サヴァリッシュの訃報に接した2/25(月)…日中は業務や夕刻の地震に紛れて暫し放念していたのですが、やはり家路に就いて以降、時間が経つ程に哀しみが募ってきました。

思えばNHK「らららクラシック」で結果的にN響との最後の協演となった、ベートーヴェン/交響曲第7番を回顧したのがつい1カ月前のことでしたが。

N響名誉指揮者の内、スウィトナーやシュタインは既に亡く、今また桂冠名誉指揮者サヴァリッシュも…。
3人共円熟期から最後の更なる至高の境地へ達する目前で、健康上の理由により指揮台から離れざるを得なくなってしまったのも何かの因縁でしょうか(私はスウィトナーの実演を聴く機会を遂に逸してしまったことが悔やまれてならない)。天も非情なことをするものかなと…無念でなりません。

とは云えサヴァリッシュは、本当に数々の感動を与えてくれました。
中学生の頃TVで視た「日独交歓コンサート」でのブルッフ/ヴァイオリン協奏曲第1番やオルフ/カルミナ・ブラーナに於いて、知性に裏打ちされた霊感に満ちた表情で情熱的かつ颯爽とN響をドライヴしていた姿が、ついこの間のことのように脳裏に浮かんできます。

そして1985年のN響アワー「サヴァリッシュさんの音楽解剖学」に於けるブラームス/交響曲第4番の、作品ひいてはブラームスそして音楽に対する深い愛情を窺わせる解説&演奏…。

1988年以降N響定期へ実際に足を運ぶようになってから接した数々の名演も、1994年11月のブラームス・ツィクルス、1995年11月のバッハ/ヨハネ受難曲、1997年11月のブラームス/ドイツ・レクィエム、1998年11月のシューマン・ツィクルス、1999年11月のR.シュトラウス・ツィクルス、2001年10月のメンデルスゾーン/オラトリオ「エリア」(サントリーホール開館15周年&N響創立75周年記念)

そして結果的に最後の来日となってしまった2004年11月のシューマン/序曲・スケルツォとフィナーレ、ブラームス/交響曲第1番、ブリテン/ヴァイオリン協奏曲にベートーヴェン/交響曲第7番等々、


それに1992年秋のバイエルン国立歌劇場東京公演最終日の東京文化会館に於けるワーグナー/歌劇「さまよえるオランダ人」や1996年のフィラデルフィア管弦楽団東京公演でのベートーヴェン/交響曲第2番・「英雄」合唱幻想曲・「第9」


1999年の同横浜公演でのモーツァルト「ジュピター」&ブラームス/交響曲第1番と…枚挙に暇がありません。

返す返すも残念だったことの1つは、2003年11月に予定されていた、「あの」ウィーン・フィルとの来日公演が体調不良の為キャンセルとなってしまったこと。
メイン・プログラムの1つがシューベルト/交響曲第8(9)番「ザ・グレート」という、私にとっては夢のような組合せだっただけに、降板の情報に接した際の落胆もまた大きなものがありました。

夜半に上述のN響アワー「~音楽解剖学」やブラームス/ドイツ・レクィエムの録画を改めて視ている内に、やはり眼にこみ上げてくるものが…。

兎も角も今は、サヴァリッシュの40年の長きに亘るN響ひいては日本楽壇への継続的かつ多大な貢献・業績、その後半のみに留まったとは云え私もそれを眼の当たりにすることが出来たことに、深く感謝したいと思います。

上述の1992年秋のバイエルン国立歌劇場来日公演の「さまよえるオランダ人」終演後に舞台に掲げられた横断幕に綴られていた言葉、これをそのまま拝借しサヴァリッシュに捧げます。
"Vielen Dank Doctor Sawallisch ありがとうサヴァリッシュ"。