※本日の記事は、昨日の記事の続きですので、
まだ読まれていない方は、
ぜひ先に、2-23(←リンク) をご覧ください。
直近の記事に、ミツカンの「H川社長」が登場されました。この方は、ミツカン、中埜家、そして僕にとって重要な方ですので、少しお話させて頂きたいと思います。
(以下、「H川さん」といいます。)
僕が、H川さんと初めてお会いしたのは、妻と初めて出会ったタイミングと同じでした。香港での お見合いの会食 の際に、中埜家の番頭さんとして、同席されていました。
※詳しくは2-10をご覧ください
ミツカンのいわゆる叩き上げで、徐々に頭角を現されて、創業家以外で初のミツカンの社長になられた方です。社長にご就任された当時は、日経新聞等でも報道されました。
曲がったことがお嫌いで、厳しい方でしたが、裏表がなく一本筋が通っていて、同時に大変温かみのある方でした。
※僕の素直な感想です。大先輩に対しての失礼な表現でスミマセン。
初めてお会いした時は、このような方が番頭さんであれば、中埜家はきっと素晴らしいファミリーなんだろうな、と思ったほどで、結婚や婿入りを決めるに至った、決め手の一つになったといっても過言ではありません。
妻のことを幼少期からご存知で、その話もよくお聞きしましたし、まさに中埜家と共に歩んでこられたのだと理解しております。僕と妻の結婚や、その後のミツカン内での僕の状況にも大変心を砕いて下さいました。
しかし、僕が、出産直後に息子と引き離されてからは、立場が明確に分かれてしまいました。
僕は父親という立場上、人権侵害を理由にミツカン側を提訴せざる得ず、一方のH川さんはミツカンの代表取締役であったため中埜家側につかざるを得ないお立場でした。
もっとも…
すでにお話したとおり、
ミツカンとの対立とはいっても、
実際には、和英会長と美和副会長が、公私混同をし、
(大輔を)片道切符で日本の配送センターに(飛ばす)
あれ(大輔)はミツカンから追い出すべき。家からも追い出すべき。
と打ち合わせたのであり、
※詳しくは1-6を御覧ください
さらに、これ受けて、大手法律事務所である、
森・濱田松本法律事務所の弁護士らが、”マッチポンプ” のような助言をして顧問料を得ていたという構図です。
※詳しくは1-11を御覧ください
ここで言う ”マッチポンプ” とは、上記の弁護士らが、父子(僕と息子)を引き離すようミツカンに助言して敗訴し、つまり人権侵害を助言して”炎上”させておいて、「我々に不当配転はありません」などと火消しの発言をしながら、顧問料を得ていたということを指しています。
そして、既にお伝えしたとおり、上記の不当配転について、ミツカンは仮処分裁判で敗訴しています。
ミツカンの顧問弁護士らの、手慣れた、そして悪質な手口を見る限り、彼らが顧問を務めているであろう他の大企業や上場企業においても、泣かされている社員の方々がいらっしゃるのではないかと心配しております。
そして、ここからが極めて重要なのですが、
ミツカンが上記の仮処分裁判で敗訴した後、H川さんは、突如 "社長" から "参与" に降格になり、程なくして、ミツカンを退職されてしまいました。
上記のミツカンの敗訴と、H川さんの 降格 & 退職 の因果関係は不明ですが、時系列の前後は事実です。
また、表向きには、体調不良で退職されたと聞きましたが、僕には、気になることがありました。
僕はミツカンによって、息子と引き離されたうえ、1年間の自宅待機を実質的に強要されたことがありますが、ようやく1年後に職場に戻った際、同僚から、「体調は大丈夫ですか?」と聞かれました。
「僕が1年間 出社しなかったのは体調不良が原因である」
という、虚偽の情報が社内で流布されていたのです。
※誰かが意図的に行ったのかどうかは不明です。
結局、退職されるまで御礼も言えずじまいでしたが、H川さんには今でも感謝しております。
離婚になってしまいましたが、妻との結婚のきっかけにもなって下さいましたし、生き別れになってしまったものの、息子が生まれたことは本当に幸せなことで、そのきっかけにもなって下さった方です。
H川さんが、このブログを目にされるかは分かりませんが、ミツカンをご退職後もお元気にされていると願っておりますし、もし、またお会いできる機会があれば、昔話でもしながら、お酒でもご一緒できたら大変嬉しく思います
さて、
お話を事件に戻しますが、
公私混同で、大企業の人事権を濫用するということは、本来は対立する必要のない、多くの方々を巻き込む行為であると言えます。
上述の通り、和英会長と美和副会長が、公私混同の ”打ち合わせ” をしていたことは事実ですし、その後、実際に、ミツカンが ”打ち合わせ” どおりの配転を行い、仮処分裁判で敗訴したことも事実です。
H川さんは、僕達の結婚を大変喜んで下さいましたし、常々、僕のことを、親しみを込めて、「いいヤツだ」と言って下さいましたので、本来は、僕と対立する必要の無かった方でした。
仮に、公私混同の ”打ち合わせ” を行った事実を棚に上げて、責任や尻拭いを部下に押し付けたのだとしたら、ましてや、中埜家の功労者とも言うべきH川さんにそれを押し付けたのだとしたら、僕の目には、無慈悲 であると映ります。
週刊文春の2019年6月6日号の記事に、
中埜家の家訓が紹介されていましたので、
それを引用させて頂きたいと思います。
初代・又左衛門さんが残された家訓には、下記の2点が明記されています。
他人や召使いに対しては、無慈悲なことはけっしてしてなはらぬ
夫婦はむつまじくせよ
〜以下、週刊文春の記事より抜粋〜
※黄色マーカーは僕によるものです
<記事より抜粋>
ミツカン創業者、初代・又左衛門は「他人や召使いに対しては、無慈悲なことはけっしてしてなはらぬ」「夫婦はむつまじくせよ」などと記したハか条の家訓を残している。
初代の言葉は今、中埜家にどのように響くのか。
〜週刊文春・2019年6月6日号〜
<関連記事>
(↑リンク:文春オンライン)
引用元:週刊文春・2019年6月6日号