※ 本日の記事は、前回の記事の続きですので、

まだ読まれていない方は、

ぜひ先に、2-50(←リンク) をご覧ください。

 

 

 

義父母の指示によって、

テレビ会議が実施されたのは、

 

 

息子が産まれてから

約2週間が経過した時でした。

 

※つまり生後4日目の養子縁組事件のすぐ後ということです。

 

 

出席者は、

ロンドンからは

日本のミツカンからは、

H川社長K島常務で

 

 

合計4名でした。

 

 

約3800名の社員を擁する

ミツカンの社長常務に対して、

僕は一般職ですので、立場は大きく異なります。

 

 

今振り返れば、この会議の内容は、

当事件を象徴する

大変重要なものであったと言えます。

 

 

 

会議が始まりました…

 

 

 

先ず、

 

 

僕に対して、

義父母からの伝言が伝えられました。

 

 

 

代表(義父)が

“けじめ”という言い方をされておりました。

 

 

きちんとこれまでのことを

1回決着をつけるという必要がある。

 

 

代表から言われていることを1つ言いますとね。

(すぐに大輔だけを)日本に帰すというけど、

「3ヵ月猶予期間を作ったらどうかな」って。

 

 

代表からのメッセージは

「3ヵ月間の時間を渡す」と。

すぐに(ミツカンを辞めろ)とはいわないが。

 

 

3ヵ月の中で

就職活動を含めて動く。

(仕事を探しミツカンを退社する)

 

※実際の発言です。僕は義父母の破壊行為から家族を守る目的で、録音をしていました。

 

 

これらの伝言は、

つまり、

こういう趣旨でした。

 

 

 

子を養子に差し出すよう求めたが

大輔はその場でサインをせず

命令に逆らった。

 

※書類にサインして翌日持参していますので、

”その場”で僕がサインをしなかったことに腹を立てているということです。

 

 

本来は、

すぐに日本へ飛ばすことも出来るが、

”けじめ” をつけるならば3ヶ月間猶予を与えるから、

 

 

英国で自分で仕事を探し

ミツカンを辞めろ。

 

 

 

義父母からの この伝言を聞いて

僕は 心底がっかりしました。

 

 

よりシンプルに言えば、

こういうことなのです。

 

 

 

3ヶ月以内にミツカンを辞めろ

 

 

逆らったら子どもと引離すぞ

 

 

 

既にお伝えしたとおり

義父母は、

無理やり(実質的に)僕から親権を奪いましたが、

 

 

蓋を開けてみれば、

やはりその目的は、

有利な立場に立って僕を追い詰めることだったのです。

 

 

まるで、

愛する子を人質にとられて

要求を突きつけられたようなものです。

 

 

義父母の

公私混同にもがっかりしました。

 

 

オーナー会長(義父)からの業務命令であれば

H川社長は逆らえませんので、

 

 

これを利用して、社長と常務に会議を行わせ、

社長を通じて 

をミツカンから退職させようとしたのです。

 

※ 義父母は公私混同を繰り返していました。以前お話した”濡れ衣事件”の際にも、H川社長に同様の指示を出していました。詳しくは2-222-23を御覧ください。

 

 

残念ながら、

卑劣な手口だと

いわざるを得ません。

 

 

 

そして…

 

 

 

会議はこのまま終りませんでした。

 

 

この後、妻が涙ながらに抗議をしたことで、

僕はついに、義父母が描いていたシナリオの全体像を垣間見たのでした。

 

 

 

写真は僕が当時感じたイメージです。