アメリカでISISのメンバーが二人捕まりました。イスラエルのユダヤ人だったのです。バクダディもモサドのユダヤ人だと言われています。
するとISISは一体何でしょう。最初は、アメリカが中東で騒乱を起こすためにつくったアメリカ製のISISです。最初は武器も与えたのです。一番悪い奴を釈放してアメリカ軍は引き上げたのです。
そいつが組織してISISができて、そこにアメリカが援助したのです。写真が写っています。ISISがトヨタのジープに乗って何台も連なっている傍をアメリカ軍の戦闘ヘリが一緒に走っているのです。それは、イスラエルの戦闘ヘリかもしれません。ISISと仲がいいのです。アメリカのお仲間だったのです。
でも、先週のフランスのテロで世界が連帯してしまいました。フランス・イギリス・ロシアが「ISISをやっつける」と言っています。ISISは空爆されたらたまりません。もうこの地上からISISは消えてなくなります。徹底的にやらないといけません。僕もそう思います。
こんな連中は皆殺しです。人間と思うからいけません。すでに人間ではないのです。「無実の人間を殺そう」など、そんな人間は殺されて当然です。
昔、作家の武者小路実篤という人がいました。質問者が「先生は人を殺すのはよくないと言われます。しかし、先生を殺しにきたらどうしますか?」と質問されたのです。
すると武者小路実篤は「私は殺します」と言ったのです。何故、殺してよいのかと言うと、人を殺そうと思った段階で、「お前はもう死んでいるのだ」ということです。「人を殺そう」と思った瞬間にその人はもう死んでいるのですから、そいつは殺してもよいのです。これが武者小路実篤という作家の人生論です。
そのようなものです。人を殺しに来る奴はすでに死んでいるのです。「だから、殺してあげてもよいのだ」という解釈です。
それと同じで無実の人を殺すISISなどは、皆殺しにしてもよいのです。1匹も残してはいけないのです。成敗(せいばい)するのです。戦争ではなく、成敗するのです。人間の中にはウジ虫のような奴も出てくるのです。ウジ虫も生命です。生命だけど、ウジ虫は人間の死体からわいてくるのです。そのような生命があるのです。
では「ウジ虫の生命は大事か?」など、まったく考える必要などないのです。ウジ虫は叩き殺さなければいけないのです。それと同じことなのです。
虫のようなものがたくさんわいてきて、人類を腐敗させるような悪い者が出てくるのです。そのような場合は、戦争ではありません。この考え方は日本にしかありませんが、「成敗する」ということです。成敗は許されるのです。
日本の天皇陛下の戦争はすべて「成敗」です。「後鳥羽上皇と鎌倉幕府が戦争した」という話をBSの歴史鑑定で放送していましたが、戦争ではないのです。天皇は成敗するのです。北条家がのさばって、皇室をないがしろにしたのです。「皇室をないがしろにした」というのは、表の事情であり、本当は違うのです。この世は天皇のものであり、うしはくして北条が天皇から奪い、天皇の年貢を減らしたり、公家の年貢を減らしたり、横からかすめ取ろうとしているのです。それに対して天皇は戦争をするのではないのです。
後鳥羽上皇は怒り、「北条を討て!」と言うのです。当然のことなのです。これは「成敗」です。「世の中を乱す奴は成敗して、皆殺しにしてよいのだ」という思想があるのです。この思想がないと、人類は治まっていかないのです。
昔から、朝鮮半島の戦争を「三韓征伐」と言ったのです。有名な神功皇后の三韓征伐です。勇ましい言葉です。三韓と戦争をしに行くのではなく、悪さをしている朝鮮を成敗しに行くのです。もともと、朝鮮も倭人の国なのですが、大陸の人間が増えてくると悪さを成してくるのです。従って天皇も怒られて「三韓を征伐せよ!」と言われたのです。これは日本人にとって大事な考え方です。
日本人にとって大事な物として、剣について僕はよく考えます。日本刀の目的は人殺しではありません。刀というものは、どこの国でも人殺しのために持つものです。
しかし、日本刀は人殺しのための道具ではないのです。「日本刀で人を殺してはならない」という思いでよいと思います。刀は人を斬るものではないのです。人の命を助けるものなのです。
刀工が精魂込めて、神に達するような勢いで、「世の中を平和にして、災いを起こさせないようにして、戦争をなくして、平和な世をつくろう」と一心に祈って、神に到達するように刀剣とは鍛えられたものなのです。
鍛えられた刀剣は、まさに神なのです。神の業を持てば、人殺しなどできません。人殺しをしたければ、他の道具があります。日本刀のような神聖な刀で人殺しをしてはなりません。そのように感じるのです。
日本刀で絶対に人を斬ってはならないのです。刀はそんな安物ではないのです。神様からいただいたものですから、それを持つだけで運勢が変わってくるのです。「これだ!」と思うような刀を持たなければいけません。日本刀を大事にしていくと、それが自分の命を守るのです。
「人は斬らない。どんなことがあっても日本刀で斬ってはならない」と心に決めていくと、日本刀の位置づけがちゃんとわかってきます。
日本刀を所持するとは、神を所持するということになるのです。本当にそうなのです。刀工は一心不乱に「最高の日本刀をつくろう」と思い、鍛え上げられた刀は人など斬るものではないのです。朝鮮人が刀を鉈(なた)やドスのように考えて、「人をぶっ殺す道具だ」などと考えているのは、とんでもないことです。
日本精神が日本刀の中に込められているということを、考えてみる必要があります。
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