日本の快男児 10人 根本 博陸軍中将 ① | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
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※ワンマンショー 神野美伽

 

     根本中将は、男でござる!

 

 

 根本 博(1891年(明治24年)6月6日生まれ。1966年(昭和41)年5月24日に没)は、日本の陸軍軍人です。最終階級は、陸軍中将です。

 僕は、根本中将を日本の快男児の第一番目にあげたいと思います。根本中将のことはネットでも出ていますが、あまり知られていません。

 大雑把な話をすると、駐蒙軍司令官を務めた人で、陸軍中将で終わった人です。陸軍大学校の34期卒で、席次は60人中9番の秀才です。

 昭和天皇は終戦命令を出したのです。門田隆将さんが詳しいのですが、「終戦の詔勅とは何か?」というと、武装解除命令だったのです。「武装解除して、武器を全て敵に引き渡しなさい」ということです。そうすれば終戦になるのです。

 ところが、終戦命令に従わなかった将校が5~6人いたのです。その内の一人が樋口中将です。この人は終戦後にロシア兵が北海道を攻めてきたので、終戦後に戦った人です。

 日本の軍人が終戦すると、シナでは革命が始まったのです。国民党軍と中共軍の戦いが始まったのです。それで、人材を欲しがったのです。毛沢東の軍隊はロクな軍隊ではありません。「そうだ、戦争が終わった日本軍に頼んでみようかな」と毛沢東は考えたのです。

 日本の軍人はパージされたのですから、国から給料は出ません。そこに目をつけて、「優秀な軍人を引っ張りたい」と毛沢東は考えたのです。蒋介石もそのことを考えたのです。両方で日本軍を欲しがったのです。

 日本が終戦すると台湾には米軍が入ったのです。ところが、そこで激しい戦闘が行われたのです。毛沢東の赤軍と、台湾に逃げてきた蒋介石との間に激しい戦争が始まったのです。有名な事件が、金門島事件です。中国大陸から2キロ離れた所に金門島があります。それは台湾領です。

 台湾の領土として昔からもっていたのです。その島を廻って激しい争奪戦が起きたのです。ここのところを皆さん、あまり解説していませんが、このようなことです。米軍は台湾人を教育しなかったのです。

 そこで、日本の根本中将に白羽の矢が当たったのです。「先生、来てくれますか?」と極秘に話をしたのです。根本中将は、9人の部下を連れて小船に乗って台湾に行ったのです。根本中将一人で行ったのではありません。

 「根本さんは釣り竿を持って、一人で台湾に行った」という話もありますが、実際は9人で台湾に行ったのです。台湾を助けるためにいったのです。何故、台湾を助けることになったのでしょうか?

終戦の時に根本中将は中国にいたのです。蒋介石は「停戦命令が出たのだから、日本軍を日本に帰してやれ」と言ったのです。その時の日本軍の大将が根本中将だったのです。そのことを非常に恩義に感じたのです。ロシア軍は停戦命令が出ると、日本軍を殺したり、牢屋にぶち込んだりしたのです。蒋介石はそのようなことはしないで、「全員、日本にお帰りください」と言って、日本軍を日本に帰したので、多くの日本人は日本に帰って来られたのです。

 根本中将は、戦争が終わっても武装解除をしなかったのです。武装解除は天皇の命令ですから、それをやらなければなりません。ところが、ロシア兵はどんどん鉄砲を撃ってきたのです。当時、中国には4万人の日本人がいたので、武装は解除できません。

 参謀本部の命令で「武装解除をしろ。武器を敵に渡せ」という命令がきたのですが、根本中将は跳ねのけたのです。「武装解除をしたら、日本人を守れない。襲ってくる敵兵は日本人を虐殺するであろうから、我々は武器を離さない」と決意して、参謀本部の命令を無視して、武器を取って武装をしたのです。

 そのおかげで中国にいた在留邦人の日本人を全て日本に帰国させることができたのです。その時に、蒋介石が援助してくれたのです。それに根本中将は深く感謝をして、「この恩は返さなければならない。受けた恩は忘れてはならない」と思ったのです。

 日本は昭和20年に終戦しました。昭和24年頃、根本中将は「釣りに行ってくる」と言って、浴衣姿で釣竿を持って家を出て、そのまま台湾へ行ったのです。その時に、9人の仲間がいたのですから、打ち合わせはしていたのです。根本さん単独で台湾へいったのではありません。9人の仲間と共に行ったのです。

 台湾の海は荒い海ですから、簡単に小舟で行けるような所ではありません。根本中将の乗った小舟はポンポン船です。焼き玉エンジンという漁船です。それに乗って、9人で台湾に向かったのです。

 根本中将は「台湾を助ける」と思って行ったのですから、豪傑です。「台湾を共産化させない」という信念を持って同士と共に行ったのです。台湾に着くとすぐに捕まったのです。「お前達は誰だ?」、「日本から来ました」、「何故、日本から来たのか?」と尋問を受けて、牢屋に入れられたのです。

 「お前達の将軍が私の名前を知っているはずだ」と言うと、将軍が出て来て「根本先生ですか」とビックリしてしまうのです。再会を喜んで牢屋から出されて、大変な歓迎をしてくれたのです。

 それで、根本中将は台湾軍に入り、台湾人の名前と、中将の位をもらったのです。その当時、日本人はそんなことをやってはいけなかったのです。台湾人が戦争をしたのですから、日本名など名乗れません。

 門田さんは「その時に日本軍が台湾にはいたはずだ」と言っていました。台湾は「日本兵はいません」と言ってそのことを隠したのです。「日本軍がいただろう。証拠はあがっているのだ」とシナは言うのです。そのような話です。

 根本中将は蒋介石とも再会を果たして、大宴会をしてくれたのです。根本中将は台湾でも立派な働きをしたのです。金門島という小さな島があり、そこに20万人の共産党軍が上陸してきたのです。作戦としては、「共産党軍は、中国の船ジャンクに乗って台湾を攻めてくるだろう」ということを予測したのです。

 そこで「その船を全て陸にあげて、燃やしてしまえ」という作戦を考えたのです。中国の船ジャンクが台湾に上陸すると船を陸にあげて、全て燃やしてしまったのです。すると、台湾には20万人の軍隊が入ったのですが、中国には帰れません。そこで袋小路にして、20万人の共産党軍を徹底的に壊滅させたのです。根本中将は、凄い人です。

 忘れてはいけないことは、台湾人は日本人が大好きです。それは、日本人が台湾を守ったからです。それだけではありません。台湾の教育を日本流にして、日本の教育を行ったのです。

 そんなことは米軍もできません。だから、台湾人は日本人に感謝しているのです。根本中将は、中国人の名前を持って、やった教育は陸軍士官学校の教育です。それで台湾の軍隊の元をつくったのです。

 台湾の軍隊をつくったのは、日本人です。中国の八路軍も日本軍がつくったのです。朝鮮戦争が始まり、米軍の手が足りません。朝鮮半島の周辺海域には、機雷がまかれていたのです。船が機雷に当たると爆発してしまうので、掃海艇を出動して、機雷の除去をやったのです。それをやったのは、大日本帝国海軍の軍人です。

 旧海軍の制服のままで、朝鮮半島の機雷を全て除去したのです。戦争が終わって昭和29年くらいの話です。その当時、日本には軍隊は無いことになっていたのです。朝鮮半島での働きがあるから、米軍は日本軍に感謝をして信頼しているのです。

 海上自衛隊はその恩恵がありますから、大日本帝国海軍がそっくりそのまま残ったのです。海上自衛隊の「よーそろー」も、敬礼の仕方も、全て旧海軍のままです。旭日旗もそのままです。

米軍は、「大日本帝国海軍の旗など立ててはいけない」とは言いません。「どんどんやってくれ」と米軍は言ったのです。朝鮮半島の機雷除去も、途中まで旭日旗を掲げていったのです。

 台湾と日本は、そのような深い関係があるのです。台湾には、日本式の軍隊の訓練が入っています。そのような信頼関係があるからこそ、仲良くなれるのです。日本が東日本大震災で困っている時に台湾は一番多くの義援金をくれたのです。世界で一番大きい金額を持ってきてくれたのです。

 台湾と日本はそのような深い関係にあります。日本陸軍は根本中将を通して深い関係があったのです。それと同時に共産党軍も日本の軍人を入れたので、組織化されるようになったのです。台湾も、共産党も本当は、ツーカーの仲だったのです。

 3年経って、根本中将は、日本にひょっこりと帰ってきたのです。根本中将「今、帰ったぞ」、妻「貴方、何処に行っていらしたのですか?」、根本中将「ちょっとそこまで釣りに行っていたのだよ」、妻「随分、長い釣りだったのですね。死んだのかと思っていましたよ」、根本中将「大丈夫だよ、ちょっと釣りに行っていただけだから」とトボケて帰ってきたのです。

 台湾を助けに行ってきたことは、奥さんにも言えません。そのようにして帰ってきたのです。根本中将は、74歳まで生きた人です。ここに第一番目の日本の快男児を見たのです。

 

 

根本 博(ねもと ひろし、1891年明治24年)6月6日 - 1966年昭和41年)5月24日、中国名:林保源)は、日本陸軍軍人及び中華民国陸軍軍人。最終階級は共に陸軍中将。栄典は勲一等功三級陸士23期。陸大34期。

終戦時に内モンゴル(当時は蒙古聯合自治政府)に駐屯していた駐蒙軍司令官として、終戦後もなお侵攻を止めないソビエト軍の攻撃から、蒙古聯合自治政府内の張家口付近に滞在していた在留邦人4万人を救った。

 

 

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