新サロン日記改め「死にトリ日記」

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リアル居場所in大阪プチ報告

リアル居場所in大阪が終わって、すっかり数日が経ってしまいました。

 

大阪の会も、ほどよい人数でTwitterを通じてきてくれた人もいたり、開催地の地元から「死にたい気持ち」に悩まされている若者もそれなりに来てくれて、じっくりと議論をしたり、一緒にパンケーキを作って食べたり、鍋を囲んだりといい時間を過ごすことができました。

 

受入れ会場として手伝ってくれた北芝の皆さん、ありがとうございました。

 

前の日の夜にはらいとぴあのフリースペースにて開催されている「学びカフェ」で死にトリについて紹介をしたり、参加者の皆さんと死にトリ診断を囲んで発表する機会も設けてもらい、リアル居場所の練習になりました。

 

今回の大阪では遠方から待ち合わせの方がいて、最寄り駅まで迎えに行ったのですが、本当に会えるのかドキドキしました。

 

本当は経験談の投稿をきっかけにつながったもう少し遠くから意を決して来てくれる若者がいて、楽しみにしていたのですが、直前に40度越えの熱が出て来れなくなったのが残念でした。

 

少しずつですが、こうして「リアル居場所がありますよ」「そこで会いましょう」と先の約束を共有できることの意義をじわじわ実感しています。

 

1月の東京が楽しみになってきます。

 

それからネットの居場所をやっていて嬉しいつながりができることが増えてきたような気がします。

 

経験談への投稿も徐々にペースが上がっていますし、死にトリ診断のリサーチページを開設したところ、そこへの情報提供も増えてきました。

 

また、そうした問い合わせ先を通じて10代からの相談があり、メールのやりとりにつながったり、最近ではずっと死にたいと思っていたという方から、チャットや死にトリ診断を使って助かっています、こうした場所を作ってくれてありがとうぞざいますとメッセージをもらい、運営も大変だと思いますが…とねぎらいの言葉までかけてもらいました。

 

本当にいろいろと大変なことがあり、しんどいこともたくさんあるのですが、こうした一人の温かいメッセージに本当に救われた気持ちになりました。

 

と同時に、そうした運営側を思いやる気持ちがある人がずっと死にたい気持ちを抱えながら生きているという事実に何とも言えない気持ちになります。

 

懸命にまっとうに生きようとしているのに、死にたいぐらいしんどい状況のある人たちをつくりだしているのは、私たちが暮らす今の社会です。

 

その社会をつくっているのは私たちです。

 

だから、それを変えられるのも、私たちだし、変えずに放置するのも私たちです。

 

一人の力は小さいですが、そうしたことを知っている人たちでつながり、力を合わせて、何とか変えていきたいと思っています。

他者性への意識

ここ北海道には雪の便りが聞こえつつある季節になりました。

 

ネットの居場所ポータルサイト「死にトリ」では死にトリ診断に続いて、診断結果を集めてデータを今後につなげるための調査を始めました。

 

詳しくはこちら 

https://shinitori.net/docs/?p=295

 

多くのフィードバックをお待ちしています。

 

とはいえ、ここに協力してくれた人の希望者には詳しい結果についてフィードバックするお約束をしているのですが、もしも万が一爆発的に利用者が増えたら間に合うのか?!と一抹の不安があります。

 

ただ、それだけの反響があった場合にはサイトとしては成功と言えるので、それはそれでいいのだろうと思います。

 

利用者が殺到した場合にはとりあえずメールで「ご協力ありがとうございます。混みあっていてすぐにお送りできません。」と事情を説明したうえで、みんなで頑張って詳細のフィードバック作業をするしかないのですが。

 

でも、繁盛するのが嬉しいと言っていいのだろうか?とふと我に返ります。

 

生きづらい人たちの声を拾えることはこの事業としては本望なのですが、一方ではそれだけ生きづらい世の中の現実が実証されることでもあり、その現実を再認識することは今の社会で生きていくものとして、さらには20年も前から誰もが生き生きとした自分らしい生活を送るためにひたすら考えてきた者としては虚しい気持ちでいっぱいになるのもまた正直なところです。

 

しかし、そんな切実さや危機感はふと別の現実に目を向けると、まったく気に留めずに生きている多くの人たちの姿もあり、複雑な気持ちになります。

 

明日は我が身だったり、すでに我が身だったりするのに、そこから目をそらされたり、見えないようになっていたり、別のものとして見えるようになっているなど、今の世の中は巧妙に権利を侵害さたり、抑圧されたりしている人たちが自覚できないように作られているように思います。

 

それは意図した策略ではないと思うのですが、人間の心理や社会構造が自然とそうした目をそらしたり、他の問題に転嫁するようになってしまっていて、それすら気付かない何とも言えない不気味な感じがしています。

 

酷い時だと、自分も人のせいにしたり、上手くいかないとか危機感がわかってもらえないことや理不尽に責められたときに、個人攻撃をしたくなる時があり、批判や否定でとりあえず気持ちを収めようとしてしまうこともあるのです。

 

でも、そうした気持ちになり、そうした気持ちのもとで行動することが前述の社会構造的な負の連鎖の片棒を担ぐというのか、助長してしまう渦に自分自身も巻き込まれているのだろうと自戒します。

 

何とか負の連鎖を断ち切って、自分も他者も尊重し合えるようなベースに少しでも近づいていきたいと思うのでした。

 

最近買った「開かれた対話と未来」という本ではサブタイトルが「今この瞬間に他者を思いやる」と書いていて、まだ少ししか読んでいませんが、何かしらのヒントをもらえるかなぁと思いながら読み始めました。

 

この本はフィンランド・西ラップランド地方のトルニオにあるケロプダス病院で開発された「オープンダイアローグ」というケアの手法が持っている可能性を実践の事例を交えて解説しているものです。(とっても、これから読むのでおそらくそういった内容だろうという予測です)

 

オープンダイアローグには「celebrate difference(違いを歓迎する)」という大切な考え方があるそうです。

 

『対話の中核ににあるのは「自分とは違う他者」の「他者性(違うこと)」を尊重することであり、対話の過程は妥協点や一致点を探ること以上に、自分と他者との違いを掘り下げる過程でもあります。』(同著12ページ)

 

オープンダイアローグのやり方や考え方を見るにつけ、これまで若者たちと一緒にやってきたフィードバック研究会をはじめとした当事者と共に学ぶ場面と重なります。

 

同時に、これまでもそして今も主流のいわゆる「支援」の場面への違和感とエンパワーメントの限界も強く感じざるを得ません。

 

長女に重度の障害があるとわかった時から、ずっと感じ続けている「支援される側に立たされた時」の無力感や理解されない感じ、そして個人としての自分ではなく、障がいを持つ娘の親というラベリングをされる感触がいろいろな場面で私の心や感性に警報音を出し続けています。

 

おそらく、自分の意思ではなく偶然にもそうした状況に社会的に立たされてしまったからこそ、気づいてしまったのだろうと思いますし、そうじゃなければ気づかなかっただろうと思います。

 

もし、気づかないで自分が支援者の立場に立たされていたらおそらく無自覚に他者の違いを尊重できずに、適応を求め、歓迎したり、適応できな人のことを否定していたと思うと、本当にぞっとするのです。

 

それだけ、我が身として知ること体験することがとても大事だと思うのですが、支援される側つまり自分の弱さや誰かを頼ることを恥ずべきものではなく、当然のことだと自覚するは今の社会の中ではそう簡単に割り切ることができないようになっているのがまた厄介なのです。

 

一人で自分のことができるとか、人の迷惑にならないとか、できるだけ弱みを見せないとか、強い者や力のある者、お金のある者、どこの誰かが決めたのかわからないような基準で「できる人間」が偉くて、すごくて、成功者であって、それと逆の者は「ダメな人間」だと認定してしまうあるいはされてしまうことがたくさんあります。

 

多くの人たちが「そんなことないってば」と思い始めたら、おそらくもっともっとみんな幸せになれるのに、社会に仕組みも別の方向に進むのだろうにと思うのですが、「そんなことないってば」と思った方が楽になる人たちがむしろこぞって「そうじゃなくてはならない」「ダメな人間のままじゃダメ、できる人間にならなければならない」と自己暗示に縛られていることもたくさんあります。

 

どうやったら、この悪循環を断ち切れるのか…

 

ずっとずっと考えながら四苦八苦しているのですが、世の中は断ち切る方向ではなく、悪循環を強める方向に行ってしまうんですよね。

 

話を戻すと、死にトリ診断で「今のままでは生きづらい」と思っている人たちがたくさん集まり、それはその人のせいではなく、その人を取り巻く社会の構造やそうした人たちと尊重するような土台や価値観が間に合っていないということだ!ということに気づく人たちが増えて、すぐに社会構造は変わらなくても、お互いに他者を思いやってみよう!対話をしてみよう!という輪が広がることを願っています。

 

それは、やはり従来型の「支援」や「相談」を増やすことではないんだよなぁと思います。

 

死にトリを通じて、「やっぱり別の回路や仕組みが必要なんだ」ということがわかるきっかけになるよう願い、それを見えるようにするための試行錯誤は続いています。

 

今週の土曜日はリアル居場所の大阪開催になります。

 

一緒に対話をする仲間にたくさん出会いたいと思います。

 

申し込みを受け付けています。

 

会場が最寄駅から少し遠いので、千里中央場合によっては新大阪まで送迎をしますので、気軽にお問合せください。

 

詳しくはこちらです。

 

https://shinitori.net/docs/?p=257

 

お近くの方、お近くではなくても来れる方は問い合わせから連絡ください。

 

もしも、交通費が出せない場合には若者たちの活動を応援し暮れている助成金から出すこともできますので、ご相談ください。

 

お待ちしています。

外在化の力

なかなか毎日書くことができませんが、ぼちぼち書こうと試みているところです。

 

今日はチャットルームの強化日でした。

 

と言っても、私が別の仕事で参加できず…

 

若者たちが頑張ってくれたことでしょう。

 

今日は死にトリとも連携しているSNS相談の事業の関係で、若年層の希死念慮に関する研修会をしました。

 

発達心理学の専門の先生を招いて、基礎的な理論を教えてもらいつつ、普段の現場や身近なところでの若者たちの支援を振り返ることができました。

 

実践に追い立てられている状況にいるときに、まとまった理論を勉強すると、たくさんの人たちの存在が思い起こされることがあります。

 

今日もこれまで出会った若者たちとの関わりを思い起こしながら自分の経験を整理することができました。

 

まず、「自殺念慮」と「希死念慮(傾向)」の概念についてです。

 

「死にたい」という言葉を発するもしくは「死にたい」と思う気持ちには「自殺念慮」と「希死念慮(傾向)」の二種類があるのだとうこと。

 

若年層の「死にたい」の多くは「希死念慮(傾向)」であると考えられます。

 

ただ、両者が明確に異なるということではなく、もちろん重なり合うこと部分や連続性もあるのですが、少し性質が異なるものだと考えられます。

 

死にトリの事業は厚生労働省の自殺対策事業の枠組みですが、自殺念慮につながるような希死念慮を中心に考えていくサイトと言えます。

 

両者は少し性質が異なりますが、共通するのはその背景に「生きづらさ」があるということで、死にトリ診断はその「生きづらさ」を分析するものと言えます。

 

もう一つ、再確認したのはネガティブな感情や悩み、問題の「外在化」がポイントだということ。

 

深刻な問題や悩みを抱えている人に対して、その悩みを抱えた個人にアプローチするのではなく、その人から感情や悩み、問題を外に出して(外在化して)、一緒に並んで語り合うことの大切さです。

 

私は若者たちとずっと一緒に外在化で悩みに向き合ってたことを思い起こして、妥当で自然なやり方なのだと思いました。

 

死にトリ診断で課題を外在化して語り合ってもらおうというのも外在化の一つだと思いますし、経験談は外在化を促す方法だと思っています。

 

もちろん、相談という行為も外在化ではありますが、相談する側とされる側のというなかなか超えられない見えない壁があり、ともに並んで向き合うことが難しくなりますが、経験談は「悩みをお聞きします」「聞いてください」ということよりむしろ「書いてください。お願いします」こちらが頼む側になり、書いてくれる人が貢献する側になるので並びやすいのではないかと思っています。

 

もっとも、私は常々、相談者は勝手に師匠だと思って弟子入りしている気持ちになっています。

 

そんなことを言うと、「謙遜して」とか「そういう見方もありますね」なんて言われますが、私はどう考えても素直にそう思っていて、自分の知らないことをリアルに教えてくれるし、その関わりの中にはいつも学びや発見があり、他の人からは絶対に学ぶことができない事なんですから。

 

つい先日も3年ほどの付き合いのあるASD(自閉スペクトラム症)の若者が紆余曲折があるなか5カ月ほどかけて運転免許を取ることができて、私は支援者として時折、お呼びがかかりいわゆるサポートをしたのですが、何度かあった支援の場面一つひとつが私にとって発見と学びで、今の社会の現実についてその可能性も課題も随分わかりましたし、本人の思いや社会との間に起こる摩擦についてもまざまざと感じることができました。

 

これらは、単に私が勉強になったということではなく、今後に生かしていかなくてはならないと思っています。

 

自分のスタンスをごり押しするわけではないですが、支援という場面で一人ひとりの支援者が貴重な経験が学びと気づきに満ちていると認識し、それを教えてくれる相手に敬意をもって力を合わせることができればもう少し何かが変わるのではないかと思っています。

 

死にトリのサイトもまだまだ充実させていかなくてはなりませんが、若者たちとあれこれ相談しながら少しずつ進めていきたいと思います。

ホームを保障するために

気が付くと、どんどん日にちが過ぎていっています。

 

今日は居場所スタッフの一人に「来週は大阪です」と言われてびっくり!

 

え!来週?

 

そうでした。来週なのです。

 

ポータルサイトの方に詳しい場所や内容などがまだアップされていなくてすみません。

 

基本的には集まった人たちでじっくりゆっくりを話をすることがメインです。

 

今回はSNS相談やチャットルームで出会った人たちが来ることになっているので、新たな出会いを楽しみにしています。

 

今日はラジオの収録に居場所スタッフ二人と言ってきたのですが、先日の鹿児島居場所の際の毒親育ちの女子トークで話した若者は「すごい似ていてびっくりした」と言っていました。

 

確かに登壇している4人は、誰かが何かを言うと一斉に首を縦に大きく振りながら「わかる~」という表情をしていて、それを見ている方もなかなか面白かったのですが、本当に共感しあう部分が相当あるようなのです。

 

よく考えてみるとこの居場所の事業だからこそ、「毒親育ちです!」と宣言して、そのテーマについて語ることができますが、普段はそんなふうにピアが集まることもないだろうし、近くにいてもそういった話まではしないことの方が多いのだろうと思います。

 

そもそも、毒親も自らが毒親であることに気づかないようですが、毒親育ちもどこかで自分の状況を冷静に社会問題を含めて客観視する機会でもないと気づくことができないのかもしれません。

 

そんなテーマを心置きなく語れる場がネットの居場所事業のいいところだと思います。

 

今日のラジオの収録でもう一つ「なるほど~」と思ったことがありました。

 

子どもの頃の引っ越し、転校体験が子どもにもたらす影響が大きいことです。

 

もともと、転校は子どものストレス要因としては挙げられることは知っていましたが、私としては新しい環境に馴染むことが難しいなど、アウェーに飛び込むことへのストレスだと思っていました。

 

でも、今日の二人(二人とも20代前半なのに引っ越しがすでに10回しているのです)にとっては、子どもの頃の引っ越しはそれまでの居場所というのかコミュニティを奪われる、つまりホームを失うことへのストレスというのか大きな影響の方が大きいことを教えてもらいました。

 

しかも、時期を聞くと二人とも3年生、4年生とちょうど9,10歳というタイミング。

 

つまり、発達年齢的に抽象概念の理解が広がり、自分中心の世界から、周囲が見えてきて、コミュニティの一員としての土台ができる頃なのです。

 

おそらく初めてホームグラウンドという感覚を自覚するのだろうなぁと予測しました。

 

その実感を持ったホームグラウンドを自分の意思や都合なんて関係なく、奪われる…

 

そう考えると子どもにとって親の転勤や引っ越しは残酷でもあり、人権侵害になりうるんだなぁと思ってしまいました。

 

そんな時に親から離れても住み続けるような方法があったりしても面白いのにと思ったりして。

 

いずれにしても子どもがのびのびと権利が守られて育つためには課題がまだまだまだまだ多すぎて、どこをどうしたらよいか途方に暮れてしまいますが、それを実感している若者たちと一緒に居場所の活動を通じて今後への展望が見えてくることを願いつつ、取り組みたいと思っています。

 

誰もが、どんな家に生まれようが、子ども時代にホームグラウンドを得ることができる社会にしたいと思います。

大阪居場所開催の地

いよいよ11月になりました。

 

本当に時間が過ぎるのが早すぎです!

 

10月は鹿児島でリアル居場所を行ったところですが、今月は大阪で行います。

 

ポータルサイトでもお知らせが掲載されています。

 

https://shinitori.net/docs/?p=257

 

と思ったら、会場が「らいとぴあ21」というだけの不親切な記載(苦笑)。

 

それは、どこやねん!(にわか関西弁にしてみた)と言われそうですので、紹介を。

 

らいとぴあ21は「隣保館」です。

 

隣保館とは、あまり聞いたことがない人も多いかと思いますが、社会福祉法に規定されている第二種社会福祉事業の一つなのです。

 

平成14年8月29日に出された厚生労働事務次官通知の「目的」には以下のようなことが書かれています。

 

隣保館は、地域社会全体の中で福祉の向上や人権啓発の住民交流の拠点となる開かれたコミュニティーセンターとして、生活上の各種相談事業や人権課題の解決のための各種事業を総合的に行うものとする。

 

もともとは、主に被差別部落地域の生活改善や向上のために作られてきた経過がありますが、時代の流れの中で地域コミュニティづくりの拠点として位置づけが変わってきています。

 

制度としてはまさに「地域福祉」ど真ん中の内容で、しかも権利擁護の視点が入り、なおかつ分野問わずとなると私としてはこれほど優れた社会福祉事業はないのではないかとずっと思ってきました。

 

隣保館であるらいとぴあ21を運営しているのが、NPO法人暮らしづくりネットワーク北芝です。

 

http://www.kitashiba.org/ (NPOのホームページ、ネットワークサロンのものとは格段に違いセンスの良さ!苦笑)

 

このNPOには偶然にも9年前に出会いました。

 

https://ameblo.jp/n-salon/entry-10646786601.html (そのときの様子)

 

9年前に出会って以来、たびたび連携したり、お互いに行き来したり、数年前には職員が出向で来てくれて、若者たちと一緒にいろいろな活動をしてくれました。

 

私の中ではもっともシンクロできる活動でもあり、いつもいい刺激や自分たちのやっていることへの確認ができる機会をもらえます。

 

そのような縁もあって、大阪と言ってもちょっとはずれになりますが、居場所に来る皆さんにとって居心地の良い場所になるべく、たくさんの協力も得られるため、北芝にさせてもらいました。

 

すでにチャット利用をしてきた人や経験談を送ってくれた人、LINE相談からつながった人など、参加予定の方たちがいて、楽しみです。

 

まだまだ、参加エントリ―は絶賛受付中なので、お近くの人(お近くじゃなくても誰でも参加はできます)は遊びに来てください。

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