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 まず「レニングラードって何?」という若い人のために。この町はロシア帝国が西欧との交易を目的に開発した港町で元々は「サンクトペテルブルグ(聖ペテロの町)」というドイツ式の名前がつけられていた。これを第一次世界大戦でロシアとドイツが交戦したのを機に「ペテルグラード」とロシア風に改められ、ロシア革命後にレーニンを称える意図で「レニングラード(レーニンの町)」とさらに改められたが、ソ連崩壊後「サンクトペテルブルグ」に戻されたという経緯がある。
 
 交響曲第7番は1942年にナチス・ドイツに包囲された戦時下のレニングラードで作曲された。演奏に約75分かかるショスタコーヴィチとしては最長の交響曲だが、ブルックナーやマーラーと比較すれば特に長いとは言えない。それにも関わらずこの作品はとても「聴きにくい」作品だ。冒頭から兵隊の足音が聞こえる10分ぐらいのシニカルな音楽は普通に聴けるが、その後の1時間は戦争の爆音と、うめき声のような不穏な響きが繰り返される。行き場のない閉塞感はまさに当時のレニングラードであり今のウクライナだ。
 第三楽章の陰鬱なアダージョの持つ意味はブルックナーの交響曲のアダージョの安らぎとは全く別物だ。この曲よりはるかにマイナーなバーンスタインの交響曲ですら天国的な瞬間は存在する。しかしそれによって人間の営みと、その愚かさを表現したショスタコーヴィチ一世一代の名曲でもある。
 
 井上道義の炎をかき混ぜるような壮絶な指揮は聴衆に息をつく間を与えない見事なものだった。サントリーホールのオルガン前に1列に陣取った10名(ホルン4,トランペット3、トロンボーン3)のバンダ隊も大変効果的だった。途中で遠くの観客が咳き込む声が2回聞こえたが、ツバを飲み込むのを忘れてむせたのだろう。隣だと迷惑だが同情する。もしショスタコーヴィチが西側に亡命していたらこのような曲を書けただろうか? ショスタコーヴィチはソヴィエトという体制と戦うことで才能を開花させた、つまりソヴィエトあってのショスタコーヴィチだということを再確認した。そして聴衆を75分間の恐怖に突き落とすことがまさに作曲者の狙いであり、それをやってのけるのは「僕はショスタコーヴィチだ」と公言する井上道義をおいて他にいない。
 
 
 
 井上は日比谷公会堂での全集以降、2015年にも大阪フィルとこの曲を録音しているが、今回の公演も録音用のマイクが立っていたので多分CD化されるはずだ。自身のショスタコーヴィチの集大成という意味だろう。楽しみだが、できれば録画もしてほしかった。楽章間で指揮台に寄りかかってはいたが、最後まで精力的な指揮を見せてくれた井上のこの姿を目に焼き付けておきたい。鳴りやまない拍手に応えてステージに戻った井上の「疲れたから早く帰って寝たいんだ」という仕草がお茶目だった。
 
 
 
 
新日本フィル「サントリーホール・シリーズ」第659回定期演奏会
2024.11.18
東京都 : サントリーホール 大ホール
午後 7時開演(午後 6時15分開場)

ショスタコーヴィチ:交響曲第7番 ハ長調 op. 60 「レニングラード」
新日本フィルハーモニー交響楽団
 
プログラムはこちらからダウンロードできる

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 「ファルスタッフ」、「オテロ」に続く「オペラ演奏会形式(要するにセミ・ステージ形式)」のヴェルディ「マクベス」。今回もオケ、ソリスト、合唱、演出ともに申し分のない大変優れた演奏だった。
 オケ(東京フィル)は序奏から「イタリアの音」満開で、先月プラッソンが「フランスの音」で素晴らしい演奏を聞かせてくれたのと同じオケとはとても思えない。私は以前チョンの指揮でヴェルディの「レクイエム」を歌ったことがあるが派手さはないのに内側への情熱が溢れていて素晴らしいと思ったことを思い出した。それと、オケを「ひな壇」にあげないで平らに置いたのもとても良い。オケをひな壇に上げてしまうと歌手の声にオケの音と残響が覆いかぶさってしまうので声が聴きにくくなる。チョンは良く分かっている。
 合唱は女声の半数ほどが魔女役でステージ上で大活躍。簡素な舞台セットと照明だけの演出だがオペラ上演との遜色を全く感じさせない、というより下手な演出を見させられるよりはこちらの方が数段いいと思った。椅子に座る順番、舞台からはける順番もスムーズに見えるように考えられていて素晴らしい。新国立劇場合唱団の厚みのある声はイタリアの合唱団に引けをとらない。
 ソリストは私は全員生で聴くのは初めてで名前もイェオとセッコぐらいしかしらない(侍女の但馬由香さんは武蔵音時代からのお友達)が、チョンの選んだ歌手なので悪かろうはずもない。特にバンクォーのベーゼンドルファーがとても良かった。
 思えば90年頃サントリーホールではホール主催の「ホールオペラ」を良くやっていた。パーテルノストロやクーンが振って「椿姫」、「マクベス」、「シモン・ボッカネグラ」、「オテロ」などをやっていた。ブルゾンを中心に歌手は良かったが、演出は全く記憶にない。多分普通の演奏会形式だったように思う。思えばその時のオケも東京フィルだった。
 歌手はともかく「ホールオペラ」としての完成度は今回の公演の方が格段に高い。私はサントリーホールで見たので合唱はP席奥の扉から出入りした。照明が落ちていると気が付いたら合唱が並んでいたぐらいスムーズに入場していたが、オーチャードホールなどはそうはいかないので合唱の出入りがサントリーホールほどスムーズにできたのかどうか私には分からないが、サントリーホールでマクベスをやるのにこれ以上優れた演出は考えにくいと思う。
 演奏した版はパリの改訂版(ただしバレエなし)という標準的なもので、最近流行の初稿から復活させた「マクベスのモノローグ」はなしに戦闘シーンから勝利の合唱へつながる。

譜例付きの曲目解説がPDFで配信されているので合わせてご覧ください。
https://www.tpo.or.jp/concert/pdf/TPO_teiki_202409_web_j.pdf

東京フィルが開設している特設ページの解説動画も必見です。

 

 


2024年9月17日(火)19:00開演(18:15開場)
サントリーホール 大ホール

指揮:チョン・ミョンフン(名誉音楽監督)
マクベス(バリトン):セバスティアン・カターナ
マクベス夫人(ソプラノ):ヴィットリア・イェオ
バンクォー(バス):アルベルト・ペーゼンドルファー(※)
マクダフ(テノール):ステファノ・セッコ
マルコム(テノール):小原啓楼
侍女(メゾ・ソプラノ):但馬由香
医者(バス):伊藤貴之
マクベスの従者、刺客、伝令(バリトン):市川宥一郎
第一の幻影(バリトン):山本竜介
第二の幻影(ソプラノ):北原瑠美
第三の幻影(ソプラノ):吉田桃子
合唱:新国立劇場合唱団(合唱指揮:冨平恭平)
※当初の予定から変更となりました。

 

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 2022年に校訂された第一稿ホークショー版を用いた高関さんのアプローチは「第一稿はすでに完成した作品である」という確信に満ちたもので、大変説得力のある演奏でした。

 第8番、第9番の作曲の経緯を年代順に追うと、ブルックナーは第8番の第一稿を1887年夏に完成した後、すぐに第9番の作曲に取り組み1888年までに途中まで(第三楽章の途中まで?)を書き上げた。しかし信頼を寄せていた指揮者のレヴィから「8番の演奏は不可能」という予想外の返事が弟子のシャルクを通じて返ってきたため、1889年から1890年までを費やし第8番を改訂する(第二稿)。この間弟子(レーヴェとシャルク兄弟の3人)の手を借りながら1887~88年には第4番の改訂(第三稿)を、1888~89年には第3番の改訂(第三稿)を、1890年~91年には第1番の改訂(ウィーン稿)を、第8番の改訂作業と並行して行った。
 1892年12月に第8番(第二稿)が初演された後、ブルックナーはようやく第9番の作曲に再び取り組み第三楽章までを1894年11月に完成させた。しかしブルックナーの体調はすでに悪化しており「第四楽章が完成しなかった場合はテ・デウムを代わりに」という言葉を残す。その後の作曲はなかなか進まず約2年後の1896年10月11日に亡くなる前日までにかなりの草稿を残した(一部は没後に散逸した)が、第9番の第四楽章はついに未完のまま残された。この時系列を見ても不協和音を多用した第9番の不思議な音楽につながるのは第8番の第二稿ではなく第一稿だということが分かる。
 第二稿の方が調性音楽としての整合性がとれていて分かりやすい音楽になっているのは間違いない。その関係はリムスキーコルサコフ編曲の「はげ山の一夜」とムソルグスキー原典版の関係に似ている。よりスムースなコード進行、起承転結のはっきりした構成の「第二稿」によって第8番が広く親しまれる作品になったのは間違いない。でもそれは「第一稿は失敗作」ということを意味しない。はげ山の一夜の「原典版」が今日では広く演奏されるようになったのと同じである。
 「第一稿」で時々出てくる「おっとそっちに行くか(笑)」という少し不思議で前衛的なコード進行もこれは第9番の前触れと考えれば納得だ。高関健の確信に満ちた演奏はブルックナーが自身では改訂作業を行わなかった第5番、第6番、第7番と同様に第8番第一稿がすでに完成された作品であったことを納得させる素晴らしいものだった。
 私が東京シティ・フィルを聴くのはかなり久しぶりだった。正直都内のオケとしてはあまり一流という印象ではなかったのだが(失礼!)、終始全く危なげのない、高関健の指揮同様に確信に満ちた演奏でこのオケに対する認識を完全に改めた。高関健のもと東京シティ・フィルは格段の進化を遂げたようだ。
 唯一ないものねだりをするとすれば、「変わった演奏が聴ける」のを楽しみにして聴きに来た人間には肩透かしなくらい、スムーズで全く違和感のないブルックナーが聴けたことだろうか(笑)
 高関健と東京シティ・フィルのブルックナーに今後も注目していきたい。
 なお、高関健がこの演奏会によせたプログラムノートとメッセージ動画がWebで公開されているのでぜひ参照されたい。
 
・プログラムノート
https://www.cityphil.jp/news/common/pdf/program_notes_202408.pdf
 

 

 


東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団
第372回定期演奏会

2024/9/6 (金) 19:00開演 [18:15開場]
◎18:40より指揮者 高関健によるプレ・トークあり
会場:東京オペラシティ コンサートホール

指揮:高関 健(常任指揮者) Ken Takaseki, Principal Conductor

【ブルックナー生誕200周年】
ブルックナー:交響曲第8番 ハ短調(第1稿・新全集版ホークショー校訂)