※ 本日の記事は、前回の記事の続きですので、まだ読まれていない方は、ぜひ先に、2-51(←リンク) をご覧ください。

 

なお、以前にもお伝えしたとおり2019年に僕と妻の離婚が成立している為、正確には ”元妻” という表現が正しいですが、時系列によって使い分けるのは混乱をきたしますので、便宜上、”妻” との表現に統一致します。

 

 

英国と日本で行われた、テレビ会議でのこと。

 

妻は、義父母(妻の両親)に伝える目的で、ミツカンの H川社長 と K島常務 に対して、自身の考えを伝えました。

 

※ 妻は両親(義父母)に対して、普段から敬語あるいは丁寧語で会話をしていました。また、義父母は、今回のように、部下を通じて娘である妻に指示を伝えることがありました。

 

そして、僕が義父母から養子縁組書類へのサインを強要された際に、 ”その場” でサインをしなかった理由を説明し抗議をしてくれました。

 

 

ミツカンを辞めて違う会社に行きなさいって(義父母から)言われている中で、一番最初に私と代表(義父)と美和取締役(義母)とK島さん(常務)の4人で話し合ったことに対して、大輔さん、かなり、自分が追い出されるんじゃないかという恐怖感を抱いていました。

 

養育権とかそうしたものもすべて(つまり親権を)私達は両親に譲らなければならなくて。

 

そうした中で今の両親と私達の関係を思うと、今すぐにでも息子を日本に連れて帰って、私の両親が育てるんじゃないかっていう恐怖心もあって。

 

※実際の発言です。僕は義父母の破壊行為から家族を守る目的で、録音をしていました。

 

 

義父母が、「目の前でサインせよとの命令に背いた」と激怒していることに対して、「サインをするべきかどうか、夫婦として一晩話し合う必要があった」と伝えたのです。

 

※ 「命令に背いた」と腹を立て、義母が僕たちに脅迫メール送ったことについては、2-39(←リンク)を御覧ください。

 

そして、続けて、妻は次のような趣旨の発言をしました。

 

 

(義父母が妻個人の) 貯金を取り上げるのは、フェアではない。

 

 

この発言の背景はこうです。

 

義父母の方針で、妻はミツカンの給与に一切手を付けられないようになっており、僕達夫婦は、結婚してから一貫して、ミツカンの一般職である僕の給料の範囲内で家計をやりくりしてきました。

 

僕たちは家計にはかなり気を使っており、特に渡英してからの僕は、1ペンス単位(英国通貨の最低単位)まで記録した家計簿を、義父母の部下の方に報告していました。

 

世間一般の多くの家庭のように、僕は小遣い制(月3万円程度)でしたし、少ないながらも夫婦で一定の貯金をしてきました。

 

そんな中、義父母は、妻の給与とは別の、妻が幼少からコツコツ貯めてきた預金を(実質的に)凍結した上で、僕を退職させ、家計を困窮させようとしたのです。

 

給与口座ならいざしらず、個人の預金口座まで凍結されたのではフェアではないと、妻は義父母に抗議をしたのです。

 

要するに、義父母は、先ずは子どもの親権を(実質的に)奪い、いつでも親子を引き離せる状態にしたうえで、僕を退職させて収入を途絶えさせ、僕たち夫婦を経済的に追い詰めようとしたのです。

 

子どもの親権を (実質的に) 奪われているため、僕が英国で仕事を探して妻子を食べさせていくのであれば、家族に口出ししないというような話ですらなく、公私に渡る徹底的な家族への介入です。

 

義父母のありえない仕打ちに抗議しながら、妻は涙声になっていました。

 

それに気付いた、H川社長 は言いました。

 

 

もう涙は出して、

出したあとでいいですから。

無理してこらえないほうがいいですよ。

 

※実際の発言です。僕は義父母の破壊行為から家族を守る目的で、録音をしていました。

 

 

妻は、息子の生後5日目に、義母(妻の実母)から、

 

(子を養子に出さなければ)

離婚が絶対条件

殴られるくらいじゃ済まされない

 

とのメールを送りつけられてから、声を詰まらせることが増えました。

 

僕の知る妻は 気丈であり、人前で涙を見せることは無くいつも陽気でしたが、初出産直後に養子を強要された事件や、義母の暴力的なメールにより、精神的に追い詰められていました。

 

僕の目には、公私に渡る陰湿ないじめ(パワハラ)にしか見えませんでした。

 

 

 

写真は僕が当時感じたイメージです。