※ 本日の記事は、前回の続きですので、
まだ読まれていない方は、ぜひ先に、
2-59(←リンク) をご覧ください。
息子が生まれて約3ヶ月後の
2014年11月末、
僕は結婚直前まで住んでいた 香港にいました。
ミツカンを退職をする準備として、
かつて同じ金融機関で働いた友人や、
先輩方にお会いして、転職の情報を集めていたのです。
※ 僕がミツカンを退職する経緯については
2-57(←リンク)を御覧ください。
外資系銀行(特に僕の当時の専門分野)では、紹介をきっかけに転職先が決まることが多く、かつての僕もそうでした。
色々と状況を聞いた所、結論としては、
年明けの 1月末頃 になればポジション(採用枠)が空く可能性はあるというものでした。
ポジション(採用枠)が空くには、そのチームに人を増やす予定があるか、あるいは誰か人が辞める予定があるかのどちらかですが、後者のケースが圧倒的に多いです。
海外の銀行は12月決算であり、1月末くらいからボーナスを手にした銀行員が転職を開始する為、良いタイミングでした。
合わせて僕は、英国やスイスの支店で勤務することも検討していると伝えました。
※ 当然、ロンドンの家族のことを考えれば英国での勤務が理想でしたが、それまでの僕のキャリアは英国とは相性が良くないものでした。
ともかく ”後はタイミング次第” という状況を作ることが出来たので、香港まで来た目的は果たせました。
なお、久しぶりに会った香港の友人は、
僕に息子が生まれたことを
大変喜んで祝福してくれましたが、
僕が香港を去って僅か1年半で転職活動を行なっていることに驚いていました。
奥さんはファミリービジネスだったよね?
銀行員のキャリアを捨てて来てくれと言われていたんじゃなかったっけ?
家族は英国にいるんだろう?
さすがに義父母から親権を無理やり(実質的に)奪われ、片道切符で国外へ飛ばすと罵声を浴びせられていることは打ち明けられず、大変複雑な気持ちでした。
実際、僕は、息子が生まれた喜びを友人やお世話になった方々に積極的に伝えられなくなってしまい、それまでの交友関係も大きく破壊されていました。
実の両親にすら息子を1度も会わせてもらえなかったので、友人に伝える以前の問題だったのです。
※ 息子が3歳半になってから、英国の裁判で権利を勝ち取ってようやく両親と息子の初面会が実現しました。
このことは、
今でも心から残念に思います。
さて、
香港に来た目的を果たし、
僕はその後、日本行きの飛行機へ乗り込み、
いよいよ、社長、義父母との面談に向かいました。