心の師とはなるとも、心を師とせざれ ① | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
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股旅 ( 五木ひろし ) 旅鴉 + 流転 + 沓掛時次郎 + 伊豆の佐太郎

 

   歌舞伎の役者も一朝一夕にはできない。伝統とは、そのようなものである!

 

    早乙女太一の女形も一朝一夕にはできない。

 

      まして、天皇の歴史は3千年、これは誰も真似できない!

 

 

 心というものは、全く不思議なもので、自由自在なものです。「心の正体とは何か?」ということを研究する学問が心理学です。いくら心を研究しても、心というものは、未だにわかりません。

 「心とは何ですか?」と質問したら、答えられないでしょう。そのわからない心を「自分」と思っている人達がいるのです。それがおかしなことをやるのです。わがままな心、自由奔放な心、一心不乱に勉強する心、誰かを好きになってしまう心、誰かを嫌いになってしまう心などがあります。心とは、千差万別です。

 心は、水の流れのようにコロコロと変わります。今回、魔子は「お互いの心を大事にして、結婚は必要な選択だ」とご託を述べました。それは、自分の心を師としている姿です。あてどもなく、彷徨(さまよ)い歩く心には、正体というものはありません。

 「その心を大事にする」と魔子は言いました。何を寝言を言っているのでしょうか? フラフラしている心を自分のものだと思っているのでしょうか?

 人間は、フラフラしている心の師匠を持たなければいけません。「私が持っている心というものは一体何でしょうか?」ということを学ばなければいけません。誰に聞いたら心がわかるのでしょうか?

 心理学者に聞いても、心などわかりません。心というものは、仏法を極めていかないとわかりません。お釈迦様は心を説いたのです。心というものがわかったから、「心とは、このようなものです」と説かれたのです。

 心がわかっていない人間は、自分が何者なのかわからないのです。フラリ、フラリと飛んでいるのです。有る時は、怒り、有る時は笑い、有る時は恨み、様々な心が出てくるのです。

 子供を見ると「可愛い」という心が出てくるのです。恐ろしい者に遭うと「恐ろしい、怖い」という心が出てきます。心は千変万化です。どんどん変わっていくのです。

 クルクルと変わる心を「自分の心だ」と思っているのは、間違いです。それは、自分の心ではありません。心の一つの働きにしかすぎません。

 「心を師とせざれ」ということは、「心を先生としてはいけませんよ」と言っているのです。「自分の心とは何ですか?」ということを学んでいかないと、人生は間違えるのです。それを教えてくれるのは、唯一仏教だけです。

 みんなカン違いをしているのです。「私の心に忠実に生きる」「日本一になってやるぜ」というのも心です。将棋の日本一、アスリートがオリンピックで金メダルを取るというのも心です。

 試合に勝っても、オリンピックが終わってしまえば虚しいものです。往年のチャンピオンと言っても、老いた元チャンピオンなど誰も尊敬しません。「心とは何か?」ということを極めていかないと人生を間違えてしまうのです。

 子供は生まれた時には、善悪の区別はついていません。面白いことをやるのです。相手の子供を苛めたら、子供が泣きます。「これは、面白いな」と思えば、また苛めるのです。子供は面白いことをやるのです。

 「殺人を一度、やってみたいな」と思って人を殺した、佐世保女子高校生殺害事件がありました。「殺人をやってみたいな」と思って、人を殺します。すると、「面白かった」と思うと、またやるのです。そのようになってしまうのです。

 心は自由奔放に「あれも欲しい。これも欲しい」と思うのです。子供は玩具を欲しがります。「あれも、これも、みんな欲しいのよ!」と思うのです。デパートのケーキ売り場へ行くと子供はクラクラして、「うわー、美味しそうだな。美味しい物がたくさんある。みんな食べたいな。食べたい、食べたい、欲しい、欲しい!」となってしまうのです。

 「あれ、お金を持っているとみんな買えるのだな。では、お金が欲しい!」となるのです。本当に心というものは、頼りないのです。だからこそ、自分の心を頼りにしてはいけません。

 我々が庶民に生まれたのは、庶民としての心を持っているからです。天皇に生まれたならば、天皇の心を持つのです。宮様に生まれたら、宮様としての心を持つのです。

 社会的な階級が上がっていくということは、「私」が無くなっていくのです。社会的な階級が何も無かったら、「私」を振り回してもよいのです。

 階級が上がっているのに、「私」を振り回すと、悪影響を及ぼすのです。階級が上がる度に、「私」という心は、無くしていかなければいけません。天皇陛下になると、「私」というものは、ほとんどありません。本来はそうです。天皇とは、日本で一番偉い人ではなく、世界で一番偉い人です。

 「私」が100%もあったら、庶民と同じです。上にいくに従って、「私」がなくなり、「公」が増すのです。「公」と書いて、「神」と言ってもよいのです。「神」の心が広まればよいのです。

 「公の心はどのようにしたら出来てくるのか?」というと、一朝一夕にはできません。日本が天皇を維持してきたということは、3千年の歴史がないとできないことです。一人の天皇をつくるのには、3千年の歴史が必要です。庶民が真似をしても、天皇の雰囲気は出せないのです。

 映画俳優が天皇の役を演じても、何だかわからないのです。「私」が無い、「公」とは、どのようなものでしょうか? それは、天皇にならないとわからないのです。しかも、歴代の歴史の中で「この天皇はこのようにされてきた」という事実があります。天皇は自然にそれらを学び、神の立ち振る舞いが自然に身に付いてくるのです。それが神の人格です。俳優が天皇を演じてもその雰囲気が出るわけがありません。

 俳優が天皇になれるわけがありません。天皇になるためには、3千年の歴史が必要なのです。歌舞伎役者も同じです。市川、尾上、中村、松本など、歌舞伎の家柄がありますが、普通の俳優とは雰囲気が違います。映画俳優は歌舞伎役者にはなれないのです。何百年も続いた家柄でないと、歌舞伎役者の雰囲気は出せないのです。

 市川海老蔵もいい顔をしています。あれが歌舞伎役者の顔です。普通の俳優と顔が全然違います。歌舞伎の顔があるのです。歌舞伎の顔は何百年も経った家柄でないとできないのです。

 さらにそこで拍車をかけると、3千年の伝統と教育係と二人三脚でつくりだしたのが天皇です。本当は国民も合わせてつくっていくのが天皇です。そんじょそこらの八百屋の倅では天皇にはなれません。

 普通の庶民が皇室の生活などしたら、居た堪れません。庶民は自分のことを振り回したいのです。庶民は何でも、かんでも「自分が」です。自分がなくなった生活など考えられません。

 庶民が皇族に紛れ込むと、良い着物を着て、良い物を食べていても、何かおかしいのです。そのようなものは窮屈です。皇族は、言葉も違ったのです。「おもうさま」「おたあさま」と言うのです。「母ちゃん」などとは言いません。「母ちゃん」が皇后陛下などになれるわけがありません。

 「あんた、私のことを母ちゃんと呼びなさい。A宮は父ちゃんよ」と言っていたら、天皇にはなれません。おのずから皇族は、雰囲気が違い、伝統が違います。だから、教育は厳しいのです。

 血筋が天皇だからと言っても、教育しなければ何もわかりません。血筋だけ「高貴な子だな」というのではいけません。やはり、高貴な血を思いださせる教育をしなければいけません。

 それをしつけと言うのです。「頂きました」というのは、礼儀作法ではなくしつけです。ご飯を食べる時には、「頂きます」と言います。ご飯を食べ終わると「御馳走さまでした」と言います。

 偉くなっていくためには、相当な厳しい教育がなされないと、立派な人間は出来ません。だから、乃木大将が学習院の院長に選ばれたのです。あれは、明治天皇の配慮があったのです。

 「乃木大将は、二人の子供を戦死させたので、寂しかろう。学習院の院長をやらせて若い子供達の教育をさせれば、本人も満足だろう。子供の教育にもなる」と考えたのです。乃木大将は厳格な人なので、教育は厳しかったのです。

 元軍人が学習院の子供達を教育したのです。昭和天皇は乃木大将の指導を聞いて、皇居から歩いて学習院まで通ったのです。立派な教育が行われたので、昭和天皇はご立派だったのです。(②に続く)

 

 

 

※本物の皇族(11宮家)のお顔が見れます。本来の日本に返ろう!

 

■安西孝之さんとA宮は、瓜二つです!

  安西孝之さんは、美智子さんの妹の亭主です。

 

 

※M子ちゃんと、 矗昶(もり のぶてるも、瓜二つ。

 森 矗昶は、安西孝之さんの祖父です。

https://www.yoshiepen.net/entry/2021/03/01/224414

 

 

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