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(N響パンフレットより)
N響 第2051回定期公演
【曲目】
ショスタコーヴィチ/バイオリン協奏曲第1番
ツェムリンスキー/交響詩「人魚姫」(初稿版)
【演奏】
指揮=ファビオ・ルイージ、
バイオリン=レオニダス・カヴァコス、
管弦楽=NHK交響楽団
2025年11月29日NHKホール
この日の演奏はNHKONEで1月11日まで配信されています。初稿版による第2部は1時間19分頃からです。
https://www.web.nhk/tv/an/ongakukan/pl/series-tep-69WR9WJKM4/ep/L8RQ2KRZ9L
ツェムリンスキーの人魚姫は抒情交響曲に次いで好きな曲です。この日の演奏は2013年に出版された初稿版で、第2部(第2楽章)が改訂版と異なり、初演前に削除された第2部中盤に約85小節、演奏時間にして5分ほど「海の魔女」のエピソードが復元/収録されているそうです。この部分は不協和音を用いた前衛的な曲想なのでウィーン初演前に削除されたとのこと。
この曲は「マーラーの大地の歌の様式で」書かれた2声の声楽を伴う抒情交響曲と比べると展開がやや単調かなという気もしないでもないですが、これもとても抒情的な作品です。約80年間も長年楽譜が行方不明で1986年にシャイー盤が出たときはすぐに買いました。削除された部分はこの作品にアクセントを加える点では効果的で、あった方がいいと私は思います。今後は初稿版の演奏が主流になるのではないでしょうか? 初稿版の演奏がCD化されることを期待したいです。
●(WIKIより楽曲解説)
楽曲構成
第1楽章 - 非常に重々しく (Sehr mäßig bewegt)
暗い海底の描写で音楽は始まり、やがてヴァイオリンのソロで人魚姫の主題が現れる。人魚から見た人間界の楽しげな様子、激しい海の嵐、船の難破と王子との出会いが描かれる。
第2楽章 - 非常に大きく動いて、ざわめくように (Sehr bewegt, rauschend)
海の魔女の家を訪れる人魚姫の様子と、人間となった後の王子の館での苦しみ、王子の結婚式。
第3楽章 - 非常に壮大に、苦悩に満ちた表現で (Sehr gedehnt, mit schmerzvollem Ausdruck)
その後の人魚姫の姉妹達との対話や人魚姫の自殺、天国への救済。物語の描写や標題性よりも交響曲のような純音楽的な展開が重視されている。
●(N響パンフレットより)
ツェムリンスキー交響詩「人魚姫」
輝かしい未来を嘱望されながらも、歴史の隅に追いやられた作曲家─アレクサンダ ー ・ フォ ン ・ツ ェ ムリ ン ス キ ー( 1871~1942)ほど過小評価されてきた存在もそうはいまい。 世紀転換期のウィーンにおいて、彼は次世代を担うべき新星だった。早くも音楽院の学生時代にブラームスに才能を認められ、卒業後は28歳にして、マーラーの指揮でオペラ《昔あるとき》が初演されるなど、めきめきと頭角を現しはじめる。しかし、ある意味で最大の転機となるのは、1895年に3歳年下のシェーンベルクと出会ったことだろう。ツェムリンスキーは当時まだアマチュア作曲家であったシェーンベルクの唯一の師/親友として大きな影響を与えるも、自らは後期ロマン派の枠組みにとどまり続けたこともあり、次第にかつての弟子の影に隠れていくことになる。
《交響詩「人魚姫」》は両者が深い関係にあった1902年から1903年の作品であると同時に、ツェムリンスキーの最良の成果のひとつといって間違いない。陶酔と苦悩の濃密なドラマ、名人芸の域にあるオーケストレーション、それでいて揺るぎない構成感ここには管弦楽の魅力と技術の粋が余すところなく詰め込まれているのだ。
本作はアンデルセンの童話『人魚姫』を下敷きにした「幻想曲」であり、全3部を通じて物語の心理的ドラマが描き出される。深い海底、荒れ狂う嵐、そして人魚姫による海にPROGRAM A 11 A 29 & 30. NOV. 2025 NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYOA 29 & 30. NOV. 2025投げ出された王子の救出(第1部)、人間界の王子に恋した人魚姫は、魔女との取引によって、声を犠牲にして足を得るも(第2部)、その想いは報われず、最後は泡となって消え、天上へと昇華する(第3部)―そして、その筋書きには、ツェムリンスキー自身の失恋体 験( アルマ・シントラー、のちのマーラー夫人との破局)が重ねられてもいる。実際に、届かぬ愛への憧れ、声を失うという自己喪失、肉体の滅びを経て魂が救われるという構図は、この時期の彼の精神状況を表すものだろう。
《人魚姫》は1905年にウィーンで初演されおおむね好評を博し、ベルリンとプラハにおける再演時の評判も上々だった。しかしながら、奇妙にもツェムリンスキー自身はこの作品が気に入らなかったようで、出版を試みることもなかった。その理由は定かではないが、同じ演奏会で初演されたシェーンベルクの《交響詩「ペレアスとメリザンド」》(1902~1903年作曲)が巻き起こした激しい賛否を前に本作が霞かすんでしまったことが一因にはあっただろう。
以後、《人魚姫》は長らく忘れられていたが、1976年に自筆譜が発見され、いまではツェムリンスキーの最も人気のある作品のひとつに数えられる。なお本日演奏されるのは2013年に出版された初稿版で、ここには初演前に削除された第2部中盤の「海の魔女」のエピソードが復元/収録されている。約85小節、演奏時間にして5分ほど。カットの理由の一端は、ウィーンの聴衆の保守的嗜し好こうを考慮したことにあったと思われる。事実、このエピソードは曲全体で最も大胆かつ不協和な書法が用いられている部分でもあり、本日はツェムリンスキーの進歩的な一面を堪能できることだろう。
あと10年、いや5年早く世に出ていれば、記念碑的傑作として歴史に名を刻んでいたのではないか―そう思わずにはいられない珠玉の管弦楽作品である。
●N響パンフレットのダウンロードはこちら
https://www.nhkso.or.jp/concert/phil25Dec.pdf
●ルイージのメッセージ動画
●この曲の盤歴と日本における演奏史はこの情報が詳しい。
大分県立芸術文化短期大学リポジトリ
https://geitan.repo.nii.ac.jp/record/1604/files/56%28105-125%29%20.pdf
●(以下HMVサイトより作品解説)
【マーラーとシェーンベルクの架け橋的存在】
アレクサンダー・ツェムリンスキーは1871年にウィーンに生まれた作曲家。ウィーン音楽院でピアノと作曲を学んだツェムリンスキーは、ブラームスから才能を認められ、その推薦を得て1896年にはクラリネット三重奏曲を出版しています。
その間、自ら結成したアマチュア・オーケストラ「ポリュヒュムニア」にチェリストとして入団してきた3つ年下のシェーンベルクと親しくなり、彼に対して対位法を手ほどきしています。
ツェムリンスキーの弟子にはほかに、アルマ・マーラー、カール・ヴァイグル、エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルトらがおり、そのうちアルマとは恋仲でもありましたが、彼女は結局マーラーを選び、1902年には結婚してしまいます。その失意のさなか、書き始められたのが交響詩『人魚姫』だったこともあり、作品の内容と失恋との関連性についてはしばしば言及されることもあるようです。
【80年間埋もれていた傑作】
その交響詩『人魚姫』の題材は、おなじみのアンデルセンのおとぎ話『人魚姫』で、ストーリーのあらましを、3つの楽章から成る約40分の長さの音楽に投影しています。
作品が完成したのは1903年で、シェーンベルクの交響詩『ペレアスとメリザンド』も同年に完成したということもあってか、マーラーが名誉総裁を務める「ウィーン音楽芸術創造家協会」主催のコンサートで、1905年1月25日に一緒に初演されています。
初演では両作品とも評価されたものの、『ペレアスとメリザンド』に、より多くの注目が集まり、また、一部には『人魚姫』を貶す評もあったためか、ツェムリンスキー自身が、もうひとつの楽章の追加による「交響曲化」を考え、『死の交響曲』として完成することを計画した結果、ベルリンでの再演はキャンセル、楽譜の出版もおこなわれない運びとなってしまったようです。
しかし、実際には「交響曲化」がおこなわれることはなく、また、ツェムリンスキーの亡命によって楽譜の存在もうやむやになってしまったというのが、その後、『人魚姫』が約80年に渡り埋もれる要因であると思われます。
【楽譜の発見、蘇演、そして人気の上昇】
『人魚姫』の楽譜は、1970年代半ばに始まったツェムリンスキー再評価の機運もあって、楽譜探索が進められた結果、1980年にウィーンで第1楽章が、ワシントンで第2楽章と第3楽章が発見されています。
その楽譜による復活蘇演は、1984年に音楽学者で指揮者でもあるペーター・ギュルケがウィーンでユース・オケを指揮しておこなっています。1986年には、珍しもの好きのリッカルド・シャイーが実演でとりあげ、同時期にレコーディングも実施。そのアルバムがデッカから登場すると作品の知名度も高まり、次第にとり上げられる機会が増え、1989年には若杉弘指揮東京都交響楽団によって日本初演もおこなわれることとなりました。近年はCDの数も増え、現在までに下記9種類のアルバムが発売されています。
1986 シャイー/ベルリン放送響(40:16 DECCA)
1986 シャイー/コンセルトヘボウ(41:44 RCO)廃盤
1987 ペシュコー/南西ドイツ放響(44:48 WERGO)
1994 カスプシーク/北オランダ管(43:47 VANGUARD)廃盤
1995 コンロン/ギュルツェニヒ管(44:29 EMI)
1997 ダウスゴー/デンマーク国立放響(42:51 CHANDOS)
2003 ボーモント/チェコ・フィル(38:40 CAHNDOS)
2005 ダウスゴー/デンマーク国立放響(40:06 DACAPO)
2006 ジャッド/ニュージーランド響(40:51 NAXOS)
【オーケストレーションの達人ツェムリンスキー】
ツェムリンスキーはマーラー、シュトラウスの少し後の世代だけあって、オーケストレーションの技法には素晴らしいものがあります。この『人魚姫』でも、海の世界から宮廷の舞踏会の様子、心理描写から救済に至るまで熟達の筆致で描きこまれています。楽器編成も下記の通り大がかりなもので、オーケストラ音楽を聴く喜びを満喫させる多彩な響きが実に魅力的です。
フルート×4(ピッコロ持ち替え×1)
オーボエ×2
イングリッシュホルン×1
クラリネット(Es)×1
クラリネット(B)×2(A持ち替え×2)
バス・クラリネット×1(A持ち替え×1)
ファゴット×3
ホルン×6
トランペット×3
トロンボーン×3
バストロンボーン×1
バスチューバ×1
ティンパニ×1
打楽器×2
グロッケンシュピール
トライアングル
サスペンドシンバル
チューブラーベル
ハープ×2
ヴァイオリンⅠ
ヴァイオリンⅡ
ヴィオラ
チェロ
コントラバス
【人魚姫のあらすじ】
15歳の誕生日を迎えた人魚姫は、海上で船の上にいる人間の王子を見かけます。船はその後、嵐に巻き込まれて難破してしまいますが、人魚姫は王子を助け出して砂浜に運び、自分が王子に恋をしていることに気付きます。
恋心が抑えられない人魚姫はどうしても人間になって王子に近づきたいと思いつめ、海の魔女の家を訪れ、自分の舌と引き換えに、人間の足を手に入れます。そのとき、魔女からは「もし王子が他の娘と結婚すれば、人魚姫は海の泡となって消えてしまう」と告げられます。
ほどなくして王子と一緒の城に住むことになった人魚姫ですが、舌を切り落とされているために声を出せない彼女は、自分が王子を心から愛していることや、彼の命を救った事実を知らせることが出来ず、王子は人魚姫が命の恩人であることにまったく気付きません。
やがて王子は、偶然浜辺を通りかかった娘が命の恩人と勘違いしてしまい、感謝の念からその娘と結婚することを決めてしまいます。
あまりのことに悲嘆に暮れる人魚姫の前に現れた彼女の姉の人魚たちが、髪の毛と引き換えに海の魔女に貰った短剣を彼女に差し出し、これで王子を刺せば、その血によって人魚の姿に戻れると伝えます。
心から愛する王子を殺すことなど出来ない人魚姫は、結局みずから死を選び、海に身を投げて泡に姿を変え、空気の精となって天国へ昇っていきます。
【作品の概要】
第1楽章:非常に重々しく
海の底の描写で開始。チューバとハープ、低弦が重々しく印象的。やがて高弦が入って木管セクションとともに海中の様子を表情豊かに描きます。
独奏ヴァイオリンによって美しく描かれるのは人魚姫。抒情的でリヒャルト・シュトラウス風な音楽が展開されます。
楽章なかば過ぎから低弦に導かれて開始される嵐の音楽はどこかリムスキー=コルサコフの『シェエラザード』を思わせ、迫力も満点。人魚姫(独奏ヴァイオリン)の果敢な救出劇と、救出後の優しい音楽、そして最後に弱く鳴らされるチューブラーベルが独特の効果を生んでいます。
第2楽章:非常に動的に、ざわめくように
サスペンドシンバルを伴う華麗な響きが描き出すのは海の魔女の魔法。舌を切られ声を失いながらも、人間の足を得た彼女は、城で喜びに満ちたワルツを踊り、王子の気を惹こうとがんばります。グロッケンシュピールと独奏ヴァイオリンの楽しい音楽が彼女の気持ちを一杯にあらわしています。
やがて場面は王子の結婚を祝う舞踏会へと変容し、彼女の気持ちも沈んでゆきますが、海の音楽が回想されて終わります。
第3楽章:苦悩に満ちた表現で、広大に
王子の結婚を知り、落ちこむ人魚姫。王子がそのまま結婚してしまえば、彼女は泡となって死んでしまいますが、姉たちから渡されたナイフで王子を殺せば元の平和な生活に戻れます。
王子を心から愛する彼女が選んだのは、自らの死というものでした。手にしていたナイフを海に投げ捨て、みずからも海に身を投げ、泡に姿を変え、空気の精となって天国へ昇っていきます。
楽章の4分の3が過ぎたあたり、海の底の響きが静かにものさびしく響く中、やがて音楽はワーグナーのような自己犠牲的高揚をみせて盛り上がってゆきます。もしかしたらツェムリンスキーは自分の実生活の心境を人魚姫に反映させていたのかもしれません。




