角田光代『だれかのいとしいひと』 | 本の虫凪子の徘徊記録

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【初読】  角田光代『だれかのいとしいひと』 文春文庫

 

本日はこちらの作品を読んでみようと思います。

初読です。恋愛をテーマとした短編集とのこと。

表紙は酒井駒子さんです。以前のブログに書いた『小公女』の表紙と同じ方ですね。

それでは、読んだ感想を書いていきたいと思います。

 

以下、内容についての記載あり。未読の方はご注意ください。

 

収録作品は全部で八つありますが、私が一番気に入ったのは「ジミ、ひまわり、夏のギャング」というお話です。話の内容というよりは、映像作品を文字に起こしたような独特の雰囲気が好きです。

うっかり置いてきたジミ・ヘンドリックスのポスターを取り戻すため、別れた恋人のアパートに泥棒に入る女主人公。
彼女がそこで、その部屋で暮らしていた頃の、幸せだった自分の幻を見る場面が印象的でした。部屋の中を動き回る、たくさんの半透明な「あたし」たち。恋人と笑い合ったり、喧嘩したり、他愛もない日常の記憶。それを見て、ああ、この部屋で一緒に生活していたんだなと主人公がしみじみ感じる場面は、映画やドラマのワンシーンを思わせるような、視覚的な描き方をされていたように感じました。

アパートまでの道のりで、真夏の日中に寂れた商店街を歩く場面の描写も雰囲気があって素敵でした。
蒸し暑い空気の中、夏休み中の静かな町を歩く、白いワンピースを着た「あたし」。音もなく降りそそぐ太陽、流れる汗、時代遅れの薄暗いお菓子屋、雑草の生い茂った空き地、そして古びた三階建ての鉄筋アパートと満開のひまわりたち。非常に映像的な「夏」の演出だと思います。コーラのしゅわしゅわ感を「縮緬の布地みたいな感触をのどに残す」と表現するセンスも素敵です。

この作品は恋愛短編集なのですが、基本的に、上手くいっているカップルは登場しません。大体が破局後か破局直前です。

他のお話の主人公たちの中には、なかなか個性的な人物もいます。
女三人の仲良しグループで、他二人の彼氏と密かに付き合っている主人公。
会社では嫌われ、恋人とは金銭トラブルから破局し、弟は泥棒、姉はノイローゼ、母は若い恋人を作り、父はギャンブルで借金をするというどうしようもない状況の中で生きている主人公。
セックスよりもキスが好きで、キスをするために恋愛をするのだというキス至上主義の男主人公、など。角田さんはこういう特殊な設定を、違和感なく現実に落とし込んで描くのが非常にお上手です。

読み終わった感想としては、角田さんは男女の恋愛というよりも、一期一会というか、人生の中で一瞬だけすれ違って去っていく、そういった「出会いと別れ」をテーマにしてこの作品を書いたのではないか、と思いました。

最もそう感じたのは「誕生日休暇」を読んだ後です。こちらはハワイのバーで偶然知り合った日本人男性から、彼の恋愛話を聞かされるお話です。
作中で彼が主人公に言った、
「ぼくは最近、運命なんてものを信じないし、いや運命ってものがあったとしたら、そいつはものすごく簡単な、お手軽な、吹けばどこへでも飛んでいくような、とても無意味なものだと思うようになってしまって」
という言葉が印象的でした。そして、「でもそんなお手軽な運命に翻弄されるのも悪くない」と続けます。
そういったお手軽な運命、つまり偶然の連続による出会いこそが「縁」なのでしょう。

作中の主人公たちが経験してきた、成就した恋もしなかった恋も、その全てにはきっと価値があるのだと、私はそう思っています。
最悪に終わった恋愛でも、後になってふと幸せだった頃を思い出して、少しでも温かな気持ちになれるのであれば、それはとても素敵なことだと思います。
すっきり爽やかな読後感はありませんが、良い作品でした。

それでは、本日はこの辺で。