マリア様の終焉 ① | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
ユニークな視点で書いています。

左ーローマ法王と同じ衣装(間違いなくキリスト教徒です)

左ー結婚前の魅痴子さんの写真(着物が日本人の着る着物の色、柄ではない)

 

マリア様の終焉 ①

 

 上皇后と瀬戸内寂聴の関係が、皇室ニュースに掲載されていました。瀬戸内寂聴は作家であるから、当時の皇后陛下の和歌が大変気に入られたのです。お葉書をさしあげたところ、「私も貴方の作品を読んでいるので、是非お会いしたい」ということになったのです。

 それで、瀬戸内寂聴は皇居に、招待されたのです。そして、瀬戸内寂聴は、「和歌を正式に出版されたらどうか?」という話をされたところ、魅痴子さんは大変喜んで意気投合したのです。

 その時に魅痴子さんが語ったことがあります。「私は男性と縁がありませんでした。男性とお付き合いしたことはありません。皇太子殿下から真心の求婚をされて、この人は誠実な人だ。是非、この人とお付き合いをしてみたいと思って結婚を承諾したのだ」と言われたのです。

 「魅痴子さんはウソつきだ」と僕は思ったのです。三島由紀夫は、魅痴子さんとお見合いをしたのです。三島由紀夫のお婆さんが魅痴子さんとの結婚を反対して、「あの子は商家の娘ですから、貴方とは合いません」と言われたのです。

 三島由紀夫と魅痴子さんは、歌舞伎座に行ったりして、2~3回デートしたことがあります。それで三島由紀夫はあきらめたのです。お婆さんの「商家の娘だ」と言ったのがいいでしょう。

 「私の家は武家ですから、商家の娘さんとは気が合わない」と言われたのです。商家は商売のことを考えているのです。三島由紀夫のように武家に生まれて学習院に行った人と、商家の娘が合うはずがありません。

 これで「魅痴子さんはウソつきだ」とわかるのです。「私は男性とお付き合いなどしたことがありません」など大ウソです。魅痴子さんは、20回以上、お見合いをしているのです。

 三島由紀夫の『豊饒の海』四部作の中で、御姫様が出てくるのですが、それは魅痴子さんをイメージしたものです。半分は、「一緒になろうかな」という気持ちもあったのですが、尊敬しているお婆さんが、激しく反対したので、三島由紀夫は魅痴子さんをあきらめたのです。

 でも、それが抜けきれなかったのです。三島由紀夫は、西洋かぶれです。西洋人が描いた文学が好きで、西洋に憧れて、西洋の文体を求めた人です。着ている洋服も非常に派手好みで、英語もできるし、料理はフランス料理を好んでいたので、全て西洋的です。

三島由紀夫はそのような意味で言うと貴族であり、国士です。貴族は、ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)という思想があり、「勇敢で、戦いが好きで、国家のためには一歩も引かない」というのは貴族です。

 それが「誇り高い貴族」ということです。庶民はそんなことを考えてもいません。庶民は「美味しいものが食べたい、隣村にある宝物を奪いたい、いい女とやりたい」などと下卑たことばかり考えているのです。庶民というものは、国家というものを第一義に考えていません。

 三島由紀夫は、西洋の文化に憧れていたのです。そこでクリスチャンのいい女が出てきたのですが、上手くいかなかったので、そこで憧れだけが残ってしまったのです。三島由紀夫は、奥さんはいたのですが、それなりの奥さんです。あまり、愛しているという関係ではありません。

 憧れは、やはり“お嬢さん”です。心の中では魅痴子さんのことを意識していたのに違いありません。自決する時もそうです。「俺の最期を見ておけ、俺の最期を見たか!」と、心の中で印をつけたのです。そのように思ったのに、違いありません。

 GHQには、「皇室キリスト教化計画」があったのです。これは、簡単にはできません。G昭和26年にGHQは、もうありません。皇室を、「GHQの意向でキリスト教化する」などということは、GHQの一存ではできません。

 でも、「キリスト教化する」までは言えるのです。「日本の皇室は、キリスト教の文化圏に入る」とまでは言えるのです。

 そこで、白羽の矢を立てたのは魅痴子さんです。魅痴子さんは、昭和34年に皇太子と結婚したのです。昭和29年、長野県の軽井沢会テニスコートで開催されたテニスのトーナメント大会にて、当時の皇太子と出会い、その後もテニスを通して交際を深めたといわれています。

皇太子さまは、魅痴子さんの写真を「女ともだち」と題して、宮内庁職員の文化祭に出品したのです。当時は、「皇太子妃には旧皇族・華族から選ばれるのが当然」と考えられていた時代であり、誰も彼女を「お妃候補」とは思わなかったそうです。

「(将来の皇后となる)皇太子妃は「皇族(臣籍降下後の旧宮家)か五摂家(伯爵以上)といった特定の旧華族に属する女性から選ばれる」ということが習わしとされており、「平民から妃を迎える」ということが考えられなかった時代です。1958年(昭和33年)の魅痴子さんの結婚は、旧皇族・旧華族らに強く反対されたのです。

 昭和天皇の皇后である香淳皇后は、キリスト教徒ではありません。香淳皇后は、久邇宮(くにのみや)家出身の生まれながらの皇族です。

高円宮は、イスラエルの研究をやっていたのです。ユダヤ教の研究をやっていくうちに、失われた12部族の話が出てきて、それと日本の皇室のつながりを研究していたのです。高円宮は、聖書には興味があるけれども、キリスト教徒というわけではありません。研究者として興味を持っていたのです。

魅痴子さんは、皇太子妃になり、皇室で苛められたのです。どうしてかというと、皇室の作法を全く知りません。十二単を着るにしても、教わらないと着られません。お茶の飲み方も知りません。和歌のつくりかたも知りません。何から何まで知らない世界です。

 「聖心女子で私は一番だった。勉強も体操も何でも一番だった」と瀬戸内寂聴に言ったのです。ところが魅痴子さんは、皇室の作法は全く知りません。知らないから苛められたのです。誰に苛められたのかというと、女官に苛められたのです。

 「こんな作法も知らないの? 貴方が皇太子殿下のお妃さまになるの? 作法を教えてあげるわよ。こうやるのよ」と言われたのです。かなり厳しい言い方をされたのです。何も知らない平民が皇室に入ってきて、しかも位は女官である自分達よりも上です。貴賤結婚(きせんけっこん)と言われていたのですから、それは苛められたのです。

 本当は苛められたのではなく、全ての作法を教えてくれたのです。皇室の作法は、庶民の作法とは全て違うのです。魅痴子さんは、キリスト教の作法で皇室に入ってきたのです。それは皇室の作法には、全て合いません。それは苛められます。そこで、シクシクと泣いたのです。

魅痴子さんから見ると、大嘗祭の儀式は、「お可哀想に。こんな前世紀の遺物の宗教で真っ暗闇の中でやる儀式は、全く遅れている。日本神道と皇室を切り離して、明るい開かれた皇室、「自由、平等、博愛」の精神に基づいた皇室に変えなければいけない。これが私の使命なのだ」と思ったのです。(②に続く)

 

 

※魅痴子さんは、男性とお付き合いをしたことが無かったのではないでしょうか?

この写真を見ると、かなり男性とも親密にしていたようですね。

 

 

  

■「眞子、もっと男を試し乗りなさい」結婚への決意に美智子さま慈愛のアドバイス

2020.11.17

●目指すべきは開かれた皇室ではない?

 

高輪仙洞御所関係者はこう続ける。

「美智子さまはこうおっしゃいたかったのでしょう。

『眞子、私たちは民主主義や自由を守ってきたんじゃないの! 目指さなければいけないのは皇室をブラックボックス化すること! いいこと? 大事なのは開かれた感なのよ。 ちゃんと見せ方だけに気を付ければ国民は勝手に崇めてくれますから!開かれた感を出すことこそ専念しなさい』

と。考えてみれば、美智子さまの言う通り、平成になって皇室は開かれたというよりも、むしろ昭和と比べてマスコミは本気で皇室を批判しなくなりましたね。東宮家・雅子さまバッシングを除いては。これは確かに皇室のブラックボックス化ともいえるかもしれません」(同上)

開かれた皇室ならぬ、ブラックボックス化が平成皇室の生存戦略だったという。

高輪仙洞御所関係者は美智子さまの意見をこう総括する。

「美智子さまは元々平民から皇室に入った方ですから、いい意味でも悪い意味でも、皇室の権威を何よりも大事になさいます。早い話が『両性の合意なんかどうでもいいから、もっとスペックの高い男と結婚しなさいよ』ということになるのでしょう」(同上)

眞子さま・小室さんの結婚問題には皇室ファン、秋篠宮家応援派ですら否定的だと伝えられるが、今までずっと秋篠宮家第一主義で通してきた美智子さまですら反対するとは眞子さまの心中は察するに余りある。

 

●「男をもっと試しなさい!

打ちひしがれた眞子さまに待っていたのは、美智子さまのこんな励ましの言葉だった。

「美智子さまは眞子さまに最後にこうおっしゃったそうです。

『眞子、小室さん以外にも男はたくさんいるの。20代の内にもっと男を試し乗りなさい。

私が20代の頃はあの三島由紀夫を試した女傑と言われたくらいよ。

私の孫なんだから、嵐の櫻井君や小栗旬くらい試し乗りしてみなさいよ』と。」(同上)

しかし、女性皇族のお立場でとっかえひっかえ男を渉猟するのは簡単ではないだろう。

確かにこの期に及んでは「婚約中止」が最良の選択肢ではあるかもしれないが、となると、実際問題として婚期そのものを逃す可能性も否定できない。

婚約会見から早3年、眞子さまの苦悩は続いていく。

 

https://imperialism.site/archives/16154

 

 

■安西孝之さんとA宮は、瓜二つです!

 

  安西孝之さんは、美智子さんの妹の亭主です。

 

※M子ちゃんと、 矗昶(もり のぶてるも、瓜二つ。

 森 矗昶は、安西孝之さんの祖父です。

https://www.yoshiepen.net/entry/2021/03/01/224414

 

 

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