キモノとビーズの小粋なカンケイ
着付講師Kaikoとビーズ作家NAGOMI の小粋なコラボ。
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vol104『贈り物のはなし』

『贈り物のはなし』

 クリスマス、お歳暮にお年賀と、贈り物の季節ですね。
 先日、NAGOMIさんちを訪問したら、帰りに、近所のお惣菜屋さんの酢豚とポテサラを持たせてくれた。3時を過ぎてお邪魔したので、帰ってからの夕餉の支度の慌ただしさを慮ってのことだろう。お菜の足しに、という心遣いが彼女らしい。お互いの行き来に、お土産はなしでね、あっても手のひらに握れるもので、と言うと、「手のひらサイズにもこんなのが!」と嬉しくなるお品をそっと渡してくれるNAGOMIさんです。
 シナリオを勉強していた頃に出会った友人も、おしゃれで贈り物上手。質のよい手漉きの和紙カードやレターセットは心から嬉しい。書き損ねて紙を無駄にしてばかりの私は、もっぱら安い実用箋を愛用しているけれど、やっぱり、美しい便箋は持っているだけで心豊かになるし、相手を想って大事に書くという行為に誘ってくれる。彼女は抜群に記憶力がよく、また、人をよ~く観ているんです。覚えてくれてた、観てくれてた、そういう嬉しさも、贈り物には含まれているんじゃないかと思う。
 随分後になってから気づいた贈り物というのがあって、忘れられない。
 かつてのお稽古さんで、いっとき、濃厚に関わった年下の個性的な人。隙のないデキる女性でありまして、ワタシでは物足らぬのではないかと緊張したものだが、親しんでいくうちに、万華鏡のような人柄に魅せられて、彼女とのきもの時間を楽しみに待つようになった。その彼女に、帯か帯揚げかなにか、貸したことがあって、それが美しく巻かれて郵送されてきたのだったが、解いてみると、帯か帯揚げを巻き付けた「芯」も白い和紙できっちり巻いてあった。ボール紙でできた、ただの芯にも包み紙。ウン、彼女ならするだろうな、芯が美しいと初めて思った。で、帯や着物の梱包の時に使おうと大事にとっておいたわけですが・・・、引っ越しで出番がやってきて、気づきました。紙で巻かれた芯の中身。それはコロコロクリーナーの替えロール3本だったのです!
 この芯、ただの芯じゃなかった。わたしへの贈り物だった。だから、美しく包装されていたのです。愛らしいクローバー柄の替えロール、今、使っています。なくならないように使っています。


ビーズとキモノの小粋なカンケイ

kaikoのきもの便り2023年ラストの号

 

12月の八芳園は燃えるような赤の庭園になっていました!今年最後の投稿はこの着物。

和食店のご主人のお母様の結城紬。しつけがついていました。

いただいて6年、ようやくお見せすることができました。

贈り物の季節。誰に何を贈りましたか。嬉しかった贈り物は何ですか。

贈り、贈られ、想い、想われ。温かい気持ちで新年をお迎えください。

12月はじめに入れた山帰来、クリスマス過ぎてもまだ生き生きとして、そのままに。

よくがんばってくれてありがとう、と声をかけていると、植物からありがとうと返されているような。

皆さんもご自分に、よくがんばった、ありがとう、を贈ってくださいね。

 

 

 

 

 

 

 

 

             

 

vol103『きものの冒険』

『きものの冒険』

 10月15日。何年ぶりか!・・・分からないくらい遠のいているお茶会にひとりで参加。これも、2023年夏に東京に戻ってからの、きものと再び仲良くする練習の一環です。
 当日は、予報通りの冷たい雨。前日まで25度近い日が続いていて、単衣を考えていたけれど、慌てて袷を出し、これまた何年ぶりだ?・・・の雨コートも重ねたものだから、お茶会前からカラダが悲鳴。鎖骨が砕けるかと思いました(笑)。
 更年期症状とともに幾年月、洋服も軽さ重視、締め付け厳禁、下着にいたっては「ただの布きれじゃん」と妹に目を剥かれている身からすると、ひたすら辛いきものの冒険でありましたが、初めて根津美術館のお茶室へ入り、茶室に放たれる濡れた緑の影、匂いに、ひととき、きものの重さを忘れました。
 毎回思うのだけど、きもの姿は集まるとボリュームが出て、見るも落ち着かず、加わるのにも勇気が要ります。集団で、お茶席の座る場所を巡って小さく揉めるところも微笑ましく・・・とはいかず、そういう狭量な自分も疎ましく思えて、言いなりに(意地を張って)正客に座り、最後に入ってきた人が正客の位置に通されると、内心ホッとするのでありました。気軽なお茶会でよかったですこと!きものの冒険、無事終了。

 

ビーズとキモノの小粋なカンケイ

kaikoのきもの便り

※お茶会のきものではありません。

日本近代文学館の和室。民藝館の帰りに、年上のきもの美人が撮ってくれました。

叔母の縹(はなだ)紬、地味だけど、臙脂の帯締めが効いたかな。


 

vol102『猫、さまざま』

『猫、さまざま』

 自転車のタイヤがパンクして、平和通り商店街の自転車屋に行ったら、間口いっぱいに並んだ自転車の、タイヤとタイヤの隙間に、茶虎の猫がいた。
 こちらの猫さんですか、と聞くと、愛想のない店主が、うちの野良猫と答えた。
 うちの野良猫、と頭の中で繰り返しながら再度猫を見ると、毛並みも悪く、背骨もあばらもごちごちと出っぱった、最近では見たこともない痩せ方で、ただ、耳は桜の形にカットしてあった。
 不思議にも、猫は、開け放った引き戸から中へは入らず、中にいる店主の方へ顔を向けてじいっと蹲っている。店主も猫を気にかけるでもなく、猫も、出入りする客が気づかぬほどの静けさで、風景の一部に収まっているのだ。
 猫は、のっそりと立ち上がると、自転車のタイヤをすり抜けて、店の横へ回った。そこが猫の食事場所なのだった。吐き戻しに配慮してか、脚の高い餌皿であることが、店主の猫好きをうかがわせた。食べるさまを見れば、突き出た肩甲骨が何か憐れをもよおすが、人が勝手に憐れがっているだけであって、猫は、ここを我が場所を定めて、安穏と暮らしているのかもしれない。そして、店主も、野良を家には入れず、野良を尊重して、猫かわいがりしない。そういう人と猫の暮らし方が、いいも悪いもなく、なんだか、しみじみと胸に染み入ってくるのだった。
 実家の猫ら(白いのと黒いの)も野良出身であるが、もう野良時代を思い出せまいというほど、実家を最上のすみかとし、人にかしづかれて、周辺の野良を見ればヤイヤイと威嚇しているが、とかくワガママが過ぎる。黒い方は、目つきや鳴き方や音量まで使い分けて不満を訴えてくるし、トイレ交換やブラッシング要求もあからさまである。聞き入れられないと、背中に飛びついだり、足を爪とぎがわりにしたりする。白い方は、ストーカー並みに人を追いかけ回すが、抱かれると威嚇する。こちらが彼女を忘れている時に限って、しれっと床糞などして、困った気の引き方をする。うっかり可愛がりすぎたかと思う。

 猫、さまざま。人と猫のカンケイ、さまざまである。

 

ビーズとキモノの小粋なカンケイ

kaikoのきもの便り

八芳園~テラスときものとヒコーキ~

 

 

 

 

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