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本の虫凪子の徘徊記録

新しく読んだ本、読み返した本の感想などを中心に、好きなものや好きなことについて気ままに書いていくブログです。

【再読】  三浦しをん『神去なあなあ日常』 徳間文庫

 

三浦さん続きで、本日はこちらの作品を再読しました。

林業のお話です。

主人公の若い男の子の一人称視点で物語が進んでいく、ということもあって、前回の『舟を編む』よりも文章が軽く、コメディ色強めな作風となっています。

こちらも映画化されています。主演・染谷将太さん、ヒロインは長澤まさみさんでした。伊藤英明さんのヨキは金髪ではありませんでしたが、個人的には結構ハマっていたと思います。

それでは、内容について書いていきたいと思います。

 

以下、内容についての記載あり。未読の方はご注意ください。

 

主人公の平野勇気は横浜生まれの十八歳。特に将来の目的もなく、ダラダラといい加減な生活を送っていました。が、高校卒業後、担任と母親の共謀で、突然林業の現場に放り込まれます。
勇気が密かに書いていたポエムを読み上げ、行かないならこれコピーしてあんたの友達に配るわよ、と脅す母親。ひどいです。
見知らぬ場所で、知識ゼロの状態で働くことになった勇気。朝八時から夕方五時まで、春は花粉、夏はヒルやダニに襲われながらの、超過酷な肉体労働です。林業に興味のない都会っ子にいきなりコレはちょっとキツすぎると思います。私なら三日で音を上げているでしょう。

物語の舞台は三重県にある神去(かむさり)村。携帯も繋がらない山奥です。
そして勇気が暮らすことになった村内最奥部「神去地区」は、住民の大半は六十歳以上、郵便局も学校もなく、生活用品を売っている店は一軒しかないという不便極まりない場所です。娯楽も少なく、結果として明るいうちに働いて暗くなったらさっさと寝る、という生活になります。健康的ですね。
勇気はこの村で、先輩であるヨキの家に厄介になります。ヨキと奥さんのみき、祖母の繁ばあちゃんとの共同生活です。

山仕事の天才・ヨキは作中で最もキャラが立っている人物だと思います。フットワークが軽いキャラクターなので、作者の三浦さんも動かしやすそうです。金髪でチンピラのような見た目をしており、初対面でいきなり、勇気の携帯の電池パックを奪って投げ捨てるという奇行を見せます。
性格はガキ大将そのもの、既婚者であるにも関わらず趣味は女遊びというやや人格的に問題のある人物ですが、山仕事に関する彼の腕前は本物です。ロープ一本で苦もなく木に登り、チェーンソーではなく斧を器用に操って仕事をします。そして普段は適当ですが、木や山、神々に対しては真剣に向き合っています。喜怒哀楽のはっきりとした、熱い性格の男なので見ていて気持ちが良いです。
ちなみに本名は飯田与喜です。

勇気の所属する清一班の他の面子も、なかなかに個性的です。クールな若社長の清一さん、面倒見の良い巌さん、ひょうきんでマイペースな三郎じいさん。この三人にヨキと勇気、それから白犬のノコを加えたのが清一班になります。協力して長い時間一緒に働くだけあって、非常に仲が良く、良い雰囲気のチームです。夏祭りではお揃いの浴衣でウナギの屋台を出しました。ウナギを捌くのに苦戦してわちゃわちゃやっているシーンは結構好きな部分です。

林業というものはただ植えて切れば良いというものではなく、苗木の植え付け前には地ごしらえ、植えた後は間伐(間引き)、雑草の下刈り、枝打ち、冬の雪起こしなど、こまめに手を入れて管理する必要があります。
また伐採一つ取っても、木が変な方向に転がったり傷ついたりしないように、角度を意識してより効率的に切る必要があります。
この作品ではそういった一つ一つの作業が丁寧に描かれているため、林業の大変さがよく伝わってきました。本当に気の長い仕事です。

花粉の季節に、花粉が黄色い霧のように降ってくる場面は、花粉症の私からすると悪夢のような光景でしたね。周りが杉とヒノキの木ばかりで逃げ場がないというのが辛い。勇気の「ナウシカの腐海」という表現にぞっとします。
ですが、この花粉にしろ、ダニやヒルにしろ、山仕事をしている以上防ぐ術はないので、もう慣れるしかありません。大変です。

最初は嫌々仕事をしていた勇気が、だんだんと山や神去村に愛着を持つようになり、「山の男」らしくなっていく様子は見ていて胸が熱くなります。里帰りしても二日で戻ってきてしまったり、山火事の際には命懸けで消火作業にあたったり。この村で生まれ育った人たちと同じくらい、勇気の心はこの神去村と山に強く結びつけられているようです。
担任と母親が「緑の雇用」制度に応募しなければ、勇気がこの村に来ることはなかった、そう考えると運命とは本当に不思議なものだと思います。

このお話は、勇気が経験した神去村での一年間の出来事が描かれています。
大きなイベントは花見と夏祭り、そして「オオヤマヅミさんの祭り」。この「オオヤマヅミさんの祭り」は作中最も大きな出来事でした。

「オオヤマヅミさんの祭り」というのは、四十八年に一度、神去山の巨木を切り倒すことが許されるお祭りです。神去山は植林地と違い、普段は足を踏み入れることが許されない、人の手の入っていない神聖な山です。
神事なので、この時だけは樹齢千年の木を切ることも認められています。真夜中に川で身を清め、白い装束を着て大木を伐採します。そしてそのまま伐採した木に乗って斜面を滑り降りる、という命がけの祭りです。作中では千年杉を伐採しましたが、その丸太に乗って山の斜面を猛スピードで滑り降りていく場面は何度読んでもハラハラする部分です。とても正気の沙汰とは思えません。ちなみに、今までで八人死んでいるそうです。

信心深い、とは少し違うような気もしますが、深い山奥で神と共に生きる神去村の人々は、考え方も生き方も、都会人のそれとは大きく異なっています。それがとても魅力的です。
神去山に、本当に神がいるのかどうかは分かりません。勇気はあの山で、霧の中の太鼓と鈴の音を聞き、「オオヤマヅミさんの娘たち」を幻視しています。ですが、それはあの山に行けば誰もが神秘を体験できる、というわけではないではずです。勇気の超常体験は、彼と神去山が深い部分で強く繋がっている、その証なのだと、私はそういう風に解釈しています。
 

ストーリーにはあまり関係ありませんが、みきさんが作ってくれる、三合分の米を使った特大おにぎりは読むたびに気になります。鮭や梅干し、コロッケなど色々な具材が入ったおにぎり。三角形をしているそうですが、一体どうやって握ったんでしょう。華奢で小柄なみきさんは、おそらく手も小さいと思うのですが。まあ、何であれ、美味しそうです。
ヒロインの直紀さんも素敵ですが、女性キャラクターの中ではみきさんが一番好きです。初登場シーンがお茶碗をぶん投げるところ、というのがなかなかにインパクトがありました。

 

続編の『神去なあなあ夜話』は今手元にないので、残念ですが、また次の機会に読み返したいと思います。

それでは今日はこの辺で。

 

 

 

 

【再読】  三浦しをん『舟を編む』 光文社文庫

 

本日はこちらの作品を再読しました。2012年の本屋大賞受賞作品です。初めて読んだのは単行本でしたが、文庫版の表紙デザインも好きです。

映画・アニメ版も視聴済みです。

映画はキャストが良いんですよね。宮﨑あおいさんが演じたヒロイン・香具矢は本当に綺麗でした。

それでは、内容について書いていきたいと思います。

 

以下、内容についての記載あり。未読の方はご注意ください。

 

「辞書は、言葉の海を渡る舟だ」
という作中人物のせりふがあります。
この作品は辞書作りという、海を渡るのにふさわしい舟を編んでいく、その様子を描いた物語です。
企画段階から出版まで、莫大な時間と労力、費用をかけながら、会社の横槍も入る中で必死に一冊の辞書を完成させようと奮闘する辞書編集部。これは彼らが辞書「大渡海」を完成させるまでの、長く険しい道のりを描いた作品です。

前半部分は、辞書編集部に引き抜かれた主人公・馬締の話がメインです。「大渡海」編纂についてはまだ企画・初動の段階。本格的に辞書作りについて描かれるのは、物語の後半部分です。

主人公の馬締(まじめ)は、その名の通り、非常に真面目な人物です。あまりにも律儀で生真面目なので、一周回って阿呆にすら見えます。受け答えがいちいちトンチンカンですが、本人はいたって真面目です。
物語開始時点で二十七歳。背が高くひょろっとしていて、もしゃもしゃ頭に眼鏡が特徴的な、少し野暮ったい見た目をしています。服装にもあまり頓着がなく、白いワイシャツに黒い袖カバーをつけたまま平気で歩き回ります。一言で表すと「ダサい」男です。こんな人でも超美人の香具矢と結婚できるのですから、世の中顔じゃありませんね。
とんでもない辞書狂いで、一つの言葉の意味や使い方を考え始めると、周りが見えなくなるほど自分の世界に没頭してしまいます。紙面イメージや辞書に使う紙へのこだわりも凄まじく、特に主任となった後半ではその辞書狂いっぷりが強調されています。

編集部にいるのは馬締を含めて五名ですが、正社員なのは馬締と、同い年の男性社員・西岡の二人だけです。西岡が異動になった後、新しく岸辺みどりが入るまでは実質馬締一人きりでした。

この西岡ですが、個人的に、登場人物の中で一番好きな人物です。異動前の彼視点のパートは作中でも特に印象深い部分でした。

西岡は馬締とは反対に軽薄で、器用に何でもそこそこにこなす、世渡り上手な人物です。
彼は他メンバーと違って辞書にそこまで思い入れがなく、だからこそ広い視野で辞書作りというプロセス全体を見渡すことができる、編集部になくてはならない存在でした。
辞書狂いの馬締に呆れつつも、自分にはないその一途さに密かに嫉妬し、羨望している姿が印象的でした。異常な程何かに熱中する人間を、鬱陶しい、馬鹿らしいと思いながらも、本当は彼らのことが眩しくて仕方がない西岡。彼の気持ちは私にもよく分かります。馬締のような人を見ていると、自分が中途半端でつまらない人間のように思えてきてしまうんですよね。

そんな西岡は、後から来た馬締に席を奪われる形で他部署へと異動になります。何でもない風を装いつつも、内心では悔しさを噛み締めていました。
西岡が馬締を妬んでいるように、馬締の方もまた、西岡の柔軟さや自由で鋭い感性を高く評価しているのですが、西岡本人はそのことには気づいていません。
嫉妬していても憎むことはできず、何かあるたびにああもう仕方ねえなあと世話を焼いてあげるあたり、何だかんだ西岡は良い同僚です。

作中では、だんだんと馬締たちの熱意に感化されていき、最終的には、どの部署に異動になったとしても「大渡海」編纂のために陰ながら力を尽くそう、例え自分の名前が編集者として残らなくても、と決意します。
彼も大概熱い男です。

西岡のように、情熱に情熱で応えてくれる、そんな人たちがいたからこそ、「大渡海」は十五年という年月を経て、出版まで漕ぎ着けることができたのだと思います。
初期のメンバーはもちろんのこと、後輩の岸辺や製紙担当、執筆者、デザイナー、校正をしてくれた人文系専門の学生アルバイトたちなど、多くの人々が妥協することなく一生懸命働いた結果が、「大渡海」の完成に繋がりました。
馬締たち辞書編集部の情熱と真剣さが、周囲にも伝染したのでしょう。学生アルバイトまでもが何日も編集室に泊まり込んで作業に没頭し、「本館のシャワー室をいつも辞書編集部の人が使っている」と他部署から苦情が来たりもしました。

西岡も陰ながらサポートを続けてくれました。馬締は完成した辞書のあとがきに、当然のように彼の名前も書きます。西岡が辞書編集部にいたこと、「大渡海」に関わったということを目に見える形で残した馬締。そしてそれを知って感動する西岡。ここは良いシーンでした。

この作品の、出版、それも辞書出版というテーマは、興味のない人にとっては少々とっつきにくいかもしれません。ですが文章がライトで読みやすいので、専門知識のない人であってもサクサクと読み進めることができると思います。
私は家族が出版関係の仕事をしているので、外部への原稿依頼や校正ミスで躓く場面では、そうそう、こういうことよくある、と思いながら読んでいました。雑誌程度ならともかく、辞書や教育関係の書籍では出版に際してほんの些細なミスもあってはなりません。そういったもののファクトチェックに追われて毎日死にそうになっている人が身近にいるからか、校正五回、というのが意外と少なく感じたほどです。
また、作中では「辞書」編集部ならではの様子も描かれており、そちらも興味深かったです。
辞書の改訂作業では、新しい言葉を追加するよりも記載されている言葉を削る方が神経を要する、ということや、作り手は男性比率が高いことからどうしても男性視点になりやすく、ファッションや家事にまつわる用語が手薄になってしまいがち、ということなど、なるほどなあと思いました。

最後に。
作品の中で、後輩の浜辺がこう独白するシーンがありました。
【たくさんの言葉を、可能なかぎり正確に集めることは、歪みの少ない鏡を手に入れることだ。歪みが少なければ少ないほど、そこに心を映して相手に差しだしたとき、気持ちや考えが深くはっきりと伝わる。】
これを読むと、自分が普段何気なく使っている「言葉」をもっと見つめ直してみよう、という気になります。多くの言葉を知ること、誤用を避け、その時に一番適した言葉で自身を表現すること、それこそがより良いコミュニケーションや自己表現に繋がるのでしょう。
この『舟を編む』は、物語として面白いだけでなく、そういった「言葉」の持つ力についても考えさせられる作品です。

文庫版特典として巻末に載っている、馬締から香具矢への恋文は何度読んでも笑えます。漢詩や和歌を引用した意味不明なラブレターを渡されて、香具矢もさぞ困惑したことでしょう。
三浦さんの文章はちょこちょこ笑わせに来るんですよね。格安インスタントラーメン「ヌッポロ一番 しょうゆ味」とか。そういうところが大好きです。『神去なあなあ日常』のようなもっとコメディ色の強い作品も好きです。
 

久しぶりに読み返しましたが、面白かったです。

本日も良い読書時間を過ごすことができました。

それでは、今日はこの辺で。

 

 

 

 

【再読】  アーサー・コナン・ドイル『四人の署名』深町眞理子訳 創元推理文庫

 

本日もホームズシリーズの作品を再読しました。

長編第二作目である『四人の署名』になります。

早速ですが、内容について書いていきたいと思います。

 

以下、内容についての記載あり。未読の方はご注意ください。

 

一言で表すと、財宝を奪われた男が復讐に来る話です。また復讐か、という感じですが、今度の復讐者はアメリカではなくインドからやって来ます。
十九世紀のロンドンはただでさえ暗い雰囲気の犯罪都市なのですが、そこにインド文化を組み合わせるとさらに陰鬱さと不潔さが増すように感じられます。別にインド文化が不潔だと言っているわけではありません。相乗効果の話です。
ホームズのところに持ち込まれた何気ない相談事が実はインドの財宝に関わる重大な案件で、それに関わったことでホームズとワトスンが殺人事件に巻き込まれていく、というのが大まかな流れになります。
そしてワトスンと妻のメアリーの出会いの物語でもあります。

いきなり、コカイン中毒のホームズから始まります。
今作の中心人物である依頼人のミス・メアリー・モースタンは特に美人というわけではないのですが、知的で洗練された雰囲気を持つ、表情豊かな優しい女性です。質素で地味な格好をしていても魅力的に見えるあたり、相当内面の優れた女性なのでしょう。そんな彼女に、ワトスンはほとんど一目惚れで恋をします。

奥手で誠実なワトスンが恋のために気もそぞろになっている様子は、見ていて和みます。自分の立場や資産状況を考え、財宝の相続人として莫大な遺産を引き継ぐであろうメアリーとの身分差を思って落ち込んだり、それでも彼女のために財宝を取り戻そうと決意したり、今作のワトスンは本当に可愛らしくて健気です。
それから、恐ろしい事件に巻き込まれて心が弱っている時につけ込むようにして愛を囁くのは卑怯だ、という思いから彼女に対してそっけない態度を取ってしまったりと、不器用な面も目立ちます。彼は本当に良い人です。
終盤で財宝がないと分かったときの第一声「神よ、感謝します!」はワトスンのセリフの中でも特に好きなものの一つです。
事件が解決し、身分差という壁が消えたことで、ワトスンはようやくメアリーへの愛を告白します。それに対するメアリーの返答も素敵でした。今作で一番得をしたのはやはりワトスンでしょう。

ちなみに、女嫌いのホームズが今までで最も魅力的に感じた女性は、「保険金ほしさに三人の幼い子を毒殺し、それで絞首刑になった女」だそうです。彼に恋愛相談はできませんね。
時系列があやふやなのですが、この事件と『ボヘミアの醜聞』はどちらが先なのでしょう。この発言をしたのはアイリーンに合う前なのか、後なのか、少し気になるところです。

内容としては、前作『緋色の研究』よりもエンタメ性の高い作品となっています。
まず犯人が「義足の罪人」と「小柄で獰猛な野蛮人」のコンビで、猛毒を塗った吹き矢を持っている、というのがなかなかにインパクトがあります。

ホームズの動きにしても、老犬のトービーを使って犯人の足跡を追わせたり、情報収集のために自ら老人に変装したり、前作にも登場した〈ベイカー街少年隊〉を働かせたりと、『緋色の研究』よりもずっと行動的です。今作は推理というより調査がメインでした。私は貸し船屋のおかみさんからそれとなく情報を聞き出す場面が好きですね。彼の話術の巧みさがうまく描かれています。
そして極めつけは河での激しい追跡劇。犯人たちの乗った汽艇を警察艇で追いかける、カーチェイスならぬシップチェイスの場面です。2艘の船が真っ直ぐな河筋を猛スピードで下っていく場面は何度読んでもハラハラします。追いつけるか、というよりもそんなに速度出して事故らないのか、という方向でのハラハラですが。

全体的に『緋色の研究』よりも展開が早いので、より読みやすいかもしれません。
作中ではフォレスター夫人がこの事件を中世の騎士物語のようだと言って興奮する場面がありました。
【受難のたおやめとか、五十万ポンドもの財宝とか、黒い人食い人種とか、それにその“木の義足をつけた悪漢”とか。どれもむかしながらの龍だの、邪悪な伯爵だのといった道具立てに代わるものでしょう?】
という彼女のセリフから、作者のドイル自身も、今作はエンタメ性を重視して書いたものと思われます。
ワトスン好きということもあって、私はホームズシリーズの長編作品の中ではこの『四人の署名』が一番好きです。シリーズ中、最も多く読み返していると思います。

それから、この版では「The Sign of the Four」を「四の符牒」と訳しているのも好きな点です。個人的にはこの訳が一番しっくりきます。ちなみに『四人の署名』の原題は「The Sign of Four」です。この辺りの訳については注釈で触れられています。和訳に関しての注釈は興味深いものが多く、結構楽しく読んでいます。

注釈といえばもう一つ。ワトスンは『緋色の研究』では肩を撃たれて負傷していたはずが、今作では「古傷のある脚」、「アキレス腱を痛めている脚」という描写になっているため、そこにも注釈がついています。おそらく作者の記憶違いから生まれた矛盾なのでしょうが、結局のところワトスンが撃たれたのはどこなのか、はっきりして欲しいところです。

感想は以上です。
章として一番好きなのは最後のスモールの証言なのですが、その前の捜査・推理部分もやはり面白いです。良いテンポで物語が進んでいくので、ダレることなく最後まで一気に読み進めることができます。

あくまで個人的な感想ですが、ホームズシリーズの中でも一番わくわくする、冒険心を擽られるような作品だと思います。

 

それでは、今日はこの辺で。

 

 

 

 

【再読】  アーサー・コナン・ドイル『緋色の研究』深町眞理子訳 創元推理文庫

 

本日はこちらの作品を。

ドイルのシャーロック・ホームズシリーズの長編です。私はシャーロキアンというわけではありませんが、ホームズシリーズはかなり好きなので何度も読み返しています。色々と読み比べた結果、深町さんの訳が一番好きだと気が付きました。映像化された作品、映画やドラマなども面白いですが、やはり小説に戻ってきてしまいます。

こちらの『緋色の研究』はホームズとワトスンが同居するまでの流れと、二人のところに持ち込まれた最初の殺人事件について描いた作品です。

それでは、内容について書いていきたいと思います。

 

以下、内容についての記載あり。未読の方はご注意ください。

ホームズとワトスンが出会ってからの、最初の事件です。
空き家でアメリカ人旅行者が殺された事件で、警察からの要請を受け、その犯人を突き止める、という、ストーリー的には結構単純なお話です。展開の意外性もそれほどありません。
犯人は同じアメリカ人の男性で、動機は怨恨による復讐でした。
二部構成になっていて、第一部はホームズとワトスンの事件調査がメイン、第二部は殺人犯ジェファスン・ホープのバックグラウンド、殺人に至る動機の掘り下げがメインとなっています。


『第一部』「元陸軍軍医、医学博士 ジョン・H・ワトスンによる回想録より」
ワトスンとホームズの出会い。
ワトスンとの初対面の時のホームズは、ちょうど取り組んでいた実験に成功したばかりで有頂天だったこともあり、かなり愛想が良く社交的な人物に見えます。異様にハイテンションではあるものの、この時はまだ変人度は低めです。
彼は感情の浮き沈みが激しいので、機嫌が良いときは本当に好人物なんですよね。反対に不機嫌なときは物凄く態度が悪くなりますが。
一緒に暮らすようになってからはワトスンに対して遺憾なくその変人っぷりを発揮してくれます。

シャーロック・ホームズは、刑事も私立探偵も山ほどいるロンドンで唯一の探偵コンサルタントを名乗る、本物の名探偵です。
非常に自信家でプライドが高いため、デュパンやルコックなど創作物の名探偵と同列に扱われるのを嫌がり、彼らより自分の方がよほど優秀だなどとのたまいます。偉大なる先輩に対してとんでもない言いようです。
お気に入りの小説の主人公を馬鹿にされたことには内心でワトスンもイラッとしたようです。これは当然ですね。推しが侮辱されたら誰だって良い気はしないでしょう。

てすが、実際、ホームズは天才です。
前述の発言も、決して自らを過信してのものではなく、単に事実として述べているだけです。事実を愛する彼は自分の能力を過大評価することはありません。もちろん過小評価もしません。

彼の能力として特筆すべきなのは、やはり、現場と遺体を調べただけで死因と大まかな犯人像まで割り出す、その驚異の観察眼でしょう。そして、ただ観察するだけではなく、そこからより多くの情報を引き出して繋ぎ合わせることで真実に辿り着きます。この思考過程としての彼の「推理術」は本当にお見事です。もちろん、その土台として異様なまでに豊富な知識、というものもありますが。
私はこれに限らずどの作品でもワトスンへの「種明かし」パートが一番面白く感じます。

殺人犯のジェファスン・ホープはそれほど手強い敵ではなかったものの、力が強いため拘束するのには苦労しました。さして若くないにも関わらず手錠を掛けられた後には猛獣のように暴れ出し、ホームズ、ワトスンにグレグスンとレストレードの警部二人を合わせた四人がかりでどうにか拘束しました。この時はまだホームズの怪力設定はなかったようです。四対一で、しかも四人は再三ふり飛ばされたそうですから、このジェファスン・ホープという男はとんでもない怪力の持ち主です。

それから、ホープの友人として、ホームズを老婆に化けて見事に出し抜いた男が登場しましたが、よく考えるとあの男はかなりの化け物ですね。アルセーヌ・ルパン並みの変装術と演技力です。こんな危険人物を野放しにしておくのは色々と不味いのではないでしょうか。ホームズが変装を見破れないのであれば、もう他の誰にも見破ることはできないと思います。
名前も実際の容姿すら明らかになりませんでしたが、その後は一体何をしているのか気になります。


『第二部』「聖徒の国」
突然、北アメリカの広大な荒野を舞台に、モルモン教徒の移民団の話が始まります。あまりにも急にテイストが変わったので、初めて読んだときは、あれ、ホームズとワトスンは?と混乱した記憶があります。
この第二部はジェファスン・ホープの過去編にあたる内容です。

無骨でやや向こう見ずではあるものの根は誠実な若きジェファスンと、天真爛漫な美少女・ルーシーはお似合いの恋人同士だったと思います。そんな二人の仲を引き裂き、ルーシーとその養父を死に至らしめたモルモン教団は本当におぞましい組織です。

宗教とは本当に不思議ですよね。この教団は一体どこから狂っていったのでしょう。彼らモルモン教徒は不信心者を決して許さず、少しでも教義を批判した人間はひっそりと抹殺する、恐ろしい集団です。ルーシーと養父は彼らの一夫多妻制という教義を拒んだことで裏切り者と見なされてしまい、養父の方は殺され、ルーシーは無理矢理モルモン教徒と結婚させられたことでやつれ果てて死んでしまいました。

恋人を失ったジェファスンは復讐に燃え、彼女と養父の死に関与した二人の男を必ず殺すことを決意します。泥水を啜るような暮らしをしながら、何年もの間、アメリカとヨーロッパを駆けずり回って彼らを追い続けました。凄まじい執念です。
そしてようやく、このロンドンで決着をつけることができた、というわけです。病死する前に復讐が果たせて良かったですね。殺人に善し悪しはありませんが、ルーシーたちの死やジェファスンの心情を思うと、ジェファスンに対して若干同情的な気持ちになってしまいます。

ジェファスンはホームズたちに捕まったその日の夜に持病で死亡しました。復讐を終え、満足気な、穏やかな笑みを浮かばたまま死んでいったそうです。ルーシーたちと同じ場所へ行けたのであれば良いのですが。

ジェファスンが復讐方法として毒殺を選んだというのは興味深い部分だと思います。二つの丸薬のうち、片方は毒でもう片方は無害。相手に一つ選ばせ、残った方は自分が飲む。運を天に委ねる、というわけです。二分の一の確率で自分が死ぬ可能性もあるわけですから、復讐としてはかなり理性的というか、真っ当な方法だったと思います。復讐に真っ当も何もないかもしれませんが。

個人的には、一部よりも二部の方が好きです。
一部の方はいつものホームズ作品、といった雰囲気ですが、この二部の少し文学的な雰囲気は『緋色の研究』ならではだと思います。モルモン教団の闇がこれでもかと描かれているので、カルト宗教などに興味がある身としては、不謹慎ですがわくわくしてしまいます。一夫多妻制は良いとしても、女を無理矢理さらってくるのはどう考えてもアウトですよね。

もちろん、一部のワトスンとホームズの出会いの場面も大好きです。ちなみに、私はどちらかというとワトスン派です。意外と好奇心や冒険心が旺盛で、親しみやすく、真面目な性格のワトスン。何となく世の中では愚鈍な助手といったイメージの方が先行しているようですが、全然そんなことはありません。そもそもロンドン大学で医学博士号を取っている人間が愚鈍なわけないですし、おまけに彼はピストルも撃てるし文才もある、社交性もあるというかなり優秀な部類の人間です。ハリウッド映画版『シャーロック・ホームズ』ではジュード・ロウが演じていましたが、私の中では完全に解釈一致でした。あそこまでイケメンではないでしょうが。
ワトスンはロンドンを「この巨大な汚水溜め」と表現したりと、ナチュラルに口が悪いところも結構好きなポイントです。

 

同じく長編の『四人の署名』も読み返したくなりました。

それでは今日はこの辺で。

 

 

 

 

【初読】  角田光代『だれかのいとしいひと』 文春文庫

 

本日はこちらの作品を読んでみようと思います。

初読です。恋愛をテーマとした短編集とのこと。

表紙は酒井駒子さんです。以前のブログに書いた『小公女』の表紙と同じ方ですね。

それでは、読んだ感想を書いていきたいと思います。

 

以下、内容についての記載あり。未読の方はご注意ください。

 

収録作品は全部で八つありますが、私が一番気に入ったのは「ジミ、ひまわり、夏のギャング」というお話です。話の内容というよりは、映像作品を文字に起こしたような独特の雰囲気が好きです。

うっかり置いてきたジミ・ヘンドリックスのポスターを取り戻すため、別れた恋人のアパートに泥棒に入る女主人公。
彼女がそこで、その部屋で暮らしていた頃の、幸せだった自分の幻を見る場面が印象的でした。部屋の中を動き回る、たくさんの半透明な「あたし」たち。恋人と笑い合ったり、喧嘩したり、他愛もない日常の記憶。それを見て、ああ、この部屋で一緒に生活していたんだなと主人公がしみじみ感じる場面は、映画やドラマのワンシーンを思わせるような、視覚的な描き方をされていたように感じました。

アパートまでの道のりで、真夏の日中に寂れた商店街を歩く場面の描写も雰囲気があって素敵でした。
蒸し暑い空気の中、夏休み中の静かな町を歩く、白いワンピースを着た「あたし」。音もなく降りそそぐ太陽、流れる汗、時代遅れの薄暗いお菓子屋、雑草の生い茂った空き地、そして古びた三階建ての鉄筋アパートと満開のひまわりたち。非常に映像的な「夏」の演出だと思います。コーラのしゅわしゅわ感を「縮緬の布地みたいな感触をのどに残す」と表現するセンスも素敵です。

この作品は恋愛短編集なのですが、基本的に、上手くいっているカップルは登場しません。大体が破局後か破局直前です。

他のお話の主人公たちの中には、なかなか個性的な人物もいます。
女三人の仲良しグループで、他二人の彼氏と密かに付き合っている主人公。
会社では嫌われ、恋人とは金銭トラブルから破局し、弟は泥棒、姉はノイローゼ、母は若い恋人を作り、父はギャンブルで借金をするというどうしようもない状況の中で生きている主人公。
セックスよりもキスが好きで、キスをするために恋愛をするのだというキス至上主義の男主人公、など。角田さんはこういう特殊な設定を、違和感なく現実に落とし込んで描くのが非常にお上手です。

読み終わった感想としては、角田さんは男女の恋愛というよりも、一期一会というか、人生の中で一瞬だけすれ違って去っていく、そういった「出会いと別れ」をテーマにしてこの作品を書いたのではないか、と思いました。

最もそう感じたのは「誕生日休暇」を読んだ後です。こちらはハワイのバーで偶然知り合った日本人男性から、彼の恋愛話を聞かされるお話です。
作中で彼が主人公に言った、
「ぼくは最近、運命なんてものを信じないし、いや運命ってものがあったとしたら、そいつはものすごく簡単な、お手軽な、吹けばどこへでも飛んでいくような、とても無意味なものだと思うようになってしまって」
という言葉が印象的でした。そして、「でもそんなお手軽な運命に翻弄されるのも悪くない」と続けます。
そういったお手軽な運命、つまり偶然の連続による出会いこそが「縁」なのでしょう。

作中の主人公たちが経験してきた、成就した恋もしなかった恋も、その全てにはきっと価値があるのだと、私はそう思っています。
最悪に終わった恋愛でも、後になってふと幸せだった頃を思い出して、少しでも温かな気持ちになれるのであれば、それはとても素敵なことだと思います。
すっきり爽やかな読後感はありませんが、良い作品でした。

それでは、本日はこの辺で。