※ 本日の記事は、昨日の記事の続きですので、

まだ読まれていない方は、

ぜひ先に、2-22(←リンク) をご覧ください。

 

また、先日の記事でも同じご説明を致しましたが、記事に登場する「H川社長」は、創業家以外で初めて、ミツカンの社長になられた方です。

 

この当時に代表取締役専務であったか、あるいは社長であったのか、記憶が定かではありませんが、少なくとも、この数ヶ月以内に社長に就任されました。

 

 

 

まさかの濡れ衣(ぬれぎぬ)でしたが、

僕達夫婦の関係は一切揺らぎませんでした。

 

 

それでも、妻の表情を見れば、”夫が嘘つき呼ばわりされている” ことに、ひどく心を痛めているのは明らかでした。

 

 

僕は、妻のストレスが、妻自身や赤ちゃんの健康に影響するのではないかと とても心配でしたショボーン

 

 

 

お腹にいる赤ちゃんのために、少しでも良ければと願って、夫婦でフルーツりんごとか野菜にんじんをたくさん食べて気を使っているというのに… 

 

 

なぜこのような酷い仕打ちをするのだろうか…

 

 

 

本来であれば、

ただの濡れ衣なので、

直接義父にお会いして事実をご説明をすれば終わる話なのですが、

 

 

実際には、

そのような単純な話ではないと言える理由が、

2つありました。

 

 

1つ目は、

いきなり「H川 社長」に調査を命じられたということは、義父は、僕の話など最初から聞くおつもりはないと理解できました。

 

 

今のまま、直接お会いすることを試みても、火に油なのは明らかでした。

 

 

2つ目の理由は、

実は、直前にも、中埜家内で似たような事件があり、その際に、僕が、

 

 

 

明らかな誤解であり、

ご説明をしたいので、

2人だけでお話できませんか?

 

 

 

と懇願したのですが、

義父は、話を聞いて下さるどころか、

 

 

 

お前なにもんだと思ってるんだ! お前!!

 

※ 義父の発言のテープあり。

このような激しい発言と表現はその後も何度も使っているのです…

 

 

 

と、僕を怒鳴りつけたのでした。

 

 

実は、以前の記事では触れませんでしたが、この事件がきっかけとなり、僕達夫婦は義理の両親との同居を解消して、名古屋で夫婦水入らずの別居を開始したのでした。その時は妻が動いてくれました。

 

 

お立場が違うというご認識なのか、僕から見れば、万事このような剣幕であり、義父にはとても近づけませんでした。

 

 

僕の目から見れば、ミツカンの幹部の方々も同様でしたが、唯一、義父の隣に、いつもいらっしゃったのは、義母の中埜美和 さんでした。

 

 

このような状況であったため、僕は結婚してから、義父と2人だけでお話をしたことは一度もなく以前の記事でお伝えした、結婚前に2人でお酒を飲んでお話をしたのが最初で最後でした。

 

 

 

さて、この危機的状況の中で、

僕がとった行動をお話します。

 

 

 

僕は、嘘つき呼ばわりされた後、すぐに、東京の実家に電話をして、僕の私物が残っていないか確認しました。そしてすぐに実家に戻り、

 

 

徹底的に探したところ…

 

 

出てきましたビックリマーク

ラグビーの国体全国3位の賞状でしたビックリマーク

 

 

 

よかったウインク

 

 

 

これを、早速、

「H川 社長」に証拠としてお渡ししました。

 

 

「H川 社長」も、なんだかホッとされた様子でした。

 

 

そして、

 

 

 

賞状をお持ちでよかったです。助かりましたビックリマーク

 

 

大輔さんの 高校時代の恩師の●●さんにもお会いしてきましたよ。素敵な方ですねウインク

 

 

 

と言って下さいました。

 

 

僕はこの時、

 

 

 

さすがに社長の行動力は凄いな…びっくり

 

 

 

と大変驚きました。

 

 

 

一体どうやって僕の恩師と連絡をとって、そんなにすぐに調査ができたのだろう…

 

 

 

ともかく、

このようにして、この騒動は、濡れ衣(ぬれぎぬ)であったと証明され、義父母による極めて一方的な言いがかりであったことが明らかになったわけです。

 

 

 

ところが…

 

 

 

さんざん嘘つき呼ばわりされたものの、

義父母から 僕には、

一言もありませんでした。

 

 

 

あれ?? 

あれだけ嘘つき呼ばわりされたのに…ショボーン

 

 

 

今思い返しても、

大変 後味の悪い事件であったと思います。

 

 

 

そして、実は…

  

 

 

この時の僕には、知る由もありませんでしたが、

この後、1年程が経過してから 発覚したのですが、

 

 

 

この事件は、

今後を暗示していた、

大変根深いものだったのです…