自分勝手なところは、秋篠宮と魔子ちゃんは似ています。「国民が怒ってもいいのだ、私は圭ちゃんと一緒になるのだ」と言うところです。こんな皇族はいません。バカなのでしょうか? 皇族の役割を全くわかっていません。
ここ数年の宮内庁の皇室行事を見ていくと、「秋篠宮家は上皇とつながっていないのではないか?」と、本当にそう思います。秋篠宮は上皇の子供なのでしょうか? やっていることがおかしいのです。「上皇と血がつながっていないな」ということを強く感じるのです。
まず、秋篠宮と魅痴子さんは、同じ顔をしています。ボーとした顔です。鼻がつぶれていて、スッとした顔ではありません。ボヤッとした顔です。顔を見るとそう思います。
魔子ちゃんは、誰に似ているのかというと、秋篠宮に似ています。佳子ちゃんは、最近の写真を見ると毅然とした顔をしています。皇族の自覚が出てきたのでしょうか? 顔が変わってきたのです。
もっと恐ろしいのは、悠仁親王です。悠仁親王は、誰の顔に似ているのでしょうか? タラコの唇で、目は細くつり上がっています。秋篠宮にも、鬼子さんにも似ていません。悠仁親王の写真を見てください。秋篠宮夫妻と全然似ていません。一体、何が起きているのでしょうか?
自分勝手なところは、秋篠宮と魔子ちゃんは似ています。「国民が怒ってもいいのだ、私は圭ちゃんと一緒になるのだ」と言うところです。こんな皇族はいません。バカなのでしょうか? 皇族の役割を全くわかっていません。
「国民を捨てても、私は圭ちゃんを取る」ここまでいってしまっているのです。僕は前にも書きましたが、魔子ちゃんは気が狂ったのです。気が狂った元凶は、プー小室です。魔子ちゃんの気が狂っているのではなくて、プー小室の気が狂っているからです。キチガイは、伝染するのです。
それをよく物語っている事例は、創価学会です。創価学会の大幹部は、みんな池田大作に似てくるのです。創価学会を20年~30年もやってくると、「キチガイになった」ということです。
池田大作は、皆さん周知の通り誇大妄想狂です。池田大作の自画自賛は無限に大きいのです。「僕の汗は、なんて美しいのか」と言ったのです。これは、キチガイの言い方です。
池田大作は「来世は夜空の星をみんなダイヤモンドにして君にあげたい」と渡部通子に言ったのです。そんなキザな台詞は、とても言えません。池田大作を教祖と仰いできた、創価学会員は完全に気が狂ってしまったのです。
気が狂うということは、道理が通らないということです。道理が何処かにいってしまったのです。何しろ、道理は一つしかありません。創価学会員は、「池田大作先生が全ての道理の中心である」と思っているのです。だから、創価学会員は道理について、自分で考える必要はありません。
池田大作の言うことが正しいのです。創価学会員の個人には、判断基準はありません。個人で道徳を考えたり、正義を考えたりする必要はありません。全て、池田大作先生の判断にお任せしているのです。それが創価学会の信者です。教祖に判断を任せていると、完全なキチガイになるのです。
創価学会の夫婦は、お互いに我欲を張っているので、必ず離婚します。自分たちの欲望を叶える夢があって、「池田先生」と言っている間はいいけれども、どちらかが疑問に思うと、この関係を破壊するのです。
どのくらい多くの学会員が離婚したのでしょうか? 創価学会の女性会員、婦人部の理想の男性は池田大作です。自分の亭主は小間使いくらいにしか思っていないのです。そのように教祖がキチガイだと、信者もキチガイになるのです。これは永遠の真理です。
アメリカでも宗教のからんだ集団自殺事件がありました。教祖はキチガイですから、信者もキチガイになってしまうのです。キチガイになっていくことが、信者の修行の道なのです。「悟った」と称する教祖を長年信じていくと、信者も狂ってくるのです。キチガイになると、一切の批判はなくなってしまうのです。これを宗教奴隷といいます。
天理教もそうです。天理教は「財産を全部出せ!」と言うのです。「家、土地、車、自転車、全て出せ!」と言うのです。普通の生活をしていたら、全財産を宗教団体に寄付することなどできるわけがありません。
「全部寄付したら、自分の生活はどうなるのか?」と不安になるでしょう。それを平気でやるということは、キチガイになってしまったということです。教祖の中山みきは、自分の子供に死なれて、発狂したのです。やけくそになり、「財産を全部あげる、もっていけ!」と民衆に配ったのです。
中山みきの家に行くと、何かもらえるので、ぞろぞろと民衆がやってきたのです。それが、そのまま信者になったのです。すると中山みきは、「あんたたちも、真似をせんかい。財産は親神様の物だから自分の物ではない。わずかな財産を持っているから苦悩が生じるのだ。何も無くなってしまえば、苦悩などない。財産を全部出せ!」と言ったのです。
それを天理教では、「陽気ぐらし」と言うのです。「♪屋敷を払いて田売りたまえ、天貧乏の命♪」と言うのです。「屋敷も売って、田んぼも売って、貧乏になりなさい。そこに神様が降りてくるのだ」と言うのです。
本来は、「悪しきを払うて助け給え天理王の命」と言うのです。それをもじって「天貧乏の命」と言っているのです。教祖の中山みきは、キチガイです。キチガイの教祖を拝むと信者もキチガイになるのです。
小室佳代の信じている大山ねずの命神示教会の教祖はキチガイです。僕もこの宗教を見に行ったことがありますが、横浜の小さな家です。風呂屋の親父が、閉店すると、お風呂の上に板を乗せるのです。その板の上に風呂屋の親父がチョコンと座って、「童は神じゃ~~~!」と言いだしたのです。
お客さんは「親父が風呂の蓋の上にチョコンと乗って、変なことをやりだしたぞ」と見にきたのです。「童は神じゃ~~~!」と言うと、「面白いことをやっているな、毎晩見にこよう」と思ったのです。それが、宗教の始まりです。風呂屋の親父の気が狂ったということです。
風呂屋の親父の気が狂って、一人でブツブツと言いだしたのです。そこから始まった宗教です。大山ねずの命神といいます。大山ねずの命神示教会は、人殺しもやるのです。ひどい信者がいたのです。
夫婦の家に1人の独身男性が住み着いたのです。すると、夫を殺して、人肉をミンチにして塩漬けにして食べてしまった事件です。壮絶な事件です。その宗教の信者が小室佳代です。もう狂っているので、信者になってしまうと辞めません。小室佳代も散々宗教をやってきているのだから、狂わされてしまっているのです。
要するに、キチガイに触れると純粋な者でも気が狂ってしまうのです。この偉大な教祖様、或は「偉大な圭ちゃんを信じきれないのは自分が悪い」と思ってしまうのです。それで、自分に鞭を打っていくのです。
魔子ちゃんは「あんた、圭ちゃんを疑っているんでしょう、とんでもないわよ!」と自分に鞭を打っていくのです。自動的にどんどん「圭ちゃん、圭ちゃん、圭ちゃん!」とののめっていくのです。
「圭ちゃんがいればいいのよ、圭ちゃんが言っていることが全てなのよ。世間の人が言っていることは全てウソなのよ!」これで完全に狂ったということです。一丁上がりです。これがキチガイ教祖と信者の関係です。
それで、肉体関係を持っているのですから、ご褒美に面白いことをやってもらうのです。精神的には苦痛ですが、肉体的には面白いのです。ハッキリ言うと、サドマゾです。サドマソをやられて、やられたことがないことをやられると、女は喜ぶのです。それで、完全に奴隷にしてしまうのです。
僕も前に書きましたが、この事件の解決方法は、一つしかありません。魔子ちゃんは精神病院へ、プー小室親子は刑務所行きです。これが、この事件の真相であり、解決方法です。
しかし、「このような問題は何処から出来てきたのか?」ということをよく考えてみなければいけません。落とし穴が沢山あります。だいたい、皇女には悪い虫がくっついてきます。それを払わなければいけません。
男性の家柄を調べて、「間違いない」という男性でも、「結婚前には肉体関係を持ってはいけませんよ」ということです。厳しくそれを監視していくのです。皇女が出かける時には、必ず警護のSPがつくのです。それを全て怠ったのです。
肉体関係を持つまで皇宮警察も、宮内庁も気が付かなかったのでしょうか? 肉体関係があって、プー小室は魔子ちゃんを奴隷にすることができるのです。だいたい、皇女とあろう者が、結婚もしていないのに肉体関係を持ってズブズブの関係になった奴をどうして皇室に入れるのでしょうか?
皇族は単に「好きか、嫌いか」で一緒になるのではありません。魔子ちゃんは、何があっても皇族です。魔子ちゃんにプー小室がくっつくと、プー小室が皇室の中に入ってくるのです。
それは絶対に避けなければならないことです。プー小室がまともな人間だと思っているのでしょうか? プー小室はまともな人間ではありません。お金が一銭もない、身分もない、仕事もないジゴロ男が皇女をくどくのでしょうか?
土台から狂っているのです。これは、秋篠宮家が狂っているのです。または、宮内庁、皇宮警察が狂っているのです。3つとも狂っているのです。これがそろわないと、こんなおかしな事件は起きません。
そのために税金を使って見張っているのです。変な虫が皇族につかないようにしているのです。皇族に虫がついたら終わりです。魔子ちゃんが外国人を連れてきて、「私は一緒になりたい。国民が反対しても、何が何でも結婚したい」と言ったら、どうするのでしょうか? 皇室の中に外国人が入ってきてしまうのです。
そんなことはしてはいけない家柄です。魔子ちゃんは皇族です。魔子ちゃんとくっついた男は、政治的発言をして、日本の伝統文化の中に入ってくるのです。それをさせないために見張っているのが、秋篠宮家と宮内庁と皇宮警察です。何をやっているのでしょうか? 全て怠ったのです。(②に続く)
■紀子さま「国民を赦してやってもいい」の慈悲に、眞子さま「圭くんを天皇に即位させてあげたい」の悪乗り
●慈悲の紀子さま「国民を赦します」
皇嗣家の宮妃となった紀子さまにはこれまで以上の注目が集まる。「有名税」という言葉があるが、雅子さまがそうだったように、メディアからの批判に耐えることも「試練」の一つになるだろう。だが、紀子さまのある知人は「すでに紀子さまは精神的な高みに達していらっしゃる」と絶賛する。
「この前、紀子さまとお電話する機会を頂き、眞子さまの件などについて『ご苦労も絶えないかと思いますが、どうぞ無理をなされませんように』と申しましたところ、紀子さまは『大丈夫です』と凛として仰いました。
その力強いお言葉は慈悲に満ちており、『すべての国民を赦してやってもいい』という優しいメッセージが込められていました。紀子さまの中には“慈愛の国母”とうたわれた美智子さまの覚悟が確実に受け継がれているように思います。このご覚悟こそが先の9月11日に発表されました誕生日文書の『長女の気持ちをできる限り尊重したい』の一言に込められているものと拝察いたしたします」(紀子さまのご友人)
美智子さまが国民を“慈しみ愛した”ように、紀子さまは国民を“慈しみ憐れんだ“のだろう。まさに美智子さまの後継者は紀子さまなのだ。このような状況に先の皇室ジャーナリストは次のように総括する。
「確かにこの頃の紀子さまには“達観”のようなものが備わってきていると聞いています。眞子さまの問題は、自然法爾(じねんほうに)に委ねるしかない――といった悟りを得たのかもしれません。
このような紀子さまの心境変化に、小室圭さんは『あれ?まだ国民の祝福は得られていないけど、紀子さまから結婚許可が下りたの?』と早とちりしているかもしれません。眞子さまに至っては『堂々と一時金を貰って、早く圭くんと結婚して子供を授かりたい』ですとか『圭くんと皇室に残って、いつか天皇に即位させてあげたいな』と考えていてもおかしくないでしょう」(皇室ジャーナリスト)
小室圭さんも母・佳代さんもメディアに対しては沈黙を貫いているが、結婚の準備は着々と進めているという。眞子さまのお気持ちも依然として「結婚一択」であるという。はたして紀子さまの想いはどのように帰着するのであろうか?
https://imperialism.site/archives/9004
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