※ 本日の記事は、前回の記事の続きですので、
まだ読まれていない方は、
ぜひ先に、2-56(←リンク) をご覧ください。
僕は、
次のような
決断をしました。
先ず、
日本へ帰国し、
直接会ってお伝えすることを重視しました。
義父母が行ったような、
家族や仕事(退職)に関する重要な話を、部下を使って命令する姿勢には、正直 疑問があったのです。
そして、
義父母に対して次の3つを
伝えると決めました。
■1つ目:
謝る。
事実として、養子の書類にその場でサインをしなかったことを、僕が逆らったと義父母は解釈し、激怒していたので、一度これを受け止め、謝る。
■2つ目:
義父母の命令通り、
ミツカンを退職する。
つまり転職をする。
理屈を言えば、中埜家(つまり義父)の強い希望により僕は前職(香港での金融業)を辞めてミツカンに入社したのであり、そこに一切触れずに1年足らずで退社を強要するのは、明らかな理不尽です。
※僕からミツカンへの入社を求めたことは一度もありません。
しかし僕は、家族(妻子)の為に、理不尽を飲み込み、要求を受け入れる(退職する)道を選びました。苦渋の選択でした。
■3つ目:
上記2つに対する唯一の条件として、
家族(妻子)だけは守らせて頂きたいと伝える。
以上を、
敢えて発言の形で表現すると、
次のようになります。
全て仰った通りに致します。
ミツカンは退職します。色々とご心配をおかけしてしまい申し訳ありませんでした。
僕は、中埜家を混乱させる目的で婿(むこ)になったわけではなく、お役に立てればと思って来たという ”初心” がありますので、和英会長のご判断に従います。
ただし、1つだけお約束頂きたいのは、
息子や家族は僕が守って行かなくてはならないので、家族だけは守らせて頂けませんか?
続いて、
面談を3回に分け、順序までつけた理由は
こうでした。
※ 以下、面談の順序は①→②→③です。
■① H川社長との面談:
今まで大変お世話になったことのお礼を伝える。
H川社長とは香港で妻に初めて会った会食の場からのお付き合いであり、色々と気にかけて下さったので、ミツカン退職の前に区切りとして一言お礼を伝える。
そして後日行う和英会長との面談の場に出席して頂きたいことを直接伝える。
■② 美和副会長との面談:
(僕がその場での養子縁組のサインを躊躇したことを) 激怒していることについて直接謝る。
和英会長と美和副会長は別々で面談した方が良いと考えた。
和英会長と美和副会長の、家やミツカンに対する考えが必ずしも同じではないと感じていたため、別々に面談した方が良いと判断(※)した。
※「大奥の女帝」 2-41(←リンク)でも書きましたが、美和副会長の言動には、当時の私は少し違和感を感じていました。
■③ 和英会長とH川社長との面談:
1番重要な面談。
(中埜家ご当主でありミツカンの実質的な代表者であるため。)
本来は和英会長(義父)とは1対1でお話したかったが、H川社長に同席して頂いた方がより安心だろうと判断し、3名での面談を希望した。
以上、
僕の決断は
このようなものでした。
なお、
日本への帰国前に香港へ寄るのは、
転職活動を本格的に開始する為でした。
具体的には、
かつての同僚・先輩に会って転職の意思を伝え、
ポジションの空きを聞く為です。
僕がかつて勤務していた外資系金融の世界では、
知人を介した転職が一番確実で、
良い方法でした。
※デスクヘッド(つまり知人や知人の上司)が直接人事権を持っている為です。