818)大阪発着の「しなの」終焉 26日ダイヤ改正で | 千葉の鉄道、そして Now & Then

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 この3月ダイヤ改正で消えてしまったものに、大阪~名古屋間の「ワイドビューしなの」があります。

 2009Mワイドビューしなの9号 大阪 8:57→10:58名古屋11:00→13:53長野

 2016Mワイドビューしなの16号 長野14:04→17:01名古屋17:03→19:18大阪

の1往復の大阪~名古屋間が今回とうとう廃止されました。


 特急としての最初の「しなの」はS43.10改正(ヨンサントオ)で名古屋~名古屋間に1往復で登場した181系DC特急でした。

 11D 「しなの」 名古屋 8:40→12:51 長野

 12D 「しなの」 長野 15:10→19:24 名古屋

 需要の大きかった区間ですが、勾配を克服できる大出力の181系の完成を待っての、やっとの登場といえるものでした。

 最初は1往復でしたが、2年半後のS46(1971).4.26改正で大阪~長野間の昼行DC急行「ちくま」を格上げし、さらに「きそ」の1往復も格上げ、計3往復となりました。このときに大阪発着の「しなの」誕生となります。


 貴重な東海道本線を走る(いまや長距離といえる)昼行特急でした。


730324-54 1257発 4013D「しなの2号」 大阪発

 S48(1973).3.24 木曽福島12:57発の4013Dしなの2号 キハ181

 大阪発の「しなの」は、名古屋~木曽福島間ノンストップ!従って、乗務員交代は名古屋の次はここ木曽福島です。運転士が交代したあと、前任の運転士が見送るところです。

 跳ね上げられた蹴込み板にはナンバーが書かれているのですが、この車両、たまたま文字が擦れていて読み取れません。



 S46(1971).4.26改正の時刻表

 キハ181系「しなの」が3往復化されたこの S46年4月改正では、大阪「しなの」は列番が違い2013Dです。名古屋発の時刻も 12:15でしたが、次の改正で名古屋発は11:00 に変更されます。

 上の木曽福島の写真は改正後のもので、その名古屋発11:00というのは2016年3月改正で2009M(ワイドビュー)しなの9号として大阪発が終わるまでずっと続きました。


S460426改正 中央西線時刻表  

 


 ↓S45(1970).7.1訂補、「しなの」誕生時の時刻表


S450701訂補 中央西線時刻表

 181系しなの は1往復で登場していますが、この前のページに記載されています。

  11D 「しなの」 名古屋 8:40→12:51 長野

  12D 「しなの」 長野 15:10→19:24 名古屋

ですが、なぜこのページを掲載したかというと、ここに載っている

 大阪10:00→17:43長野、の1801D「ちくま1号」が大阪発「しなの」の原型といえるものだからで、当時は大阪~長野間はDC急行で 7時間43分でした。次の改正で1801Dが特急「しなの2号」に格上げされてで6時間20分となります。

 最終的には、2016年3月の終焉時には4時間56分にまでスピードアップされました。

 電車化・振り子化はすごいものですね。それでも大阪~名古屋間は新幹線のスピードに慣れてしまって、乗客はそちらに移ってしまったそうです。残念です。


 

 381系オリジナル編成のころ。

800118-49 0852 4049Mしなの9号 1号車クハ381-11

 S55(1980).1.18 4049Mしなの9号 

 381系9連 高槻~山崎

 6M3Tです。 MM’+クハ381、あるいはMM’+サロ381 の3両でユニットを3組 組みます。

 サロ381 は神戸方から数えて4両目と東海道での定位置。しかし当時の号車番号付番は塩尻以北で中央東線・信越線と合わせていたので、塩尻スイッチバックにより大阪方が9号車となっており、グリーン車は6号車、という号車番号でした。 

0852 4049M オサ0830~1055ナコ1100~1327モト

 関西の幹線独特の大信号機が懐かしい。もっと拡大したアングルで撮っておけばよかった・・・。

 サントリー山崎工場と天王山がバック。今ではこのあたり、マンションは林立するわ、南方に島本駅ができるわで、すっかり風景が変わってしまいました。


 時は流れて1997年9月。

 横軽廃止の9月30日を前に、このあたりをうろうろしていました(笑)


970929 26p-1

 1997.9.29 長野で

 長野6:17発の 1002M「ワイドビューしなの2号」名古屋行き が1号車のパノラマグリーン車を先頭に篠ノ井方から6番線に入線してきました。通常は6両ですが、このときは名古屋方に4両増結されて10両となっていました。

 2日後の長野新幹線開業を目前に、在来線では4・5番線が絶対立ち入り禁止!理由は床全体にリノリウムを塗りたてだからだそうで、着発番線の変更がされていました。

 

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 A2編成は、長野方1号車より

 クロ383-2 モハ383-2 サハ383-2 モハ383-102 サハ383-102 クモハ383-2+クハ383-3 クモハ383-15+クハ383-1 クモハ383-13(10号車)→名古屋方

 
970929 21p-1

 

 この前の時間帯に戻りますが、5:23、7番線に大阪からの「ちくま」4801レが到着。

 この列車も長野新幹線開業時のダイヤ改正で電車化(4801M)されます。


 2016年3月に廃止された 大阪発着の「しなの」はこの「ちくま」の昼行版(DC急行)が格上げされて誕生したものでした。「ちくま」と「しなの」はともに関西と信州を結ぶという、切っても切れない縁があったのでした。


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 「ちくま」が夜行3往復体制だった昭和50年代前半、下りは1・3号が季節の客車列車、2号が定期のキハ57・58系で、松本分割の季節「くろよん」、長野から飯山線戸狩まで行く「戸狩」を併結しており、関西からの登山やスキーによく利用したものです。


 定期の1往復のみになったあとは、12系客車のみの時代を経て、1997年には12系座席客車+15形寝台車2両となっていました。

 1997.9.28 大阪発の「ちくま」4801レ は以下のとおり

  EF64 50(篠ノ井区)  ↑長野方

 スハフ12 3003

  オハ12 3007

  オハ12 3002

  オハ12 3010 

  オハ12 3004

 オハネ15 35

 オハネフ15 18

 機関車はJR貨物の篠ノ井機関区、客車はJR西の宮原、車掌はJR東(長野到着時点)・JR西日本・東海(塩尻以南?) の共同運行体制。

 
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 しばらくすると、「ちくま」は長野7番線からEF64に押されて留置線へ。


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 EF64 50 が切り離され、12・15形客車は夜まで留置。

 115系が多く見られるほか、奥に見えるは仙石線の103系のようです。入場待ち中?

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