8月15日は、終戦記念日である。しかし、戦争は終わっていなかった! ① | 中杉 弘の徒然日記

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※終戦記念日を迎えて、

 「8月15日は、終戦記念日である。しかし、戦争は終わっていなかった! ①」14日(土)

 「8月15日は、終戦記念日である。しかし、戦争は終わっていなかった! ②」15日(日)

 連載にいたします。ご期待ください! 

(月曜日は更新しません。火曜日から平常通り掲載します!)

 

 

 よく、「8月15日は、敗戦記念日だ」という人がいます。新聞やテレビでも、堂々とそのように言っています。

 昭和28年くらいまでは、朝日新聞でも「終戦記念日」と言っていたのです。「戦争に負けました」と言うのではありません。敗戦と終戦は全然違います。例えば、ドイツは首相のヒトラーが死んでしまったのです。政党も消滅してしまい、誰と講和を結ぶこともできません。もう中心者がいないのです。ヒトラーは地下壕死んだのですから、講和を結ぶ相手がいなくなってしまったのです。

 日本の場合はちゃんと国體が護持されていたのです。国體とは誰かというと、天皇です。総理大臣もいて、政治の形態もきちんと残っていたのです。ドイツとは、まるっきり違うのです。

 ドイツは、政党がなくなり、総統もいなくなってしまったのです。日本は戦争が始まった時の天皇がそのまま残っておられて、戦後もそのまま統治しているのですから、敗戦とは違うのです。

 日本は終戦したのです。だから、今日の日本国があるのです。8月15日は、日本が終戦した日です。「参りました、助けてください」と言ったわけではありません。実は、終戦と同時に陸軍中野学校の軍人が、東南アジア諸国に散ったのです。

 金日成を担いで、北朝鮮を創り上げたのです。或は、ベトナムにも、インドネシアにも、残置諜者がいたのです。残置諜者は、東南アジアの国々に行って、現地人として生きていくのです。それで、戦いを続行するのです。

 残置諜者は、日本人と言えないのです。階級もありません。その国の人間になるのです。そして、戦争を続けたのです。

 「残留日本人が指揮をとって、兵隊になって戦った」と言われていますが、インドネシアにもビルマにも残置諜者がいたのです。みんな、感謝しているのです。それはそうです。現地人になっているのです。最後まで戦争を続けていたのが、ベトナムです。

 日本は終戦したのですが、残置諜者の幹部が、世界各地で戦争をやっていたのです。北朝鮮も残置諜者の畑中理さんがつくったのです。日本を守るために北朝鮮を造ったのです。

 それはともかくとして、最後にベトナムとアメリカが戦って、アメリカを追い込んだのです。サイゴンの陥落では、米軍は何もかも置いて、我先にとヘリコプターに捕まって逃げたのです。振り落とされた米兵もいたのです。

 サイゴンが陥落したので、米軍は物凄い勢い逃げていったのです。アメリカは、敗北したのです。これが残置諜者のやった仕事です。結論は、ベトナムで米軍を追いだして、残置諜者が勝ったのです。

 実は、大東亜戦争は、サイゴン陥落の日に終わったのです。米軍がサイゴンから逃げたのですから、大日本帝国の勝利です。だから、日本人は感謝されているのです。現地に残った残置諜者は、鉄砲を持って兵隊になったわけではありません。

 何をやったのかというと、軍隊をつくったのです。当時の東南アジア諸国は、白人の植民地ですから、軍隊はありません。軍隊の基礎を一から教えたのです。現地人の将校をつくったのが、士官学校です。幹部を養成して軍隊をつくったのです。

 「日本兵もベトナムでライフル銃を撃って戦った」などと言う人がいますが、全然違います。「みんな、集まれ」と言って、現地人を集めて軍隊を造ったのです。それは、日本軍の教育を受けている残置諜者でなければできません。ならず者は軍隊にできません。きちんと教育をしたのです。

面白いことに北朝鮮は、今でも日本の軍歌を歌っています。「♪勝ってくるぞと勇ましく~♪」と日本語で歌うのです。日本嫌いの北朝鮮が日本の軍歌を歌っているのです。それを見た人は、みんなビックリしたのです。流暢な日本語で軍歌を歌っているのです。

 ベトコンの歌っていた軍歌も日本の軍歌です。しかも、日本語で歌っているのです。今でもそうなのです。

 北朝鮮は日本人がつくった国です。北朝鮮を造ったのが、日本人の畑中理さんです。陸軍中野学校の残置諜者が、100名くらい北朝鮮に行ったのではないでしょうか。「日本が戦争に負ける」と残置諜者の連中はわかっていたのです。

 「その時に我々は、北朝鮮に第二日本国を造るのだ。原爆を撃ち込まれて負けたのだから、原爆を造らなければいけない」ということを畑中理さんは思ったのです。

 朝鮮戦争の原因は、よくわかっていません。韓国が負けそうになったのです。韓国の李承晩は「日本を占領する。九州をくれ」とGHQに交渉したのです。九州に韓国を造り、日本を占領しようとしたのです。その時に、北朝鮮が韓国を攻めて、李承晩政権を倒したのです。畑中理さんは北朝鮮では有名人です。朝鮮名を金策(キムテク)と言います。

 貨物船に「金策(キムテク)号」と書かれています。金策(キムテク)市、金策(キムテク)航空大学もあります。金日成から尊敬された人なのです。金日成は何も知りません。金日成に教えて国を造ったのだから、北朝鮮は非常に日本に近いのです。

 軍隊も日本軍そのものです。それが北朝鮮の正体です。本体は日本軍です。戦前、朝鮮人は日本人だったのです。それでつくった軍隊は、日本軍です。朝鮮は日本だったのです。

 北朝鮮の金策(キムテク)は、死んだ時には国葬です。最高に偉かったのです。最後まで畑中理という名前は出さなかったのです。最後まで朝鮮人の金策(キムテク)で押し通したのです。それは推して知るべし押しです。

 みんな日本人になりたかったのです。日本の戦いはアジア諸国の人々を奴隷から解放することです。大東亜戦争の開戦の詔勅は、「大東亜を白人の植民地から解放する。そのために戦争を起こす」ということです。天皇陛下の詔勅はそうなっているのです。

 だから、あれは大東亜戦争だったのです。太平洋戦争など存在しません。戦後、アメリカが勝手に言っただけなのです。大東亜の解放が目的だから、大東亜戦争です。それが実現したのです。大東亜は解放されて、植民地など一つもありません。みんな独立したのです。

 それは残置諜者が戦後も戦ってきたおかげです。そのような長い目で見ると、サイゴン陥落で米軍が逃げ出したのですから、完全に日本の勝利です。大東亜戦争を長い目で見た場合、あれは日本の勝利だったのです。そのように言えるのです。

 日本が終戦して、日本に引きつけている間に、東南アジア諸国を白人から解放したのです。簡単なことです。みんな間違えているのです。終戦当時、日本にはこれだけの戦力があったのです。

■終戦時の戦力

 

終戦時の戦力は軍人の数で言うと、365万人の軍人がいたのです。その内、シナにいた陸軍兵は173万人です。近衛師団は天皇をお守りする部隊ですが、近衛師団は無傷で残っていました。驚くべきことです。

日本海軍艦艇は168隻残っていました。

「海軍各基地における終戦時の保有機種・機数(昭和2091日現在)」と題する資料があります。この資料は、昭和20年の終戦直後、マッカーサー総司令部の「昭和2091日現在の海軍各基地における保有機種・数を調査報告せよ」との命令に基づき海軍省軍務局が作成したものです。

一 戦闘機2,036機(26.9%

二 攻撃機1,306機(17.3%

三 偵察機701機、(9.3%

四 輸送機58機(0.8%

五 練習機3,431機(45.3%

六 陸軍機34機(0.4%

合計7,566機(出典図書は7,567機としているが合計すると7,566となる)

 

この数を見て御覧なさい。中国大陸には、173万人の軍人がいたのです。これは、無傷です。300万人の軍人と、残っていた戦闘機の数を見たら、敗戦ではないとわかります。まだ戦争を続ければやれたのです。

 「何故、戦争を止めたのか?」ということ、ここが問題です。それは、アメリカが日本に原爆を落としたからです。それだけではありません。米軍は、東京大空襲をやったのです。焼夷弾を丸く落として、十文字に落としたのです。その中にいる人間はみんな焼け死んでしまうのです。

 丸く焼夷弾を落としてその中に十文字に焼夷弾を落とせば、みんな死んでしまうのです。これをアメリカは実行したのです。東京大空襲では、一日で10万人も死んでいるのです。この空襲は東京だけではありません。横浜、大阪、名古屋、福岡で大空襲をやったのです。

 これは、白人の得意技です。白人は長い間、インディアンと戦ってきたのです。何故、戦ったのでしょうか? 白人はアメリカ大陸に船で上陸したのです。サンタマリア号など、小さな船です。小さな船でヨーロッパから逃げてきたのです。アメリカ大陸に到着して、食い物もなくヨタヨタしていると、インディアンが白人を助けたのです。食べも物を与えたのです。インディアンに助けられて、元気になった白人は、今度はインディアンの土地が欲しくなったのです。

 今の中国のようなことをやったのです。インディアンに助けられてアメリカ大陸で生き伸びてきたのに、インディアンを皆殺しにしたのです。10年間で1億人殺したというのです。アメリカ大陸の東に上陸した白人は、西を目指して幌馬車隊で移動したのです。鍋、釜、女・子供も幌馬車に乗っていたのです。幌馬車の生地がジーパンになったのです。

西へ行くとインディアンが畑仕事をしています。それを見た白人が「バーン」と撃ち殺すと、インディアンがひっくり返ります。それを見て「ワッハッハッ」と笑って喜んだのです。西部劇のようにインディアンが白人を攻めてきたわけではありません。

 白人がインディアンを撃ち殺すから、インディアンが復讐に来たのです。最初は、白人が面白半分にインディアンを撃ち殺したのです。白人は西へ西へと目指したのですが、「ここはよい土地じゃないか」と考えたのです。

 平らな土地で川もあり、農作物もできます。「ここを俺たちの土地にしよう。西へ行くのを止めた。ここで村をつくろう」としたのです。すると、インディアンは怒ります。「ここは俺たちの土地だぞ。白人はあっちへ行け」と争いになります。それが西部劇です。「ヤッホー」とインディアンが攻めてきます。すると、白人は鉄砲でインディアンを撃ち殺すのです。そのようなことです。

 白人は幌馬車で円陣を組んでインディアンを撃ったのです。インディアンは勇敢です。戦っているうちに、インディアンの村を襲うと考えたのです。村には女・子供しかいません。白人は別動隊が女・子供皆殺し(genocide)にしたのです。

 インディアンが村へ帰ると女・子供が皆殺しになっていたので、戦闘意欲を無くしてしまったのです。インディアンは不利な条件で和睦をしたのです。白人は、背後を襲うのが得意技です。

 兵隊の背後を襲うというのは、戦法ですが、背後にいる女・子供を皆殺しにすると、戦争はできません。アメリカは、インディアンの背後を襲い、アメリカ大陸をわが物にしたのです。(②に続く)

 

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