【イコノイジョイ】コロナ禍に於けるイコノイジョイ界隈を振り返る・第1回【イコノイジョイ】 | 坂道の先にあったのは沼〜そらいろの推し事独白論〜

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今日のPrologue:きみわずらい

 

昨日TLを何気なく見ていたらトレンドに〝きみわずらい〟の文字が...何だろうと思って辿っていくと、昨日行われたアイドライズフェスでまねきケチャがこの曲を歌ったという事からだった様です。

まぁ、ただ歌っただけならトレンド入りはしないんでしょうけど、昨日は今月大幅にメンバーチェンジする同グループの現体制に於ける最後の対バンフェス出演という事でファンのみならず言葉にしたからというところが大きいんでしょうね。

 

 

ホントイイ曲ですよね...そらいろはもう、イントロ聴いただけで泣けてくるくらいこの曲に調教されています。

最新の動画をリンクしたかったんですけど、やはりこの曲はコールも併せての曲という事で4年までの動画リンクしておきます。

メンバーチェンジでこの曲がこの先どんな運命を辿るかわかりませんが、ずっと歌い継がれていって欲しいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そらいろです

 

こんにちわ♪

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マスク着用が任意になるこの日に

今日からマスク着用が任意、つまり個人の判断で着用するかしないかという事になります。

 

巷では〝マスク解禁〟というワードが踊っていますが、とどのつまりは何があっても個人の責任ですよという事を言われているわけで、国としての指針を個人任せにしてきた事は結局最後まで変わらなかったという事でもあります(実質マスクは強制だったものの、体面上はお願いという何ともあやふやな物でした)。

 

まぁ、そらいろは反ワク〟でも〝反マスク〟でもありませんし、逆にこの4年間前線で対応してきたわけですから両極で言い争いをしてきた人たちをどちらかというと醒めた目線で見ていたクチです。

マスクを着けていない人に〝マスクを付けろ〟とは思いませんし(でも、マスクもしないで俺コロナなんだよっていう非常識な人は未だに居ます(笑))、その逆で〝顔が見えないからマスクを外せ〟なんて言う事も云うつもりもありません(大体、花粉症の真っただ中でマスク外せはある意味拷問に近い(笑))。

 

額面通り個人の判断でつける付けないは決めればいいし他人がとやかく言う問題でも無く、それによってその人の見方を決める事もしません。

騒いでいる人たちは、ただの承認欲求の塊なんだろうと遠くから見ているだけです。

 

とはいえ、それまでの生活を一変させたこの3年間の一区切りという日になりますので、この日を少し感慨を持って迎えています。

 

コロナ禍の3年間の推し事の総括

そろそろコロナ禍の推し事の総括なんかを書きたいなって思っていたところに今回の〝マスク着用の任意化移行〟、そのいい機会かなという事で本日取上げる事にしました。

実際、新型コロナウィルスが制度的に一応の収束をみるのが5月の〝5類相当〟への移行する時でありその時に取上げる方が相応しいのかもしれませんがそれだとちょっと先になってしまうので今回の〝マスク着用の任意化移行〟のタイミングで書きたいと思います。

 

しかしこれまでも〝新型コロナウィルス〟絡みで幾度か書いてきましたが、それを含めてこの3年を振り返るとしたらとてもじゃないですが1回で終わる分量では無いでしょう。

まぁ、この辺りは幾度かに分けて書いていきたいと思います。

恐らく、その間にも他の話題が入ったりくると思いますので連続では無く随時シリーズものとして書いていこうと思います(尤もその日に取り上げる話題が無ければ連続になるかも知れませんが(笑))。

 

イコノイジョイとそらいろとコロナと

思えばそらいろがイコノイ(当時)界隈に足を踏み入れて半年、これからもっと楽しむぞというところでこの厄災は起きました。

つまり、そらいろのイコノイ(+ジョイ)歴と新型コロナウィルスの蔓延は切っても切れない様に密接に関わってきました。

さらに言えばもしコロナ禍が無かったとしたらイコノイジョイの方に軸足を移していたかは疑問で、その規模のせいか中々現場復活に移行できなかった〝坂界隈〟への興味が薄れたきっかけもこのコロナ禍だったともいえるかもしれません。

 
なのでこのコロナ禍がことイコノイジョイへの〝推し〟という面で言えば全くの厄災かといえばそうとも言い切れない複雑な思いもあります。
しかし、これだけ全世界に影響を与え人の命や日常を奪った新型コロナウィルスは紛れもな厄災であり、先に書いたイコノイへの〝軸足移行〟はその厄災に対して果敢に行動したメンバー達や指原P、そして運営さんの姿勢からもたらされたという事で当然の帰結だったかもしれません。

 

 

その始まりの日

新型コロナウィルスの起源は諸説あるもののその存在が広く知られる様にになったのは中国の医師が12/30に原因不明の肺炎に関して記載されている公文書を告発した事なのですが、同日はそらいろはノイミーの第1回定期公演を楽しんだ日でもありまさか海の向こうでそんな事が起きているとは知る由もありませんでした。

 

このニュースが出回って知る事になったのは年明けぐらいだと記憶していますが、その時にはまた中国で変な病気が流行っているくらいにしか捉えておらず、日本に来なきゃいいけどなと思っていたくらいでした。

なので同じ頃に1/4にパシフィコ横浜で握手会があったのですが、これが(現状では)最後の握手会になるなんて思わず一番最後に握手会に臨んだなぎさん(齊藤なぎさ)には、次のお話し会はトップバッターで会いに行くからねと伝えてその場を後にしました。
まさかそれが最後になるとは思わず(特になぎさんは、再会もかなわず卒業してしまった為)、これまでの繰り返しにはなりますが本当に行って良かったと今でも思っています。
 

加速する蔓延と先が見えない時間

1月辺りはそれでもマスクや消毒液の買い占めが話題を賑わしていたものの、普通に握手会やコンサートも開かれている状況でした。

 
しかし接触イベントに関しては1月の終わり頃から延期という流れになり(それでも毎週受付だけはされていたんですよね)イコラブでも愛知の個別は中止になった様に思います。
一方で、2月にはその様な状況の中でなぜか“CAMEO”の初回のリリイベは行われ866ツアー衣装に身を包んだピンクエンジェル(樹愛羅・なぎさ)が予約者にポストカードを渡すというかなりレアな機会があった事も思い出されます。
 
しかし、3月に入ると状況は悪化軒並みコンサートは延期・中止が相次ぐもののまだ暫く経てばという雰囲気があってノイミーの春ツアーの受付は行われましたし、イコラブの春ツアーも開催日が近づいてから中止というアナウンスが繰り返されていました。
 
やはり先行きが見えない不安が高まったのは、全く社会機能が止まってしまった4月で当時新作の“CAMEO”が〝未定延期〟という全く聞き慣れない言葉で発売が延期になった事が大きかったと思います(まぁ、肝心のCD屋さんが開いていないんだからそうせざるを得ないでしょうけど)。
 
新作の発売日は未定、コンサートも握手会もいつになったらまた平常が戻ってくるのか?。
大体、大所帯であるアイドルグループが(イコノイと言えども総勢24人は居ますし、スタッフさんだっている)この様な状況で維持できるのか?そんな事も思ってしまいました(下手すれば母体の代アニさんだってマズい可能性だって出てくる)。

 

 

いち早く動き出す界隈

本当に小規模な地下アイドル辺りはこの状況下でもゲリラ的に活動していたところもあったようですが、流石に大手に比べて未だ小さいと言えども流石にその様な活動はできなかったイコノイも活動再開は早かったと思います。

やはり、今と異なりグループの維持のためには何とかしても収益をあげなければという側面はあったのでしょうね。

 

やはり、その嚆矢となったは動画配信された〝次に会ったとき何を話そうかな〟だったのではないかと思います。

 

 

当時休養中だったぴとみん(髙松瞳)まで覆面ながら参加、勿論漸減を翻すようですが収益とは全く関係無いながらも先行きが見えない中でのこの作品の存在はこの後の活動再開へ向けてのある意味で指針となったような気がします。

 

配信ライブとして6月にはイコラブ、翌7月にはノイミーが曲名を冠したライブを行い、7月には延期されていた“CAMEO”の発売とそれに関連してのコラボカフェ開催でリアルで会えるわけでは無いですが少なくとも現場と云えるものが復活。

9月には3周年、そして冬ツアーからの武道館と今にして思えばあの運営さんが良くも決断したとも思えるのですが、やはりそこにはこのままジリ貧で終わらせられないという事があったのでは無いかと思います。

 

一方でファンに対して果断なる処置を行った事もあって、CAMEOの握手会券を日時を指定して強制的に〝処理〟した事もありました。

まぁ、ここで不良債権化しそうな握手券を全て掃き出させた事で、以後の行動がしやすくなった面もあるでしょう。

 

そらいろ的にはこの積極的姿勢がコロナ禍でもイコノイの界隈がファンを増やし続けて今に至る基になっていると思います。

 

鍛えられた危機対応能力

勿論、こと女性アイドルグループだけに限ったとしても書く運営さんは手をこまねいていたわけでは無く同じ様に試行錯誤は行って来たはずですが、特にイコノイの界隈はそれが上手く回ったとも云えその辺りが(当時)同規模程度のグループがコロナ禍を乗り越えられなかった事と対照的かもしれません。

 

そういえばこの後の特にイコラブは〝好事魔多し〟といえる状況が頻発するようになるのですが(何か良いことがあると、決まってその後に危機が訪れる)、それらを乗り越えて先に進む危機対応力みたいなものがこの時期を越えたからこそ養われた物かも知れません。

 

さてさて、コロナ禍によって生み出されたものは沢山あります、先にあげた配信ライブもそうですし、このブログでも数度取り上げた補助金絡みの〝J-LOD〟動画、接触イベントとして握手会の代替として生み出されたオンラインイベントの数々はその功罪の二面性は未だに議論のあるところでもあります。

 

昨今、話題になるライブに於ける声出しも、期せずして声出しに対して懐疑的な方が望む機会が生み出されたわけでその辺りもコロナ禍があったからこそだと思います。

 

次回この話題を取り上げるときは、その辺りを取り上げて書いていきたいと思います。

 

 
 
 
 
 
 
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