今回のプログラムは、オネゲル/交響曲第3番「典礼」とブラームス/交響曲第4番。
ブロムシュテットは近年、ウィーン・フィル等ともこのプログラミングによるコンサートを行っており、N響とも当初2020年10月Bプロ定期公演で採り上げる予定でしたが、その時は新型コロナウイルス感染症拡大に伴う入国制限措置強化に伴いブロムシュテットは来日不能となり、定期公演は中止、代替公演も別プログラムに。今回4年越しの実現となりました。
ブロムシュテットの選曲の意図は私には分からないけれど、察するに、第二次世界大戦に象徴される人間の愚かさ・醜悪さに係る痛烈な告発であるオネゲル「典礼」を今なお収束するどころか拡大の一途を辿る世界各地での戦禍への批難として配し、それにブラームスの交響曲の中で最も峻厳である「第四」を組み合わせた…といったところでしょうか。
10月のブロムシュテット&N響の一連の公演の中で私が最も関心を抱いたこの公演、定期会員になっている2日目だけでなく初日も聴くことにしました。
前半のオネゲル「典礼」。
第1楽章「怒りの日」の峻烈さ、第2楽章「深い淵から」の悲痛な祈り、第3楽章「われらに安らぎを与えたまえ」の仮借なさが、ブロムシュテットの指揮のもとに何という鮮やかさを以て表現されていたことか。そして第3楽章終盤の平安を希求するような静謐な祈りに似た部分では、聴いていて思わず涙が。
ブラームス最後の交響曲であるこの作品の、第1楽章の憂愁の清澄感をもった表出とコーダの厳格さ、何処か懐かしさに似た温かくしみじみとした第2楽章のとりわけ第2主題の再現以降の美しさ、第3楽章の活気と中間付近の一抹の淋しさ、そして第4楽章の厳しさと慈しみの交錯…。11年前の峻烈さとはまた趣を異にした名演だったと思います。中でもやはり第4楽章第12変奏の神田首席によるフルートのソロの孤愁や第14変奏の管楽器による慰藉の響きには、胸がいっぱいになりました。
この日もブロムシュテットは、川崎コンサートマスターに介添されての入退場&椅子に座っての指揮でしたが、その指揮姿は前週よりも心なしか元気そうに見受けられました。そしてその創り出す音楽は…やはりとても97歳の演奏とは思えない、清新さと精気に充ちたものでした。
ただ閉口させられたのが、すぐ前の席の男性客。
ブロムシュテットが登場するや否や「ブラヴォー!」と大声で叫びつつ手を高々と挙げて拍手をするわ、演奏中も前屈みで聴くわ、カーテンコール中もまた腕を高く挙げ拍手と撮影を繰り返すわで、すっかりこちらの視界が遮られてしまい、腹ふくるる想いでした。
果たしてその客、本当にブロムシュテットに畏敬の念をを抱いてやって来ていたのかしらん。
帰途品川駅でふと頭上を見上げると、近畿日本鉄道の「わたしは、奈良派。」の大きな広告が。
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