使い捨てカメラは手軽である反面、いろいろ不自由なところもあったが、ときにはその単純な構造がアドバンテージになることもあった。
 山歩きを始めてニ、三年して二眼レフのオートフォーカス(バカチョンカメラと呼ばれていた)のを買った。
 それを使って撮った写真の中に何が写っているのかもわからないくらいひどくボケボケになっているものがあった。
 最初は何でこうなったのか訳がわからなかったが、撮ったときのことを思い返してみると、いずれも周囲にガス(霧)が出ていたことに気づいた。
 オートフォーカスは被写体との距離を赤外線で測って自動でピント調節するものだが、ガスに反応してしまいピントが合わなくなるようだった。
 なので、平地に比べガスの多い山中ではピンボケになることがしばしばあった。
 なんとかならないものかと説明書を読み返したが、仕様的にマニュアルへの切替はできないようになっていて、こればかりはどうしようもなかった。

 なので、ガスっている時に写真を撮ろうとして「ああ、今はダメだ」と諦めることがしばしばあった。
 それに引き換え、使い捨てカメラはレンズが固定なのでピンボケになることはなかった。
 このため、天候が悪かった時のためにわざわざ使い捨てカメラを持っていくことがあった。
 それから、使い捨てカメラにはストロボ用に電池が内蔵されているが、ふつうに写真を撮っている分には電池切れになることはまず無かった。
 使っていた二眼レフは電池式だったが、ときたま電池が切れて写真が撮れないという事態が発生した。そうしたときのリカバリーで使い捨てをカメラを買って凌ぐこともあった。

 二眼レフの撮影時には写真に日付を入れるようにしていたが(電池を交換したときに再設定を忘れることもよくあったが)、アルバムをめくっていると日付の入った写真と無いものが混在していることがある。それを見て使捨てカメラを併用していたことがわかる。
 二眼レフを使うようになった後も、上記のような理由でしばらくは使い捨てカメラを併用していた。

 使い捨てカメラのレンズの焦点距離はおそらく標準(50㎜前後)くらいなので、L版にプリントすると遠景の山などは実物を見たときよりだいぶ小さく感じる。
 出来上がったプリントを「どんなふうに写ってるかな」と期待しながら確認すると、やたらしょぼくて、場合によってはどこに写っているのかもわからなかたりする。「こんなんじゃなかったのになあ」とがっかりした。
 敢えて画質が落ちるパノラマで撮ることがあったが、被写体がそれなりに大きくプリントされるのが理由だっとたと思う。

 ピントを調節することはできなかったが、人物や風景を撮る分にはそれほど問題にはならなかった。花などを接写することに興味は無かったので、少なくとも一メートルから向こうにピントが合っていれば良かった。
 ストロボは、基本的には周囲が暗いところで人物や建物を撮る際に使っていた。
 風景写真の場合は光が当たった近景がだけが変に明るくなって不自然になるので使わなかったが、ストロボをセットしたのを戻し忘れて誤って焚いてしまうというミスはよくやった。
 あるとき雨の中でストロボを焚いてしまったが、後日、出来上がったプリントにはところどころ白くぼやけた雨粒が写っていた
 「おっ、これは?」と思った。
 雨の中で写真を撮ることはあまりないが、天候の悪かったことも記録に残しておこうと撮ることがあった。
 しかしながら、雨粒は全く写り込まないので、プリントを見ても雨が降っているのか、ただ曇っているだけなのか区別がつかなかった。
 なので、これは雨の時の写真に使えるのではと思った。
 実際にはシャッターが速過ぎて目で見たように雨粒が細い線(残像)で写ることはなかったし、光が乱反射して粒ではなく白い斑点のようになってしまった。また、うまい角度で光を反射したものだけが写り込むので、降っていた雨粒のごく一部しか写らなかった。
 必ずしも満足のいくものではなかったが、わざわざ雨の中で撮ったのだから、「まるで写ってくれないよりはましだ」くらいのつもりで焚いていた。

(4)に続く

 フィルムのパッケージには、よく「ASA100」のように表示されているが、このASAというのはアメリカ標準規格の略号だそうだ。(他の規格のDIN、ISOなどで表示されているものもある)
 この数値が大きいものほどフィルムの感度が高いということで、大雑把に言えば、同じ絞りであればより短いシャッタースピード(同じシャッタースピードであればより小さい絞り)でも同じような明るさに撮ることができる。

 使い捨てカメラに使われていたフィルムの感度は、初期はASA100とASA400のものがあったが、そのうちASA400のものが大半になったように思う。後年、ASA800まで感度を上げた製品も出てきたが、後記のとおり自分は露出オーバーになるのを嫌ってあまり使わなかった。
 普通の(=使い捨てではない)カメラで撮影するなら、シャッタースピードや絞りで写りを調節できるのでASA100のフィルムで十分で、そんなに高感度にする必要は無かった。(それに高感度になると画像が粗くなるデメリットもある)
 使い捨てカメラは絞りやシャッタースピードを調整できないし、レンズも口径比が小さい(明るくない)のでASA400や800という高感度でカバーしていたのだと思う。露出不足になるよりは多少オーバー気味の方が出来栄えへの影響が少ないという考えなのだろう。ただ、その高感度が裏目に出ることがしばしばあった。
 写真を撮る場面は、日中が圧倒的に多い。辺りがうす暗くなってから撮った写真が露出不足になるのは仕方ないと諦められたが、日中に撮ったものが露出オーバで色が飛んでしまうのはどうにも我慢ならなかった。
 特に、朝焼けや夕焼けで紅く染まった山肌や雲が美しいと思って撮ったのに、それらの色がまるで出ないことが多いのには閉口した。
 また、空が霞んでいたり薄雲がかかっていたりして光の乱反射が多いと、全体的に白くなり過ぎることがよくあった。
 当時のアルバムには、「写るんですではこれが限界か?」みたいなコメントがよく書かれていた。

(3)に続く