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本の虫凪子の徘徊記録

新しく読んだ本、読み返した本の感想などを中心に、好きなものや好きなことについて気ままに書いていくブログです。

【再読】  ダン・ブラウン『ダ・ヴィンチ・コード』上・中・下 越前敏弥訳 角川文庫

 

本日はこちらの作品を再読しました。

トム・ハンクス主演の映画版も鑑賞済みです。DVDも持っています。

小説版はこの一作しか読んでいませんが、映画は『天使と悪魔』『インフェルノ』まで観ました。

こちらの小説内では、ラングドンの回想でヴィットリアという女性が何度か出てきますが、これは『天使と悪魔』のヒロインです。映画版とは異なり、原作では『天使と悪魔』がラングドンシリーズの第一作目で、こちらは二作目になります。

それでは早速、内容について書いていきたいと思います。

 

以下、内容についての記載あり。未読の方はご注意ください。

 

主人公のラングドンは宗教分野を専門とする大学教授です。細かくは宗教象徴学専門で、その道の権威と言っても過言ではありません。宗教の歴史や象徴に関しては勿論のこと、それ以外の知識も非常に豊富で、頭の回転も早い人物です。
ハーヴァード大学で教鞭を執っているだけあり、自身の専門分野になるとかなり多弁になります。学生や囚人たちに講義をする場面の回想ではラングドンがあまりにも生き生きとしているので、読むといつも笑ってしまいます。話上手、教え上手の良い先生です。
閉所恐怖症で、ミッキーの腕時計を愛用しています。

今作ヒロインのソフィー・ヌヴーはフランス司法警察の暗号解読官で、若く美しく賢い女性です。初登場直後の電話のシーンで、早くもその頭の良さが強調されていました。宗教に関する知識はラングドンに劣りますが、機転が利き、行動力があるため、若干頭でっかちなラングドンの相棒としては理想の人物です。

この物語では、二人がルーヴル美術館で発見された館長の死体の謎を追っていくうちに、カトリック教会が守る秘密と陰謀に巻き込まれていきます。
謎解きと聖杯探索がメインです。

原作も映画版もストーリーは同じですが、こちらの方がより蘊蓄が多く、宗教象徴学という点に重きが置かれているように思います。地の文による解説も多めです。
また、ラングドンたちの他、教会関係者、フランス司法警察などの複数の視点から物語が展開されていき、映画版よりも脇役の動きが目立つ作りになっています。
シラスなんてほとんど「もう一人の主人公」状態です。悲惨な過去から宗教に目覚めるまでの過程が丁寧に描かれているため、より感情移入して読むことができます。冷酷な暗殺者ですが信仰や愛自体は本物だったことがよく分かるので、毎回、最期のシーンには思わずうるっと来てしまいます。彼の死に方は原作のほうがまだ救いがありました。

主人公たちが辿る道のりはほぼ映画版と同様です。ルーヴル美術館からスイス銀行貸金庫、ティービングの邸宅、飛行機、ロンドンテンプル教会、ウェストミンスター寺院、ロスリン礼拝堂。ちなみに、上巻はほぼルーヴルの中だけで終わります。中巻終盤でティービングの家から脱出し、下巻でロンドン、という流れです。
映画の方ではキングズ・カレッジには立ち寄らないので、司書のパメラが出て来ないというのだけが少し残念な部分です。良いキャラだと思うのですが。

この物語の重要なポイントは以下。
「聖杯」とは物ではなくある人物の隠語です。その正体はイエスの弟子の一人・マグダラのマリア。そして教会が隠したい秘密とは、彼女とイエス・キリストの間には子孫が存在する、という事実です。男権主義のカトリック教会は神の子であるキリストの神聖さを保ちたいということもあって、彼に子供がいたという事実を公表したくありません。しかしカトリック内の秘密結社・シオン修道会はそれに反対。彼らシオン修道会は、男女同権のためにも真実を公表し、娼婦と貶められたマグダラのマリアがキリストの妻であったことを世に知らしめたい、と考えています。
カトリック教会→秘密を守りたい
シオン修道会→秘密を世に出したい
という構図の、長年に渡る教会の内部抗争がこの物語の中心的なテーマとなっています。

アリンガローサ司教やシラスの所属するオプス・デイは教会側ですね。禁欲と苦行を尊び、男尊女卑の気風が強いガチガチの保守派です。実在するオプス・デイが本当にそういった組織なのかは不明ですが。

とは言え、作中では教会とシオン修道会の対立はあまり描かれません。殺されたルーヴルの館長はシオン修道会の総長でしたが、その殺害をシラスに指示したのは教会外部の人間です。

サー・リー・ティービング。主人公の友人であり、聖杯探索に異様な情熱を注ぐ人物。彼が殺人事件の元凶で、物語の黒幕です。
シオン修道会は(というより総長であったソニエールが)最終的に秘密を世に出さないことに決めていたのですが、それが気に食わなかった聖杯マニアのティービングが暴走し、物事を引っ掻き回していました。教会の味方でもなければシオン修道会の味方でもなく、ただ自分の好奇心を満たすためだけに行動していた厄介な人物です。聖杯(マグダラのマリアの墓)を見つけるためなら殺人も辞さないという危険人物。
ただ、キャラクターとしては非常に魅力的です。茶目っ気のあるイギリス人の老紳士で、下品な物言いも多いですが、そこがまた良い味を出しています。黒幕だと分かっていても、中巻の半ば辺りで彼が仲間になってくれるといつも嬉しくなります。ティービングとラングドンのテンポの良い掛け合いは結構好きです。

ちなみに、一番好きなキャラクターはアリンガローサ司教です。野心で道を間違えはしたものの、私欲からではなく信仰に熱心だっただけで、宗教家としては立派な人物でした。教会の堕落を嘆き、保守的な信仰を取り戻したいと願っていましたが、結局はティービングに振り回されるだけ振り回されて終わりました。
最後のファーシュ警部との会話は、作中でも好きなシーンの一つです。

それからチューリッヒ銀行パリ支店長のヴェルネも好きです。仕事熱心な良い人でした。

作品としては暗号解読と用語解説のパートが多いので、そういった要素が好きな人に向いていると思います。キリスト教の知識も、まあ少しはあった方が楽しめるでしょう。解説は充実してはいるものの、「キリストって誰?」という人が読むには少々難易度の高い作品です。
エンタメ性を求めるのであれば、まずは映画から入ってみるのがおすすめです。
原作・映画共に一時はかなり話題になった作品なので、興味のある方は是非。
それでは今日はこの辺で。
 

 

 

 

 

 

【再読】  荒木飛呂彦『ジョジョの奇妙な冒険』1~5 集英社 ジャンプ・コミックス

 

辻村さんのエッセイに触発され、本日はこちらの作品を再読。

ジャンプ作品の中でも特に好きなものの一つです。

原作の他にも一応、OVA、TVアニメ、小説、実写映画、露伴先生の実写ドラマなど、ゲーム以外の大体には目を通しています。まあファンを名乗っても許されるレベルだと思います。

一番好きなのはやはり原作漫画ですね。荒木先生最高。

 

以下、内容についての記載あり。未読の方はご注意ください。

 

癖の強い画風と「!」と「ッ」の多用による独特の力強さ、そして怒涛のストーリー展開。
もう「ジョジョ」としか表現できないような、他に類を見ない作品です。登場人物のセリフにしろ地の文にしろ、言い回しがいちいちシュールで、画の強烈さも相まって何とも言えない「スゴみ」を生み出しています。
一度見たら忘れられないコマが多く、名台詞と名場面の宝庫です。「迷」とも言えますが。

この第1部「ファントムブラッド」は特に、昔の作品なので若干タッチが古臭いものの、荒木先生の独特のセンスが前面に出ているため、漫画としては常に時代の最先端を行っています。令和の今ですら、明らかに時代の方が追いついていません。はっきり言うとツッコミどころが多すぎるということです。
知り合いの子に貸してあげたら「何これ、意味が分からない。変な漫画」と言われましたが、私も子供の頃に初めて読んだときはそう思いましたし、何なら今でも変な漫画だと思っています。ジョジョの読み方としてはおそらく、雰囲気で何となく読むのが正解です。細かい部分を理解しようとしたら負けです。
ストーリーやキャラ設定自体は割と王道の少年漫画なんですけどね。ただ、画風とセリフ回し、擬音の癖の強さでだいぶ読者をふるいに掛けています。

最初の方で特に印象的な場面は、ジョースター家に来たディオが馬車から飛び降りるシーンだと思います。この部分は、私も初めて見たときには衝撃を受けました。
バン
ドザア!
シャン!
スタッ
グゥゥン
バァーン
この怒涛の効果音。
見開きに擬音のみで描かれています。
物凄いインパクトです。
こんなに格好良く馬車から飛び降りるキャラクターも他にいないと思います。

ちなみに私は、3部以降で登場するDIOよりもこの1部時点のディオ・ブランドーの方が好きです。もう一人の主人公としての側面が強く、ラスボス感は薄め。若いせいか精神的に余裕のない描写が多く、DIOよりも人間味が感じられます。
アニメを視聴してからは、常にセリフが子安さんの声で再生されるようになりました。
吸血鬼化する前から既にファッションが独特です。「ジョジョ」シリーズのキャラのファッションはどれも個性的ですが、ディオ(DIO)は頭一つ抜けている気がします。十九世紀の英国なので若干の野暮ったさはありますが、それでも、そのまま現代のパリコレに出られそうな服ばかり着ています。時代を先取りしすぎです。もう一周回ってオシャレに見えてきました。
ジョナサンの方もまあ紳士とは言い難い格好なのですが、こちらはそれほどダサく見えません。薄着だからでしょうか。不思議です。

1部のキャラクターは敵味方問わずほとんど好きなのですが、その中でも私が一番好きなのはスピードワゴンです。全ての部の中でも一番です。
情に厚く漢気のある三枚目キャラって良いですよね。ポルナレフとかもこのタイプだと思います。
スピードワゴンは読み辛い戦闘シーンを言葉で実況・解説してくれるので、読者としては助かります。

勿論、主人公のジョナサンやツェペリさんも大好きです。ツェペリさんが死んでしまうシーンは、初見では思わず涙ぐんだ記憶があります。

ジョナサンは以降の主人公たちに比べると少しキャラが弱く感じますが、やはりジョジョといったら彼でしょう。原点にして頂点というやつです。勇敢で愛情深く、平時は温厚な紳士ですが、敵と判断した相手には容赦しない、勧善懲悪のお手本のようなヒーローです。
技術よりパワー重視の脳筋ゴリラ型。スタンドも持っていないのに歴代主人公たちの中で一番強そうに見えます。承太郎のスタープラチナとも素手で殴り合えそうです。

ヒロイン・エリナは、成長してからも勿論美人なのですが、個人的には子供の頃の美少女バージョンの方が好きです。垢抜けていない感じが可愛らしい。
ディオにキスされた後、ドロ水で口を洗う場面は作中屈指の名シーンだと思います。
成長後エリナとポコのお姉ちゃんはかなり絵柄が安定しています。どのコマでも美人です。

1部、2部は比較的短く、登場人物も少なめなので物語も綺麗に纏まっているように感じます。複雑なスタンドも登場しませんし。
波紋戦士の戦いを描いた1部、2部の、力のジョナサンから技のジョセフへ、という流れが好きだったので、3部以降波紋が出てこなくなったのは少し残念でした。スタンドも好きなんですけどね。

1部では敵キャラこそ次々と登場するものの、ストーリーは一貫してジョナサンVSディオの構図なので、物語に安定感があります。「ディオを倒す」という本筋がブレないので非常に読みやすいです。一番好きなのは2部ですが、一番多く読み返しているのはこの1部かもしれません。

定期的に読み直したくなる作品です。
コミックス五巻分という長さがまた丁度良いです。一日で読み切れるので。
久しぶりに読みましたが、相変わらず面白かったです。
それでは今日はこの辺で。
 

 

 

 

【再読】  辻村深月『図書室で暮らしたい』 講談社文庫

 

本日はこちらの作品を再読しました。

昨日に引き続き辻村さんの作品ですが、こちらは小説ではなくエッセイになります。

早速、内容について書いていきたいと思います。

 

以下、内容についての記載あり。未読の方はご注意ください。

 

エッセイということで、辻村さんも惜しみなく自分の情報を書いています。お酒が全く飲めないとか、実家が山梨の果樹農家だとか、プロフィール以上の情報が満載です。

この作品には日常生活や過去の思い出についての様々なエピソードが収録されていますが、中でも特に印象的だったのは、辻村さんがグアムに行ったとき、ホテルのラウンジの本棚が自分の本棚そっくりのラインナップで驚いた、というお話です。
その本棚にはミステリやSF、ホラーなどの少しマニアックなジャンルで、自分の好きな作家さんの作品ばかりが並んでいたそうです。凄いですね。しかも日本ではなくグアムのホテルなわけですから、こういう偶然は奇跡と呼びたくもなります。
ラウンジなどに限らず、他所の本棚をチェックするのって結構楽しいですよね。私はよくやります。流石に人の家の本棚の場合、ジロジロ見るのは失礼なのでさり気なく覗く程度ですが、そこに自分の好きな作品があったりすると嬉しくなります。
それがマイナー作品であれば尚更です。
このエッセイの第二章では辻村さんが自分の好きな作品を一つずつ挙げているのですが、それが私の趣味にもかなり近いので、初めて読んだときにはびっくりしました。
第二章の「好きなものあっちこっちめぐり」では、ドイルの『バスカヴィル家の犬』から始まり、田中芳樹さんの『創竜伝』、小野不由美さんの『屍鬼』。その他、筋肉少女帯やドラマ『相棒』などについても熱く語られています。
辻村さんが挙げた作品はほとんど私も読んだり視聴したりしたことがあるものでした。ただ少し好みにズレがあります。
私は田中さんなら『銀河英雄伝説』、小野さんなら『ゴーストハント』が一番好きです。
『ウォーリーをさがせ!』にしろ、「この本を好きでない子どもなどいるのだろうか。」というなかなか強気な一文から始まっていましたが、私はどちらかというと『ミッケ!』派でした。
『ジョジョの奇妙な冒険』も、辻村さんは四部が好きだそうですが、私は二部と七部派です。
好みの方向性は確実に同じなのですが、微妙にズレがあるのが、なんだか少し悔しいような、面白いような、不思議な気分です。

辻村さんに限りませんが、作家さんのエッセイを読むと、その人の経験や嗜好が作品に反映されていることがよく分かります。
これに書かれたものでは、『島はぼくらと』のサバを始め、母の卵焼きおにぎりは『ツナグ』に、思い出の本である『おひめさま がっこうへいく』は『ぼくのメジャースプーン』に、それぞれ登場していました。
それから、昔、喫茶店で隣席のご婦人から、一緒にいた友達のスーツのしつけ糸がそのままなのをこっそり指摘され、「あなたが切ってあげるといいわよ」と声をかけてもらった、というエピソード。当人に恥をかかせまいとわざわざ辻村さんだけを呼び止めて教えた、その気遣いに感動したというお話でしたが、これは『サクラ咲く』で紙音がマチのしつけ糸をさり気なく切ってくれるシーンに反映されている気がします。
他作品との関連を探しながらエッセイを読むのも、ファンとしての楽しみの一つです。

また、本人による自作解説もあります。取り上げられているのは数作のみですが、その中でも『オーダーメイド殺人クラブ』に寄せて書かれたものが特に興味深かったです。あの中学二年生の主人公の痛々しさ、内面描写のリアルさは、やはり実体験から来ていたんですね。納得です。

このエッセイに収録されているお話は、日常を描いたものが多いせいか、どれも思わず共感してしまうようなものばかりです。文章も読みやすいので、すらすら読めてしまいます。
普段はあまりエッセイは読みませんが、これは別です。何度も読み返しています。

そういえば以前、この本がきっかけで、辻村さんオススメの嬉野温泉湯豆腐を試してみたことがありました。そのままだと少し味気なかったですが、豚肉と野菜を入れたら美味しかったです。癖が強いので万人受けはしないと思います。豆乳鍋が好きな人には向いていそうですね。私は好きな味でした。
『かがみの孤城』の嬉野という名字はやはりこれが元ネタなんでしょうか。

このエッセイは辻村深月を知らない人でも楽しめるものではありますが、彼女の作品をいくつか読んでからこちらを読んだ方が、より楽しむことができると思います。

辻村ファンは必読の一冊です。

それでは今日はこの辺で。
 

 

 

 

 

【再読】  辻村深月『きのうの影踏み』 角川文庫

 

暑い日には怖い話、ということで本日はこちらの作品を再読しました。

怪異にまつわる話を収録した短編集です。私の中で辻村さんは長編のイメージが強いのですが、短編の方も負けず劣らず、非常にお上手です。

それでは早速、内容について書いていきたいと思います。

 

以下、内容についての記載あり。未読の方はご注意ください。

 

ホラー短編集ですが、内容的には、怪談話というより都市伝説寄りです。明確な「呪い」や「幽霊」を題材としているわけではなく、日常の中でふと遭遇してしまった異物や異界、不穏な違和感、正体不明の恐怖などを描いた作品が多いです。湿度のあるホラーとでも言いましょうか。

初めて読んだときに一番怖かったのは二つ目のお話、「手紙の主」です。
何年か前に送られてきた、謎の不気味な手紙のことを話題に出したら、その後、同じ内容の手紙が主人公の周囲の人物にも送られてくるようになった、というストーリーです。手紙自体はごくありふれたもので、封筒が黒いとか血のように赤い字で書かれているとか、そういう一見してヤバいと分かるような代物ではありません。コピー用紙に手書きで書かれています。ただ、内容は少し気味が悪く、手紙の主の好きな歌手やラジオ番組について書かれているのですが、その歌手も、ラジオ番組も、現実には存在しないのです。

話が人づてに広まっていくにつれ、「私のところにも来たよ、その手紙」と主人公に連絡してくる人が増えていき、そして、字が乱れて読めなかった後半部分が少しずつ読めるようになっていきます。誰かから手紙の話を聞くたびに、主人公は正体不明だった手紙の主が次第に現実味を帯びた存在となり、ゆっくりと自分の方に近づいてくるのを感じます。
話題に上がり、共有されることで、うっかり呼び出してしまった「よくないモノ」が少しずつ実体を持っていく、その過程が非常に不気味です。噂話と共に周囲に伝染し、日常を侵食していく「何か」に対する、漠然とした恐怖。意図が分からない、得体が知れないという点で、幽霊などより余程気味が悪く、恐ろしいと思います。

名前のある妖怪やお化けは、多くの人に認識されることによってその姿が統一・固定化されていったわけですが、この話はその過程に近いものだと感じました。この「手紙の主」も、そのうち「トイレの花子さん」や「てけてけ」のような名前のついた一つの怪談話になっていくのかもしれません。

後ろの方に収録された作品には、これとは真逆の「噂地図」というお話もあります。そちらは噂をした人をさかのぼって都市伝説や噂話のはじまりを突き止める、というのがテーマになっています。そっちはここまで怖くありません。

その他の作品には、小さい子や赤ちゃんを中心に描いたものが多いです。
子供とホラーって、どうしてこんなに相性が良いんでしょう。
私が特に好きなのは「やみあかご」です。
深夜、子どもを抱いてベッドに寝転んだ「私」が、夫の横で寝ている自分の子を発見し、じゃあ腕の中にいるこの子は誰だ、となる話です。
これはラストの文章。

【腕の中でずっしりと抱いた、子どもの重みが増していく。誰かが自分を、胸の中から見上げている気配が、さっきからずっとしている。
その顔を見ることが、怖くて、できない。】

たった4ページの作品ですが滅茶苦茶怖いです。
これに限らず、子供や赤ちゃんを中心とした話では、何となく辻村さん自身の「母親目線での恐怖」が描かれているように感じます。この話にしろ、自分の子と知らない子を取り違える、というのには、大抵の親ならホラーで感じるのとはまた違った種類の怖さを感じるのではないでしょうか。息子だと思って手を繋いでいたのが実は知らない子だった!うちの子はどこ!?みたいな、そんな「人の親としてあってはならないこと」への恐怖をもとに辻村さんはこれらの作品を書いたのではないか、と私はそう推測しています。
あまりにも小さい子供の登場頻度が多いため、もしかすると出産前後か、子育てに忙しい時期に書いたのかもしれません。

収録作品は全部で十三ありますが、作品ごとのテイストは結構バラバラです。
上に書いたものの他には、秋田の実家でナマハゲに襲われる話や、隠れんぼのデスゲームが行われるパラレルワールドを描いたお話もあります。一番最後の「七つのカップ」を除いて、どれも不気味で後味の悪い作品ばかりです。「七つのカップ」だけは、少し同作者の『ツナグ』にも似た救いのあるラストでしたが。
全体の雰囲気としては「世にも奇妙な物語」に近いです。雑多な感じが特に。

本編後の解説を担当していらっしゃるのは朝霧カフカさんです。

『文豪ストレイドッグス』などの漫画の原作者・小説家の方で、私の大好きな作家さんの一人です。そういえば、文ストの外伝小説では辻村さんとコラボしていましたね。
朝霧さんによる解説では、この本のテーマである「怪異」について分かりやすく纏められているので、本編を読み終わった後に解説まできちんと読むとより面白いです。この方も本当に文章がお上手です。

 

特に涼しくはなりませんでしたが、良い読書時間でした。

それでは今日はこの辺で。

 

 

 

 

【初読】  笹生陽子『僕らのサイテーの夏』 講談社文庫

 

今日も暑いですね。東京でも、もう普通に半袖やノースリーブの人がいます。

からっと晴れ上がっていて暑いのならまだ良いのですが、今日のようにどんよりと曇っていて蒸し暑い日はあまり好きではありません。何だか気が滅入ります。

夏っぽく、軽いお話が読みたい気分だったところ、こちらに目が留まりましたので、本日はこちらの作品を読んでいきたいと思います。

 

以下、内容についての記載あり。未読の方はご注意ください。

 

主人公は小学校六年生の男の子・桃井。
彼は夏休み前の終業式の日に、友達と「階段落ち」という遊びをして怪我をしてしまいます。
「階段落ち」とは階段の何段目から飛び降りることができるか、という勇気試しの遊びです。下から五段目なら五ポイント、七段目なら七ポイント、というように高くなるにつれ得点が増えていきます。着地のときに地面に手をつけたりすると減点です。桃井の怪我の後は危ないからと禁止になりましたが、それまでは男子たちに大人気の遊びでした。

桃井は階段から落ちて左手首を捻挫し、小学生最後の夏を包帯とギプス、三角巾と共にスタートします。更に、危険な遊びをしていた罰として、夏休みの日中を学校のプール掃除に費やすことに。自業自得とはいえ、少し可哀想です。
最初は様子を見に来てくれた友達もすぐに来なくなり、桃井の話し相手になりそうなのは、一緒に掃除をしている二組の栗田しかいません。が、桃井は彼のことをいけ好かないやつだと思っているため、挨拶以外はほとんど声をかけず、栗田の方もそれを察してか自分からは話しかけて来ないので、結局お互い黙々と掃除をしています。昼食も離れて食べます。

桃井が栗田を嫌う理由は察しが付きます。

感情の起伏が激しいザ・下の子タイプの桃井には、大人びていて一匹狼で、それでいて面倒見の良い性格の栗田が鼻につくのでしょう。「嫌い」の正体は、嫉妬と憧れ混じりの苛立ち、といったところだと思います。

栗田との距離が近づいたのは、ある夜に妹を連れた彼と道でばったり会ったのがきっかけです。

その時は何となくいつもより会話が続いて、そうしたら、その次の日からは気付いたら二人で並んでお昼を食べていました。

この自然な距離感の変化は非常にリアルに描かれています。ふとしたきっかけで、何となく仲良くなっていく。実際の人間関係も結構そんなものだと思います。

桃井は負けず嫌いでキレやすく、子供っぽい性格ではありますが、小六男子にしては聡明な方です。引きこもりの兄に単身赴任中の父、ストレスで家事の手を抜くようになった母。この中でも不貞腐れずに率先して家の手伝いをしたりと、非常に家族思いでもあります。
兄のトオルが外に出られるようになったのも、桃井のおかけでしょう。二つ上のトオルは文武両道で性格も明るく周囲から将来を期待されていましたが、入学した有名私立中学の勉強について行けなかったのをきっかけに荒んでしまい、しばらく部屋に引きこもっていました。それでも、弟と二人で夜に散歩するようになってからは、少しずつ普通に話したり笑ったりできるようになっていきます。栗田の妹・のぞみちゃんとトオルのコンビは結構好きでした。

桃井と栗田の友情も、日に日に強くなっていきます。
プール掃除最終日には、頑張ったご褒美としてプールで泳いでも良いという許可が降りました。二人きりの貸し切りです。
興奮してはしゃいだ後、ぷかぷかと水に浮きながら二人が話をする場面は作中で一番好きな部分です。ゆったりとした時間の中、とりとめのない、けれど大切なことをぽろぽろと語り合っていく二人。お互い複雑な家庭で生活しているからこそ、何か通じ合うものがあったのかもしれません。
その後、栗田は家が火事になったのをきっかけに住んでいた場所を離れることになりました。それでも、その後も桃井と栗田の友情は続いています。ラストでは、翌年の夏、中学生になった桃井のもとに同じく中学生になった栗田が遊びに来る場面が描かれています。

中学生になった途端、桃井が突然大人っぽくなるのには驚きました。精神面の成長が著しい。一章で「階段落ち」で負けたのに納得できず、勝ち逃げなんてずるい、もうワンゲーム、と喚き散らしていたのと同一人物とはとても思えません。最終章では非常に落ち着いた、思慮深い人間になっています。男子三日会わざれば、とは言いますが、成長期ってすごいですね。

タイトル『ぼくらのサイテーの夏』、この「ぼくらの」というのが好きです。
桃井と栗田、双方の人生にとって大きな意味を持つことになる、あるべくしてあった夏、忘れられない夏、そういった意味が込められているのでしょう。素敵です。

小六男子の一人称小説なので、言葉も易しく、読みやすいです。短くストーリーも単純で、すぐに読み終わりました。
笹生さんのデビュー作だそうです。
主人公の内面描写が丁寧でした。面白い作品だったと思います。
それでは今日はこの辺で。