特別に毀損するものではない。あくまで一見余計なワンクッション的金融取引が存在する、というだけに過ぎない。しかし、このトータルでプラスマイナスゼロになるワンクッションが、既に述べたような利便性を発揮するのである。
とはいえ、上記のような詳細な議論を抜きにしても、通貨が単体で(マクロでの)純資産として機能することが有り得ないことは分かる。
というのは、 我々が価値を得る、つまり効用を得るのは究極的には実物の消費以外にあり得ない(貯蓄も、将来の消費として効用を生む)のであって、マクロ的には実物生産以外に全体(マクロ)での”純粋な”価値を生むものはないからである。
したがって、金融資産は、金融資産自体を消費して効用を得ることは出来ないので、金融資産がマクロで価値を持つということは定義的に・根本的にあり得ない。金融資産の価値の源泉は、金融資産保有者以外の何者かからの何かしらの拠出(相殺含む)のみである。
故に、実物消費(ないし実物の将来消費)のみが効用・価値の源泉であるという認識に基づけば、政府が通貨創造によってマクロ的に見て純粋な価値を創造できると想定するのは根本的に間違っているとしか言いようがないのである。
さて、上記議論に対し、『「通貨は債務の決済に使える」というルールだと解釈すればよい』という反論があった。
この反論について直接検討する前に、「決済」という経済上の実務についてまず考察していくとしよう。そうした方が、当該反論の誤謬の構造も見えやすくなるはずだ。
既に同様のことを論じたが、現実の経済実務を鑑みて、決済にはいくつかの方法があり、通貨を支払うというのは、いくつもある決済の方法の一つに過ぎない。
まず方法の一つとしてあるのは「実物資源を支払う」という方法である。この方法で弁済される負債としては、前受報酬、前受金といった負債がある。
もう一つは、相殺取引という方法だ。決済する主体同士の相互の債権・債務を相殺するもので、前述の実物資源支払も包摂した「業務と負債を相殺する」というものもある。
最後に、「より上位の負債を支払う」というものがある。
MMTの理解として決済ヒエラルキー(ないし債務ヒエラルキー)というものが金融資産(金融負債)にはあって、下位の負債を、より上位の負債(保有者から見れば債権)によって決済することが可能だ、という普遍的ルールが存在するわけだ。
[R.レイのMMT入門 第三章第二節 決済と債務ピラミッドより]
例えば、子会社が取引先への支払いを行う際、親会社から(現預金でなく)手形を借入して決済する場合は、上位の負債(親会社の手形)を以て、下位の負債(取引先に対して負った子会社債務)を弁済したことになる。
ここで親会社が、(第三者に渡った)支払手形を銀行預金で弁済した場合も普遍的ルールの範疇である。
というのは、上位の負債(銀行預金≡銀行負債)を以て、下位の負債(親会社の手形)を弁済したことになるからだ。
この弁済は、例え負債の額面が同じでも、決して逆方向では成り立たない。(仮に可能だとしても、大きく価値が割り引かれてしまい、額面通りの決済は出来ない)
負債にはヒエラルキーがあり、第三者が親会社手形>子会社債務、および銀行預金>親会社手形というヒエラルキーを共有しているからこそ、ヒエラルキーに基づいた弁済は成立する。
当然、銀行預金の「弁済」の一つである現金引出、つまり銀行負債の弁済方法の一つとして現金供出による弁済が成り立つのは、現金>銀行預金という負債ヒエラルキーが広範に共有されているからだ。
ここでは当然、現金(通貨)は、それによる納税が認められているということ以外何の価値もない代物なのだが、しかしながらその納税能こそが、確固たる国家・政府の運用下においては通貨を負債ヒエラルキーのトップたらしめるわけである。(もちろん、統治が不安定になればこのヒエラルキーは崩れる)
アドホックに通貨による債務弁済を認めなくても、”自然な”決済ヒエラルキーの中で、政府負債は決済能を持つ。
『”通貨は特別に債務への弁済に利用可能である”というアドホックなルールが設定されている』という想定よりも、上記のように考える方が、現実の経済システム・決済システムに合致する。
そもそも、銀行預金も含めて、円建てでの債権・債務関係がまず経済において広範に創造されなければ、円による債務決済も何もあったものではない。そしてそのためには円があらかじめ広範に通貨、そして貨幣単位として受容されなくてはならず、その必要十分条件はやはり納税能である。
似た内容を繰り返すが、円で決済できるのは、基本的に円建て債務だけだ。
そして、円建て債務は、まず円通貨が発行され、それが需要された『後』にしか生まれてこない。
つまり、「円建て債務が決済可能だから、円通貨が資産として民間に受け入れられる」という”仮説”は、実は時系列的に矛盾してしまっている。
また、円通貨の発生後に円建て債務が広範に形成される、つまり、円をヒエラルキートップとした決済ヒエラルキーが創造されるのは「何故」かについて、当該仮説では全く説明することが出来ない。円通貨を頂点とした円建て債務ヒエラルキーの存在を「所与」として議論を組み立ててしまっているからだ。そしてヒエラルキートップである理由を説明しようとするなら、その根拠は通貨の納税能以外にありえないだろう。
ところで、「納税は通貨の回収・破壊にあたる」という議論に対し、「徴税によって政府に還流された通貨は破壊されず、政府預金に保持されるので、通貨の回収・破壊にはあたらない」という反論があった。
この反論は本質的に、通貨発行体を中央銀行単体と考え、政府も通貨のユーザーに過ぎないと言明するものである。
果たしてそれは事実だろうか? 端的にいえば、これはあり得ない。通貨発行体は、中央政府(財務省)+中央銀行、いわゆる”統合政府”として一体的に存在しているのであり、このため、政府と中央銀行を(手続き的にはともかく)機能的に二分することはできない。(統合政府として総合して分析するということは、即ち政府預金が相殺勘定になって、経済分析上意味のない勘定になるということと同値であることに注意しておこう)
なぜ通貨発行体として統合政府は分割不能なのかというと、通貨がまず納税手段として民間に受容・需要されるからである。単に中央銀行が発行したというだけでは、民間はそれを決済手段としては受け入れない。
あくまで納税手段として資産価値を持つ以上、直接の発行者が中央銀行だとしても、発行通貨の流通性は課税をする政府(財務省)が創出するのであり、この意味で、通貨は政府と中央銀行によって協同的に発行されるものに他ならないのである。こうして統合政府で考察する場合、政府預金を分割して分析することが経済上無意味になり、徴税による統合政府への通貨還流が、マクロ経済的には通貨回収・破壊として評価されることになるのである。
傍論になるが、「無税国家」について論じておこう。
既に各所で同じ旨を述べているが、税が通貨を”駆動”する関係上、恒久的な無税は通貨の流通性を完全に損なってしまう。ただし、一時的な無税の場合は、将来的の税による駆動に期待できるため、通貨の流通性を即座に損なうということはない。
また、例えば(今後)一億円までしか徴税しないとしたら、その一億円までしか流通価値を持たず、残りの通貨はヒエラルキートップの座を失い、ゆくゆくは流通性を持たなくなるだろう。
次に、ソマリアシリングについて。
ソマリアシリングは内戦状態になっても、価値暴落はあったものの完全に流通が喪失するということはなく、内戦中も一定の流通性を持っていたことから、「政府による徴税が流通を基礎づけるわけではない証拠」として議論中に提出された。
しかし、実際にその流通のメカニズムについて分析したところ、単純にそのような”証拠”として利用できるわけではないことが判明した。
Bringing back the Somali shillingという記事で挙げられた仮説の一つに、「ソマリアはあくまで内戦状態なのであって、将来的に内戦状態が解消されるようなら、ソマリアの統治秩序とソマリアシリングの流通性が復活すると予想されている」という趣旨のものがあった。
この仮説は実際の為替レートの動きとかなり符合する。
ソマリアでは2005年に暫定政権が樹立し、2012年に政府が正式に成立するのだが、まさにこの二つのタイミングで、ソマリアシリング高は進行しているのである。(2013年4月にIMFがソマリア連邦政府を承認したのも大きい)
ソマリアシリングの流通性が、新政府成立予想に基づいていたことを裏付ける証拠と言えよう。
Investment.comより
他にも、『通貨が徴税前借だという説明をすれば、通貨発行が”子孫へのつけ回し”だと主張しているかのように見えるのではないか』という批判もあった。
この点については、拙note『政府債務は「将来世代の負担」なのか?』や、拙記事『ウォーレン・モズラー「命取りに無邪気な七つの嘘」紹介①、②(政府支出と徴税/政府債務の将来負担)』などで詳しく扱っているが、今一度端的に整理しておこう。
「財政赤字は将来へのつけ回し」という主張に対してMMTはまず、(政府と民間の金融取引がどうあれ)将来の消費水準は将来の生産水準にのみ依存する、という金融と実物の分離で反論している。
つまり、いかに政府負債(通貨+国債)が残存していたとしても、そうした金融関係が将来の実物生産水準を引き下げたりしないだろう(仮に問題が存在するとして、それは分配の問題に過ぎない)、という論立てである。残存通貨がいずれは政府によって相殺取引(=徴税)を受けなくてはならないとしても、それが将来の実物生産水準に影響することはありえないという考えなのである。
なお、MMTのこの主張には不足している部分もあり、先に挙げた拙note、拙記事では、MMTの議論の不足部分を補っている。その点についても論じておこう。
主流派経済学の「将来のつけ回し」論は、端的に言うと特定の世代が特別に損をするという主張であり、これは「現在の通貨供給が過剰であり、将来的には過剰が解消されなくてはならない」というかなり強引な前提に基づいている。
「では本当に通貨供給が過剰なら、現時点で即座にインフレが起こるはずでは?」
という話になるのだが、この批判に対して主流派は、
「国民が将来的な財政再建を予想しているので、インフレが起こらない。再建時点を先送りすると、その時点に応じて損する世代が現れる」
と反論するのである。
ところが、将来的に財政再建が予想されているという想定自体が、現状ではあまりにも荒唐無稽すぎる。特に、いつまでたっても減らない財政赤字や、たびたび先送りされる増税措置が現実に生じているにも関わらず、一向にインフレにならない現状を全く説明できていない。
ということで、普通に考えるなら、通貨供給≡財政支出自体が過剰とはいえず、むしろデフレ型不況なので、財政赤字は”不足”していると考えるべきなのである。
そもそも通貨発行≡財政支出が過剰でないなら、主流派の議論前提が覆り、主流派の「将来への負担先送り」という主張それ自体が成り立たなくなるという寸法である。
また、「『税が貨幣を駆動する』という主張は、『税は財源ではない』というMMTの主張と反するのではないか」という批判もあった。
しかしながら、これは「税は財源ではない」という言葉の意味を誤解したものと思われる。
既に説明した通り、政府は通貨を徴収して支出することで実物を得ているのではなく、通貨発行によって実物を得て、しかる後に通貨を徴税(金銭徴税)で回収している。
この”前後関係”が決定的に重要であり、この事実から「政府にソルベンシーリスクはない」、及び、 「税は通貨を事後的に回収することを通じて、通貨を民間に受容・流通させるための措置に過ぎない」とMMTは論じるわけだ。
「税が財源ではない」というのは、以上のような意味においてのことなのである。
余談になるが、一連の議論で「税」、「租税」と呼んでいるものは、単純・純粋な徴税だけでなく、民間から統合政府への通貨還流全般のことを指す。
例えば、政府が公社を保有し、その公社の営業利潤という形で、民間から通貨を還流させるというパターンもあり得る。
実際、日本でも歴史的には3公社5現業というものがあったし、天然資源国では天然資源やその精製業者が国有化されていることも珍しくない。こうした公的企業の場合は、政府が公的企業に自国通貨を出資・融資し、その営業利潤を通じて自国通貨を回収する、という信用サイクルが発生する。単に「税が通貨を駆動する」といっても、こうした風変りなタイプの”駆動”が有り得ることに注意したい。(付け加えると、政府や中央銀行による証券などの投資益も、このタイプの”税”にあたる)
これまで書いた記事のまとめと紹介 2017/10/7前編
これまで書いた記事のまとめと紹介 2017/10/7後編
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