行動することは損か得か? ① | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
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[徒歩行進・陸軍分列行進曲] 観閲式2018 陸上自衛隊

 

   西郷さんは、偉かった!

 

    「不平士族と一緒に死んでやる」

 

       そうすれば、明治も安寧になるであろう!

 

 

 僕のブログA宮一家、狂を発する! ①コメント欄に「行動は慎重に考えてやらなければいけません」と書いてありました。これは、行動と反対のことです。

 行動は計算したらできません。「損か得か」ということを考えたら、行動はできません。2.26事件で決起した将校達は、何も考えていません。これが陽明学です。陽明学の思想は怖いのです。

 大塩平八郎は幕府の家来でありながら、庶民を救うために大砲を買って戦ったのです。大塩平八郎の乱は、陽明学です。陽明学の根本は、「知行合一」と言います。知ることと行動は同時でなければなりません。

 何故ならば、ある物事を「やらねばならない」と考えた時に、損得を考えたら行動はできません。ということは、「俺はこの矛盾に気が付いた」と言っていても、「そのことは本当にわかったことにはならない」と言っているのです。

 わかったら、行動をするのです。それで、初めて自分の思想が実現するのです。その結果、損得はありません。三島由紀夫先生の行動も、吉田松陰先生の行動もそうです。結果など考えていません。

 吉田松陰は、聞かれてもいないことを自分で言ったのです。「私は暗殺を企みました」と言ったのです。そんなことは黙っていればわかりません。「私は暗殺をたくらみました」などと言ったら、「そうか、お前は死刑だ」となってしまうのです。吉田松陰は、行動で弟子たちに教えたのです。「とにかく行動が大事だ」ということです。

 陽明学ではありませんが、鹿児島の示現流(じげんりゅう)がそれに近いのです。薩摩は郷中教育があり、20歳までの若者が同じ家に住むのです。その教育が凄いのです。

 薩摩で一番嫌う言葉は「義を言うな」という言葉です。「グチャグチャと義を言うな、やれ!」と言うのです。しかも、考えないでやるのです。「これをやったら、俺の家が迷惑をこうむる」などと考えたら、行動はできません。そうでしょう。

 だから、考えないで行動をするのです。薩摩の刀の鍔には穴が開いていて、紐で縛ってあるのです。興奮するとすぐに刀を抜いてしまうので、紐で刀を縛っているのです。西郷隆盛は手を斬られてしまったので、刀が握れません。

 鞘ごとで西郷にかかってきた相手がいたので、左手で受けたら鞘がパカッと割れてしまったのです。鞘の中から本身が出てきて、手の腱を切られてしまったのです。だから、西郷さんは剣術ができなかったのです。

 何しろ、薩摩は行動するのです。生麦事件の時もそうです。島津の殿さまの前を英国人が横切ったのです。すると、「無礼者、やれ!」と間髪を入れずに「チェスト!」と斬ったのです。その後のことは全く考えていません。

 タッタッタッタッと走っていき、英国人を斬ってしまうのです。「斬った結果、どうなるのか?」ということは考えていません。事実、イギリスと薩摩は戦争になったのです。「こんなことをやったら戦争になるな。俺は切腹になるな」などということは、考えません。とにかく「無礼者!」とすっ飛んでいき、行動をするのです。これは、陽明学的な考え方ですが、陽明学はもっと哲学的に掘り下げているのです。

 「お前、偉そうなことを言って知ったつもりなのか? 知ったということは、行動しなければ、お前は知ったということにはならんぞ。お前は口さきだけだろう」というのが陽明学です。

 陽明学を実行したのが、三島由紀夫先生です。「憲法に身をぶつけて死ぬ奴はいないのか?」という行動をとったのです。憲法がおかしいと思っているのだから、「おかしい」と言えばいいのです。「おかしい」と言った結果、逮捕されたり、死刑になったりしても、一切構わないのです。

 三島由紀夫は、「憲法がおかしい。憲法を改正しろ」と言ったのです。三島由紀夫は演出家でもあるから、上手く考えて5人の学生を引き連れて市ヶ谷の自衛隊に乗り込んだのです。

 四谷の自衛隊の門を通る時に、三島由紀夫は軍服を着て、関の孫六の軍刀を下げていたのです。門番が「先生、お腰の物は何ですか?」と聞くと、三島由紀夫は「これは指揮刀だよ」と答えたのです。コソコソと隠して持って行くのではなくて、堂々と軍刀を吊っていったのです。

 これが三島哲学の根本です。「死ぬ」と決めたならば、何も恐ろしいことはありません。「軍刀を吊って入ってはいけないという規則があろうが、なかろうが、俺はこれで死ぬと決めたのだから、全世界がばら色になるのだ。もうこの世とおさらばするのだから、日本の法律は自分には一切関係ない。やりたいことをやるのだ。礼儀もない。何もない。間違っているものを直すためには、やりたいことをやるのだ!」と軍刀を吊って、堂々と正門から入ったのです。

 「先生、お腰のものは?」と門番に聞かれると「これは、指揮刀だよ」と答えたのです。すると門番は「そうでございましたか、失礼しました」と言ったのです。三島由紀夫は、堂々と正門から入っていったのです。それは、陽明学です。

 それと反対に朱子学というものがあります。徳川家の学問は朱子学です。朱子学は、大義名分を大事にするのです。大義名分を大事にするから、「日本の国の主人は誰か?」というと、天皇です。朱子学で言うとそうなります。朱子学では、「主である天皇に弓を引くということは最大の悪なのだ」と教えるのです。

 「徳川家が天下を治めたのですから、徳川家に対して忠節を尽くすことが正しいことであり、弓を引くということは最大の悪いことだ」と教えるのです。

 陽明学は、そのようなことは考えません。物事には理があるのです。天下にも理があります。その理に逆らったことをやったならば、直ちにそれに気が付いた人間が行動を起こすのです。

 陽明学は、計算をしないのです。だから、「行動は慎重に考えてやらなければいけません」というのは間違いです。陽明学は、計算をしてはいけないのです。だから、一番怖い学問です。古来から、革命は陽明学によって行われてきたのです。

 萩の乱、神風連の乱、西南戦争は、武士が反乱を起こしたのです。神風連の乱では、「刀だけでよい」と言って、刀しか使わなかったのです。「反乱を起こすならば、鉄砲をそろえて戦わなければ勝てない」と思うでしょう。

 そんなことを言ったらダメなのです。陽明学で行動をするのですから、刀だけでよいのです。すると、明治政府は小銃を持っていて、兵隊も訓練されているのです。反乱するほうは、「銃は一切いらない。刀だけでよいのだ。それで死のうとそんなことはどうでもよいのだ。この政府は狂っているのだ!」と思って決起したのです。これが大事です。

 明治政府は、廃藩置県で藩を無くして、武士の身分を取り上げたのです。明治時代は、武士が二刀差して歩くこともなくなったのです。丁髷は切り落とされ、武士の録も取り上げたのですから、武士から見たら恨み骨髄です。

 武士の身分を取り上げて、刀を取り上げて、給料までも取り上げたのだから、誰だって怒るでしょう。こんなやり方があるのでしょうか? それで各地で反乱が起きたのです。

 「明治政府はけしからん!」と不平不満の武士が大勢いたのです。武士から言ったら、けしからんのです。身分も刀も給料も取り上げられて、平民と一緒にされたのです。そんなことをされたら怒ります。これが明治の初めに起きた事件の根本の原因です。

 そこで西郷さんが出てきたのです。西南戦争は明治10年に起きたのです。不平士族が全国から鹿児島に集まってきたのです。給料も身分も刀もなくされたら、武士は怒ります。それは、当然です。平民は喜びます。

 その時に西郷さんは、「不平士族に、おいどんの命をくれてやる!」と言ったのです。本当に偉い人です。西郷さんは、明治政府を打ち負かして、政府にとって代わろうなどとは考えていません。「不平士族よ、俺と一緒に死のう!」という心が西郷さんの心だったのです。(②に続く)

 

 

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