支配から逃れたい。なかまきひさえです。
夕食の準備完了。
主人の仕事が終わるまで待たないといけない。
(言われてるわけじゃないのに)
時間通りに終わらず、待つことが増える。
イライラ。イライラ。
そんな話をしていると
「それ、待たないとイケないの?
遅くなるのなら、先に食べればいいのに」
と、言われた。
えっ(@@)
えっーー
先に、食べる?
私にその発想がなかった。
なぜだろーなんで?
私は先に食べちゃいけないって、思ってしまっているんだろう?
すると、さらに
「それ、自分から支配されにいってるみたいだよ」
そう言わて、ハッ!とした。
なんでそう思うのか…
こんな出来事でも、ちゃんと自問自答するんです。
だって、不快に感じているのだから。
そしてら、思い出した。
主人が子供の頃、ご飯を食べようとしたら、
主人のお母さんが、
「お父さんが仕事をしてくれてるからご飯食べられるんだよ。
お父さんが仕事終わるまで待とうね」
って、言ってた…と。
何気ない会話の中で、その時には深く考えもしなかったのに、
今の今まで思い出しもしなかった話。
じっ~と、考えてみて思い出した事だった。
それを聞いたからなのか、
私の選択肢に【先に食べる】はなかった。
自分に、なぜ? どうして?
って、聞くのって大事だよね。
私の選択肢はひとつ。
【主人が終わるまで待つ】
しかも、イライラしながら、
我慢しながら、その1択だった。
「旦那さんは先に食べてたら怒ったりするの?」
ん〜どうなんだろ。
「聞いてみたら良いよね」
えーっ、聞くの?
聞きづらい、聞いたあとの反応も怖い。
主人がお母さんの言葉を私に伝えたってことは、
【待つこと】
それが主人の理想像?
聞いてみる?
イヤ、 聞いたとして、もし機嫌損ねられたら、
それはイヤだし、だから私が我慢すればいい、
そうやって、主人の意思とは関係なく、
私のこじらせ思考によって、主人は支配者になる。
私が自ら支配されにいってるのに。
「先に食べてて良い?」その一言が、言えない。
このままイライラの日々を過ごすのか、
私の気持ちを伝えるのか。
この気持のまま過ごすのはイヤ。
変えたい。
で、
「ねぇ、もし30分以上遅くなった時には先に食べてても良い?」
と、聞いてみた。
「ん、良いよ」
えっ、えっ、そんなカンタンに、あっさりとOK!
案ずるより産むが易し、とはこの事ですね。
先に食べてはイケない。
仕事をしてる主人を待たないとイケない。
先に食べてたら機嫌を悪くするかもしれない。
待たない私はダメな奥さん。
そんなこじらせ思考で、
私自身に我慢をさせていた。
イライラの原因は、遅くなる主人ではなく、
自分にガマンさせていた私自身だった。
「自分から支配される事を選んでるみたい」
その言葉は、私には、そんなつもりは全くなかったので、
衝撃的、カミナリ落とされた感じ、カルチャーショックでした。
相手が〇〇と思うかもしれない、
その〇〇という捉えグセ、捉えぐせは人それぞれ。
思いぐせ、捉えぐせがこじれた思考なら、変換するのみ。
怖がって、心配して、言いたい事も言えず、伝える事も出来ず、
一番大切にしなきゃいけない自分自身に
我慢ばかりさせているとしたら、
イライラばかりさせているとしたら、
自分の奥に隠されてる声を一度じっくり聞いてみてください。
ホントは私、どうしたいの?
自問自答オススメです。
こじらせ思考の変換で、大きく人生も変換します。
いつもの景色がワクワク&ウキウキの景色に変換するよ。
こじらせ思考どんどん変換しましょ。
旦那さんを、親を、子供を、職場の人を、こちらのこじらせ思考で、勝手に、支配者、独裁者にするのはもうやめましょう。
こじらせ思考飛んでいけ~ですぞ。
では。
また。