797) さよなら富士急2000系--旧国鉄 直流急行型最後の編成が引退 | 千葉の鉄道、そして Now & Then

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 2016年2月7日(日)、富士急の「フジサン特急」2001編成が最終運行を行い、引退しました。

 もともとは旧国鉄「パノラマエクスプレスアルプス」の -3 の3両、そのもとをさかのぼれば旧国鉄165系電車で、これにて旧国鉄直流急行型電車はすべて終焉となりました。


 私にとって、特急型よりもさらに親しみがあり好きだった急行型電車のいよいよの最後、大きな時代の歯車がまたことんと進んだ気がします。二度と戻らない方向へ・・・。


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 2016.2.6(土) 9:06 702 フジサン特急2号 寿~三つ峠

 2001(E1)編成  富士山方→クロ2001 モロ2101 クモロ2201→大月(河口湖)方
 クモロには大きな涙が入りました。サイドは特に変わっていないかな


 以前のクモロ2201↓


130608 1716-5 714レ クモロ2001
 2013.6.8 17:16 714 フジサン特急14号

 河口湖16:56→17:45大月

 クロ2001(元クハ165-192) モロ2101(元M'-850) クモロ2201(元Mc-127)→大月



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 パノラマ車(2001)のサイドには「ありがとうフジサン特急」・「号泣号」の文字が入っている、との情報があったので、大きく先頭部サイドもねらってみました。(ちょっとわかりにくい):2016.2.6 702列車


 フジサンがぼろぼろ泣いています。以前のクロ2001は↓


130608 1716-6 714レ  クロ2001
 2013.6.8 17:16 714 フジサン特急14号



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 2016.2.6 11:13 705 フジサン特急5号

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 12:18 706 フジサン特急6号


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 12:19 706 フジサン特急6号


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 サイドをトリミングで。


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 2016.2.6 13:23 709 フジサン特急9号


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 13:23 709 フジサン特急9号

 なぜか通過中に松久保踏切とがんじゃ踏切間を走りまわっている鉄がいました。


 ここには30人以上集まっていました。この709の折り返しは夕方まで河口湖を出てこないので、撮影はここまで。静かに見送りました。


 最後に、2001F、2002Fが同じフジサン塗装で並んでいたころを↓


130608 1855 右2002F,左2001F 大月  (3)
 2013.6.8 18:55 左:2001F、右:2002F 大月で。


 今回引退の2001Fの新旧対照です。

 クモハ165-127 →クモロ165-3 →クモロ2201

  モハ164-850 →モロ164-803→モロ2101

  クハ165-192 → クロ165-3 →クロ2001

 一番左はS44年7月の房総西線千倉電化時の新製時。配置は津田沼電車区でした。用途は新宿・両国⇔館山・千倉・(S46.7からは安房鴨川まで)の急行「うち房」です。グリーン車を新宿方から2両目(当初は6号車、S47年7月から付番順が逆になり2号車) に組み込んだ7両編成、増結時は10両編成でした。


 S47年7月の幕張電車区開設で津田沼電車区から幕張電車区へ転入。房総循環急行「みさき」・「なぎさ」に使用されます。この時から臨時への充当はほぼ無くなりました。それ以前には千倉~甲府間の「甲州ぶどう狩り号」、下りのみ片夜行の千葉~河口湖「ハイランドスケート号」、新宿~成田「成田山初詣号」などがありましたが・・・。

 S50年3月改正からは「なぎさ」・「みさき」に替わって、千葉県内の急行5種(内房・外房・犬吠・水郷・鹿島)で活躍しました。

 S57年11月の房総急行廃止まで、転入の153系とともにこの体制が続きます。


 S57年11月の急行廃止後には千マリの165系はばらばらの道をたどります。

 新製千マリ配置組は、サロ165をはずした残りは39両(3連X13本)でした。

 サロ165と153系は廃車でした。

 その後のこれら3連X13本の命運は、幕張に操配用として残った2本6両(これに転入の169系3両が加わります)、新潟へ転出した8本(24両)、クロ165系お座敷電車「なのはな」に改造された2本(6両)、そしてS61年秋に大井工場へ入場し「パノラマエクスプレスアルプス」に改造された 今回廃車となる「附2編成」→パノラマEXPの -3の3両です。

 パノラマEXPの-4 の編成は、千マリ「附2編成」よりも1年ほど早いS43年製造の もと松本車→三鷹車でした。


 その後、JR東日本で廃車となった「パノラマEXPアルプス」 の6両を富士急が2001年9月に購入、2002年の年始臨時列車で富士急デビューとなりました。2002年2月28日からは「フジサン特急」として定期運行が始まりました。


 2001編成以外はすでにみな廃車されました。2014年2月に引退した2002編成も年度内の3月に早々と解体されてしまいました。最後に残った1本3両がこの2016年2月7日にとうとう引退となりました。


 ざっくりみると、1969年7月からのツヌ区~マリ区定期急行時代は13年4ヶ月ほど、その後操配用で約4年、パノラマEXPアルプス時代が国鉄最後の日からの14年半ほど、そして2001年9月以降の富士急時代がやはり14年半くらいということになります。


 参照→ 470) の記事

    → 542) の記事

    → 543) の記事


 

 この訪問翌日の2月7日が最終日で、運転台見学、河口湖→富士山駅乗車&富士山駅車庫での入庫お迎えツアー、7日のみの記念グッズ販売などイベントが盛りだくさん。激パだろうし、都合で行けないのでこのあと河口湖駅留置状況を見て帰ることにします(以下、次号)