※ 本日の記事は、前回の記事の続きですので、

まだ読まれていない方は、

ぜひ先に、2-60(←リンク) をご覧ください。

 

 

 

2014年12月、

僕は、愛知県半田市の

ミツカンの会議室にいました。

 

 

H川社長にお会いするのは約半年ぶりでした。

 

※H川社長については

以前の記事でも触れています。

2−242-53(←リンク)を御覧ください。

 

 

僕は、

次の事をお伝えしました。

 

 

 

私が中埜家とミツカンに来て

1年半が経ちました。

 

 

幸いに 子どもを授かりまして、

聖子さん(僕の妻)とも(関係は)非常に良好です。

 

 

家族ができましたので、

妻と子どもを大事に守っていくことを、

どんな形になっても頑張っていきたいと思っています。

 

 

H川さん とは、

香港で初めて聖子さんと出会ったときからのご縁です。



改めて色々とありがとうございまいた。

 

 

2日後に、代表(義父である和英会長)にお話する内容は、その日にお伝えすることになりますが、先ずはこのことを直接お伝えしたいと思いました。

 

 


これに対して、社長は、

次のように答えてくださいました。

 

 

 

改めてお礼が言いたかったということなのか…

あなたらしいね。

 

 

折り入って話があると言うから、

「一体何の話なんだ」と身構えていた

自分が馬鹿みたいだ。

 

 

何かあればこうやって話は聞きますから

いつでも言って下さい。

 

 

これも良く言えば縁だと思っていて、

関わった以上は、どういう形なろうと、

関わっていきますよ。

 

 

 

その他、

社長の若手時代のエピソードの話をお聞きするなど、終始和やかな雰囲気の面談でしたが、

 

 

この時は、まさか近い将来に、

ミツカンが 親子を引離す目的で僕を日本に飛ばして仮処分裁判で敗訴することになるとは夢にも思いませんでした。

 

 

敗訴したミツカンの当時の社長はH川社長でしたので、結果として、僕とH川社長とは訴訟の相手方になってしまったのです。

 


大変残念なことです。



義父母らが、ミツカンを私物化して、人事権を濫用して親子を引き離すよう画策したことで、本来は対立する必要のない数多くの関係者が巻き込まれました。

 

※ 義父母の公私混同については、2-54(←リンク)を御覧ください。

 


大企業を私物化して

社員親子を引離す。



そして、

敗訴や公益通報に対して報復を行う。

 

 

これらは明らかに、

非人道的かつ反社会的行為

だといわざるを得ません。

 

 

 

そして

残念なことに…

 

 

 

この面談が、

僕とH川社長がお話する最後の機会となりました。

 

 

ミツカンが敗訴(上記)したすぐ後、H川社長は突如、社長から 参与 に降格になり、ミツカンを退社されました。

 


もしかしたら

敗訴の責任を取らされたのか?



或いは、



H川社長は僕を庇う発言をされることがあったので、それが義父母の怒りを買ったのではないか?



事実は分からないものの、

疑問は尽きません。

 

 

義父母は、僕の息子の生後4日目に

養子縁組届出書を目の前に広げ、

 

 

僕に対して、

 

 

 

(孫の親権を渡さなければ)

片道切符で日本の配送センターに(飛ばす)

 

 

 

と発言して、サインを強要したくらいです。



何があっても不思議ではありません。

 

詳細は2-37(←リンク)を御覧ください。