皇室の仏教 | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

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興福寺(こうふくじ)は、奈良県奈良市登大路町(のぼりおおじちょう)にある法相宗大本山寺院山号はなし。本尊は中金堂の釈迦如来南都七大寺の一つ。藤原氏の祖・藤原鎌足とその子息・藤原不比等ゆかりの寺院で藤原氏の氏寺であり、古代から中世にかけて強大な勢力を誇った。「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。

 

皇室の仏教

 

 京都を旅行すると、お寺の門に「門跡」と書いてあるお寺が、結構あります。「門跡」とは何か?」というと、天皇が出家したお寺です。「このお寺の住職は天皇です」ということです。

 或は位の高い公家です。非常に天皇と近い人が出家したお寺を「門跡」というのです。天皇が出家した場合は、自分の住まいをお寺に移築したのです。そこに天皇が住んで「門跡」と書いたのです。

 すると、「ここのお寺は天皇、或は高貴な公家が出家したお寺なのだ」とわかるようになっているのです。

 門跡は以下の通りです。これだけあります。

●門跡寺院

■法相宗

・興福寺一乗院、興福寺大乗院

■天台宗山門派

・青蓮院(栗田御所)、魚山円融房(梶井門跡、梨本門跡、三千院)、南叡山妙法院、護法山安國院出雲寺毘沙門堂、曼殊院(竹の内門跡)、東叡山山輪王寺(寛永寺)、日光山輪王寺、浄土寺、本覚寺、法住寺、妙香院、滋賀院

■天台宗寺門派

・聖護院、照高院、岩倉山実相院、三井寺円満院、朝日山平等院、常住院、如意寺、宝厳院

■真言宗

・大内山仁和寺(御室御所)、嵯峨山大覚寺(嵯峨御所)、蓮華光院、醍醐山醍醐寺三宝院、醍醐山醍醐寺金剛王院、牛皮山随心院(小野門跡)、亀甲山勧修寺(山階門跡)、吉祥山安祥寺、東南院、上乗院、勝宝院、菩提院、教令院、

■浄土宗

・華頂山知恩教院大谷寺(知恩院)、聖衆來迎山無量壽院禅林寺(永観堂)

■日蓮宗

・瑞龍寺(村雲御所)

 

 一番、多い宗派は真言宗だと言われています。その次が禅宗です。足利時代は禅宗が好まれたのです。鎌倉もそうですが、禅宗のお寺が多いのです。真言密教、禅宗、念仏という順番になるのです。

 この辺りになると、尊敬が二重になってしまうのです。天皇の血がつながっている人が住職になっているのだから、「そのお寺は、偉いお寺に違いない。門跡の住職は普通の人とは違うのだから、祈ってもらえば祈りは叶う」と考えたのです。

 当時の時代背景は、仏教とは現世利益を求めたものです。金で造った仏像を拝むと、天変地異が起きない、疫病が流行らない、不思議な仏様という認識だったのです。これが平安時代です。

 時代が室町時代になると、真言密教が全盛期になったり、或は、鎌倉では禅宗が流行ったのです。これらは、鎮護国家の法だと思われたのです。禅宗の雲水が修行すると国家が鎮まり、世の中が平和になるのだと考えられたのです。

 当時は地震など起こると、すぐにお寺に、「地震が来ないように祈れ」と、命令が下ったのです。何百名の僧侶が集められて、祈祷したのです。

 門跡は天皇と血のつながっている人が住職なのですから、相当な権威があると思われたのです。そこに不思議な真言密教の法が加わるのですから、どんな祈りも叶うのに違いないと思われたのです。

 でも、これは本当の仏教ではありません。何故かというと、本当の仏教は、最初から権威を否定しています。「貴方は王様の子供だから特別待遇だ」などと仏教では言っていません。

 お釈迦様の仏教には、門跡などというものもありません。「王様が入った寺だから、これは特別なお寺だ」などとは言っていません。そんなことで仏教が始まったのではありません。「身分も財産も地位も全て投げ捨てよ」というのが仏教です。

 そこから仏教は始まるのです。仏道修行をする者は、出家して財産を捨てて、妻子も捨てるのです。妻子も財産のうちです。これにこだわっていたら、仏道修行ができません。元王様でも、サンガに集まって、皆と同じ暮らしをするのです。差別は全くありません。

 仏教は差別がない教えです。一面では、差別がある教えです。仏教は、社会の法と、脱社会の法と分けているのです。脱社会の法を出家と言ったのです。家を出ることを出家と言ったのです。家は社会とつながっているのですから、それが仏教の階級と同じであることはあり得ません。

 それが日本の場合は、社会の階級と仏教の階級が一緒になってしまったのです。天皇が出家すれば、法力を持っていると考えられたのです。「普通の人間よりも高い法力があるのに違いない」と考えられたのです。出家した天皇のことを、法皇と言ったのです。

 法皇がお寺に入って修行するのですから、そのお寺は門跡と言ったのです。これは、格式が高いお寺なので、天皇から手厚い保護を受け、お寺が壊れるとすぐに修理したのです。

 天皇から言うと、出家していても同じ一族だから、困らないように保護したのです。だから、京都のお寺は綺麗です。それらのお寺は、朝廷のお金で修理したのです。徳川時代も同じだったのです。徳川時代もお寺に天皇が入ると、そのお寺を大事にしたのです。神仏混合です。

 それは仏教を全く知らない人がやるから、そうなったのです。天台宗も同じです。天台宗は教義が非常にしっかりとした宗派なのですが、間違えてしまったのです。それは、門跡制度があるからです。

 天台座主には皇族がなったのですが、皇族がお寺に入ったから、俗世間と同じになってしまったのです。お寺でも、皇族が一番偉いのです。「有難い門跡の皇族のお話が聞ける」ということです。

 しかし、これは仏教の本質を見誤ったところからきているのです。天皇と仏教は、本当は何も関係ありません。天皇も出家すれば単なる一人のお坊さんにしかすぎません。それが「門跡だから、あの寺の住職は偉い」と言われているようではいけません。

 「貴方は名門だから、特別な修行をして早く大僧正になれるようにしましょう」などという話がお寺では充満しているのです。「あの人のお寺は、3千坪、私のお寺は300坪、早くあの大寺院の管長になりたい」と思って、今 東光や、瀬戸内寂聴は仏門に入り、坊主になったのです。目的は、最高峰の阿闍梨様になることです。それが仏道修行の目的です。本当の仏道はそうではありません。

 禅宗は、本来の仏教に近いのです。禅宗は加持祈祷をやりません。今はある程度、祈祷をやっています。本当の仏教は、全然違うものです。

 本当の仏教とは、世の中の無常を感じて出家をして、「仏教とは、何であるのか知りたい」ということです。それを知りたい人が仏教徒になるのです。世間の出世とは、何の関係もありません。足利時代に門跡をつくって、「天皇が入ったお寺が一番偉い」という位が出来てしまったのです。「次に公家の入ったお寺が偉いのだ」となったのです。そんなものは、本物の仏教には通用しません。

 嵯峨天皇は、空海と最澄の仏教を比較して、空海の仏教に旗を上げてしまったのです。真言宗の勝ちです。

織田信長は、キリスト教の神父と仏教の坊さんを論争させたのです。「宇宙の始めは何か?」ということは、坊さんには答えられません。ところが、キリスト教徒は答えられるのです。

「神が天と地を創った」というところから、聖書は始まります。第三者の信長から見ると、「坊主はそんなこともわからないのか? キリスト教徒は天地の始めを説いているのだ。キリスト教徒の勝ち!」となり、日蓮宗のお坊さんが負けてしまったのです。そのような論争もあり、仏教というものが、わからなくなってしまったのです。

天皇が入るお寺は、門跡として手厚い保護を受けたのです。すると大きな寺院になったのです。高野山真言宗 総本山金剛峯寺は、大きなお寺です。誰がお金を出したのでしょうか? それは、天皇がお金を出したのです。

そのような関係で間違った仏教観が、天皇家に深く入りこんでしまったのです。日本にあるお寺の数を数えてみると、真言宗が一番多く、次が禅宗、その次が念仏です。それだけ政府のお金が仏教寺院に補助金として与えられているのです。補助金をたっぷりともらったお寺は繁栄したのです。

坊主は、天皇から「お前にこのお寺を任せよう」と言われたいのです。それが修行の目的になってしまったのです。比叡山延暦寺の天台宗の修行は、千日回峰行です。千日間山に籠り、朝2時に起きて10里も歩くのです。

雨の日も、雪の日も歩くのです。「千日回峰行が終わりました」というと、偉い阿闍梨様になるのです。すると、「偉いお坊さんだ」と言われるようになるのです。中身は問われません。

それではいけません。天皇家が日蓮大聖人様の教えを継承できるようになれば、初めて仏法の力が皇室に入ったことになるのです。そうしないから、現実に起きてくることは、東日本大震災、西日本豪雨災害、熊本地震など、ロクデモナイことばかり起きてくるのです。

 天皇陛下はそのことに気が付いて、「皇族が信じる仏教は、日蓮大聖人様の仏教である」と決めれば、変わってきます。日蓮大聖人様に大師号が送られたのは、大正時代になってからです。日蓮聖人が大正天皇から「立正大師」の諡号(しごう)を賜って今年で100周年を迎えることになりました。

 それまでは、日蓮菩薩、日蓮上人と呼ばれていたのです。国師として認められていなかったのです。国師として認められていないから、国に対して「正しい仏教はこれだ」と言えません。

 念仏の法然は、国師になっているのです。国師が「天皇家はこのようにあったほうがいい」と言われれば、その通り信じるのです。国師は、天皇よりも偉いのです。念仏の教えを聞いた結果、皇室は乱れて今また危機が続いているのです。

 日蓮正宗は、「皇室に仏教を入れよう」と紫宸殿御本尊を造り、天皇の使者を待っていたのですが、未だに皇室から使者は訪れていません。

 創価学会が出てきて、日蓮大聖人様の仏教を日本中に広めて、皇室に仏教を入れようとしたのですが、「紫宸殿御本尊は弟子と師匠の御本尊だ」と池田大作がわけのわからないことを言いだしたのです。

創価学会の池田大作は仏罰を受けて、手足がなくなり、脳軟化症で生きているのか、死んでいるのかもわかりません。創価学会には国というものはありません。

正理会は国師を目指して進まなければいけません。仏法の本質を極めて、日本神道の本質を極めて、見事に融合した、新しい形の神仏習合でなければなりません。そうすれば神は、この国を守り、災害は収まり、他国に侵略されることはありません。願わくば、正理会を国師と認定しなさい! そうすれば日本の未来は明るいのです。

 

 

 

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