※ 本日の記事は、前回の記事の続きですので、

まだ読まれていない方は、

ぜひ先に、2-52(←リンク) をご覧ください。

 

 

 

英国と日本で行われた

テレビ会議でのこと。

 

 

僕は、ミツカンのH川社長K島常務から、

義父母からの要求について伝言を受けました。

 

 

3ヶ月以内にミツカンを辞めるようにという内容でしたが、なぜ唐突に ”3ヶ月以内” との数字が出てきたのか理解が出来ませんでした。

 

 

 

代表(和英会長)から

3ヵ月っていうのは出てきました。

元々は”1年”と代表は言っていました。

 

 

 

H川社長は、

このように説明しました。

 

 

以前の記事2-28(←リンク)でお伝えしたとおり、

僕は以前に、義父から一方的に、育休取得中の ”1年以内” にミツカンを辞めるよう言われていました。

 

 

これが突如、

「1年以内」から、

「3ヶ月以内」に変わったのです。

 

 

(実質的に)親権を奪い、

いつでも親子を引き離すことが可能になったので、義父母は強気に出たのでしょう。

 

 

この要求についての回答を求められた為、

僕は、次のような趣旨の返事を伝えました。

(社長と常務を通じた義父母への回答ということです。)

 

 

 

”子どもの誕生”という

人生で最も尊い瞬間に、

 

 

(子どもの親権を渡さなければ)

片道切符で日本の配送センターに(飛ばす)

殴られるくらいじゃ済まされない

離婚が絶対条件

 

 

などと脅迫されたことがショックであり、

退職の命令について

前向きに考えられる心境ではありません。

 

 

 

僕のこの発言を聞いて、

H川社長は次のように言いました。

 

 

 

(以前、私も和英会長から)

ものすごい叱られ方を、これはもう人には言えないくらい悔しい思いをした。

 

 

(社長としての業務を)

これだけやってるのに、なんでここまで言われなきゃいけないんだ。

 

 

家族にも言えないことを言われた。

 

 

大輔君と私の立場はそれぞれ違うけれども、

中埜大輔っていう名前を名乗っている以上、

それはもう覚悟してやるしかない。

(理不尽だろうが堪えて頑張るしか無い。)

 

 

本人(大輔君自身)が思っていたことを越えてるかもしれない。

ただそこには聖子さんとの信頼関係がある。

事実、あるわけじゃないですか。

 

 

そこに、そう選択したんだから、あなたは選択したんだから。

 

 

説得になってるのか、わからないけど。やるしかないんだから。

 

 


H川社長は、和英会長の命令を理不尽と思いながらも立場上は僕を説得しなければいけない苦しいお立場であったと推測します。


とても筋の通っていた方で、時に私のことを庇ってくれたり励ましてくれることもありました。


しかし残念なことにH川社長はその後、健康問題を理由に退職されてしまいました。


本当に健康問題が理由であったのか…? 僕は自分がミツカンから嫌がらせを受けて1年間の自宅待機をさせられていた後、久しぶりに会社に出社できたとき、なんと自分は健康問題が理由で休職していたことになっており驚いたことを思い出しました。


H川社長が退職されたのは仮処分裁判でミツカンが敗訴した直後のことでしたので、敗訴の責任をとらされたのか、もしかしたら僕のことを庇ったことが和英会長の怒りを買ったのではないかと思い、今でも引っかかるところがあります。

 

※ H川社長が突如 "社長" から "参与" に降格になり、その後ミツカンを退職されたことについて、以前の記事2-24(←リンク)でもお伝えしています。